生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

人生のとげに勝つ

2021-01-31 21:29:55 | 日々の暮らし

聖書の言葉より。
「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりの状態にあっても、弱い時にこそ強いからです。」私たちの力は自分を苦しめている「とげ」が
ある時にこそ十分発揮できると述べています。
今とげで苦しんでいる貴方へのエールです。負けないで下さい。

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不可思議という言葉

2021-01-31 03:13:40 | 日々の暮らし

『仏教に学ぶ
八十八の智恵』
ひろさちや著を時々読み返している。僧侶ではなく、東大の文学部を出て宗教を学んでいるいわゆる宗教家です。私はクリスチャンですが、宗教も学んでいるので考えが驚くほど似ているので好んで読んでいます。その中にまた、嬉しい良寛さんの話が出てきたので紹介します。仏教語に、「不可思議」という言葉がある。
サンスクリット語のアチントヤ(考えられない)を訳したものである。数多い仏教語の中から何か一語選べと言われたら、私はためらわずにこの不可思議を選ぶ。キリスト教を「奇蹟の宗教」と呼ぶとすれば、仏教は「不可思議の宗教」あるいは「不思議な宗教」と呼べそうだ。
仏教は奇蹟を認めず、奇蹟を必要としない宗教であることが不可思議だからだ。その仏教の不可思議を感じているとき、思い出すのが、良寛の詩である。『花は無心にして蝶を招き蝶は無心にして花を尋ぬ。花開く時蝶来たり蝶来る時花開く。われもまた人を知らず人もまたわれを知らず。知らずとも帝則(大自然の法)に従う。』知らず知らずのうちに、われわれは自然の大道に従って生きているという意味です。
ごくありきたりの光景が美しくもあり不可思議なことである。この不可思議なことを仏教では奇蹟として表現しているのだ。
仏教語で不可思議という言葉は奇蹟という意味で大自然をさしており、良寛さんの詩がそれを説いていると書いいている。自然を愛し、死ぬ時はこの自然を形見に残しますという辞世の句を思い出します。
ありのままに生きる
ありのままの自然を
伝え残すことが仏教の
本質だと言いたかったのだと思います。
わたしも不可思議という言葉を大切にしたいと思いました。
この言霊に出会えましたことに感謝。
      

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寂しさを感じる人

2021-01-29 12:21:27 | 日々の暮らし

仏教用語に「寂寞(じゃくまく)」があります。
生きることのもの寂しくひっそりしていることの意味があります。
賑やかばかりでなく、寂しさも感じさせる人が信頼されるようです。
『すこしも暗黒がないとしたら、人間はその身の堕落に気づかないであろう。
すこしも光がないとしたら、人間は救いを願わないであろう。
自分のみじめさを知らずして、神を知ることはできない』
    (パスカル)

人に暗いところがあるのは、人間としてまともに生きている証拠である。
暗いから、神はほど遠いと自覚すると述べています。
親鸞も同じ事を述べています。
自分は『煩悩具足の凡夫』だから阿弥陀様にすがるしかないと述べています。
キリスト教も懺悔の時間があり過ちを許して頂きます。
私は懺悔ばかりです。
人の世は一人では生きていけません。
寂しさと孤独も必要なものだと思います。
ここの仲間がいるから今は孤独ではありません感謝。

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宇宙とあの世

2021-01-29 07:37:33 | 日々の暮らし

「宇宙とあの世はどっちが遠いですか」というラジオの子ども相談に
「あの世は1度行ったら帰ってこられないが、宇宙からは帰ってこられますよね?ですから宇宙の方が近いんですよ。」
素晴らしい解答でした。私ならしかしね、あの世は隣の部屋にいるように瞬間移動ができるんだよ。亡くなった人が困った時、すぐにそばに来てくれる事ができるように。身内の人を亡くしたお子さんには勇気が出る言葉だと思ったから。皆さんもそんな気がしませんか。

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生きるのが辛いあなたへ

2021-01-29 04:18:32 | 日々の暮らし

私の日記とアドバイスに「だけど生きるのがつらい」と毎日、何年も書いてくる女性がいます。両親家族を亡くし一人生活苦の中で生きているからです。それを読むたびに今日も生きていると安心しています。
私に返事書くのが彼女の生きがいなのかも知れないと思っています。
江戸時代の元禄文学の三大文豪に、芭蕉・近松・井原がいます。井原西鶴の「好色一代男」に「死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき」があります。毎日毎日が辛くて、死ねるものならいっそ死んでしまいたいが、死のうにも死ねないせつなさは、まことに悲しくも浅ましいという意味。
人間はひとたび生まれてきたからにはどのような思いをしても、どんなに大きな障害が待ち受けていても、死ぬまで生きなければならない。なぜなら生命は貴重なものだから。どうぞ、愚痴ばかりでなく、心は生きる力の言葉を発してください。必ず導きがありますから。

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