神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

ワシントンハイツの旋風

2013年09月29日 14時23分42秒 | 読書
山本一力の『ジョン・マン』波濤編、大洋編の2冊を読み上げたので、今タイトルにした『ワシントンハイツの旋風』を読んでいる。

自伝なのかと思って借りてきたのだが、これも一応小説だった。

が、限りなく著者の山本一力氏の自伝に近い。

これを読んでいると、『ジョン・マン』も、形を変えた山本一力氏だったと思える。

山本一力氏も、ジョン・マンほどではないが、かなり波乱万丈の人生を送ってこられた人だ。

この小説の中に懐かしい高知市の地名、学校名が出るのは嬉しいし、中学生の山本氏が上京して住み込んだ新聞店のあった場所が渋谷区代々木上原で、私の娘が数年前に住んでいた渋谷区大山町も配達区域だったりするのも私的に面白さが増した。

               *

今日は約10日ぶりに夫が中国から帰ってくる。明日からは、これほど読書は捗らないと思う。

台風の接近のせいか

2013年09月25日 13時42分46秒 | 日記
台風20号接近のせいか、ここ3日ほど気温が高い。今日も午後2時前に屋内で30度を超えた。

が、空気がさらっとしているせいかクーラーなしでも過ごせる。

夫が出張でいないことと暑さを忘れるために読書をしている。



今読んでいるのは、高知県出身の作家、山本一力氏の『ジョン・マン(大洋編)』。

ジョン・マンとは、言わすと知れた、高知県出身の元漁師、ジョン万次郎のことだ。

作者も主人公も高知県の人だから、読むほうもつい力が入ってしまう。

この本には続編、波濤編もあって、これも同時に図書館で借りてきてあるのて、しばらく読書の秋を楽しめそうだ。

秋分の日

2013年09月23日 12時06分58秒 | 日記
秋分の日である。

が、まだまだ暑さが厳しくて、朝夕はともかくとして、昼間は涼しいというところまでいかない。

夫は18日から中国に行ったきりなので、この機会に自室、リビングの掃除をすればいいのは分かっているが、なかなかその気にはなれない。

何をしているかというと読書と昼寝である。その合間に兄のことばかり思い出している。

兄は決して優しいばかりではなかった。しかし、妹思いであったことはまぎれもなくて、子どものころ、私が腕白な男の子に苛められて、泣きながら帰ってきたら、必ず相手をやっつけてきてくれる頼もしい兄だったのだ。

それでもその兄に苛められることも多かったので、不憫がった叔父が見かねて「bikoは苛められるのに、どうしてそんなにHのことをお兄ちゃん、お兄ちゃんという?」と尋ねると、「だって私が外で苛められたら助けてくれるから」と応えていたらしい。

見かけや、そのすることによらず、兄は優しかったのだ。

兄が優等生であったことも私の自慢だった。

亡くなったあと、あんなことこんなことが思い出されて、朝も布団の中で兄を思っていることが多い。

あんなに強い兄だったのに、なぜ私より先に死んでしまったのだろう。

読書の秋

2013年09月21日 07時32分03秒 | 読書
読書の秋である。

最近は新聞、テレビはそこそこにして読書に時間を割いている。

いま読んでいるのは繁田信一氏という学者先生の書いた『天皇たちの孤独』という本。

主に清少納言が一条天皇の中宮であった定子に仕えた時代の解説本である。

われわれからすると国民から崇められるやんごとなき身分の人たちは恵まれていると思い勝ちであるが、実際は、立場変われどそれぞれの苦労があることがよく分かる。

一条天皇も例外ではなく、崇められているようでいて、実は高級公卿に操られて、結婚生活まで踏みにじられる生涯を送られたのだ。

本を読むことは、歴史を知ることは、まさに「旧きを尋ねて新しきを知る」に他ならない。

満月

2013年09月19日 21時29分46秒 | 日記
                 (今夜は満月でした)

9月15日の兄の葬儀で会葬御礼の挨拶をしたのは88歳の老母だった。

なぜそんな高齢者が会葬御礼の挨拶をしたのかというと、前日の御通夜の挨拶を最初兄嫁がしたのだが、短すぎてそっけなかった。それで母が兄嫁の挨拶を補うかのように丁寧に追加の挨拶をした。

