神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

友人の死亡記事が京都新聞に載っていました

2017年09月11日 10時07分51秒 | 新聞記事
先日の友人の死亡記事は、私の購読している産経新聞には出ていなかったようでしたが、地元の京都新聞には出ていました。

「村形明子氏死去 京大名誉教授、元日本フェノロサ学会長」

関心のある方は、どうぞ。

新聞、テレビによる洗脳は大きい

2017年06月28日 06時04分09秒 | 新聞記事
我が家は10年ほど前までずっと朝日新聞であった。

だけでなく、実家もずっと朝日新聞であったから、私は朝日新聞に洗脳されて育った。

が、10年ほど前に、夫が、さる人に産経新聞を読むことを勧められて、一時両方購読していた。

産経新聞には、われわれが読んでいた朝日新聞とは全く逆のことが書かれていた。

初めのころは産経新聞を馬鹿にしていたが、しかし、だんだん朝日新聞のほうがおかしいと思えるようになった。

それで、現在は、産経新聞一本である。

ところで、昨日の「麻央さんと同じ乳癌で逝った裕子さん」の記事は、図書館で朝日新聞の「天声人語」を読んできて書いた。

その際、その新聞に載っていた記事をざっと眺めたが、非常に驚いた。

なんと自国を貶めることばかり書かれているかと。

いちいち挙げないが、こんな記事を読んでいたのか、読まされていたのかと過去の自分が恐ろしかった。

朝日新聞を読んでいたころは、日本は過去にひどいことをした悪い国なのだと洗脳されていたと思う。

夫の知人が産経新聞を勧めてくれなかったら、現在もあの思想に染まったままだったろう。

新聞は公器であるから、いい加減なことを書いてはいけない。

まして、自国を貶める記事を書くなど言語道断だ。

今となれば、どこの国が、この朝日新聞のような、自国を貶める記事を許すだろう、と思う。

近隣国の暴挙に国土が危うくなっている現在、日本人は、もっと賢くなる必要があると思う。

  新聞で、テレビで知るしか術なかりし頃の己を思ひ出しをり

皇室の問題も、最近まで知らなかった。

テレビの皇室ニュースで、いいことだけしか知らされていなかった。

そうではないことを教えてくれたのはネットであるが、ネットにつながらなかったら、永遠に知らないままだったと思う。

ネットはフェイクが多いと言われているが、真実も、ネットからしか知ることができないということも一面の真理だと思う。

ネットにつながっていなかったら、今でも新聞やテレビの一方的なニュースしか知りえなかったと思うと、ネットにつながることのできた現在の幸運を思う。

  皇室のことを崇めてをりしかどここまで問題あるとネットは

  真実はいつしか知れることを知るネットで真実知るやうになり

麻央さんと同じ乳癌で逝った裕子さん

2017年06月27日 19時33分44秒 | 新聞記事
25日(日)の朝日新聞の「天声人語」に書かれていると歌友からメールが入ったので、図書館に読みに行ってきた。

私はブログの写真をガラケーで写しているので、縦長にしか写真がアップできない。

首をひねって読んでいただかないといけないが、こんな記事がありましたという報告までに。

私の短歌の先生だった河野裕子さんが乳がんで亡くなられたのは2010年のことであった。

裕子さんは、麻央さんのような子育ての真っ盛りのときに亡くなられたわけではなかったが、それでも、64歳の享年は現代では若すぎる。

裕子さんの最期の歌は

  手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が  歌集『蝉声』

であられたが、先日亡くなった小林麻央さんの最後の言葉は「愛して(る)」だったという。

いずれも、その夫に対して最後の言葉をふり絞って亡くなられた。

残された夫は、一生をかけて、その妻の残した言葉を反芻しなければならない。

有難いような、苦しいような思いであろう。

もっとこうしてやればよかったという後悔の念は必ず湧いてくるだろうから。

しかし、こうして死後思ってもらえるのも愛妻であった証しなわけで、早く亡くなったことは気の毒だが、老いさらばえることのなかったことだけを取り上げてみれば、幸運なことかもしれない。

  愛されて「あなたとあなたに触れたき」と言ひて死にたり河野裕子は  biko

  愛されて「愛してゐる」と言ひかけしままに死にたり小林麻央は  biko

  死に際に天使になりて死にたるか河野裕子と小林麻央は  biko

  死後のこる言葉のこして死ににける人の心は死後も死なざり  biko

生後一ヵ月の赤ちゃんを虐待?

2017年04月08日 11時03分34秒 | 新聞記事
朝、新聞を眺めていて目が釘付けになったのが、上記の記事だ。

え、なぜ?

