神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

なにやら夫が優しいぞ

2018年02月28日 15時31分16秒 | 家族
昨日の夜、10時前に自宅に戻ってきたのであるが、
早寝の夫は起きて待っていてくれた。

そして、夫が先に帰ったあとの実家の様子を聞きたがった。

一渡り私の報告を聞いたあと、夫は安心したかのように寝た。

けさ起きてからも、夫は優しい。^^

私の話を気長に聞いてくれるだけでなく、普段のようないらだった様子は見せない。

仕事は相変わらず忙しそうなのに?

これは、たぶんたった二日間だったが、私のいない不自由が身に沁みたからだろう。

たまには主婦が家を留守にするのもいいかもしれない。

いつもいると当たり前になるだけでなく、あら探しまでされる。

それで、私の行き届かないところばかりを指摘される。

が、たまにいなければ、いない不自由を感じて多少は感謝されるのだ。

「夫達者で留守がいい」という言葉があるが、
奥さんもたまにはいないほうが夫婦仲も円満になるかもしれない。

皆さんも、ぜひお試しください。(笑)

*

・奥さんもたまにはゐぬのがいいらしく夫出迎ふいと機嫌よく

・留守中に上げ膳据え膳してくれる人の有難みしみじみ知りて

・主婦業も馬鹿にできぬと気づかせる機会なるべし主婦の留守居は

・食べられる料理いつぱい入れてある冷蔵庫なれどそれさへ面倒

・かと言つて食べに出るのはまたさらに面倒なれば妻は大切?

従姉の話

2018年02月28日 09時04分42秒 | 帰省
昨日母の納骨に来てくれた従姉は前の記事でも書いた通り、
私達父方いとこの中の最年長なので、私の知らなかったことも知っていて、
昨日もいろいろ話してくれた。

祖父は頭のいい人だったから、この墓地のある田舎でも皆から尊敬されていて、
現在墓地にしている一等地も、特別に手に入れることができたと。

また祖父は、第一次世界大戦のときに当時としては破格の出世をしたらしかったが、
学歴がなかったので、ある一定の地位までが限度だったそう。

それが悔しかったから、商売で成功してお金を作ってからは三人の息子を大学にやり、
その後、陸軍士官学校も卒業させている。

そのご利益があってか、私の父も軍隊に入ってまもなく中尉になったらしかったが、
この従姉の父親だった父の長兄は主計大尉だったそう。

それで、この父の長兄や父の威光で、親戚の男性陣は軍隊で全員が殴られるときなども
免除してもらえることが多かったそう。

父の次兄は体が弱かったから、兵役は免れていたらしかった。

また長兄は祖父が亡くなった時にほとんどの遺産を独り占めしたと私の母などは言っていたが、
この従姉の話によると、
私の父も、田舎の田畑を相続して、
それで私の母が高知市内に貸家にしている土地を買うことができたと言っていた。

私は、父からも母からも、そんな話は聞いたことがなかった。

やはり話は双方から聞かなければならないと思ったことだった。

父も母も、第二次世界大戦後法律が改正されていたのに、全部父の長兄が相続したと言っていたが、
従姉の話ではそうでもなかったことになる。

それから祖父存命中は、高見山というところに別荘があったが、
その別荘はいつのまにやら父の次兄のものになっていて、
現在、その次兄の長男(私の従兄)が自宅を建てて住んでいる。

