生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

皐月

2018-04-30 23:11:39 | 日々の暮らし
私のブログを初めて読んだ方からメッセージを頂きました。

ご主人を急死され、

落ち込んだ日記を書いたら、

何故そんな事書くのだ!

と批判されさらに

落ち込んでいた時、

私のブログに出会い

ホットしましたとの

メッセージでした。

嬉しいです。

私のブログの中身の
テーマは、

『生きる力になれば』

ですから。

浅田真央ちゃんが
言ってました。

いつも試合の時にお母さんが来てくれていた。

亡くなったら、もっと近くにいるのを感じて
寂しくなかった。

と発言されていました。

彼女も気づいたのです。
魂は亡くならないと。

イエスキリストも復活した。

まさに、人は亡くなると、永遠の命を得られ復活するのです。

それに、気づくか、

別離と悲しむかです。

今日、明日にも亡くなる人を看ることを、
ターミナルケアとか
看取(みと)り
と呼びます。

何万人もの看取りをしたマザー・テレサは

その人の宗教の言葉で声かけ、励まし、お葬式をしたと述べていました。

私が出来る事は

亡くなった方からの

言霊を伝える

役目かもしれないと

勝手に思っています。

もう5月ですね。

「皐月(さつき)」

光を放つ季節。

皐月の「皐」は
白い光を放出する様子を表したものといわれています。

5月はまばゆい光に

おおわれる新緑の季節
です。



皆様もまばゆい光を

浴びてまぶしく


輝いて下さい。


元気が出ますように。

合掌
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観音様の思いやり

2018-04-30 04:49:09 | 日々の暮らし
結婚式はなぜ大安の日にするのか。

なぜ仏滅の日にしないのか。

お葬式はなぜ友引の日にしないのか。

今日は大安仏滅の六曜について述べたいと思います。

1.先勝(せんしょう)
2.友引(ともびき)
3.先負(せんぷ)
4.仏滅(ぶつめつ)
5.大安(だいあん)
6.赤口(しゃっく)

と回ってゆく。
この元の意味は、

「先勝」とは、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた日。

「友引」とは、釈迦のお葬式の日。

「先負」とは釈迦がお城から家出をした日。

「仏滅」とは、釈迦が亡くなった日。

「大安」とは、釈迦の誕生日。

「赤口」とは、釈迦を火葬にした日。

現在の六曜は釈迦の誕生とは関係がないようです。
読み方も変わっています。

参考までに紹介させて頂きました。

さて、以前書いた
「恕(じょ)」について古い友人から、浅草の浅草寺の住職がテレビで、この世で一番大切なことは、「恕」と書かれたとコメント頂きました。

恕とは思いやりのこと。

「徳は恕なり」と
私が述べたことが偶然一致したことに驚いています。

浅草の本堂に
「無畏心(むいしん)」
と書かれています。

意味は「畏(おそ)れ心を無くす」ということです。

観音様の右手は、手の平を外に向けて人々に差しのべています。

それは「人間の恐怖心を取り除いて、安心させてあげよう」という観音様のお心を表している形といいます。

観音様は祈っている人の願望に応じた姿に変身して救ってくれます。

今日も皆様を

災難からお守り


下さりますように。

ゴールデンウィーク


いらいらせずに

お気をつけてお過ごし

下さい。

私は一人出勤です。


合掌
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命のサイン帳

2018-04-29 16:48:03 | 日々の暮らし
この連休どこに行っても人でいっぱいですね。
そこで思い出した話があります。


「奇跡の授業」
王様文庫より抜粋。

ディズニーランドのインフォメーションの話です。

元気なさそうなお母さんがやって来ました。

「今日、子供と一緒に来たんです。
ミッキーちゃんだとか、ミニーちゃんだとかのキャラクターにサインを書いてもらって
いました。

そして、あと少しでサイン帳が全部埋まる、というところで、そのサイン帳をなくしてしまったのです。

届けられていませんか?」

キャストはいろんな所に電話をしましたが届けられていませんでした。

そこで、そのキャストはサイン帳の特徴を詳しく聞いたあと

「いつまでご滞在されますか?」と

聞いたそうです。
その家族は2日後には帰るとのことでした。

「もう少し探してみますので、2日後のお帰り前にもう一度ここにお寄りいただけますか」と言ったそうです。

キャストはあちこちに連絡したのですが、見当たりませんでした。

そのキャストは同じサイン帳を自分で買って、自分の足で、いろんな部署を回って、キャラクターのサインを全部書いてもらって当日を迎えたそうです。

当日はお父さんがやって来ました。

「申し訳ございませんでした。

サイン帳は見つけることができませんでした。

でも、お客様、こちらのサイン帳をお持ち帰りください」

お父さんは大喜びして帰ったそうです。


話はそれで終わりではなかったのです。

一通の手紙が届きました。

息子は脳腫瘍でいつ亡くなるか分からない状態でした。

パパ、ディズニーランドに連れてってと毎日頼まれていました。

無理を承知で連れて来ました。

「パパディズニーランド楽しかったね!

ありがとう!