生後一か月は、やっと笑顔を見せてくれるようになる、母親にとっては一番幸せな時期だ。

わが子は生まれてきてくれただけでも感動ものだが、わたしは、長女が初めて笑ってくれたときのことが忘れられない。

現在もあるかどうか知らないが、当時はやっていた赤ちゃん用のロッキングチェアのようなものに座らせてあった長女が、わたしのほうを見て初めてにっこり笑ってくれたときの嬉しさは、今でも忘れることができない。

心の底からかわいいと思ったし、生まれてきてくれてありがとうという思いを強めたのもそのときだった。

この子は自分の命を懸けても守らなくてはと思ったのも、そのときだった。

それなのに、このお母さんは、そのかわいい笑顔を見たかどうか知らないが、その一歳児を虐待したとは。

きっとこの母親にも事情があったのだろう。

そうとしか思えない。

わたしも、これほど感動した長女だったのに、その後年子で長男が生まれ、当時は、紙おむつなどという便利なものがなかったので、一日に三回くらい洗濯機を回してオムツを洗って、その合間には長男に母乳を飲まして、歩き始めの長女が外に出たがるのを叱りながら食事の支度もしなければならなかったので、かわいさとは裏腹に叱ることがどんどん増えていった。

一番かわいい盛りの一歳過ぎに叱ってばかりだったことは今でも苦い思い出だ。

当時住んでいた神戸市須磨区にあった社宅は南側はJR山陽線、北側は国道2号線が走っているというようなところだったので、長女が外に出るたびに追いかけなければならなかった。

そのストレスもあって、余計叱る回数が増えたような気がする。

その後、長女2歳、長男1歳のときに大阪のマンションに引っ越したのだが、その頃も二人にオムツを当てていて、もともと体力のない私には毎日疲労が限界に達していて、長女を叱ることが日常茶飯事になってしまっていた。

長女は年齢よりしっかりした子だったので、叱っても大丈夫のような、母親として長女に甘えているような気持ちもあったかもしれない。

しかし、いま思えば、長女はつらかったと思う。

その後はすっかりおばあちゃん子になってしまった。

そんなことを思い出してみると、この虐待をした母親を一方的に責めることはできない。

が、それにしても、虐待されて障害児になってしまった子の将来が心配されるし、その母親の後悔の念を推し量ったら、気の毒でならない。

母親ほど子供のことをかわいく思う存在はないが、しかし、その責任感ゆえ、逆に残虐になるということも一面の真理ではある。

小さいころは、こうして長女に負担を強いた私であったが、その後は長男に勉強を強いて、わたしは長男に精神的な虐待をしたかもしれない。

長女は自分から勉強する子だったから、問題なかったが、長男も真面目で勉強も嫌いではなかったが、何しろ欲のない子で、長女のようにがむしゃらに勉強することがないのを無理させたと思う。

