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差別の境界

2016年10月12日 | 時事・雑文


この記事は「差別と母集団」からの続きです。


「差別は絶対ダメ」という正義感は全否定はしないが、その硬直した思考が一部で変な衝突や混乱を生み出してるように見える。また私の一連の差別論に脊髄反射で文句言ってくる人もいるので、もう少し平易に書いてみる。出発点は、辞書で「差別」という語句になんと説明してあるか。

私の手元の辞書にはこうある。どの辞書でも大差ないはずだ。

【差別】
① ある基準に基づいて,差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また,その違い。
② 偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益不平等な扱いをすること。また,その扱い。


頭の体操として、以下にいくつか例を挙げる。これらのうち、いずれが「差別」に該当するか考えてみたらいい。

1)合コンを企画し、A国の出身者だけで参加メンバーを固めた。
2)社内で昇進試験を実施し、成績優秀だった一部の者を昇格させた。
3)国際空港の入国ゲートで、日本人は1番ゲート、外国人は3番ゲートに振り分けた。
4)B国では、トラブルが多発したので、C国人との国際結婚を禁止した。
5)D市では、市民の出身地に応じて市税を減免した。

さて、以上5例のうち「差別」に該当するのはどれか。

正解は、5例全て差別である。嘘だと思うなら、辞書の記述に立ち戻れば良い。

もう少し細かく見ていくと、例1〜3は辞書の①に該当し、4と5はおそらく②に該当する。おそらく、と書いたのは4の「トラブルが多発」が②の「偏見や先入観」に該当するか怪しいからである。

また、例1〜3は辞書の意味では差別だとしても、許されない差別と思った人はいないはず。ならば、「許される差別」と「許されない差別」の間に境界を用意しなければならない。ここではとりあえず国連の「世界人権宣言(仮訳文)」を参照してみる。


世界人権宣言(仮訳文)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。



すると例4も5も、世界人権宣言の第二条1に違反してそうなことがわかる。5は問答無用で許されないとしても、議論を招きそうなのは4。世界人権宣言に照らせば違反であろうとも、B国の社会正義としては国民を守るためにやむをえない措置とも言える。ここに葛藤がある。

さらに、例1〜3ももう少し詳しく見る。例1は極めて私的、2は公私半々(企業だから)、3は公的である。2と3を糾弾する人はいないと思うが、1はどうか。私的な飲み会のメンツ選びに限らず、日常的に、民族などを先入観としながら、招き寄せる人と遠ざける人を選り分けていないか。

ここで言いたいのは、以上見てきたように、「差別は絶対ダメ」という単純な言葉ほどには個別事例では是非が判断できない、ということである。特にグレーゾーンになるのは、私的な言動の領域と、例4のように別の社会正義と衝突するケースである。許されない差別の境界は実はそれほど明確ではない。

もっと生々しい事例を出せば、「朝鮮総連は出て行け〜」の類である。民族差別的な意味合いも含むであろうが(この要素だけ見ればNG)、拉致事件に関与した疑いがあり、集めた資金が北朝鮮の核兵器開発に使われたとすれば、日本国の安全保障の問題であり、差別問題だけでは片付けられない。





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