母は、あの祖父の別荘は共有財産だったのになどと言っていたが、
しかし、このことも今度この従姉に聞いてみないといけない。

もっとも従姉も、すべての話に、多少は自分の親の贔屓を交えて話すことは計算に入れて。

とは言いながらも、この従姉は人格者だから、そう極端な話はしないと思う。

私は、子供の頃から、他の従姉妹たちと違って、
この従姉は全体を公平に見ることのできる従姉と信頼していた。

この従姉は、頭もよかったから、勉強はそれほどしないのに、常にトップの成績だった。

祖父も、この従姉のことは人にも自慢をしていた。

まだ幼かった孫の私にまで、
「〇〇ちゃんは勉強もよくできるけれど、絵を描かせたら、これがまたものすごく上手い」
などと(笑)。

従姉妹たちとは、私が結婚してからはお互いに疎遠になっていたが、
これからは、帰省したら、この従姉の家にも行ってみようかと思う。

この従姉の連れ合いは、さる銀行の重役だったから生活にも余裕があり、
それで余計こうして親戚筋の世話などもできるのだろう。

この従姉の結婚は、
卒業した高校の校長先生の推薦でお見合いして決まったと聞いている。

優等生だった従姉は、校長先生の覚えも目出たかったのだろう。

従姉が人格者だったから、こういう運命が授けられているのか、
こういう恵まれた生活をしているから人格者になれるのか、
これは「鶏が先か卵が先か」だ。

と、今日は、ちょっと従姉自慢をしてみた。^^

*

・嫁ぐまで姉妹のごとく親しみし従姉妹らのゐて今疎遠なり

・また祖父の生きゐしころに戻らむか戻りて姉妹のやうな従姉妹に

・われよりも先に勤めてゐし従姉われの勤めし四国銀行に

・入行をせしとき「妹さんですか?」と聞かれしこともありし従姉よ

・他人から見ればどこかが似てゐたか従姉妹同士は親が兄弟


いま帰途です

2018年02月27日 19時56分40秒 | 帰省

納骨が終わって兄嫁に南国市役所で降ろしてもらった。

南国市役所には、私のパスポートが切れている、夫のが切れかけているので
申請のための戸籍謄本の写しを発行してもらうためだった。

その後、jrで帰ろうと南国市の御免駅に行ったが、高速バスで帰るのとあまり時間の差がないので、
また高知市に戻って高速バスで帰ることに。

私は難聴だから乗り換えの不安のない高速バスのほうが好都合であるし、
運賃もjrの半額くらいである。

その浮いたお金でお土産を買った。

きのう友人宅でいただいた大丸という蒲鉾は800円くらいだった。

あとバスの中で食べる鯖寿司も800円くらいだった。

揚げたての芋ケンピも二袋買った。これも800円。

バスに乗ってから鯖寿司、芋ケンピを食べた。

こういうふうに、乗車して食べられるのもバスならではと私は思うのだが、どうかな?(笑)

*

・大阪に到着するは午後九時に近く帰宅は十時ちかくに


・七十のわれはさすがに疲れたり母の骨壺つちに埋めて

・最愛の母の最後の最後まで見届け七十娘は帰る

・七十になりても母の娘とふ事実変はらず梅の花咲く

・明日からはあの世の魂(たま)になる母に咲け梅の花薄くれなゐに

納骨

2018年02月27日 14時02分25秒 | 家族
上の写真は手元がぶれて狙った写真がとれていないが、
一枚目の写真はブログの設定上、外せないようなのでそのままにする。

