オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

〇〇に暇なし

2017-11-13 | Weblog

11/13(月) 先週末から、なにかと忙し気にしていた。平日の日中は暇をして困っているのに、休日の昼間が忙しいとはどういうことなんだ、と、詰められそうだが。

 金曜の夜、予定どおりに関東高知県人大懇親会に出席。郷里の町の町長・副町長(昨年にも会っている)と、議長・副議長も来ていた。それに在京の先輩と同級生(二人ともベッタラ市に顔を出した)が居た。歓談しながら『悪いが、次の席があるんで途中で失礼するので』と、断りを入れた。何人かの知り合いと歓談をし、一時間ほどで抜けて池袋へ。

                         

池袋の小料理屋「野武士」には、KISHIMOTO大兄とその仲間たち七~八人が賑やかに飲んでいた。皆さん、池袋界隈に事務所を持つ企業のオーナーだが、K大兄の紹介で何度かご一緒している。ちょいと場違いな気がしないでもないが、まっいいか・・・である。

店の女将が信州の産だと云うことで「信濃の心」と云う詩が大きな文字で掛かっている。信州産の人は皆歌えるそうだが、学校で習うのであろうか?、土佐なら差し詰め”南国土佐を後にして”か?。長い長~い詩なんだが、良い詩と曲である。長野人が郷土愛を持つのが分る気がするよ。

                         

カラオケとなり、百円づつ拠出してマイクを握るのだが・・・。ここのルールは、唄う前に点数を申告するのだ。自己申告した点数と、画面に出る点数の差が五点以上になると罰金を徴収される。百円だが・・・・。このシステムだと、常連が、何度か唄っている方が有利だ。久しぶりの私は罰金となってしまった。

大兄が気遣って、皆さんに別れを告げ、二人して店を後にした。この日の帰宅は、23時を廻った頃であったか。

翌、土曜日の午後は「オヤジの料理教室」であった。高輪台のJIN先生宅に集合したのは、NAKAMURA,HOYA,FUJIKURAと紅一点HANADAカメラマンの五人。不動産屋は幼馴染の逝去でドタキャン、AOKIとIMAEの近江連合軍は、もとより欠席届が出ていた。この会の連絡担当は私らしい・・・、言いだしっぺと云うやつだ。

今回のメニューは「オニオングラタンスープ」に決まっていた。他は先生にお任せであったが、クリスマスも近いと云うことで「鶏の足の香り焼き」「温野菜&ソース」であった。

一番の手間がタマネギ炒めで、交替でこれを延々と一時間近くもやったこと。その成果は、濃厚なスープの味となって現れた。私が事前トレーニングで作った簡単オニオングラタンとは月とスッポン、大違いの味であった。

              

賑やかに料理をした後は、お楽しみタイムの試食。それに先生と助手のJINNOさんが作ってくれた摘みの数々、NAKAMURAさんが所望した「鮒ずし」は、AOKIが差し入れてくれた。それらが、テーブル狭しと並び、この宵も大懇談会の幕が開いたのであった。葬儀を終えたマッチャン不動産が、何時もの日高屋の冷凍餃子を携えて現れる。

            

                 先ずは乾杯!         近江の 鮒ずし   奥からJINパパ・NAKAさん、HOYA兄い、FUJIKURA

そして日曜日、この日の午前中は長女の娘SORA(七歳)の七五三の宮参り。金曜日から預かっている次女の息子RURI(二歳)も連れて、碑文谷八幡宮へ。写真を撮り、着物姿の母子だが、娘の方はお転婆でじっとしていない。一人っ子なのでRURIを構って遊ぶのに余念がない。

                       

神社でのお祓いは、なんと五組が一緒にやるのだ。なんともお手軽なもんだと・・・、三歳の時もそうだったろうが、覚えていない。食事会には出ないと言ってあったら、夕食会にしたとのことだ。これなら逃げる分けにいかんな・・・。