わたし自身が頑張って勉強するタイプではなかったので、長男は私に似ていたのかもしれなかったのに、自分のことは棚に上げて期待した私は悪い母親であったろうか。

自分の過去を振り返ってみると、この新聞記事の母親を責めることはできないと思うのである。

我が家は、わたしの至らなさとは裏腹に子供達が皆よい子に育ってくれたのは、神様や周囲の人たちのお陰と思うのである。

  十か月おなかで育て生みし子がかわいくあらぬはずはなかりし  biko

  おのれより大事な己の生みし子を虐待するほどの悲劇はあらず  biko

新聞の折込広告を見ることはほとんどなくなった

2016年12月17日 15時04分55秒 | 新聞記事
まだ辛うじて新聞は購読しているが、新聞に挟まれている折込広告は、ほとんどというより全く見なくなった。

なぜかというと、見ている時間がない。

子育てをしていたころは、毎日折込広告を見比べてから買い物に出かけていたことが懐かしい。

が、現在は、食品は9割がた生協にお願いしているし、それ以外のものも、購買意欲が失せた。

だから、朝、新聞を手に取ったら、そのまま折り込み広告を外して古新聞いれに入れてしまう。

これは私だけではないだろう。

こんな時代に、紙の広告を入れるのは、無駄になるし、手間も無駄になると思う。

新聞そのものも読まないというか、読めない日がある。

ネットを始めるまでは、隅から隅まで読んでいたのに・・・。

現在も、時間が許せば読もうとは心がけている。

しかし、あっと言う間に夕方になる。

夕方になれば、夕刊が入る。

夕刊は朝刊以上に読まない。

他の人たちは、知らないが、たぶん同じではあるまいか。

これは時代の趨勢というものだろう。

昔を懐かしんでも、時代の流れは遡れない。

商店街が寂れていくことも、同様だ。

いつまでも、過去にしがみついていては、滅びることは免れ得ないだろう。

残すべきものは意識して残していく必要があるとは思うけれど、人間の力ではどうすることもできない時代の趨勢というものを感じる。

  新聞を2時間かけて読みしころ折込広告もよく読まれゐし  biko

  商店に買い物行かぬ時代きて宅配ばかり町駆け巡る  biko

盲聾の東大教授、福島智さんの明るさ&その母上の聡明

2016年12月11日 14時16分20秒 | 新聞記事
今は亡き叔母が信仰していた天理教の新聞、天理時報を購読していることは、過去、何度も書いた。

今日のブログ記事も、その天理時報の記事である。

知る人ぞ知る盲聾の東大教授、福島智氏、の母上は天理教信者であられる。

福島智氏も、そうであられるかもしれない。

昨日届いた天理時報には、その福島智氏の母上の記事があった。上の写真。↑

何でも、この母上、福島令子氏が指点字を思いつかれたのは偶然だったとか。

まず、智氏の目の異常に気づいたのは、智氏が一歳のとき、

失明したのは、小学校3年のときだったという。

負けん気の強い智氏は、頑張って点字を覚えて小学校4年からは盲学校に通うようになったらしい。

それだけだったら、案外世間にありがちの話かも知れないが、智氏には、さらに厳しい試練が与えられた。

高校2年のとき風邪を引いて、耳に水がたまったため、病院で鼓膜を切除してもらい、その水を出してもらった。

これを機に聴力が低下していった。

ここからが、智氏の偉いところで、

「目が見えなくなって、耳が聞こえなくなった。これは不思議なこと。しかし、神様がいるのなら苦しめてばかりもいないやろう。これはきっと何か神様の思惑があるのではないか」

と考えた。

ここから、母上、令子氏の偉さも。

自宅療養中、智と会話がうまくいかないもどかしさを感じ、点字タイプライターを打つ要領で、智の指をたたいてみた。

「さ と し わ か る か」

智は、にっと笑って「わかるでえ」と答えた。指点字が生まれた瞬間だった。


この母上あって、この子があると思わせられる。

私など、耳がよく聞こえないことだけでも心を倒してしまっている。

自分が聴覚障害ある子の母親であっても同様に、ただ悲しむだけだったかもしれない。

しかし、この福島令子さんはめげない。

ここまでの記事は天理時報の裏表紙の記事だが、今号では、中の紙面にも、福島氏の記事が載っていた。↓



「”言葉の世界”に生きる交友」と題して福島智氏と作家、北方謙三氏の対談本の紹介も掲載されていた。

書名は、『運命を切りひらくもの

この記事で、北方氏は、福島智氏と対談したときの印象を次のように述べている。

「不安と戸惑いがまとわりついていたが、それは握手でかなり消えた(中略)途中から、盲ろうという者と喋っているのだと、私は思えなくなった。そして、言葉が、ただの言葉ではなくなったのだ。意味は、通じ合う。意味以上のなにかを帯びて、二人の間で言葉が踊る」

一方の福島氏は、

「私は指点字の通訳の方に手に触れてもらって言葉を伝えてもらいますが、手を離した瞬間に世界と断絶するんです。だから空気や食べ物と同じように言葉が自分を活かしてくれている」と。