本当は、穴に収めた母の骨壺を写したつもりだった。

私達が墓地に行くと、既に、お墓を除けて、数人の人が大きな穴を掘ってくれてあった。

むかし父の納骨のときは、田舎の近所の人たちが穴を掘ってくれたと聞いたが、
近年は、こういうふうに業者の人に頼むようになったようだ。


↓近年は、こういう作業も機械の力を借りるようだ。


↓また元の位置にお墓を戻して。

お坊さんが長いお経を丁寧にあげてくださった。

その後、私と兄嫁と父方従姉も拝んだ。

この従姉は、父方の一番年かさの従姉で、78歳になる。

われわれ一族いとこの筆頭のせいか、昔から責任感が強く、こういうときには馳せ参じてくれる。

そして彼女の覚えている昔の我が家の家系のこととか話してくれる。

現在本家のお墓はまとめられているが、以前は44個もお墓があって、
あまり行き来をしていない県外在住の親戚のお墓も全部墓守をしていたとか。

私のおぼろに覚えている記憶でも、夏になる前に一族で墓参りに行くのが恒例行事で、
その折、膨大な量の墓花を準備していた。

8歳上の従姉の話には知らなかった昔のことがいっぱい出てくる。

今回も25日の四十九日の法要時に納骨すれば皆に拝んでもらえたのにと思っているところに
車を運転してきてくれた。

昔は車の運転をしていなかったのにと思って聞くと、50歳ごろに運転免許を取得して、
まだ運転していると。

○○ちゃん、わざわざ来てくれてありがとう。

三人で拝んだあと、お墓の背中?から撮影。

写真ではわかりにくいと思うが、見晴るかす限り太平洋の大海原の広がった絶景である。

家を建てたらいいと思うくらいよい眺めの墓地だ。

*

・骨壺を納めし墓地は丘の上これからずつとこの丘の上

・父母(ちちはは)の眠る丘から見ゆる海水平線が遠く見えるよ

・ちちははも父方祖父母も伯父伯母も並び眠れる丘の上(へ)の墓地

・今頃は父にも兄にも会ひてゐむ梅の花咲く地上の上で

・梅の花咲くころ母は丘の上(へ)の墓に入りて拝まれてゐる

・母に会ふためにまた来む丘のうへ花を手向けて手を合はすため

*

従姉は喪服で来てくれたのに、兄嫁と私は話し合って普段着のままで行った。

というのが、

納骨が終わったら、そのまま着かえず帰途につかなければならないという事情だったから。

だから喪服は朝ホテルでキャリーケースに入れて宅急便で送ってしまっていた。

親友の家で夕食をご馳走になる

2018年02月26日 21時48分06秒 | 帰省
昼過ぎからずっと高校時代の親友の家でしゃべり続けた。

夕食は、ほとんど目の見えなくなっている友人が私が来る前に準備してくれてあった肉じゃがと味噌汁と<大丸という名の蒲鉾

簡単なメニューだが、料理上手の友人の味付けがよいので美味だった。

友人とはいくらしゃべってもしゃべり足りないが、遅くなるとホテルに戻るのが大変になるから辞去した。

友人は、「これからはここを実家と思って帰ってきて」と言ってくれるが、目の見えない友人の家に泊めてもらうことは気持ちだけ有り難くいただいておくことにしよう。

・ありがたき友の言葉を後にして夜の鏡川を見ながら帰る

大丸という蒲鉾は高知独特の蒲鉾だと思うが、材料がいいのだろう。とてもおいしい。
県外の方も高知に来られたらぜひお土産に。
お値段もけっこうするが、それに見合ったおいしさだと思う。

親友は病院の帰り道、大橋通という商店街で買ってきておいてくれたらしかった。

これを買うの一つでも苦労があるだろう友を思うと、涙がこぼれる。

この親友の連れ合いは私の兄の高校時代の友人だった人だが、数年前にくも膜下出血により体の自由が奪われている。

こんな二人だが、なんと驚くことに、この二人だけで旅に出たりもするのだそうだ。

一応名目は友人の連れ合いが保護者ということだが、この保護者のほうが見た目障害が重そうに見える。

それでも健気に生きている二人に乾杯!!

*

・人生に不幸はつきものとは言へどこれほどなるは珍しからむ

・だが幸か不幸は主観であるゆゑに不幸に見えても幸せはある

・友人の夫婦もさなり助け合ひ生きる夫婦はいと幸せで

・泣き笑ひしながら生きる友人の夫婦は二人ながら幸せ

・世間的幸せなどは糞くらへまでは思はずとても幸せ

今日の高知市は16度になるとかで

2018年02月26日 13時29分53秒 | 帰省
ホテルを出ると暖かいのでコートはホテルに置きに戻りました。

さすが南国高知です。(^-^)

