<左の枝は白梅・右の枝は紅梅、接ぎ木で作られたものです>
このところ親戚に法要がよく続いた、なつかしい親戚のかたとの出会いでもありました。
名前が私に似た姪の主人がおられた、威彦と書き、年賀状を頂くたび、どのように読むのか気にしていた、訊ねたところ(つよし)と読み後ろの「彦」は置字で読まないのだという。
あぁ、こんな名前の人もあるのか・・・
自分も久矣と書く、「矣」は置字で読まない文字、断定・決定を表す。
あらためて漢字の意味を考えさせられた出会いでもあった。
昨日の法要も、穏かな春の日、寒さも彼岸までとはよくいったもの、泳ぐ池の鯉にも暖かさを感ずる、真鯉は1mほどの大きさがあります。
<写真 親戚の庭>
このところ親戚に法要がよく続いた、なつかしい親戚のかたとの出会いでもありました。
名前が私に似た姪の主人がおられた、威彦と書き、年賀状を頂くたび、どのように読むのか気にしていた、訊ねたところ(つよし)と読み後ろの「彦」は置字で読まないのだという。
あぁ、こんな名前の人もあるのか・・・
自分も久矣と書く、「矣」は置字で読まない文字、断定・決定を表す。
あらためて漢字の意味を考えさせられた出会いでもあった。
昨日の法要も、穏かな春の日、寒さも彼岸までとはよくいったもの、泳ぐ池の鯉にも暖かさを感ずる、真鯉は1mほどの大きさがあります。
<写真 親戚の庭>