また、北方氏は、肺結核に罹(かか)り小説家を目指したこと、10年に及ぶ不遇時代のエピソードなどを紹介し、

「生きることは書くこと。書くことは生きること」

と、自身が見出した書き続ける作家姿勢に言及している。

  書くことが生きることとは私のことかもしれずブログ書き継ぐ  biko

福島智氏は、この天理教の出版社「道友社」から、今年の5月に『言葉は光』という本も上梓されているようだ。

読んでみたいものだ。

引きこもり・・・夫の姪の場合

2016年09月15日 11時52分28秒 | 新聞記事
今日の産経新聞の「主張」欄に「引きこもり」について書かれてあった。

現在半年以上自宅にこもっている15~39歳の「引きこもり」は全国で約45万人に上るという。

すごい人数だ。

ただでさえ、少子高齢化が問題にされているというのに、これだけの若い人たちが引きこもったのでは、日本の大きな損失だ。

なぜ、こんなふうになってしまったのだろう。

私もそうだったから言いにくいが、これは親の期待が強すぎて、子供が自分に自信が持てなくなったケースも多いのではないかと推測する。

実は、私も、母の期待が強すぎて、昔はしんどかった。

その私も、長女、長男のときは、かなり教育ママであった。

が、幸い、二人とも登校拒否もせずに、引きこもりもせずに育ってくれた。

次男だけは、昨日も書いた通り、幼稚園時代に、苛めによる登園拒否を起こしたことがあった。

だから、必ずしも、親の教育熱心が原因といえるわけではないが、自分のことから推測して・・・だ。

夫の妹も、私以上の教育ママであった。

そのせいだけでもなかろうが、その長女は、中高一貫の私立中学に入学したものの、わずか1ヶ月ほど通ったあと、登校できなくなってしまった。

義妹の心労は大変なものだったと思う。

結局、中学3年になってから、私立中学に籍を置いたまま、公立高校を受けた。

そのために塾は通っていたらしく、一応、その学区のトップ公立高校に合格した。

それで義妹も一安心と私は思っていたのだったが、後で聞いたところによると、せっかく合格したその高校も、最低限しか通わなかったそうな。

が、どういうわけか、関関同立のうちの一つの私立大学に合格した。

その後その大学に通ったかどうかは確かめなかったが、たぶんあまり通わなかったのではなかろうか。

が、大学になると、サボる人も多いから、姪の引きこもりは目立たなかっただろう。

で、4年になって、大手スポーツ新聞社の就職試験を受けて、校閲として採用された。

現在は、その新聞社に席を置いて一人暮らしをしている。

姪は、法事などのときには律儀に我が家に来てくれるから、その折、仕事のことを聞くと、その新聞社にはあまり出社しなくてもいいと。

どうやら一人暮らしをしているアパートで、ほとんどの仕事をやっているらしい。

主な仕事は校閲らしいが、自分で記事も書くと言っていた。

彼女の場合は引きこもり状態のままできる仕事に就けたから、ニートにはなっていないが、これが、違う職業だったら、どうなっていただろう。

そのことから考えれば、適切な仕事を与えられれば、引きこもりがちの人でも、こうして立派にやっていけるのだ。いや、引きこもりのまま仕事をすることもできる。

45万人もいるという引きこもりの人たちも、なにかその人に合った仕事に恵まれれば、引きこもりから脱出できるのではないかと思う。

そのとき親は、世間体とか学歴にはこだわらないで、本当にその子に合った、または、その子が本当にしたい仕事を応援してあげるようにしてほしいと思う。

夫の姪の場合は引きこもりから脱出できたわけでもなく、引きこもりのまま仕事ができているという稀有なケースであるかもしれないが、一つのヒントになるような気がしたから書いてみた。

  引きこもる人に才能多くあること多きかな悲しきことに  biko

  ひつそりと生きる人らにぴつたりの仕事与へよ仕事は光  biko

試練・・・上になったり下になったり

2016年09月12日 09時45分11秒 | 新聞記事
今日は新聞休刊日である。

そのことを忘れて、食堂の上においてあった新聞を、また読んでいると、昨日も読んだ記事だが、こういう歌の紹介があったので、備忘のために記録しておくことにする。
  
  片仮名のトの字に一の引きようで、上になったり下になったり


なるほど、うまくできた歌である。

そして含蓄がある。

同じ出来事でも、上におくか下におくかで受け取り方は全然ちがってくる。

私は、どちらかといえばペシミストで、物事を悲観的に受け取ることが多いが、

一昨日の「欠けたものを補って生きる・・・パラリンピック」に、やっほさんという方は、

>アナウンサーをしていたその人こそ、文章を書くのが得意だと思っていた。

その人からbikoさんに対して
>「この人は文章を書くことに自負があるのでしょう」
と言われたのだから、
少なくとも ”文章では叶わない” と認めたのでしょうから、
胸を張っていれば良かったのですよ。


