母の、お姉さんから、句集、『紫木蓮』が届いた。
あとがきに、こうあった。
趣味が高じて編み物の講師として長年勤務しておりました光華衣服専門学校を平成元年に退職いたしました。
ぽっかりと空いてしまった時間のなかで、先に逝ってしまった妹がいつも旅先で句を詠んでいた姿がふっと蘇ったのが、句に親しむことになったきっかけです。
その後、東京報道新聞の俳壇への投稿がご縁となり、・・・(中略)・・・
その間に、私の作句のもっとも良き理解者であった夫も亡くしました。悲しみと戸惑いなかで、・・・、句はいつしか私にとって記憶と想い出の引き出しになりました。
旅先で・・・、
句集の中で
妹の余命幾日や秋の風
とある。これは、くーちゃんのことかなぁ。
何はともあれ、母の句づくりがこんなにも影響を与えていたんだなぁと、久しぶりに母の偉大さを感じた、
そこで、今から、
カテゴリーとして『母の句』を作って、カタミワケの折に兄から託された句集や日記をボチボチアップします。
あとがきに、こうあった。
趣味が高じて編み物の講師として長年勤務しておりました光華衣服専門学校を平成元年に退職いたしました。
ぽっかりと空いてしまった時間のなかで、先に逝ってしまった妹がいつも旅先で句を詠んでいた姿がふっと蘇ったのが、句に親しむことになったきっかけです。
その後、東京報道新聞の俳壇への投稿がご縁となり、・・・(中略)・・・
その間に、私の作句のもっとも良き理解者であった夫も亡くしました。悲しみと戸惑いなかで、・・・、句はいつしか私にとって記憶と想い出の引き出しになりました。
旅先で・・・、
句集の中で
妹の余命幾日や秋の風
とある。これは、くーちゃんのことかなぁ。
何はともあれ、母の句づくりがこんなにも影響を与えていたんだなぁと、久しぶりに母の偉大さを感じた、
そこで、今から、
カテゴリーとして『母の句』を作って、カタミワケの折に兄から託された句集や日記をボチボチアップします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます