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家永訴訟(教科書検定訴訟)の件

2020年08月26日 | 南京大虐殺
新規 2020.08.26



家永訴訟を論拠として「南京大虐殺があったことは最高裁が認めている」という主張があるようなので、関連資料を見てみる。

これは、昭和55年(1980年)の教科書検定で起きた事案であり、南京に関係する主要な争点は以下の箇所である。

(原稿の記述)
南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)とよばれる。

(教科書調査官の意見)
意見の趣旨は、「このままでは、占領直後に、軍が組織的に虐殺をしたというように読みとれるので、このように解釈されぬよう表現を改めよ。」というものであり、更に、具体的には「多数の中国軍民が混乱にまきこまれて殺害された。」と記述して、殺害の主体に言及しないようにするか、あるいは、「混乱のなかで、日本軍によって多数の中国軍民が殺害されたといわれる。」と記述して、日本軍の行為であるというのが単なる伝聞にすぎないことを明らかにして、日本軍の行為であるとの評価を避け、かつ、それが「混乱のなか」での出来事であったことに必ず言及せよ、というものであった。

(変更後の記述)
日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)とよばれる。


(「東京地方裁判所 昭和59年(ワ)348号 判決」からの抜き出し)


結論としては、本判決は史実そのものを認定したわけではなく、教科書検定(昭和五五年度検定)の際に付加された『激昂裏に』という記述が、昭和55年(1980年)当時の学会の諸説に照らし合わせれば、『看過し難い誤り』である、と判定したに過ぎない。

南京の件ではないが、一連の裁判(東京高等裁判所 平成元年(ネ)3428号 判決)の中にある『草莽隊に関する記述について』の項にも次のような言及があり、裁判所の立ち位置を示している。

歴史的事実の真否、学説の優劣についてはここで判断すべきことではないが、右学界の状況について認定した事実に照らせば、修正意見は、未だ公にされていない、教科書調査官の個人的見解あるいは個人的調査、研究の結果に基づくものというべきで、昭和五五年度検定当時の学界においては、それにそう見解は存在していなかったのに対し、原稿記述は、当時の学界において特段の異説もなく、広く学界に受け入れられていたところによって記述されているものというべきである。

(東京高等裁判所 平成元年(ネ)3428号 判決)


上記引用文の冒頭に『歴史的事実の真否、学説の優劣についてはここで判断すべきことではないが…』と書いている。本件における判定基準はあくまで、『昭和五五年度検定当時の学界においては』である。

それだけのことであり、本判決が諸説を飛び越えて直接的に史実を認定したわけではない。

なお、私の一連の考察に照らし合わせても、南京戦における市民の巻き添え、敗残兵の処断、あるいは幕府山事件などを全てひっくるめて、それらが『激昂裏に』行われた、などと説明されたら、それは違いますよというしかない。




以下に関連資料の一部を抜粋する。

(複数の裁判の流れについては、Wikiの「家永教科書裁判」を見た方が早い。)




教科書検定訴訟(家永訴訟)について/教科書制度の概要(文部科学省)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/096/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/10/23/1340590_013.pdf


(クリックで拡大)


《申請原稿の記述内容》
〔脚注〕南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺とよばれる。(昭和55年度検定)

《検定意見の要旨》
原稿記述からは、南京占領直後に軍の命令により、日本軍が組織的に中国の民間人や軍人を殺害したかのように読み取れるが南京事件に関する研究状況からして、そのように断定することはできない。