と、コメントくださった。

私は、このメーリングリストでの、この発言、その他から鬱病になり、その後、精神薬を飲んで酷い目にあった。

やっほさんのような受け止め方をしていれば、鬱病などになる必要はなかったのだ。

話は変わるが、私の次男はアトピー性皮膚炎であった。

幼稚園に通っていた頃は、そのことで酷い苛めに遭い、辛抱強い次男も、ある朝ついに幼稚園に行けなくなった。

なにしろ、幼稚園では理由もなく、蹴飛ばしてくる子がいたし、言葉による侮辱もひどいものであった。

行けなくなるのが当たり前と思えるような酷い苛めだったので、私は幼稚園を休ませた。ずっと行かなくてもいいとさえ思っていた。

1週間くらい休ませたあとだったろうか。

次男は、また自分の意思で通園を再開した。

たぶん休んでいた間、幼い頭で考えたのだろう。休んで家にいても仕方ないと。

それからは、どんなに苛められても休むことはなかった。

次男の通った幼稚園は公立の幼稚園だったから、そのまま、小学校、中学校と、その苛めの構図は続いた。

が、幸い、次男は比較的勉強のできる子だったから、小学校に上がってからは、苛める子は苛める子でいたが、別の視点から次男の味方になってくれる子も増えた。

次男は、いじめっ子達も通っていた塾というものに一切行かなかった。

が、それでも、高校受験も、大学受験も、志望校に合格できた。

おとなしくて、やさしい次男ではあるが、芯は強いと思う。

幼稚園のころは、蹴飛ばしてくる子がいたら、蹴飛ばし返せばいいのにと、母親の私は思っていたのであったが、次男は、じっとされるがままになっていた。けっして仕返しはしなかった。

一度などは、まっさらの白いTシャツの背に蹴飛ばされた時の靴跡をくっきりつけて帰宅したこともあった。

そのころは、私は、次男は弱い子だと思っていた。

が、今となると、次男は、三人の我が子のなかで一番強い子だったと思う。

次男は、トの字の上におく一の字を試練と受け止めて耐えたのだろう。

今はシステムエンジニアとして立派に仕事をしているらしいし、昨年は可愛いお嫁さんも来てくれた。

私は、わが子ながら、次男を尊敬する。

  アトピーであることだけで苛められぢつと耐えゐし幼き次男  biko

私達は平和ボケしている?

2016年08月27日 08時07分01秒 | 新聞記事
何新聞とは言いませんが、今日の朝刊に、「中国、尖閣で『国内法執行』」とありました。

私も政治的なことには疎いので記事にするのはためらわれるのですが、これは大変なことでありませんか?

こんな法律が施行されたら、今後は、日本の領土であるにも関わらず、日本の漁船が、その領海で漁をしていたら、中国に摘発されるということになりませんか?

1ヶ月ほど前のNHKの番組でも、石垣島で漁業をされている人が、「もう怖くて漁ができない」と言われていたことが記憶に残っています。

石垣島周辺は、日本の領海であるにも関わらず、中国の船が実行支配しているからと。

その時もこれは由々しき問題だと思いながら視聴したのでしたが、今日の新聞記事は、もっと衝撃的ですね。

もちろん、これらは、政治家の皆さんに適切に対応していただかなければならないことですが、しかし、私達も安閑としていられる状況ではないということではないでしょうか?

現在私は「団塊の世代」というコミュニティに参加させていただいていますが、どなたも、このことには触れませんね。

いえ、私の見落としで、触れていらっしゃる方もいらっしゃるかもですが、それでも、それほど話題にはなっていないことは確かですね。

私達の年代は、定年退職して余生を楽しんでいられる人が多いと思いますが、しかし、こんな国の一大事に一番意見を言いやすいのは、私達定年退職して自由時間を得ている世代ではないかと思うのです。

まだ組織に所属している年代の人たちは時間もないでしょうし、それ以上にまだ家族を養わなければならない年代ですから、うかつなことは言えません。

が、私達の年代は、そうではありません。

国のことを考える時間もたっぷりあるし、発言する余力も残していると思います。

ほんとうの大年寄りになる前に、一番国の今後を考えられる、言える世代がわれわれではないかと思うのです。

かくいう私も政治のことは疎いので、これ以上のことは言えないのですが、今後は、もう少し関心を強めるようにしたいと思いました。日本の今後、子供、孫の世代のために。

片山恭一氏による「和歌と初恋」(天理時報紙より抜粋)&盲聾の東大教授、福島智氏のエッセー集の紹介

2016年06月03日 17時48分58秒 | 新聞記事
母の施設入所のことばかり考えている私であるが、気分転換に天理時報紙を読んだ。

天理時報は天理教の発行している新聞だ。

私は、信仰しているのではないが、今は亡き叔母(母の妹)が信仰していたので、その影響で、今でも新聞だけは購読している。

今日読んだ天理時報の裏表紙には、宗教紙とは思えないほどの文学的高度な記事があった。

それが、タイトルにした「和歌と初恋」である。

少し引用してみる。

『古今和歌集』の

  木のまより漏りくる月のかげ見れば心づくしの秋はきにけり

こんな歌を読むと、ああ、作者はきっと恋をしていたんだろうなと思う。それも初恋、はじめて人を好きになったときの切ない気持ち。恋わずらいってやつだ。「心づくし」とは物思いのこと。でも、言葉の正確な意味は知らなくても、直感的に通じるものがある。31字の歌を通して、千年以上も昔の誰かさんと現代の私たちの気持ちが通い合うという不思議。

