八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

凡夫が読む『般若心経』ー3

2009-01-11 03:28:51 | Weblog

 「般若波羅蜜多心経」について

 ・「般若」の意味

   般若とは、すべての事物の道理を明らかに見抜く深い智慧のことです。(「新版 仏教学辞典」・(株)宝藏館刊 による。以下、これを単に「辞典」と記します)

  般若について、具体的に詳しく説明することは不可能であると思います。何故なら、般若の対象となる「すべての事物」は実相が「妙有真空」ともいわれる「空」であり、その中味は無量・無限の相で満たされているからです。ですから、「般若の智慧」とは直観的に把握するより他に理解のしようがないと思います。

 ・「波羅蜜多」の意味

  波羅蜜とは、迷いの此岸(凡人の世界)からさとりの彼岸(菩薩大士又は仏の世界)に到る、或は渡る、ということ。または、完成、熟達、至高という意味があるとのことです。(「辞典」による。ただし、カッコ内は筆者の注記)

 また、仏典によりますと、迷いの此岸からさとりの彼岸へ渡るということは、智慧という「いかだ」に乗って渡るようなものである、というふうに説かれています。 つまり、「いかだ」は河を渡ってしまえば、不要となるように、智慧もさとりの世界へ熟達すれば不要となるものである、というのです。   但し、智慧が不要になるという意味は、菩薩が厳しい修行の結果、もはや意識して智慧を働かせる必要がない境地に達するということである、と私は考えます。

  仏教では、「いかだ」に喩えられる「智慧」を完成するために必要な修行徳目として、六波羅蜜とか四波羅蜜とかを挙げています。(カッコ内の説明文は「辞典」による)六波羅蜜とは、六度とも訳し、六種の行といわれるもので次のとおりです。

・布施波羅蜜(完全な施し) ・持戒波羅蜜(掟[戒]を完全に守る事) ・忍辱波羅蜜(完全な忍耐) ・精進波羅蜜(完全な努力) ・禅定波羅蜜(完全な心の統一) ・智慧波羅蜜(完全な智慧,すなわち、人間的理性を超えた無分別の智慧)

 また、四波羅蜜とは次のとおりです。

・常波羅蜜(完全な永遠性) ・楽波羅蜜(完全な安穏性) ・我波羅蜜(完全な主体性) ・浄波羅蜜(完全な清純性)の四で、涅槃(さとり)に具わる四つの勝れた特質(四徳)である。

  波羅蜜多とは、これら全ての修行徳目を完全に実践された後に、智慧の完成が熟達されたという意味であるとのことです。

 菩薩大士や仏さま方は、これら全ての修行を実践され、知恵の完成に熟達されているのです。

 私たち凡人は、このような修行徳目を言葉として理解できても完全に実践することは不可能であると思います。そこで、私たちができることと言えば、「般若波羅蜜多心経」(般若心経)で説かれている智慧を働かせることによって、苦しみを取り除いたり、私たちの生活が「空」と「因縁」の働きによって営まれていることを理解する程度です。

 しかし、私たちが「知恵の完成」に達することは不可能であるとしても、「般若心経」の教えに従えば生活の中から苦しみや不安を取り除くことができるということはありがたいことです。 つまり、私たち凡人は智慧という「いかだ」から転落しないように注意しながら仏教を学び続ければよいのです。そのような生活をすることによって、私たちはさとりの世界へ向かって成長することができるということです。

・「心経」の意味

 「心経」とは、般若の智慧を完成することを目的とした教説の真髄を説く経文である、という意味を表しているとのことです。

 私たち凡人は「般若心経」を読誦し、覚え、経文の意味を修得すれば、「人間の心のはたらき」が理解できる、と私は考えています。