北国に住んでいられる方々はさらなり、という状況であられる。
私は、どちらかといえば、寒さには強く暑さに弱いのであるが、今年の寒さは堪える。
母を亡くしたから、余計寒さが沁みる。
16日に帰宅してから、ほとんど閉じこもり切りである。
冬だから、こういうことができるが、これが春とか夏だったら、どうだったろう?
その意味では、母が大寒に入る前に亡くなったことは、季節的にはいいめぐり合わせだった。
母の亡くなる半年前から毎月帰省していた。
虫が知らせたのだろう。
8月に帰省したとき、よさこいの時期でもあったので、高知には泊まらず、数時間滞在しただけだった。
そのとき、母が非常に名残り惜しい様子だったので、その後、毎月帰ることにしたのだった。
9月は、親友だった村形明子さんが亡くなったこともあって、帰省して、母と一緒に彼女の死を悼んだ。
このときは三翠園ホテルに泊まった。
さしもの夏の暑さも収まったころだったので、翌日は二人で実家まで歩いて帰った。
途中、母がアイスクリンを食べたいというので、探して、帯屋町のベンチに二人で座って食べたのも、いい思い出になった。
9月は下旬の帰省だったので、10月は飛ばして11月の初めに帰省した。
このときは、城西館に泊まった。
皇太子殿下ご夫妻が泊まられた直後だったので、皆に羨ましがられた。
が、この時は母の体調がよくなくて、翌日近くのオリエンタルホテルに泊まった朝、タクシーで実家に戻った。
その後、母は緊急入院した。
12月も、また城西館を、今度は連泊で予約していたが、母が「高級なホテルは気を遣う」と言い出したから、菜園場のホテルに変更した。
このときの母の体調はよかったので、喜んでくれた。
連泊したので、間の一日はゆっくりすることができた。
が、そのあとの12月29日の帰省は楽しいものではなかった。
私は予定していない帰省であったし、母は救急救命室に入院中の外出であったから、ひやひやしながらの外出だった。
それに引き続いての、この1月9日の帰省は私の疲れが取れ切れていなかったことも相まって、多少しんどい帰省であった。
が、母が喜んでくれたらという一心で帰省した。
甥(母には孫)とゆっくり過ごさせてやりたいという目的があったから。
そして、それを叶えた直後に母は亡くなったのだ。
そのときは、思い残すことはないと思った。
これでよかったのだと思ったことは事実だった。
が、日が経つにつれて、やはり辛くなってくる。
食欲もわかない。
体は正直だ。
心が悲しんでいると、体もそれに反応するのだ。
母は個性の強い人だったから、数えきれないくらい困らされた。
が、親子という絆はまぎれもない。
兄嫁や私の夫が、あとはケロッとしていられるのとは事情が違う。
問題のある老人であったかもしれないが、私を生んで育ててくれた人である。
さまざまな思い出を共有した親子である。
そんなに簡単に忘れられるわけはない。
親を亡くした気持ちは、親を亡くした人にしかわからない。
父を亡くしたときは、その衝撃が消えるのに数年かかった。
大往生だったと言われた母の死に対しても、数年はかかるかもしれない。
そんな気がする。
*
・十分に生きた人とは思へども親でありせば惜しみて惜しむ
・なぜもつとやさしく接してやらざりしかと思ふなり亡くしてみれば
・後悔は先には立たぬ理(ことはり)のありて後悔すなりその死後
私は、どちらかといえば、寒さには強く暑さに弱いのであるが、今年の寒さは堪える。
母を亡くしたから、余計寒さが沁みる。
16日に帰宅してから、ほとんど閉じこもり切りである。
冬だから、こういうことができるが、これが春とか夏だったら、どうだったろう?
その意味では、母が大寒に入る前に亡くなったことは、季節的にはいいめぐり合わせだった。
母の亡くなる半年前から毎月帰省していた。
虫が知らせたのだろう。
8月に帰省したとき、よさこいの時期でもあったので、高知には泊まらず、数時間滞在しただけだった。
そのとき、母が非常に名残り惜しい様子だったので、その後、毎月帰ることにしたのだった。
9月は、親友だった村形明子さんが亡くなったこともあって、帰省して、母と一緒に彼女の死を悼んだ。
このときは三翠園ホテルに泊まった。
さしもの夏の暑さも収まったころだったので、翌日は二人で実家まで歩いて帰った。
途中、母がアイスクリンを食べたいというので、探して、帯屋町のベンチに二人で座って食べたのも、いい思い出になった。
9月は下旬の帰省だったので、10月は飛ばして11月の初めに帰省した。
このときは、城西館に泊まった。
皇太子殿下ご夫妻が泊まられた直後だったので、皆に羨ましがられた。
が、この時は母の体調がよくなくて、翌日近くのオリエンタルホテルに泊まった朝、タクシーで実家に戻った。
その後、母は緊急入院した。
12月も、また城西館を、今度は連泊で予約していたが、母が「高級なホテルは気を遣う」と言い出したから、菜園場のホテルに変更した。
このときの母の体調はよかったので、喜んでくれた。
連泊したので、間の一日はゆっくりすることができた。
が、そのあとの12月29日の帰省は楽しいものではなかった。
私は予定していない帰省であったし、母は救急救命室に入院中の外出であったから、ひやひやしながらの外出だった。
それに引き続いての、この1月9日の帰省は私の疲れが取れ切れていなかったことも相まって、多少しんどい帰省であった。
が、母が喜んでくれたらという一心で帰省した。
甥(母には孫)とゆっくり過ごさせてやりたいという目的があったから。
そして、それを叶えた直後に母は亡くなったのだ。
そのときは、思い残すことはないと思った。
これでよかったのだと思ったことは事実だった。
が、日が経つにつれて、やはり辛くなってくる。
食欲もわかない。
体は正直だ。
心が悲しんでいると、体もそれに反応するのだ。
母は個性の強い人だったから、数えきれないくらい困らされた。
が、親子という絆はまぎれもない。
兄嫁や私の夫が、あとはケロッとしていられるのとは事情が違う。
問題のある老人であったかもしれないが、私を生んで育ててくれた人である。
さまざまな思い出を共有した親子である。
そんなに簡単に忘れられるわけはない。
親を亡くした気持ちは、親を亡くした人にしかわからない。
父を亡くしたときは、その衝撃が消えるのに数年かかった。
大往生だったと言われた母の死に対しても、数年はかかるかもしれない。
そんな気がする。
*
・十分に生きた人とは思へども親でありせば惜しみて惜しむ
・なぜもつとやさしく接してやらざりしかと思ふなり亡くしてみれば
・後悔は先には立たぬ理(ことはり)のありて後悔すなりその死後