《裁判所の判決要旨》
行為の主体については、・・・学界においては、南京大虐殺の原因、態様については多様な説があって、全容が把握されていたとは認められず、虐殺のすべてあるいは大部分が軍の上部機関からの指揮命令によって行われたといい得る状況にはなかったと認められるから、原稿記述によって、虐殺のすべてあるいは大部分が軍の上部機関からの指揮、命令によって、行われたと読み取られる危険性が多少でもあるとすればこれを修正するよう求めることには合理的な理由があるというべきである。
理由告知において教科書調査官は、右修正の方法として、繰り返し「混乱の中で」「混乱に巻き込まれて」を書き加えるように求め、これに応じて「激昂裏に」の記述が付け加えられたのであるが、これによると、虐殺が軍の上部機関からの指揮、命令によって行われたと読み取られる危険性は希薄になった、ということができるが、その結果、単に殺害したという客観的事実のみを記載した原稿記述が、虐殺が「激昂裏に」行われたという記述に変えられた。
しかし、当時の学界の状況は虐殺の原因、態様について多様な説があって、南京大虐殺と呼ばれる虐殺行為のすべてあるいは大部分を 「激昂裏に行われた」と説明し得る状況にあったとは到底認められないのであり、修正意見は、未だ通説、定説とは認められない見解をもって記述することを求め、検定基準が排除している「一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述する」誤りをみずから招来させたもので、看過し難い誤りがあるというべきである。【控訴審(東京高裁)判決(最高裁結論支持) 】


「教科書検定訴訟(家永訴訟)について」(文科省/pdf)からの書き起こし





東京地方裁判所 昭和59年(ワ)348号 判決
https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E6%98%AD%E5%92%8C%EF%BC%95%EF%BC%99%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%83%AF%EF%BC%89%EF%BC%93%EF%BC%94%EF%BC%98%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA

3  南京事件に関する記述について

(一) 〈証拠〉によると、本件原稿の脚注「南京占領直後、日本軍は多数の中国軍を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)とよばれる。」との記述に対し、文部大臣は、右記述は南京事件が南京占領直後に軍の命令により日本軍が組織的に行った殺害行為であるかのように読み取れるが、南京事件についての研究の現状からみて、「南京占領直後」という発生時期の点及び「軍の命令により日本軍が組織的に行った」という態様の点において、いずれもこのように断定することはできないので、検定基準に照らし、必要条件である第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)「(1) 本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこと。」及び「(3) 一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりするところはないこと。」に欠けるとして修正意見を付したことが認められる。

(中略

なお、検定意見が、南京事件そのものの存在を否定する趣旨ではないことは、教科書調査官が理由告知の際に「南京占領の混乱の中で多数の中国軍民が犠牲になった」ことは事実であることを認めていることから明らかである。

(二) 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 一橋大学教授藤原彰は、その研究に基づき、南京大虐殺は軍上層部の命令による日本軍の組織的犯行であり、混乱の中で起きたものではないとの見解を有しているが、その見解の詳細と根拠は、以下のとおりである。(「以下」の部分を省略)

(2) これに対し、戦史研究家児島襄は、昭和五五年度検定当時の南京事件に関する研究状況からみて、南京占領下の軍政として中国の軍人と民間人を殺害するという方針が確立し、これに基づいて軍の命令による殺害が組織的に行われたと断定することはできなかったと判断している。その見解の詳細と根拠は、以下のとおりである。(「以下」の部分を省略)


(三) 本件原稿記述が、「日本軍は首都南京その他の主要都市や主要鉄道沿線などを占領し4、中国全土に戦線をひろげたが、」という記述の脚注4として付されたものであることにかんがみれば、本件原稿記述が、南京占領直後に日本軍が組織的に中国軍民を殺害したように読める、との検定理由にも合理的根拠があるといわざるを得ない。

他方、昭和五五年度検定当時の学界の状況をみると、前記(二)認定の事実にかんがみれば、当時、日本軍が軍の命令によって組織的に中国軍捕虜や民間人を虐殺したものであるとする見解も既に有力に主張されており、これに沿う史料も現れてきていたということができ、右事実に照らせば、原告の本件記述には相当の理由があるというべきである。したがって、このように相当の根拠をもってなされている原稿記述に対し、修正意見を付することについては、その妥当性について批判の余地のあるところであろう。しかしながら、当時、中国軍民を殺害したことが、日本軍の組織的犯行であると断定することには慎重な見解も少なからずあったこと(これら両説の優劣については、当裁判所のよく判断し得るところではない。)、文部大臣の検定意見も、日本兵によって残虐行為が広く行われたことを否定するものではなく、それが日本軍の命令によって行われた組織的行為であった点について昭和五五年当時にあらわれた史料に基づいてはこのように断定することができないとする趣旨であったことにかんがみれば、文部大臣が検定基準の前記正確性(1)及び(3)の観点から修正意見を付したことをもって直ちに合理的根拠を欠き社会通念上著しく不当なものであったとすることはできない。


(東京地方裁判所 昭和59年(ワ)348号 判決)





東京高等裁判所 平成元年(ネ)3428号 判決
https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E5%B9%B3%E6%88%90%E5%85%83%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%83%8D%EF%BC%89%EF%BC%93%EF%BC%94%EF%BC%92%EF%BC%98%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA

(三) 学界の状況

原判決記載(〈頁数省略〉)のとおりであるから、これを引用する。

右学界の状況に基づいて判断するに、右検定の当時において、「南京大虐殺」と呼ばれる事象について、日本軍が南京を占領した前後を通じて、正規軍間の戦闘行為によらずに、多数の中国人捕虜、非戦闘員である中国人市民が日本軍(上部機関からの指揮、命令によって組織的に行動したものであるか否かは別として)によって殺害されたとの事実は、殺害された者はさほどの数ではなかったとする少数の見解があるにしても概ね否定し難い事実とされていた(修正意見の理由告知の過程で、検定側も「多数」の点に問題があると指摘しながらも、多数の中国軍民が犠牲になった事実を否定するものでないと述べ、時野谷調査官が示唆した記述及び最終記述にも「多数」の記述が残されていたことは前示のとおり。)が、殺害された者の実数、殺害の対象者、殺害の時期、殺害の理由、態様などについては未だその全容が把握されるに至っていたとはいえない状態で、捕虜、民兵、一般人など無抵抗な者を無差別に殺害したとする説、抵抗する軍人、民兵などの抵抗を排除するため殺害したとする説、軍が組織的に、あるいは黙認して殺害させたとする説、軍の上部機関からの指令により捕虜を多数殺害したとする説、中国軍民の抵抗が激しかったため激昂した兵士が上官の制止を無視して殺害に及んだとする説など多様で、それぞれ異なった資料、見聞に基づいて諸説がなされているが、いずれの説に対しても、客観的資料、証拠を示してこれを否定するような説は乏しく、それぞれの説が、南京大虐殺と呼ばれている事象の多様なそれぞれの一面を取り上げて明らかにしているものではあるが、一つの説をもって、その全容を明らかにしているものとはいえないというほかない。


(東京高等裁判所 平成元年(ネ)3428号 判決)


そこで、修正意見によって生じた最終記述の内容について検討する。

なるほど、原稿記述になかった「激昂裏に」の記述が加えられたことによって、殺害が激情に駆られて行われた行為であると理解される(「激昂裏に」の語は直接には「占領し」にかかる語として用いられているが、同時に「殺害」にもかかるものと読み取れるし、そのように読み取られることを意図して検定側が右記述を加えさせたことは前記認定によって明らかである。)点において、殺害が軍の上部機関からの指揮、命令による組織的行為であると読み取られる危険性が極めて弱くなったということができる。しかし、原稿記述のままであっても、殺害が軍の上部機関からの指揮、命令による組織的行為と読み取られる危険性が、検定側が懸念するほどのものと認められないことは既に指摘したとおりであるうえ、最終記述にも殺害行為の主体として「日本軍」の記述が残され、程度の差こそあっても同じ危険性が残されていることからすると「激昂裏に」を加えさせたことが正確性を保持するうえからどれほど適切であったか疑問であるというほかない。

