つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

エアロバイクに、さよなら

2016-08-10 20:52:19 | 文もどき
たぶん、そんな名前だと思う。
どっしりとした土台に小さなサドル、スポーツサイクルのようなハンドルのついた漕いでも漕いでもどこにもたどり着けないバイクが、国道沿いの道路にひっそりと置かれていた。サドルには行政区が発行するシールがぺたへたと貼られ、要するに粗大ゴミとしてそこに存在していたのだ。
待てよ。
どこにもたどり着けないというのは私の思い込みで、元々の持ち主はもう目的地に到着したのかもしれないと思い直す。
たるんだ腹、盛り上がった背中に滝のように流れる汗を恥じて一念発起した彼あるいは彼女が、深夜のテレビ通販ないしインターネットショップで求めたものだろうか。夜、カーテンをしっかりと閉じた部屋にエアコンを入れ、バイクに跨る。毎日10分。ふうふう言いながら漕ぎ続ける。最初の3日は筋肉痛で通勤が辛い。ただでさえ重たい体を引きずるようにしてデスクに向かう。
1週間後には、30分。やがて1時間。負荷のレバーを徐々にシフトダウンさせてペダルを踏み続ける。坂道を立ち漕ぎなしで登り続けるような錯覚を覚える。
3ヶ月か半年が過ぎた頃、彼あるいは彼女の姿は深夜の部屋から消えている。新調したランニングシューズが、彼あるいは彼女を公園か皇居周辺か、そんなところへ運んでいるのだ。もしかしたら、今しがたすれ違ったあの人かもしれない。贅肉が筋肉に取って代わり、身体が引き締まり、誰に恥じることなくぴったりしたウェアで、彼あるいは彼女は走り続ける。
鏡の前でいじけた気持ちでいたあの頃の彼あるいは彼女が、バイクを離れて流れる景色の中に身を投じ、頬に風を受けて弾むように駆けてゆく。それはもう、ひとつの到着点なのだろう。
お疲れさま、頑張りましたね。自分の緩やかに曲線を描く腹を視界の外にやりつつ、私はエアロバイクに向かって心の中で一礼した。