まず実家に寄って母の位牌に手を合わせます。

このあと兄嫁と事務的な用件を片付けてから、午後、高校時代の親友の家に行きます。


春蘭満の?鏡川(^-^)


向こうに見えるのは牧野植物園のある五台山。

今日はお墓のある田舎のお寺で母の四十九日の法要を営んだ

2018年02月25日 21時01分24秒 | 帰省
(南国土佐の二月の窓に咲く満開の梅の花)


本当は法要のあと納骨まで済ます予定だったが、午後雨になるというので、納骨は明後日に。

仕事の忙しい夫は、法要のあと帰途についたが、私は今日、明日とホテルに泊まり、
明後日納骨を済ませてから帰ることに。

お墓のある田舎には久しぶりで来たのと従兄弟、従姉妹に会えたことで、嬉しい一日であった。

もう皆、親の世代が亡くなっているか、亡くなっていなくても老衰はげしい状況なので、
われわれが一番上の世代となりつつある。

実際、甥とか甥のお嫁さんとかがてきぱき動いてくれて、われわれはお世話になる場面も多い。

これからは、ますますこういう機会が増えてくるだろう。

*

・われわれが最年長になりてきてゐるを気付かす母の法要

・指図する母が亡くなり指図さるることもなくなり世話されてゐる

・法要の窓に満開梅の花母亡くなりし春はさびしゑ

明日は母の四十九日で帰省します

2018年02月24日 20時46分18秒 | 帰省
いえ、まだ四十九日にはならないのですが、
三か月にまたがるとよくないとかで、法事は今月末までにしないといけないそうです。

明日が今月の最後の日曜日なので、明日に決まったのです。

納骨も明日を予定していたのですが、明日は雨とかで、日を改めることになりました。

わが家は、長男も次男も誘ってあったのですが、それぞれ都合が悪くて私と夫だけで帰ることに。

夫も忙しいので、当日の明日朝出発することに。

二人だったら飛行機かJRにすればいいのですが、向こうで不便だから車で帰ることになりました。

夫は忙しいので、日帰りです。

私は73歳の夫が往復運転するのは心配なのですが、
夫は無茶をしないで休み休み帰るから大丈夫というので、
任せるしかありません。

私は、今日は荷物を作っていたのですが、
1月のお葬式に帰ってきたキャリーケースの中身をそのままにしてあったので、
それから片付けなければなりませんでした。

キャリーケースを開くと、捨てられるという母の物を入れられるだけ入れて帰ってきたので、
広げると部屋がいっぱいになりました。

ずっと気になっていましたが、なんとなく手をつけたくない気持ちでしたから。

持ち帰った母のものを眺めていると、母が亡くなったことが改めて思われて、
考え込んでしまいます。

このキャリーケースだけじゃなく、手提げかばんの整理もしないといけないのですが、
私は、どうも片付けが下手なようで、なかなか荷造りが終わりません。

こんなところは母に似たのかも。

いいところが似ればいいのですが、似なくていいところが似るものですね。

と、ここまで書いてから、夕食の支度。

今日は、天ぷらにします。

食事が終わって、また続きを書こうと思ったのですが、眠くなりました。

まだ荷造りが終わってないのに?