お宮参りを終えて帰宅。そして平和島へと大人の遊びへと出撃した。NAKANOのオヤジは先行したが、俺と一緒だとウンを吸い取られると思っているかも?。

 てなことで、6レースから参戦。6・7レースと当たるも元手も回収できないぐらいの小配当。8~10レースまで女神は微笑まないが、10レースは惜しかった。途中までゲットした気でいたら5マークを廻るところで、三着を走っていた艇が沈しやがった。手繰り寄せたはずのお宝が、するりと落ちた。大きな鯉を掴まえて両手で抱えた瞬間に跳ねて逃げられ・・・。逃がした魚ほどデカイ!、そんな気持ちがよく分かる。

ここで諦めて傷口を広げない、これも一理だが・・・・。そうはイカンザキだ。11,12レースを残すのみとファイト一発ハイボールを飲む。飲みながらテーブルの上に出走表を広げて検討した。先ほど顔を合わせたNAKANOオヤジは「芽がでない、ダメダ!」とのボヤキ・・・・『これからじゃない』と激励をしたが・・・。

 11レースを予想して買う。水辺の柵に身をゆだねて、オヤジと並んで観戦すると、これがドンピシャで来た。気分が乗って来たぜ、俄然やる気モードに。そして最終のレースがスタートした。今度はオヤジと遠く離れた端っこで行方を追った・・・・。またしてもゲットするも、配当は少ない。

オヤジの姿が見当たらない、ということは外したのだろう。携帯が鳴った、二階の駐車場にいるとの連絡だった・・・・・。

大した額を掛けないといっても、そこは勝負のことだ。負け続けると面白くないだろう。「どうだった?」と問われ、取れたけど大したことはないネ、と応えた。帰路の車内ではボートのことには触れず、商売のことなど聞きながらであった。

お互い、小商いと云うのは難しいね。日本中の零細企業が、後継の問題で悩んでるそうだが、オヤジのとこも内も似たようなものだ。長い間、オヤジの店を見ているので問題・課題はよく判るが、かといっていい商戦や特効薬が有る分けじゃない。お互い様である。

休日の半日のボート遊びか、誘われて行くゴルフくらいが息抜きと遊びの暮らしだ。俺の場合はゴルフを止めて久しいが、今のところは毎朝の弁当作りと、パトロール隊の酒場巡りぐらいしかない。絵や筆文字を書くのを趣味にしたいが・・・・願望だけで終わりそうだ。

そんな一日の〆は、孫娘の七五三の祝いの食事会。親の好みで焼肉であった。ここ暫く行っていない「東紅苑」で、久々に旨い焼肉を食したが、昔のように爆喰いはしない、できない。軽くいただき、静かにカードを切ってお開きにした。

貧乏に暇なしと云うが、貧乏人には暇があるのだ。そんな週末であった。

 

そして月曜日の今朝、四時過ぎに飼い猫・ミーコの襲撃で起こされた。ドアが開いていたようだ。寝込みを襲われないように、ドアの開閉だけは気を付けるようにしていたが・・・。止む無く、五時から台所へと向かう。先ずは猫の餌やりだ、これが済まないと足元に纏わりついて煩いのだ。

昨夜、子ども連れに来た次女が泊まっている。弁当が有った方がよかろうが、多分オムスビだろうと検討をつけて飯を炊いた。弁当二つにオムスビ二個、であろうと検討して、弁当作りに入った。

「掻揚げ&蓮根挟み揚げ」「味付きの豚肩ロースの照り焼き」「鮭&ギンダラ粕漬け焼き」、そして定番の「卵焼き」以上であった。

                  

 

鮭と梅でオムスビを握り、弁当にご飯を詰める。今日も弁当が出来た、貧乏オヤジのささやかなひと時が過ぎていったのであった。されど、ネコの怨念か、眠いのだ・・・・・。

                    

 

 

 

 

 

 

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