オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

梅は咲いたが・・・

2017-02-21 | Weblog

2/21(火) 「梅は咲いた~か桜は未だかいな・・・」と云う小唄があるが、まさに故郷の畑にある梅の樹は、白い小さな花弁が満開を迎えていた。

小春日を思わす土曜の午後、梅の木の下に立つとブンブンと云う羽音が。頭上を仰ぐと蜂が蜜を求めて飛び交っていた。寒と餌不足に喘いだであろう蜜蜂も、これで一息つけるといいのだが・・・。

                           

金曜日の午後に羽田を発ち帰郷、本日の午後便で帰京した。毎度のことながら、月に一度、数日を過ごす田舎は何ものにも代えがたい安らぎの日々である。これで老母の、毎度の繰り言がなければ云うことなしだが。

                           

老人由に致し方なし、黙って聞いてやればいいとは思いながらも、同じ言葉を何十回も聞かされると些か疲れるのである。それも自慢話だが、当人はそう思ってないのであろう。幾つになっても、誉めてもらいたいのだろうか・・・、と聞かされる方は思う。

帰京の仕度をしていると「今度は何時来てくれる? 帰るのか?」と五分おきに訊き、煩い。『今度は、お彼岸だよ』と、こっちも何度も何度も繰り返すのであった。

 

土曜、日曜日と蜜柑畑に遊んだ。が、昼ごろからである。老母が蒲団から出てくるのが十一時過ぎ、それから飯を食べさすので、畑に行くのは遅くなると云う次第だ。

畑に行っても、大してやることはないが、先ずは火を熾して焚火。それからが作業となるが、今回は柚子の剪定だった。

たかだか二十本ばかりの柚子だが、一年で枝は伸びに伸びる。それを羊の毛を刈るぐらいに刈った。剪定前の半分ぐらいの大きさになったが、風通しと陽当たりはグ~ンとよくなった。結構時間を要するのだ。

リンゴの木村秋則さんのように自然農法とは参らぬ。枝を刈り、枝を引いて矯め、引っ張る。年に何度かは、有機肥料の油粕ぐらいは施肥もするのだ。

従姉や妹が畑に来ると、焚火で焼芋をし、残しておいたネーブルや八朔・文旦を振舞う。剪定した柚子の枝を燃やす。そんなことをしている内に、五時を知らせるメロディーが有線放送から流れる・・・・、懐かしき「夕焼け小焼け」が。

                    

この頃には、夕日は西の山に隠れ、山郷は黄昏てくる。さあ! 家に戻って晩飯の用意だこんなことを繰り返して、優雅なる(?)私の休日は過ぎていくのだ。

此度の帰省では揚げ物をしなかった。煮物(野菜・鶏・豚・牛)が中心。ロールキャベツ、茄子の煮物、肉じゃが、鯖味噌煮、大根と手羽煮、大根煮、ピーマン肉詰め焼、スキ焼きなどであった。

そうだ、親戚が釣ってきた「グレ」の煮物と塩焼きと云うのもあった。鱗を取るのに一苦労し、尖った背びれで指を突いて血を流したのだ。未だ痛い。

特筆すべきは「小鳥」だ。畑に水槽を置いて、菌を培養している。この水槽に小鳥が入って死んでいた。水を飲みにきて、菌にやられた? その夜、親戚のKATUOが小鳥を焼いて持ってきた。最近では小鳥の焼き鳥を口にするのは珍しい。旨かった

その翌朝、窓を開けて足元を見ると”ヒヨドリ”が死んでいた。前夜に口にしたのと同じ種だが、何故こんなとこで死んでるか? 体から血を流し、羽毛が散っていた。ガラス窓に激突したのじゃない。猛禽類に襲われて逃げたが、力尽きたのであろう。ハヤブサがいるそうだから。

                        

畑の水槽で死んだ小鳥と同様に、土葬にしてやった。が、焼き鳥にして喰ってもよかったかな? 妙に小鳥に縁がある今回の帰省であった。されど、窮鳥は懐に飛び込んで来なかった。

今夜あたり、美しい小鳥ちゃんが懐にくるかも・・・・? 。バカだねェ~、なにを言ってんだ

 

 

 

 

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