  うちしめりあやめぞかおるほととぎす啼くやさつきの雨の夕ぐれ

こちらは、さらに時代が新しくなって、『新古今和歌集』に収められた歌。作者は藤原良経(よしつね)、摂政太政大臣にまでなった偉い人らしい。でも歌は全然偉そうにしていない。理屈っぽくないというか、難しい言葉をつかわずに、こんな高級な境地が表現できるんだ、と感心させられる。感受性の豊かな人だったのだろう。匂い、音、空気・・・・五感や肌に触れるものをこまやかに、心地よい調べにのせて詠んでいて、しかも窮屈な感じがしない。

この歌にも、やはり恋の気分が感じられる。ここからは少しこじつけめいてくる。恋をすると、たとえば感覚のきめが細かくなる。漏れ来る月の光が、いつもとは違って見えたり、色づく木の葉の一枚一枚が、高感度カメラで撮影したみたいに鮮明に見えたりする。感情も豊かになる。あるいは不安定になる。動きやすくなる。雨のなかに花が香っただけで心がざわつく。鳥の鳴き声に涙がこぼれそうになる。そういう繊細な感覚や感情を表現することに、和歌は長けている。短歌という器、形式が呼び出すものなのかもしれない。


う~ん、なかなかの名文だ。この文章を書いたのは、作家、片山恭一氏。

  かくまでの文章書ける人はたれ作家片山恭一なりき  biko

世界の中心で、愛を叫ぶ』を書いた作家なのだそう。

この新聞には、盲聾の東大教授、福島智さんのエッセー集『ことばは光り』の紹介もあった。



  盲聾の福島智氏難聴のわれの光りと仰ぐ人なり  biko

また人生相談欄には、「軽度難聴で仕事の電話対応が怖い」という相談も載っていた。


聴覚障害という障害は、軽度だから問題が少ないとかでは決してない。

その段階段階に応じた悩みが発生するのが聴覚障害という障害の特徴かもしれない。

私も若い頃、銀行勤めしたが、何が恐ろしいといって電話応対に勝るものはなかった。

聞き間違って、相手が不快そうな声になると、命が縮んだものだった。

  難聴は何級からが困るとかなくてそれぞれ困るが違ふ  biko

山本一力さんの「窓を開けて」~敗者復活を

2016年05月20日 17時34分58秒 | 新聞記事
今は亡き叔母(母の妹)が天理教を信仰していた関係で天理時報を購読していることは以前にも書いた。

私は、信仰には至らないが、しかし、読ませてもらっている。

今日は、私と同じ高知県出身で、年齢も同い年の直木賞作家、山本一力さんの記事があった。

題して、「窓を開けて」。

どういうことが書かれてあったかというと、最近のメディアの、ちょっとした不祥事を完膚なきまでに叩きのめす傾向を憂えておられて、敗者復活の窓も開いてやる必要があると。

これは、私も常々感じていることである。

一力さんは書かれている。

不始末を制裁するのは必要だ。しかし敗者復活の窓を開けておいてこそ、聡しは効く

同感である。

そして5月17日の清原和博被告の裁判について、弁護側の情状酌量証人として出廷した佐々木大魔神の受け答えにも触れている。

なぜ証人を引き受けたのか?

