竹中皆二さんは、以前、このブログで紹介させていただいた
「若狭の海幸山幸物語」の著者・竹中敬一さんのお父さん。
その皆二さんの最後の歌集を読ませて頂きました。
皆二さんは明治35年生まれ、旧制八高を中退、波乱万丈の青春を過ごします。
そして若山牧水の弟子となり、一筋に歌の道を歩まれました。
昭和7年小浜の阿納尻に居を構えます。
そして今で言うコンビニのような「いるかや」を始めました。
久須夜岳向ひに聳え入江にはさざ波湧けり満ち潮にして
水面(みのも)にはかすかに水皺(みじわ)光りつつ入江次第に暗くなりゆく
住まいは入江に近く、海豚が姿を見せることから付けた屋号だそうです。
有用材杉檜(ひのき)より雑木を好むはけだもの而うしてわれ
この舗道割れ目に生ふる艾(よもぎ)草むらむら茂りすでに実を持つ
自然を見る目も鋭いものがあります。
そして、この目は歌壇にも向けられて。
店頭には草花の新種歌壇には短歌の新種われは好まず
90年を生き抜いた方ならではの歌も。
九十年生き来てわれは思ふなり世論と言ふもの当にはならず
われ生きて九十二年の間には共産国興りまた消滅す
亡くなるまで牧水を師として尊敬されていました。
牧水忌・九月十七日という前書きのある一首。
午前七時五十八分香をたく我忘れざりき六十六年
私の好きな歌です。
しづかにも季(とき)の移るは吹く風に日の光にもあはれあれども
「若狭の海幸山幸物語」の著者・竹中敬一さんのお父さん。
その皆二さんの最後の歌集を読ませて頂きました。
皆二さんは明治35年生まれ、旧制八高を中退、波乱万丈の青春を過ごします。
そして若山牧水の弟子となり、一筋に歌の道を歩まれました。
昭和7年小浜の阿納尻に居を構えます。
そして今で言うコンビニのような「いるかや」を始めました。
久須夜岳向ひに聳え入江にはさざ波湧けり満ち潮にして
水面(みのも)にはかすかに水皺(みじわ)光りつつ入江次第に暗くなりゆく
住まいは入江に近く、海豚が姿を見せることから付けた屋号だそうです。
有用材杉檜(ひのき)より雑木を好むはけだもの而うしてわれ
この舗道割れ目に生ふる艾(よもぎ)草むらむら茂りすでに実を持つ
自然を見る目も鋭いものがあります。
そして、この目は歌壇にも向けられて。
店頭には草花の新種歌壇には短歌の新種われは好まず
90年を生き抜いた方ならではの歌も。
九十年生き来てわれは思ふなり世論と言ふもの当にはならず
われ生きて九十二年の間には共産国興りまた消滅す
亡くなるまで牧水を師として尊敬されていました。
牧水忌・九月十七日という前書きのある一首。
午前七時五十八分香をたく我忘れざりき六十六年
私の好きな歌です。
しづかにも季(とき)の移るは吹く風に日の光にもあはれあれども