オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯?それとも焼き飯?

2017-09-19 | Weblog

9/19(火) 台風で大騒ぎした三連休も明け、東京は秋晴れの空がひろがっている。昨日は台風一過でフェーン現象のような暑さだったが、今日は気温も気温は高いが湿気のない空気が日陰では心地よい。

今朝は、先週末にちょっと嫌な話を聞き、てその真意を確認し、消火しなければと気が急いていた。朝から火元である某社の知人にアポをとり、小一時間も手間を取らせて話を聞いたが、真相は藪の中。かくなるは、火元とおぼしき人物に会うしかないと、社に戻ってアポイントを入れた。顔を合わせて話を聴けば、すれば、大概のことは片付くはずであると。

悪いことほど早く対応する。よくない情報ほど早く伝える。私事であれビジネスであれ、それは鉄則である。が、まだまだ浸透(スタッフに)していないのか、或いはそのこと自体を軽視しているかであろう。認識の違い、ギャップというのは怖い。

悪い話を聞けば、苔の生えた心臓とボケた脳味噌と云われる私だって、悪態をつき罵詈雑言を吐く。が、そこは一歩下がって問題の根幹は那辺に在るのか、と考える冷静さが必要であろう。その為には、ちょっとだけ間をおき(ちょっとだけね)、分析と手立てのあれこれを考えようではないか。諸君! ―諸君は不要か ― 。

一つ弁当を作りながら、何時になれば相手は在席か、暇なのかなどと考えた朝であった。

で、他のことを思案しながらの弁当は「炒飯」と云うことで準備を始めた。具材を刻み炒め、次いでご飯を炒める段になった。熱した中華鍋に油を加え、いざ卵を割り入れようとしたら・・・・。なんと! 卵がない、無いのだ。日曜日に買っとけよと、家人に伝えてあったのに・・・・。

そこで鉄人は、またしても思案六方である。卵が入らないで「炒飯」っていえるのか?と。若しかして「焼飯」か?。でもな、具は在るんだから・・・・。焼きめしか炒飯か、炒飯か焼き飯か?堂々巡りするのであった・・・・。

 焼き飯か炒飯かの詮議はさておき、弁当作りは進めなくちゃならん。結論は先送りにして、中華鍋に飯を入れて炒めながら具材も加える。中華スープの素と醤油をひと垂らしで味を調える。卵抜きながら、炒飯ぽいな~と思いながら・・・・。

                         

菜の方は「鶏肉と野菜の煮物「牛小間入りの野菜炒め」「メカジキの漬け焼」であった。定番であるべき卵焼きは当然不在である。

                            

以上、今朝のひとつ弁当の完成であります。その後、炒飯か焼き飯か、左右を決すべく調べてみたが、どうやらどちらとも云えそうだ。と、判断した。其処で吾輩は『炒焼飯』と命名することにしたのである。

 朝から思案した件については、明日その当事者に会うことになった。まあ、案ずるより産むが易し。災い転じて福となすになると思うが・・・・。

 明日午後から某社を訪問後、OB会の理事会に出席、懇談会とつづく。明後日は昼の便で月例の帰省となる。オオボケの老婆は電話をしてきては「いつ戻る何時もどる」と同じことを何度も聞き、「だれっちゃこん、なんちゃぁ食べちゃせん」と泣き言を繰り返す・・・・。こんな年寄りになっちゃいかんと、自身は思うが、何時か辿る道かな。

来週の月曜日、夕刻の帰京予定。暫くのご無沙汰となろう  。

 

 

 

 

 

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