で、いったん寝てから、夜中に起きて荷造りするようにします。

朝7時には出発しないといけないから、早起きしないとね。

*

・片付けも荷物を作ることも下手なにもできない己と思ふ

・このわれの欠点母に似たらしくわれも片付けできぬ媼に

・忘れ物せぬやう早めに荷造りはするべしそれができればするが

・難聴のわれにケイタイ必需品その充電器も必需品なり

・喪服入れ黒の帽子も黒靴も入れて法事の荷物ふくるる

・葬式のときに着こみしセーターを着こむか否か迷ふ如月

・春めきてきしといへども風寒くあれば二月も着る毛のセーター

映画『ヘッドライト』

2018年02月24日 08時00分00秒 | テレビ番組
昨日の昼食後、夫が見かけていたBS放送の映画
『ヘッドライト』と途中から見た。

なにやら暗い感じと思ったが、フランス映画だった。

アメリカの映画は、広々して明るい感じがするが、ヨーロッパの映画は、住まいも狭いせいか
暗い感じがする。

これは、昔の映画も、最近の映画もだ。

内容も暗い場合が多い。

この『ヘッドライト』もそうだった。

途中からだったが、若い女性が妊娠していて、堕胎手術を受けるのだが、
その予後が悪くて、結局死んでしまったようだった。

その女性が亡くなって1年後に、その女性を妊娠させた初老の男は、
なにもなかったような顔で、以前の運転手の仕事をしている。

じゃ、あの亡くなった女性は何だったの?と同じ女性の私は思う。

かといって、その女性が死ななかったら、彼は子供三人も成した奥さんを捨てて
その若い女性と一緒になるはずだった。

そんなこと許される?と、これも女の立場から見れば理不尽に思える。

総じてヨーロッパの映画は、ハッピーエンドで終わらない。

それが人生さと言われてみれば、そうかもしれないが、しかし、産む側の性の女性が
粗末にされる物語は視ていてたまらなくなる。

それが映画の余韻などと言われれば、もう何も言えなくなるが。

思い出してみれば、ソフィア。ローレンの『ひまわり』などもそうだったなあ。

*

・後味のよろしき映画が良きなどと言ふにあらねどヨーロッパ映画

・明るきはアメリカ映画あとあじのよろしきハッピーエンドの映画

・人生は暗きがゆゑにシリアスな暗き映画を見せてゐるにや

・人生は明るきものとアメリカは明るく描く映画多かり

*

しかし、ああいう暗い映画に効用がないわけではない。

悲劇のヒロインと比べると、苦しい人生と思っている自分の人生が
それほどでもないと思えてくるという効用だ。

ブログもそうだ。

明るい記事ばかりのブログより暗い記事の多いブログを読みたいという人もいる。

これは、その人によるのだが、むしろ暗い記事の多いブログのほうが慰めになると
思う人もいる。

gooブログのお陰で昨年のことが昨日のように思い出される

2018年02月23日 20時43分50秒 | 家族
今年の1月11日に亡くなった母だが、
さきほど届いたgooブログの昨年の記事のお知らせで、昨年の今頃まだ生きていた母のことが
昨日のことのように思い出される。

この記事の中の「大学の先生」というのは、京大名誉教授だった村形明子さんのことだが、
この村形明子さんも亡くなった。

まさかこの一年に二人ともなくしてしまうなど、この記事を書いたときには思いもしなかった。

母は、危ない危ないと言われても、何度も復活した人だから、まだ死なないと思っていた。

が、当たり前のことだが、死ぬときは死ぬということを知った。

こう書いている私も、ひょっとしたら、来年の今頃はいないかもしれない。

人の命は簡単には終わらないと思わされる一方、死ぬときはあっけないということを学習した。

*

・昨年はまだ生きてゐし人ふたり死にてしまへりこの半年に

・その声がわたしの耳にこだましてゐる人達の姿は見えぬ

・昨年の記事とふお知らせ届きたり届きて見たり昨年の記事

・gooブログ知らせてくれる昨年の記事に記憶は蘇るなり

・昨年の今頃ふたりの死ぬことを知らずに書きし記事を読みたり

・亡くなりし人ら生き生き生きてゐるブログ記事なり一年前の

・わたくしが書きたる記事をわたくしが読む一年後二月二十三

・昨年の私に教へてやらむかな一年後には二人はゐぬと

・一年後わたしがゐなくなることも不思議であらぬことを思へり

・一年後生きてゐること保証することはできぬを保証するなり


母に振り回された数日
現在入院中の母から、「25日に退院できるから例の大学の先生に連絡して」と電話がかかってきたのは、1週間ほど前だったろうか。電話を受けた夫が、すぐにその大学の先生にメールと私に言......