「親友ですから」

「引き受ける返事をいつしたのか?」

「即決です」

熱狂的Gファンゆえ、大魔神は憎いあんちくしょうだった。清原には何度も興奮させられたし、喜びも与えてもらった。

大魔神の迷いのない、凛とした返答に接して、心底この男も好きになった。

敗者たたきのとき、復活の窓は開けておいて。


まったく同感である。

  清原の情状酌量証人になりて男を上げた佐々木氏  biko

  たはやすく人を叩くな人たたく資格ある者この世にをらず  biko

人様に年齢を聞くということ

2016年01月16日 07時48分15秒 | 新聞記事
昨日の産経新聞夕刊に、円城塔さんという方が、「年齢だってプライバシー」と題して記事を書いていた。

私は、へ~っと思った。

年齢差別という差別があるのだそうだ。

だから、アメリカなどでは履歴書に年齢を書く必要がないし、顔写真も貼らないそう。

職場で年齢を聞くのもいけないのだそう。

私も、年齢で採用の差別をするのは間違っていると思う。

というのが、年齢に関わらず、元気な人はたくさんいるから。

そういう人たちが年齢を理由に採用をされないということになると、本人はもとより、社会の損失になる。

だから、その点では、アメリカのそのやり方は正しいと思う。

顔写真の有無も同様である。

数日前にも書いたが、私は、顔は符牒のようなものなので、美男、美女である必要性はないと思っている。

顔という生まれつきの特徴で、差別をしてはいけないとも思う。

が、年齢は、誰にでも平等なものである。

だから、正直に年齢を明かすことは、差別でも何でもないと私は考えるのだが、どうだろう。

年齢をお聞きしないと言葉遣いも適切に対応できないという私の考えは間違っているのだろうか。

確かに年齢より遥かに若く見える人はいる。

自分より若いと思っていた人が、実は自分より年長だったと分かれば、私は言葉遣いを替える。

逆もしかりである。

これが年齢不詳になると、対応に困る。

しかし、年齢というものは正直なもので、若く見える人、若く見せている人も、なにかの拍子に年齢相応の素顔を見せることがあり、ああ、やっぱりと思うことは世の中に多いものである。もちろん逆もある。

よしんば、なにもかも年齢より若い人がいた場合、私などは、その人の生き様にとても興味をそそられる。

若々しくいる努力をしてきた人か、あるいは、その年齢まで、年齢相応の苦労をせずに生きてきた人か。

それ以外に私が年齢より若く見える人の特徴を挙げるとすれば、知的な人というのがある。

知的な人というのは、だいたい男女とも若々しく見える。

いつまでも、物事に興味を失わないで、頭脳を常に働かせているからだろうか。

もちろん例外はあるけれども、総体に学者は若々しく見えると思う。

学者の範疇に入るかどうか分からないが、むかし宇宙飛行士の毛利衛さんをテレビで拝見したとき、その若々しさに驚嘆したものだった。

彼も、非常に知的な人であったが、現在もたぶんそうだろう。

そんなこんなで、私は、年齢をお聞きすることは全然失礼とは思わないし、年齢という物差しでもって、その人の、これまでの生き様を想像させていただくことは何より興味をそそられる。

その知的生活までというと、これは差別になるのだろうか?

  宇宙士の毛利衛氏わたくしと同い年なり若々しかり  biko

と、私などは、すぐに自分の年齢をオープンにしてしまう。(笑)

  年齢も顔も符牒であることを疑ひもせず年齢を訊く  biko

母からの荷物に詰め物として入れられていた故郷の高知新聞

2015年10月31日 19時34分04秒 | 新聞記事
実家の母から荷物が届いた。

我が家に何か送ってきてくれたというより、明日我が家に来るから自分の荷物を送ってきたのだ。

さて、タイトルにした、その荷物の詰め物になっていた高知新聞が今日のブログ記事である。

詰め物にするくらいだから、過去の新聞ばかりだ。つまり旧聞のてんこ盛りということになる(笑)

が、私には、旧聞でも十分興味を引く。なにしろふるさとの話題満載の「旧聞」だから。

まず、この記事↓母のいけばなのお弟子さんだった人の書かれた記事だ。


日付は今年9月21日。

私より一歳年長だった方だが、驚いたのは、その肩書きが「作家」になっていたこと。

いつのまに作家になられたのだろう。

若いころは、よく高知新聞の投書欄に投稿されていた。

なかなか面白いことを書かれると思っていたが、いつのまにやら作家になられたのだ。

次にこの記事↓高知県の2大公共交通運営企業が合併した経緯と現在。


昨年、兄の一周忌で帰省したとき、私のまたいとこが、その高知県の2大公共交通運営企業であった土電と高知県交通の合併した新会社「とさでん交通」の社長になるということをそのお母さん(母のいとこ)から聞いたが、そのことが書かれた記事だった。日付は昨年10月4日。

というふうに、ちょっと見ただけで、たちどころに知った人の記事が見付かる。

これが、ローカル新聞の面白さなのだと思った。

現代は、全国版の新聞だとネットで流されたのと同じニュースを再確認するということになるが、こういう地方新聞だと、私に関係した、しかし全く知らなかった故郷のニュースが入手できる。

その他の記事も、地方色むんむんの記事ばかりだから、つい読みふけってしまう。

現在購読している新聞は、もうやめたいと思っているくらいなのに、ふるさとの高知新聞は、送料を払ってでも、わざわざ購読したいと思うくらい、私にとって魅力に満ち満ちている。