しかも、修正によって生じた最終記述によると、「激昂裏に日本軍が中国軍民を殺害した」ことをもって南京大虐殺と呼ばれる事象を説明する趣旨の記述になるところ、さきに認定した学界の状況に照らすと、南京大虐殺については殺害の実数の把握とともに殺害の対象、理由、態様が重要視され、諸説がなされており、その中には前記のとおり、中国軍民の抵抗が激しかったため激昂した日本軍兵士が上官の制止をきかずに殺害した旨の説もあり、否定し難い程度に資料の裏付けがある事実とみられるが、それが南京大虐殺といわれる事象の一面を説明するにすぎないものであることも前記認定のとおりであって、少なくとも検定当時の学界の状況が、激昂して殺害したという事実をもって南京大虐殺といわれる殺害行為のすべてあるいはその大部分を説明づけられるような状況にはなかったというべきである。結局原稿記述が時期の点を除けば、殺害の原因、態様に触れずに、単に「殺害した」という客観的な事実に即して記述しているのに対し、未だ全容が把握されていたとはいえない殺害の理由、態様について、「激昂裏に」という記述を加えさせることによって、南京大虐殺と呼ばれる事象を明らかにするについて、重要な点についてその一面的な事実のみをもってそのすべてを説明するものであるかのような記述に改めさせた結果、検定基準が排除している「一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりする」結果を招来させたもので、右修正意見を付したことにはその判断の過程において看過し難い重大な誤りがあり、裁量権の範囲を逸脱した違法なものというべきである。

その結果、殺害行為に対する原稿記述は、南京大虐殺について重要な部分の一つである殺害行為の態様、理由の点において、原稿記述が意図するところと全く異なった記述に改めさせられる結果を生じたものというべきである。

なお、右修正意見が、南京事件そのものの存在を否定したり、その記述を差し止める趣旨で付されたものとまで認めることができないことは右修正意見の内容及び時野谷調査官の理由告知の経過に照らし明らかであり、その他修正意見を付したことに裁量権の逸脱にとどまらず、適用上の違憲に当たる事実があったと認めるに足りる証拠はない。


(東京高等裁判所 平成元年(ネ)3428号 判決)





最高裁判所判例集 平成6(オ)1119
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52529
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/529/052529_hanrei.pdf

P13-14

一一 同第四章第一節第三(昭和五五年度検定の「南京大虐殺」に関する修正意見)について
1 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

(一) 昭和五五年度の新規検定申請において、本件教科書の「中国との全面戦争」の原稿記述の脚注の「南京占領直後、日本軍は多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシティー)とよばれる。」との記述に対して、文部大臣は、このままでは、占領直後に、軍が組織的に虐殺したというように読み取れるとの理由で、このように解釈されないように表現を改める必要がある旨の修正意見を付した。

(二) D教科書調査官は、理由告知において、南京事件についての研究の現状からみて、原稿記述は、「南京占領直後」という発生時期の点、「軍の命令により日本軍が組織的に行った」という殺害行為の態様の点及び「多数」という数の点において、いずれもこのように断定することができないので、記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明した上、右理由告知の過程において「軍が組織的に行った」と読み取られることを避けるため、「多数の中国軍民が混乱に巻き込まれて殺害された」あるいは「混乱の中で日本軍によって多数の中国軍民が殺害されたといわれる」というように書き改めるよう示唆し、申請者側がこれに応じなかったところ、内閲調整の段階で「混乱の中で」を書き加えるように求めた。

(三) そのため、上告人は、修正意見に従い、「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシティー)とよばれる。」と記述を改めた。

2 所論は、「南京占領直後」という発生時期の点について修正意見を付したことは違法だというものであるが、なるほど、D調査官の理由告知では、三点に分けて説明されているものの、最終記述及びそれに至る経緯に照らせば、修正意見の趣旨は、多数の中国軍民の殺害が、軍の命令によって組織的に行われたと読み取られることを避けるべきであるということにあったことは明らかであり、原審は、「激昂裏に」を付け加えさせる結果となった修正意見をもって違法であると判断しているのである。

3 そうすると、D調査官の理由告知の際の発言中に発生時期の点に関するものがあったとしても、これをもって原審が違法と判断した修正意見とは別の修正意見が付されたということはできないのであり、発生時期の点については違法ではないとした原審の判断は、結論において是認することができるものである。論旨は、原判決の結論に影響しない説示部分をとらえて原判決を論難するものであって、採用することができない。


(最高裁判所判例集 平成6(オ)1119)





以上。






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