73歳の夫は超多忙

2018年02月23日 17時58分56秒 | 家族
最近、夫が怒りっぽいのは、夫婦関係の問題というより
夫が忙しすぎるのが問題のようだ。

なにもないときは、忙しくても問題なく回っていくが、ひとたび逆鱗に触れたら大火傷する。

昨日、今日は、最近のお天気のように穏やかだ。

とにかく夫が忙しいときは、逆らわず、黙ってご飯の支度だけしていればいい。

夫はワーカホリック気味のところがあるから、仕事さえしていれば、基本的にはごきげんだ。

いくら忙しくても、遊ぶことの手も抜かない。

仕事の期限が迫っていても、シニアカレッジ、テニス、ボランティアには出かける。

私なら、期限の迫った仕事があれば行かないと思うが、行くところが夫の夫たるところである。

それができるのは、集中力があるからである。

体が健康であるからである。

健康だから無理がきくのである。

そういう夫をもてたことは感謝しないといけないかもしれない。

だって、夫婦二人とも病気がちだったら、家が回っていかない。

そういう意味で、夫婦というのは、たいがい上手く組み合わされているようだ。

お互いに無いところを求めあうというか、
神様が自然にそういうふうに組み合わせてくださっているように思うときもある。

昨日朝、夫が前日の夕飯に何を食べたか覚えていなかったと書いたが、
あとで昼食のときに、もう一度尋ねると覚えていたから、これも夫が
仕事に集中していたせいだったのだろう。

こうして集中できる力も神様からの賜物だろう。

私の娘は、夫に似ているのか、集中力のすごいところがある。

こういうことも、たぶん遺伝子に組み込まれているのだろう。

息子たちは、細やかなやさしさを持ち合わせているが、これは誰に似たのだろう?

*

・集中力すごき夫と思ふとき集中力もたぶん遺伝子

・集中力あれど回りが見えずなるとき時々はありてわが夫

*

今夜は鉄板焼きにする。

もうすでに、さつまいも、ゴボウ、レンコンなど、火の通りにくいものは焼いておいた。

あと、シイタケとかエリンギなどは、肉と一緒に焼く。

味噌汁も作っておいた。

日本の皇室には未婚の皇女をささげる斎王制度があったらしい

2018年02月23日 03時13分52秒 | 私の意見
斎王というのは、ウィキペディアによると

斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)または女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女、あるいは親王の王女)[1][2]。厳密には内親王の場合は「斎内親王」[3]、女王の場合は「斎女王」といったが、両者を総称して「斎王」と呼んでいる。

というものであったらしい。

現代人もよく知っている歴史的斎王に、式子内親王がいる。

なぜ彼女が有名かというと、その歌が百人一首に収められているからである。

有名な

玉の緒よ 絶えなば絶えぬ ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
(私の命よ、絶えるならば絶えてしまえ。
生きながらえていると、この恋をこらえて胸に秘めておく力が弱まり、
人目に現れてしまうかもしれないから)