  ふるさとの高知新聞ふるさとの知人、親戚みつけて楽し  biko

  全国のニュースなどより知りたきは故郷高知の歴史、近況  biko

作家になられている小川由里さんのますますのご活躍と、このたび「とさでん交通」の社長になられた”またいとこ”の奮闘を祈らせていただきたい。

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母は明日、岡山でいけばなの会に出席してから一人で兵庫県は川西市の我が家まで来るという。

高知市内での移動も覚束ない90歳の老人が無謀と思うが、言い出したらきかないから仕方ない。

  卒寿なる母は一人で高知より岡山に行き川西に来る  biko

郷里の高知新聞への投稿の思い出

2015年10月15日 22時45分08秒 | 新聞記事
くりまんじゅうさんに今朝書いた記事「新聞の購読をやめた家庭が多い中、未だ購読を続けているけれども」にコメントをいただいたので、過去、郷里の高知新聞に2回投稿して、2回掲載されたことを思い出した。いずれも、この川西市に引越してからのことなので、この10年以内のことである。

一度目は、はりまや橋の高速バスターミナルに対しての疑問を呈した投稿だった。

数年前の11月末、母の活け花の会に出席して、帰途の大阪行き夜行高速バスをはりまや橋で待った。が、屋外のバス停留所で待つのは寒いので、できたばかりのはりまや橋バスターミナルで待たせてもらうことにした。が、10時になったら「時間ですから出てください」と言われる。「え、寒いからここに居させていただいているのに」と言ったが、決まりであるらしいから、仕方なく、屋外のバス停留所で震えながら待った。「せっかく立派なバスターミナルを作って、降車専用とはもったいないではありませんか」という主旨の投稿だったと思う。

現在は、そのはりまや橋バスターミナルも乗り場としても機能しているようだから問題は解決しているだろう。

二度目の投稿は、高知県は関係ない話題の投稿だったが採用していただけた。

内容は、パソコンの自動翻訳機能を利用してアメリカの新聞記事を翻訳してもらったが、見た目は一応日本語の文章になっているが、機械的に直訳しているから意味が通じない。それで、英語の原文と照らし合わせながら、その意味不明の日本語文を判読していった。が、これは原文があったからそういうことができたが、たとえば私が意味不明な文章を書いたりしたときには、その照らしあわす文章がないから、永久に意味不明のままになる、だったと思う。

私は、現在は県外に住んでいるから、高知新聞に投稿したからといって、誰彼に読んでもらうということは期待できないが、しかし、親、親戚の人たちには読んでいただけた。

高知県に限らず、地方は、人口が少ないうえ、地縁、血縁で繋がっている場合が多いから、投稿ひとつとってみても都会の大新聞に投稿するのとは意味合いが違ってくる。

まして、くりまんじゅうさんの言われる死亡広告欄とかは、毎日チェックして知人や親戚の人が亡くなっていないか確かめなければ義理を欠くことにもなるのだろう。

都会の新聞にはない役目が地方の新聞にはある、ということをくりまんじゅうさんのコメントで気づかせていただいた。

  親戚と知人の死亡広告を見るため購読する高知新聞(かうしん)を  biko

  知り人の死亡広告見るはまれ高知を出でて川西に住み  biko

「私生活をブログに書いて何になるのだ」?

2015年09月29日 17時36分13秒 | 新聞記事
今日のS新聞を読んでいると、『大放言』という本の広告が出ていて、副題は「誰も言わないのなら、私が言う」という副題がついていました。

その中に

・「私生活をブログに書いて何になるのだ」という項目がありました。

一瞬、「ん?」と思いました。

ええ、損得勘定の物差しで測ると何にもなりませんね。だけど、「あなたは何のために生きていますか?」と聞かれたとき、何と答えられますか?

人って、「何のためになるか」という損得だけを考えて生きているわけではないですね。

・「なんでも『セクハラ』で誰が得をする」という項目もありました。

誰も得をしようと思って「セクハラ」と訴えるわけではないでしょう。普通の女性であれば、被害を受けて、我慢ができないから訴えるのでは?

・「なんでもコスパで考えるな」というのもありました。

誰が「何でもコスパ」で考えるのでしょうか?

もちろん入ってくるものには限りがあるから、無駄遣いはしないように心がけます。

だけど、何でもかんでもコスパで考える人っているでしょうか?

そんなことだけに汲々とすることは己の人生を汚すようなものです。

人様に特に子供達に迷惑をかけずに己の生を全うしたいから気をつけているだけです。

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センセーショナルな書名、副題をつければ、本というものは売れるのでしょうか?