生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

風待月

2019-05-31 06:40:57 | 日々の暮らし
6月の異名に水無月(みなづき)があります。
夏の盛りで水も涸れ尽きるという意味で水無月。
他の呼び名に風待月(かぜまちづき)があります。
蒸し暑い日が続くと風を恋しく待ち、ほんのささやかな風にも喜びを感じることからそう呼ばれました。
 
皆様の爽やかな記事やコメントに風待月のような喜びを感じています。
        合掌
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孤独

2019-05-31 06:40:57 | 日々の暮らし

今日は愛すべき孤独について話したいと思います。 孤独とは惨め(みじめ)、気の毒、かわいそう、情けない等のイメージがあります。 私は若い頃から居酒屋には一人で行ってました。 廻りの客からあの人一人でのんでる。 かわいそうにとささやかれていました。 「孤独とは自分一人だけで充分満ち足りて充足していること。他の人のお助けには及びませんという毅然とした誇り高い姿なのです」     (三輪明宏) 私もそう思います。 孤独とは自分一人の足だけで充分大地を踏みしめて生きている証拠なのです。 よく居酒屋の主人(男女)から一人で静かにのんでる客が一番気になると言われました。 つい人生の悩みを相談したくなると。 随分いろんな相談されました。 東京でや○ざの足を洗い堅気になって始めた居酒屋、昔の女が来て留守中に金を捕って逃げた。 その金で男とイタリアレストラン始めていた。 仕返しに行く! 笑ってドジな男だ! 手切れ金だと諦めな。 立ち直った今があり、それで充分幸せなんだからと…。 納得してくれました。 数軒の居酒屋ではお酒はただでした。 お布施だって。        合掌

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帯地の敷物

2019-05-31 02:46:33 | 日々の暮らし

ニューヨークのプレタポルテの女王と言われた、エレナ・ランバート。 彼女の豪華な部屋の中に一段ときらびやかな部屋があるという。 訪れた人は圧倒されるという。 部屋の敷物は日本の帯をつなぎ合わせたきらびやかな敷物だからという。 パッチワークの手法で様々な帯地がつながれているという。 「このはぎれを見るたびに、私は自分の毎日の生き方を考えるのです。 一枚のはぎれが私の今日の一日の生き方だと思っています。 そして、完成した敷物が私の人生だと思っています。」と述べています。 帯地の敷物でした。 そこで思い出したのが、大昔のインドのお坊さん達が托鉢で頂いた のが貴重な布切れだった。 それを継ぎ足した袈裟(けさ・法衣)を着たことから「お布施」になったという。 布切れ一枚一枚に思いがあるのです。         合掌

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さをのしづく

2019-05-31 02:12:30 | 日々の暮らし

24歳の若さで亡くなった、『たけくらべ』などの小説家樋口一葉は 「さをのしづく」で 『行水(ゆくみず) にも淵瀬(ふちせ) あり、人の世に窮達(き ゅうたつ)なからめやは』 (川にも緩やかな場所(淵)や流れの急な場所(瀬)があるのだから、人生にも、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。 悪いことばかりではない、いいことも必ずある。 だから頑張っていこう) という言葉を残しています。 私はいつもこの言葉が好きで何度も使わせて頂いています。 「春のこない冬はない」 とかも良く使います。 失敗ばかりして落ち込んでいる時に思い出します。 失敗も成功も体験する事が大切です。 また、いいことが続いた時には、悪い事が突然来ますから、準備して対応する力を持つ よう心掛けましょう。 自戒でもあります。 今日は淵かな瀬かな。 皆様の今日の佳き日に         合掌

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銭も米もなし

2019-05-30 03:43:13 | 日々の暮らし

書をかく時、昇段試験や展覧会に応募する時以外は何枚も書く事はない。 机にはいつも墨の海がある。 毎日一枚書いているくらいだ。 人間の成長も同じなのではないか。 昨日より今日。 毎日半紙一枚だけ成長すれば良い。 さて、昨晩は吉田兼好の徒然草を読んだ。 生活に困った兼行が友人に宛てた歌があった。 その歌に深い意味があった。 歌の行の頭の言葉と下の言葉をつなげて読むと銭(ぜに)欲しい 米もないだった。 友からの返歌を見たら 米はないぜにすこしだった。 とても涙がでる思いがしました。 苦しくてもユーモアを忘れない友達もよくぞ 気づかれたものです。 今日の半紙はつい 「銭も米もなし」。 風流に欠けたごめん。                合掌

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