という歌である。

この歌は、当時の斎王は結婚できなかったにも関わらず、恋をしてしまった式子内親王の苦悩を詠った歌と言われている。

なぜ結婚できなかったかというと、斎王というのは、穢れのない身体で時の天皇を祈りでお守りする役目を担わされていたからである。

だいたい天皇という存在そのものが国の安寧を祈るお立場なので、その天皇の御代を祈る斎王の役目も大きかったと推察する。

現代は、天皇も、その娘である皇女も、一般人と変わらない生活をなさっておられるが、

もともとは特別な存在であられたのである。

だからこその特別待遇であるということは、現代の天皇陛下ならびに皇族の方々には心していただかなければならないと思う。

国民の皇室に対する尊崇には、こうした厳しい生活を送られる皇族の方々への尊敬の気持ちがあったからである。

*

時代は移ったとはいっても、現代でも、皇族の方々には、基本的な皇室の伝統は守っていただく必要はあると思う。

特に最高位におかれる天皇、皇后、両陛下には厳しく臨んでいただきたい。

私は自分がまがりなりにも歌を作る人間なので、毎年の歌会始を楽しみにしている。

が、この歌会にご出席されない、できない?皇族の方を残念に思っている。

まして、これが次期皇后となられる方であった場合は、国民の立場から皇后と仰ぎたくない。

皇后になられるご意向をお持ちなら、無理をしてでもこうした行事には出ていただきたいし、

もしできない場合は、皇后になることをご辞退していただきたいとまで思う。

皇室が、現代でも皇室として存在するのは、
こうした伝統行事を守っているということが挙げられる。

だから、
こういう行事に参加されない皇族というのは、もう皇族と呼べないのではないかとさえ思う。

国民の税金で存在する皇室であるからには、こういう国民の気持ちには応える義務がある。

でなければ、ただの税金泥棒である。

祭祀もしない、こうした伝統行事にも出ないという皇室になれば、
早晩解体の憂き目にあうかもしれない。

*

・巫女は皇女(みこ)なりし時代の式子内親王賀茂の斎王なりき

・祈ることのみが存在理由にて祈らぬ今の皇室要らぬ


(註)
厳密にいえば、上の歌は斎王を引いてからの歌であるらしいが、
斎王をひかれた皇女は一生結婚なさらないことが多かったから、
上記のように説明しても全くの間違いではないと思う。

だけでなく、昔の皇女様方はあまり結婚なさらなかったのでは
ないか。

尼さんになられた皇女が多かったと思うが、ここら辺のことは
どなたかに教えてほしい。


皇族の方々のご自覚も必要ですが、お護りもさせていただかないといけないと思います

2018年02月22日 10時56分47秒 | 私の意見
いささか旧聞に属する話題ですが、

眞子さまのご婚約延期のニュースについて、
さまざまなことが言われているようです。

が、

私は、

皇族の方々は、その方々のご自覚も大事ですが、
しかし、国民がお守りする必要も思います。


今回の眞子さまの件に関しましても、
深窓にお育ちになられた宮様のご婚約は、
もっと宮内庁が気をつけて差し上げなければならなかったと思います。

もちろん、ご両親の秋篠宮ご夫妻もですが、
しかし、ご夫妻も、
われわれ庶民のように自由に詮議したりできるお立場ではありませんから、
そのために宮内庁があると、私は思っています。

宮内庁の方々は何をなさっておられたのですか?

われわれ庶民でも、大事な娘を嫁がせるときは、さまざまな観点から調べます。

まして眞子様は日本の宝です。

眞子様だけじゃなく、佳子様も、

悠仁様は言うに及ばず。

宮内庁は、日本の宝である、お姫様のご婚約にあたって、
何の調べもされなかったのでしょうか?

お付き合いを始めた段階で調べるのが普通ではありませんか?

ご本人の意思にお任せすると言いましても、

国の象徴としてご存在するご一家の姫君を怪しいお家に嫁がせることになりかけたことは
宮内庁の怠慢だと思います。

なんのために宮内庁は存在しているのですか?

日本の皇室は、言い方は悪いかもしれませんが、日本のメンツです。

日本の国が、諸外国から尊敬されるかどうかというメンツにかかわってくるのです。

その皇室を貶めてしまう縁組には心していただきたいと

一国民として、強く申し上げたく存じます。

夫は昨日の夕食を覚えていないって?

