実は先週の27日(月)に実家の母が他界しました。
家族が希望していたとても良い特養に1月末に移れたので喜んでいたのですが、
母自身は環境が変わってたいぶ戸惑っていたようでした。
それでも骨折してからお世話になっていた老健は長い事いる場所ではなくて
最初はよくしてくれていると思っていましたが
あちこち荒が見えるようになってきていて、私も疑問に思うことが増えていました。
だから移った特養に慣れてくれたら大丈夫だろうと思っていたのですけど。
20日に転んで今度は左足の大腿骨を骨折して翌々日に手術をしました。
折れたままでは痛いので手術をすることに反対はしませんでしたが
88歳の身には堪えたのだろうと思います。
心臓も肺も弱くなっていましたので仕方のないことと思います。
4月の初旬に娘も一緒に帰って、母にも会って話もしてきましたから私に心残りはありません。
看取ったのは父一人でしたけど、それでよかったのだと思っています。
27日は私は友達と「大人の遠足」で中崎町という所に行くつもりにしていました。
その日の早朝、4時半ごろにトイレに起きて再度ベッドに入ったら
どこかで水がザーザー流れるような音がして眠れないのです。
耳を澄ましてみると窓の外から聞こえるようなので
起き上って窓を開けると、少し離れた家の上辺りでヒヨドリがチーチー!!と激しく啼いていました。
途切れることなく啼き狂う!と言った感じで、
しかもあちらこちらでカラスが群れで飛び交い啼き騒いでいました。
気持ちが悪いなぁ~、地震の前触れかしら?と思い窓を閉めたのですが
それから30分近く啼き騒いでいました。
そして6時ごろに姉から電話があって
母の心臓が一度止まって、また吹き返したけど父が呼び出されたので今から行くところだと。
それからはもうバタバタでジェットコースターに乗ったような勢いで進んで行きました。
後で考えたら、あの小鳥の騒いだ時刻に母の心臓が止まっていたようです。
偶然かもしれませんけどね。
その日の午後に家を出てもろもろの連絡をしてあれこれ手配した結果
30日に無事葬儀を挙げることができました。
葬儀場も火葬場も貸切状態で、すべてこちらの希望通りにすることができました。
実はその日は「友引」でしたからなのですけど他に葬儀を挙げるご家族は一組もなかったのです。
我が家は以前にキリスト教に改宗していましたので仏滅も友引も関係ないのです。
私と姉が属しているキリスト者共同体の司祭さんに
東京から来ていただいて、母自身も家族も望んでいた通りの
素晴らしい葬儀を挙げることができました。
一切の弔問も弔電もお花もお香典も会葬も辞退しました。
本当の家族5人と司祭さんと助祭さんの7人でのサクラメントでした。
母はお花が大好きで庭でもずっと育てていたし
アートフラワーも長い事趣味にしていましたから
母の好きだったお花の種類を細かく書きだしてそれで祭壇を作ってもらいました。
キリスト者共同体では亡くなった日から足掛け3日間は荼毘に付さないのですが
それが実行できるのかも気にかかったところでした。
しかも姉が週に3日は透析に行かないといけないので、この日も避けなければいけません。
司祭さんと助祭さんのスケジュール、飛行機のチケットがとれるのかどうか?
すべてをクリアーしないとあの葬儀は成り立たなかったのですが
それが流れるような感じでものごとが進んで行きました。
3日間でどんどん変わっていく母の顔を見せて貰って
最終的に荼毘にふす前の母の顔の美しさには感動すら覚えました。
司祭さんが「これがお母様の本当の魂のお顔です」とおっしゃいました。
みんな泣きましたけれど晴れ晴れとした気持ちで母を見送ることができました。
姉は「もうちゃんと歯を磨いているかな?虫歯になって痛んでいないかな?
とか心配しなくてよくなったから良かった。痛かったらかわいそうだから」と言い
私も「寒くないかな?ちゃんと着せて貰っているかな?脱水状態になっていないかな?
と心配しなくてよくなったから気が楽になった」と言い合いました。
認知症の初期からここまで、記憶を次第に失って行く恐怖感に苛まれていた母の様子には
本当に心が痛みました。
母がもう「寂しい」と泣かないで済むと思うだけでも私は今救われた想いです。
困難な時代を生き抜いてくれて、私に心の清算をちゃんと済ませることができるまで
長く生きてくれたことにとても感謝しています。
本当に大好きだったお母さん、ありがとう♡