まあそれはそれでよかったのだが、その成り行きで翌日の会葬御礼の挨拶も母がするということになり、したのだが、それはあまりにも長すぎた。

予定では10分ということだったが、母がもう少し長くしたいというので、葬儀社と相談して15分ということになっていた。

ところが実際の挨拶は何と40分の長さだった。

私は途中何度も止めるように合図したが、母は平然と40分続けた。お陰で後の予定が狂ってしまい、火葬場にも大遅刻してしまった。

が、この異常に長い挨拶は必ずしも悪かったわけでもなかった(かもしれないと、私は思うことにした)。

母は、兄の誕生の頃の様子から話し始めて小学時代に腕白ではあったけれど成績は常にトップクラスであったという話から土佐中、高時代の話、さらに慶応大学に進学したあとの話、就職してからの話と切れ目なく、最後は店を始めるに至った経緯とかまでに及び、一大スペクタクルのようでもあった。

聞かされたほうはどう思ったか定かでないが、少なくとも母は大満足であったと思う。(苦笑)

大往生

2013年09月18日 09時10分08秒 | 家族
67歳で亡くなった兄は、現代の平均寿命からすると早すぎたかもしれないが、しかし、好きなことをして亡くなったから大往生といえるのではなかろうか。

兄はもともと酒好きだった上に仕事柄(主にワイン専門の酒屋の経営)酒を飲む機会が多かった。そのため腎臓を患って、5年ほど前から人工透析を受けていた。

最近は体調も思わしくなく、8月に私の長男一家が墓参りに帰省した折には、最高血圧が60くらいしかなく、1階の店から3階の住いまで上がるのにも息切れすると言っていたらしい。

それなのに兄は、亡くなった12日には高校時代に所属していたブラスバンド部のOB会で自分の受け持ちパートのアルトサックスを吹いたらしい。

そして帰宅後シャワーを浴びてから、そのまま倒れたという。

救急車で運ばれてから懸命の心臓マッサージを受けたらしいが、助からなかったと。

しかし、上にも書いた通り、これは大往生だったといえるのではなかろうか。

お店は一応5年前から兄の次男が手伝っていたから何とか継続できる。

ただ昨今の酒屋経営の難しさ(スーパーなどで安売りされるお酒との競合)があるので、どの程度甥が頑張れるかという課題はある。

人生には努力だけでは太刀打ちできない場面もあるけれど、悪いことばかり続くわけでもない。

叔母の私は甥のために祈ることしかできないが、なんとかよい方向に向かってほしい。

台風一過

2013年09月16日 15時15分30秒 | 日記
兄のお葬式が終わって昨日帰る予定だったが、台風のため一日遅れの今日の帰宅になった。

台風を追いかけながら帰宅したような感じだった。

台風の通過中は大雨、強風で大荒れなのだが、過ぎると一転嘘のような快晴になる。

兄が亡くなってこれから兄の次男が兄の店の継ぐわけだが、この台風一過のようにすっきり順調に滑り出してほしいと思う。

今後を心配すればきりがないが、後は神様にお任せするしかない。私は、ただ見守るのみだ。

(写真は、帰宅してすぐに近くの猪名川を撮影したものです。いつもより水かさが増してにごっています)

残暑

2013年09月11日 10時33分35秒 | 日記
空には秋の鱗雲が見えて、地上では残暑が厳しい。

昨日は心臓の定期検診だった。

家の中では何とかクーラーなしで過ごせるようになったが、外に出ると残暑が厳しい。先週一週間雨ばかりで涼しかったあとだけに、余計に残暑が堪える。

病院までは徒歩15分くらいで遠いという距離ではないが、午後の診察のため昼過ぎに家を出ると道路には日陰もないから暑い。だから病院に着いたときは汗をかいていた。

現在心臓を診てくださっている先生は血液検査での薬の利きを最優先して診断なさる。

それによると現在私は肝臓の調子がよくなくて脂肪肝ができているらしい。なので、消化器内科のほうでCT検査を受けてくださいと言われる。

え、たしか6月にも同じ理由で検査していただき、消化器内科の先生にはそれほど心配することはないといわれたばかりなのに、と思ったが、主治医のいうことは聞いておかないと具合が悪いだろう。

また、この暑さの中を病院に行くことを思ったら気が重いが、涼しい日を選んで行くことにしよう。

それにしても私は運動らしい運動もしないし、それでいておいしいものは食べたいという人なので、脂肪肝ができても仕方のないところはある。それと鬱のときは家に閉じこもりきりになるし・・・。

月の輪草子

2013年09月09日 16時30分05秒 | 読書
瀬戸内寂聴氏の「月の輪草子」を読んだ。

清少納言が90歳のお婆さんになって、若い頃の自分の活躍譚を語る物語だ。

なぜ90歳かというと、この本を書いた瀬戸内寂聴さんがこれを書いた平成24年(昨年ですね)90歳だったかららしい。だから清少納言に語らせながら、寂聴さん自身の感慨とも読めないことはない。

物語のベースには清少納言の有名な「枕草子」の内容が入っているが、決してそれだけではなく、「枕草子」以後の、清少納言の仕えた中宮定子の、不幸になってゆく様が描かれているのが特徴だ。つまり、清少納言が書くことのできなかった、それ以後にまで踏み込んで書いた物語なのである。

