生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

地上の光

2020-06-27 05:01:48 | 日々の暮らし

「花は地下の闇と戦って、はじめて地上の光を浴びる。」

人も同じ、心の闇と戦ってはじめて太陽の陽を浴びる。
花と同じく誰もが地下の闇から這い上がって芽を出していることを知らなくてはならない。
花を見てお疲れ様!
頑張ったねと声をかけましょう。
そして、勇気をもらいましょう。
なんと素敵なことでしょう。
ましてや、石垣の間とか、じゃりの間から芽を出すなんて。
涙もろいのですぐ感動してしまいます。
皆様にも頑張ったねといいたいです。

 

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美しさを賞賛

2020-06-27 05:01:48 | 日々の暮らし

さて、今日の魂の言葉です。「聖なる予言」
(ジェームズ・レッドフィールド)の本の中から、私が同感している言葉を紹介したいと思います。
宇宙のすべてのものは、エネルギーから成っており、波動の巨大な大海であるエネルギーは無数の存在へと形を変え、あなた自身となっている。
エネルギーを感じるための最も簡単なやり方は、花や自然などの
「美しさを賞賛する能力」をつちかうことと述べています。
また、エネルギーの放射はすべての人に影響を与え、自分の人生や仕事を通して、他の人々に貢献したいと感じているならばあなたのオーラは新しい考え方を育ててゆくエネルギーを放射しているのだと述べています。
私の日頃の考え方に自信を頂きました。
私はエネルギーを保つには、使命感を持ち、楽しいことをするとエネルギーが湧いてきます。休養もエネルギーを蓄えることになり、何かに集中すると無我の境地になり、宇宙のエネルギーや普段以上の力を感じます。
今の季節はアジサイやひまわりの花にエネルギーを頂いています。
皆さんがもっているオーラは人の為に放射すればどこまでも届くと思っています。
廻りの人達にあなたの癒しのエネルギーを放射してください。
今日の佳き日に

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心に冠を

2020-06-27 01:36:19 | 日々の暮らし

私の心に響いた言葉は『若い女は美しい、しかし老いた女はもっと美しい。』
(ホイットマン・草の葉の美女の一節より)

『冠は心に在る。頭にはない。
ダイヤモンドやインド石で飾ってもなければ
目に見えもしない。
わたしのは「満足」という冠だ!』

(シェクースピア・ヘンリー四世より)

『君の路を行きつくと
よき満足がある。
しかし初めに満足する者は先へ進まない。』

(リュッケルト・ドイツの詩人)
冠は心にある
いい言葉ですね。
皆様の力になればありがたいです。

 

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傷心の時

2020-06-26 02:03:30 | 日々の暮らし

大和物語より平安前期の歌人に「素性(そせい)法師」がいます。
この人は小野小町の恋人と言われている僧正遍昭の子供です。
父は出家して花山という寺に住んでいました。
父に会いに寺を訪ねたところ、父から「法師の子は法師になるのがいい」と言われて、無理やり出家させられてしまいました。
しかし、京に好きな女がいたのです。
その傷心の彼は比叡山の僧坊で暮らしていました。
ある日、法事でやって来た彼女の兄の衣の襟にこっそり歌を書き付けたといいます。
のち、「古今集」の先駆者となって深い心情を美しく詠んだといいます。
『今すぐ行きましょう』と言うあなたの言葉を信じて待っていたのに、有明の9月の長い夜の月が出て来ました。この歌は彼女との哀しい思い出の歌なのでしょう。
傷心の時があるからこそ美しい言葉が生まれ、いつの世までも感銘を与えるものです。

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おごれる人

2020-06-25 17:46:33 | 日々の暮らし

昨日お年寄りの女性が「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。
おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」
と朗読したのです。
驚きました。
私の母も得意になって、よく朗読して聞かせてくれました。
昔の人は暗唱させられたのでしょうか。
そのあとが可笑しかった。
祇園精舎てなんですか?
中国にあるの?
娑羅双樹の花て?
と意味をあまり良く知らなかったようでした。
これは、平家物語の冒頭の言葉で、祇園精舎とはインドのお釈迦様のお寺のことだよ。
そのお寺の鐘の音は永久なものはない。
いずれは無くなるものだと言っているように聞こえるんだ。
娑羅双樹の花とは
椿の一種でお釈迦様が死を迎える時に白くなって枯れたという花だよ。
花もいずれは枯れるという意味をいってるのだよ。などと真剣に話してしまった。
私も中々いい言葉なんだなあと思い出しています。
テレビで話題になっている人達の思い上がった振る舞いをする者は長くは続かない。
それは、単に春の夜に見る夢のようだ。
また、荒々しい強者もゆくゆくは滅びてしまう。
それは、いかにも風が吹くと飛んでいく塵と同じだ。
「栄華は続かない。
栄えていても落ちてゆく。」まるで、平家の物語のように。
今でも通じる言葉です。
おごれる者は久しからずと。

 

 

 

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