また行こうね」

と言って、サイン帳を胸に抱えたまま、

永遠の眠りにつきました。

もし、サイン帳を落としたままだったら、

こんなにも安らかな

眠りにはつけなかったと思います。

私は、息子は

「ディズニーランドの

星」になったと思っています。

本当にありがとうございました。

この手紙を読んだ

キャストはその場に

泣き崩れたそうです。

精一杯のことをしたから、その子の人生を変えたのでした。

見つかりませんでしたと言ってもすんだと思います。

これはルールやマニュアルではなく、その人の仕事への姿勢だったと思います。

命のサイン帳

忘れない記憶として

いつまでも語り継ぎた

い話と思っています。


合掌
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恐怖から逃れる

2018-04-29 02:11:13 | 日々の暮らし
人が恐怖を覚える時。

身分の高い人は、地位や財産を失いたくないという恐怖から逃れることができません。

身分が低く生活に困っている私のような者は、

飢えと寒さという現実の恐怖から

逃れることができないのです。


私は随分この恐怖に悩まされたものです。

この泥沼から抜け出す方法が見つかりました。

「人の為に、蝋燭を

灯そう!」

と考えた時からでした。


聖書にそのヒントがあります。

「金持ちの青年」

の話です。

イエスの「富」とか
「豊かさ」について、
学びたいからと、

一人の青年が、
イエスの旅について行きたいと膝まつきました。

イエスは彼をじっと見て言った。

「あなたに欠けていることが1つあります。

持っているものを、ことごとく売り、

貧しい人々に施しなさい。

そうすれば、天に宝を蓄えることになる。


それから私に

ついて来なさい。」

その言葉を聞いた青年は、悲しみに沈んだ顔つきで去って行った。


彼は多くの財産を持っていたからである。

(マルコ10-17)

仏教でもお釈迦様が弟子に、

すべてを捨ててついて来なさいと述べています。

聖書はその逆の人も紹介しています。

人をだまして金持ちになったザアガイです。

彼はだました人達に、3倍にして返してすべての財産を投げ出してついて来たのです。

ここで、判断に困るのが、金持ちは天国に行けないのか?

そんなことはありません。

イエスが述べた
「欠けているものが1つある」とは

何でしょうか?

自分が得た財産は、
自分一人の力と考えるか、

ザアガイのように、だまして儲けたと認識しているか。

であって、そんな物を持って

真理を求める


旅には不必要なものと
述べているのだと思います。

イエスはその青年が好きだったのに、


とガッカリしたに
違いありません。

ここまでに、私が好きな


言葉を2つ入れています。

蝋燭は身を減らして

火を灯す。

「人の為に、蝋燭を灯す。」


「天に宝を蓄える」

です。


あの世では



すべてがみんなのもの。


だから、


天に蓄えれば

いいのです。


そう考えてから


心が楽になりました。


裸一貫で


生きて行けばいいと。


失うものがない


これが一番強いと



気づいた時から


苦しみから解放されました。

逆に施しだけで

生きていける


と感じています。


あなたの足元を



照らす役目の



蝋燭が


私なのだから。

私は天にたくさんの

蓄えがあるので幸せが

一杯待っています。

それは出会った


たくさんの仲間と


たくさんの自然という



宝です。


合掌


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恨みを売る

2018-04-28 04:27:17 | 日々の暮らし

あるお方から
お礼のメールがありました。
何かのトラブルの責任を疑われて悩み苦しみ恨んでいた日々を過ごしていた時に、

私の日記を見た
『恨みを売る』
それを見てはっと
気づいてから
すべてが好転した。

生きる力になりました。


という内容のメールでした。

私の言葉(神様から頂いたものですが)で

生きる力になれて

本当に良かったです。


再度紹介しますね。

『恨みを売る』

生まれながらに身寄りのないおばあさんがいました。

生活保護を受けて老人ホームに入って来ました。

生まれて来た事を恨み、知らない両親を恨み、数々の仕事場でいじめられたことを恨み、

とうとう倒れてしまった。

そんな人生に、
私には神様なんていない。

家族もご先祖様もない。
恨みだけの人生さ…。



そうでしたか、

とてもお気の毒な

人生だったのですね。

それなら

「恨みを売ったら

いいでしょう!」

え!

どうしてそんなもの

売れるの?

いいですか、

今日はお風呂に入る日ですね。

その時、体中を丹念に洗い、

体や髪に染み付いた

恨みを洗い落として

来てください。

それから、ある所に

一緒に行きましょう。

おばあさんは半信半疑

でお風呂に行きました。

綺麗にさっぱりした

おばあさんが帰って

来ました。

では、これから

お布施に行きます。

え!

私はお金などありません。

お布施などできません。


老人ホームの玄関横にお地蔵さんがありますね。

そこに、綺麗になった体で、

おちゃわんに

水を一杯入れて

持って行きましょう。

それが、おばあさんの

精一杯のお布施なのです。

お地蔵さんに、

「恨み」を

買ってもらうのです。

さあ、お地蔵さんに

頼んで恨みを捨てましょう。

これからは、皆に喜んでもらうために、

おばあさんができる事をしましょう。

それがお布施なのですから。

これから、辛いことが

あったらここに来て

拝みましょう。

お供しますよ。



もう一人でないと


気づきますよ。


おばあさんは


にっこり


うなずきました。


良かったです。



そして、今日も地域包括ケアセンターから


同じような境遇の人が施設を利用したいと
願っているが受け入れ可能かと問い合わせが来た。

大丈夫ですよと伝えた。


『人の為


それが自分の為』





今日を生きる


力になる言葉に


なりますように。



合掌

そのメールの方もお地蔵さんに水を捧げたら
気持ちが晴れましたと
ありました。

嬉しいです。



再び合掌。














































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