さらに、それだけではなく、中宮定子が25歳で亡くなったあと、長生きをした清少納言の老いの語りが秀逸である。

人の運命は、本当に、最期まで見てみないと分からないと思う。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった中宮定子の実家の盛運は、父上、藤原道隆の死去から一気に傾くのである。そのあとに栄えたのは、道隆の弟の藤原道長一族であった。

それにしても、仕事とはいえ、瀬戸内寂聴氏も御歳90歳になられて、こういう書き下しの仕事ができることが驚異だ。

年老いてもこういう仕事のできる人が羨ましい。

この本を読んで、久しぶりに古典を読んでみようという気になった。

オリンピック 最後のプレゼン

2013年09月07日 23時16分45秒 | 日記
オリンピック開催を決める最後のプレゼンを見た。が、残念ながら字幕がつかなかったので、文字通り、見ただけだった。

見ただけで聞いていないのにいえることではないが、総じて印象はよかったのでは?

高円宮久子様から安倍総理まで見たが、皆リラックスして自然体でプレゼンできたように思えた。中でもパラリンピックの陸上に2回出場した佐藤真海氏のプレゼンには好感が持てた。

私は、もちろん東京で開催されたら嬉しいが、しかし、どうしてもという気持ちではない。

日本は今まだ東日本大震災の後始末の最中だ。

オリンピックが開催されて、国に活気が生れるのはいいことだとは思うが、しかし、大震災のことを一時でも忘れるようなことがあってはならない、と思う。

原発の汚染水のことが問題になったらなったで仕方ないと思うし、これが票を左右したとしたら、これも運命だろう。

私は今は無理をする時期ではないような気がしている。

山本一力さん

2013年09月03日 09時34分46秒 | 短歌
録画しておいて、気のむいたときに見る番組の一つに日曜日朝の「NHK短歌」がある。

今週の講師は歌人の小島ゆかりさん、ゲストは作家の山本一力さんだった。

山本さんは、私と同じ高知県出身なので、直木賞を受賞したときから注目をしていたが、その小説はまだ読ませてもらったことはない。

彼曰く「短歌とは省略の師匠」。なぜなら、短い詩形に言いたいことがぎゅっと詰まっているからだそう。言いえているとおもう。

で、ビデオを見たあと、彼に対する興味が再燃したので、すぐに図書館に行って、彼のエッセイを借りてきた。そして、その生い立ち、職歴を読んでいるが、大した人物と感心する。



彼は子どもの頃に家が破産したから、中学、高校の頃は新聞配達をしていたらしい。

が、ただ配達するだけでなく、当時配達していた区域の一つ、代々木にあったアメリカ人住宅地「ワシントンハイツ」で、そこの住人の子ども達と遊びながら英語を学んだのが、後年の彼の強みになる。

彼の持論は「人生は二輪に乗っているようなものだ」である。つまりペダルをこぎ続けていないと怪我をするというもの。どんな大きな組織でも、漕ぎつづけていないとフラフラしだすということらしい。

もう大半を読んだが、これを返却したら、いよいよ彼の小説を読ませてもらうつもりだ。

余談だが、彼は昭和23年2月18日生まれ。私は、同、2月19日生まれだ。何やら因縁めいたものを感じる。

きずきの森

2013年09月01日 11時23分33秒 | 日記
夫は、毎日ではないが、週に何回か、散歩を兼ねて、早朝の宝塚市の山に登る。

宝塚市には、ちょっと登るのに手ごろな、長尾山、釣鐘山などの山がある。高級住宅地の雲雀丘は住宅地の名前で長尾山の一角である。

それら山々に登っていると、いつしらに仲間ができる(らしい)。

今日は、その仲間らと交流をする集いがあったので、私も連れて行ってもらった。私のことは夫がいろいろ話しているらしく、皆さん親しく話しかけてくれた。



場所は宝塚市にお借りしているのだと思うが、仲間達で畑を作っていて、わずかな年会費を納めれば収穫をお裾分けしてくれる。

夫も年会費を納めているので、夏の間は、何度か、胡瓜、トマト、とうもろこし、おくら、茗荷、などをいただいてきてくれた。



↑畑には、こんな手彫りの置物も置いてあった。



↑趣味で炭を作っている人もいる。定年退職したばかりの、比較的若いお年寄り(?)が多い。



↑趣味で仏像を彫っている人もいる。なかなかの出来栄えだ。



↑会場には周辺の山々を模型にしたものも展示されてあった。

夫は、今日の午後、また中国に出発するので、お昼前にイベントの焼きそばをご馳走になって会場を後にした。