2018年02月22日 07時18分12秒 | 家族
昨日の記事の最後のほうにも書いたが、

夫は、昨日の午後、夕食は不要と言って出かけたのに、夕方夕食の時間に帰宅して、
外で食べなかったと。

それで大急ぎでごはんを炊いて、

その炊いている間にカレーを作った。

急いでいたから、カレーにいれるジャガイモは、新ジャガイモでもあったので、
洗っただけで皮をむかずに切って入れたくらいだった。

1時間くらいで両方が同時完成したので食べてもらった。

夫は食べ終わるやいなや、そのまま食堂の椅子に座ったまま眠ってしまった。

よほど疲れていたのだろう。

昨夜は、その後、2階に上がって寝たようだったが、

さっき2階に上がると、夫は既に起きて仕事を始めていた。

夫に、

「昨日作ったカレー、私はさっき食べましたが、おいしかったですね」

と言うと、

「え、カレーなんて食べた?」

というではないか。

「食べましたよ。食べてすぐ寝ましたが」と応えたが、

夫は、食べたことを覚えていないと。

ま、とにかく疲れていたようだったけれども、前の晩の夕食も覚えていないなんて、

認知症?

でも、今朝は別に異常はみられない。

昨夜、「ご飯いらないと言っていたのに」と私が言ったことで、また喧嘩になりかけていたが、
それも忘れたように、今朝はケロッとしている。

まあ、あれだけ毎日、仕事、遊びで忙しくしていたら、食べたものを忘れるということも
あるのかな?

私には考えられないけれども。

昨日のボランティアは、
国際交流ボランティアといって、
外国の人と交流する活動であったらしいが、
しかし、ボランティアといっても、
もちろん夫は楽しみで行っている。

それで、そういうときは、そのときの流れで、
食事を一緒に食べてきたり、こなかったりするようだ。

が、それに振り回される私は迷惑だ。

*

・食べたこと覚えてゐないと言ふ夫を訝しみをりその妻なれば

・すぐ怒る夫あるひは認知症?昨日のカレー今朝は忘れて

・それならば気をつけなければならぬとぞ思ふ如月雨水の季節

すぐ近くに老人ホーム建築中ですが、入居したいな

2018年02月21日 17時18分22秒 | わたしのこと
ええ、まだ家事はできます。

が、もっと自由がほしいのです。

先日も書いたように、夫の食事作りに縛られているから、自由に過ごせないのです。

私は家にいるのが好きな人なので、外出はそれほどしなくてもいいのですが、
食事作りには縛られますから。

食事作りって、作るだけじゃなく、献立を考えることから、その献立に
必要なものを買いに行くことも含まれます。

買い物は生協にお願いしていますから、かなり軽減されましたが、しかし、
注文する段階で、かなり考えます。

つまり時間を費やすのです。

食事を終えたら終えたで、その片付けも待っています。

わが家のように、夫の時間に合わせて食事の準備をしないといけない家では、
作るタイミングを計る必要もありますし、食べる時間が定まらないので、
寒い季節は何度も何度も温めなおししながら待たなければなりません。

ぬるかったら凄く怒りますしね。

それでいて忙しい人は待たないのです。

それで、こうして待機している時間帯に、ブログを綴ったりするのですが、
食堂に入ってきたときに私がパソコンに向かっていると、一気にご機嫌が
悪くなるのです。

いっそ食事作りがなければ、私は、もっと好きなことができるのにと
つい思ってしまいます。

さらに、老人ホームに入れば、食事作りに気を遣うこともなくなり、
本当に自分の好きなように過ごせると思うのですが、しかし、そこまですると、
今度はボケが進むかもしれませんね。

今でも、既にボケているのに?(笑)

*

・新しく老人ホームできるらしわれは見に行くその建物を

・足、腰の立つうち入居することは許されるのか許されざるか

・此の世には未練なきゆゑ七十になりし私は姥捨て山へ?

*

今日は夕飯がいらないと言って出かけたのに、帰ってきました。

急がなくていいと言うのですが、要らないとは言わないから、今から急いで夕飯を作ります。

私は、一人だから、簡単におうどんにしようと作りかけていたのに・・・。