オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鶏唐揚

2011-01-13 | Weblog

1/13(木) 今日の弁当は鶏の唐揚と寒ブリの照り焼き風、ポテト&ゆで卵のサラダ。昨日暗い中をクライアント先の目黒からから恵比寿へと歩きながら決めたメニューである。

唐揚のついでに、人参・安納芋とスナッピを少しばかり素揚げした。鶏肉は常道の下味をつけて片栗粉をまぶして揚げる。寒ブリは、和風照り焼きではなくオリーブオイルを使った。問題はサラダであるが、胡瓜・タマネギが多くて水っぽくなってしまった。ジャガイモの水切りも良くなかった。

                   

K君と私のご飯の上には、醤油を垂らした縮緬ジャコがたっぷりと載った。K君好みは間違いなし。

                        

私の弁当は、依然として小さいものを使っている。卵焼きも作りかったが、弁当に収まらんので断念した。弁当つくりは朝の遊びの時間なのでもっと遊びたい処だが・・・。

  散歩しながら・・・

あり散歩は、出先へ向かう途中、出先から戻るすがらに歩くことが中心。そうすると昔に馴染んだ町や、店の前を通ることが間々ある。と、あの頃あの時が甦って、懐かしむこと、反省することが過ったりする。

先日、目黒から六本木駅まで歩いた時のこと。

旧テレ朝通りから六本木通りに出る手前に大店の中華店がビルの2階にある。現、地球市民の会・会長、Sさんからの声掛かりで、店がオープンして間もない頃に何度か行った。

ここで何人かの人を紹介されているが、その中には思い掛けない人物もいた。

随分古いことだが、三越デパートに関わる女帝事件というのがあった。当時の三越社長と、もう一方の主人公となる”竹久みち”さんである。

事件からは随分と経ち、刑期も終えられていたが、その、竹久みちさんを紹介されて一緒に食事をしたことを思い出した。竹久さんは、新聞や雑誌で大叩きされた頃の面影はなく、上品で小柄な老婦人であった。控え目に、美しく話をされた印象が残っている。その”みち”さんが亡くなったニュースを耳にしたのは一昨年となったか・・・。

そして六本木駅へと至った。今やヒルズ族などと云う言葉も古いくらいだが、更に古~い話。
神谷町寄りの改札から日東ビルにでると、このビルの真裏、熊本会館の真ん前になるか。ここにピアノ・バー「禅」が、かつてあった。

半地下の赤レンガの階段を下りて、ガラスのドアを押すと馬蹄型に広がる店内。奥の真中あたりに壁に向かってグランドピアノ、その上には何時も白百合が大きな花瓶一杯に活けられていた。
オーナーは東郷好彦・葉子夫妻。葉子さんの芸名は「橋本葉子」、この人のピアノとタンゴに惹かれて出入りを始めた。きしくも私と同じ生年月日である。

この店のスタッフは、皆ミュージシャンかその卵。オーナーの東郷さんが厳しくて、歌い手が遊びに来ても下手なプロは唄わして貰えない。そんな店だった。

この店でピアノ・ギターを弾き、唄っていた和西さん、福家ちゃん、サンダーホームズ出身のジョージ、ダーナそんな人たちを思い出し、禅のあった場所を覗く。入り口だけは昔と同じ佇まいで残っていた。

この後直ぐであったか、山下敬二郎さん逝去のニュースが流れた。喪主に妻・直子とあった。直子さんは、に暫く勤めたことがる。体格のいい美人で、唄はまだ勉強中というところだったか。人気物だったが、あるとき敬二郎さんが遊びに来た。あっと云う間に直子を攫って行った。
年齢は倍も違うはず、東郷さんが「直は父を早く亡くしたので、オヤジのようなやさしさに惹かれたのかな」と言ったのを思い出した。

あれから20年以上が経つ。長く連れ添い、一緒にステージに立っていたと云うことを耳にすると、他人事ながら良かったなと思う。

そして、「禅」はその後、乃木坂通りから一ッ木通りへと店が移り、今、葉子さんが一人で店の切り盛りをしている。 東郷さんが亡くなって、早や三回忌が過ぎた。

 

 都内を歩いていると、思いでだけがよぎる。こんなこっちゃあ、長くねえな~。

 

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