生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

最期の晩餐人は弱い者

2023-03-31 05:00:20 | 日々の暮らし

聖書の中でも暗い話しです。
 ペトロとユダはイエスの弟子です。
 この二人は対照的な生き方をしました。
 最後の晩餐の時に、イエスは言います。
この中に私を裏切った者がいます。
 小銭を貰って、私を売った者がいる。 
それが、ユダでした。彼はそこにいられなくなり、役人にあの人は無実の罪ですと小銭を返しに行くのですが、知ったことではない、それはお前の問題だと言われてユダはじさつしてしまいます。
ペトロは私はイエスを裏切りませんと言いましたが、あなたは朝の鳥が鳴く前に三回私を知らないと言いますといわれた。
役人が朝イエスを探しに来ました。
役人にイエスなんか知らないと答ました。
ある男がイエスと一緒にいたと指差しました。
また私は知らないといいました。
別の女が確かにイエスといつも歩いていたと発言しました。
また、人違いだイエスなど知らないといった時に鳥が鳴きました。十字架を担いで歩くイエスの後方について行くペトロ。
イエスの預言に生きる力をなくしました。
イエスは謝るペトロを許しました。
そばにいる母のマリアにこの弟子たちはマリアの子ですと告げて、亡くなりました。
ペトロは許され、ユダはじさつしてしまう。イエスは人は弱いものと知っています。
謝れば許してくれたのです。
その判断の違いで生きる道が違うのです。
ペトロは一番弟子で初代のローマ教皇になりました。
墓の上に聖ペトロ大う聖堂(サンピエトロ大寺院ともいう)が建てられたのです。
人は弱いもの、つい自分をかばってしまい後悔してしまう。
そんな時に思い出しましょう。
ローマ教皇でさえ裏切ったのです。
彼は肝に命じたのでしょう。
イエスだから許してくれたと。
この大きさを学びましょう。
聖書によく出て来る言葉に人を許しましょうとあるのはこの話から来ているのです。
ユダの道を行かないためにも。
失敗の多い私ですから謝る勇気を学びました。
      

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幸福の輪

2023-03-30 04:33:53 | 日々の暮らし

「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」
      (空海)
唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。
自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。
自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。
宮沢賢治は
「世界全体が幸福にな
らないうちは、個人の
幸福はあり得ない」と
述べています。

ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。

幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。
お年寄りに席をゆずること、手をとって道を渡ることでも良いのです。
ウクライナ市民を救うこともそうです。
空海の言う自利利他は
幸福の始まりのキーワードです。

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在原業平辞世の句

2023-03-29 03:03:56 | 日々の暮らし

「つひに行く
道とはかねて
聞きしかと
きのふけふとは
思はざりしを」
(伊勢物語・在原業平)
死というものは誰でも最後に行かねばならない道であるとは前から聞いていたが、昨日今日にさしせまっていたこととは思いもしなかったなあ。

私は駿河路にある高草山(1000m)の麓に住んでいた時に、雪が降る前にと登山道ではない道なき道を登ってしまった。
昼なお暗く完全に道に迷ってしまった。
その時、雅楽の笛の音が聞こえてきました。
その人に道を聞こうと歩きましたがいっこうに縮まらない。
美しい笛の音は急坂なのに乱れない?
すると山道に出たのでした。
そこにあった碑が在原業平の句でした。
江戸に赴任となり残した妻に京都に行く知り合いの僧に出会った場所。
僧に妻への手紙を託したのでした。
あの笛の人は在原業平に違いないと手を合わせてお礼しました。

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不思議な現象

2023-03-28 04:36:11 | 日々の暮らし

5年前に鎌倉の画廊で見かけたこの絵に感銘して写真を撮りました。その時はなかった手元の明かりが灯っているのです。

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神の音

2023-03-28 03:54:16 | 日々の暮らし

私は「神の音」で何度も救われたことがありました。
そこで、今日は音の不思議な力について話したいと思います。
「訪れ」の語源は衣(きぬ)の音擦れから来ています。
靴の音や衣の擦れる音を聞いて、あの人がやって来た!
と昔の人は気付いたからといいます。
また、音信不通の事を便りがないと使ったりしました。
この音信を「おとずれ」とも読んでいるようです。
私は山や道に迷った時、笛や鈴の音が聞こえて来て道先案内されて助かったことがありました。
先日ラジオで雅楽の演奏を聴いていたのです。
すると狂言や能楽師の方たちの座談会があり、音について話していました。
雅楽の楽器の中に高い音が出る多種類の笛などは、音ずれ(音信・訪れ)といい神様がその音を聴いて降りてくると言ってました。
舞台で演じている時に、神様が来てくださったと感じて緊張すると話していました。
何か分かる気がします。
毎日リュックに沢山の鈴の音を響かせて歩いていると、神様が近くに感じるからです。
お地蔵さまや千手観音様が手に持っている、錫杖(しゃくじょう)は音で悪魔を退治する意味があると言われています。
皆様も音を響かせてご先祖様を身近に感じてはどうですか。
音のありがたさに気づいた日です

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