八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

私が仏教から学んだこと - その一

2009-08-08 04:01:37 | Weblog

 皆様、お久しぶりです。しばらく「数学」にはまっておりました。

数学者の遠山啓先生によりますと、「数学は単純な学問で、急所を徹底的にわからせることができたら、どんな人にもわかるように できている」ということです。

一つの基本的な練習問題を何度も何度も解いておれば、やがては難解な応用問題も解けるようになるということです。

どこかキリスト教や仏教の教えに似たところがあります。

 本論に入ります。長くなってしまいましたが、5分ほどお時間をいただければ嬉しく思います。

「無我」と「空」について

  『三昧王経』に次のような教えがあります。

 「心身の諸要素の無我なることをよく体得した人は、罵られても、非難されても、 平然としている。彼は、煩悩という悪魔に征服されることはない。 心身の諸要素の空なることを理解する人は、けっして心が乱れることはない。  [四十一] 」 (『三昧王経Ⅰ』 田村智淳訳・中公文庫・大乗仏典10 p163 ) 

 この教えについて、私は次のように解釈しています。

 1, 「無我」について

  まず、心身の諸要素とは、この経典によりますと五蘊(色・受・想・行・識)のことです。五蘊とは私たちの身体、感受作用、思念作用、意志作用、認識作用の全てのことです。

 ところで、私たちの「自我」というものは、過去から現在までの長い年月にわたる体験の蓄積によって形成されたものです。ですから「自我」は非常に強固であるため、これを取り払い、「無我」の境地に達することなど不可能なことです。

 そこで、私は相対的に、「無我」と同等の境地を作りだし、色・受・想・行・識のそれぞれが「無我」であることを体得できるのではないかと考えています。

 そのことについて次に説明します。 古代から言われているように、私たちの心とは非常に大きな包容力を持っています。つまり、私たちは心の中に、極微の細胞の世界から果てもない大宇宙の世界まで、広い分野を包み込むことができるのです。これを、私は「巨大な精神」と呼ぶこととします。

 その根拠として『自助論』の著者サミュエル・スマイルズの言葉を次に示します。 「広い分野を包み込む大きな精神によって、・・・・・・ 独力で活路を切り拓く・・・・・」というのです。 (『自助論』 サミュエル・スマイルズ著・竹内均訳、三笠書房 P53)

 一方、私たちが出会う全ての事柄は、苦しみも不安も病気なども含めて、この巨大な精神から見れば極く部分的な小さな出来事にしか過ぎないものです。

 たとえば、私たちが病気を患った場合について考えれば、たとえそれが生死に関わるような大病であったとしても、病気を患った部分の細胞の数は、身体内の総細胞数約60兆個から見れば、極く僅かなものです。初期の頃は、おそらく数百万分の一にもならないと思います。つまり、数百万倍もの正常な細胞群が正常、且つ、活発に働いているのです。しかもこれら正常な細胞群は総力を結集して、病気に対する拒絶体制を構築して頑張っているものと考えられます。

 ところが、私たちは本能的に極度の不安感によってその正常な細胞群の働きを 弱めてしまっているように思うのです。つまり、私たちは五蘊(色・受・想・行・識)のすべてを間違った方向へ働かせてしまう傾向があるということです。

 しかし、私たちは心の中に存在する「巨大な精神」を働かせることにより、この傾向を修正することができると思います。ここでいう「巨大な精神」とは、前述のとおり身体内の総細胞数約60兆個の働きや宇宙の働きを包み込んでいる精神のことです。

 一方、病を患った箇所は、五蘊でいう一要素の内の一小部分です。しかも、初期の頃は、他の四つの要素に対する関係は極く僅かであります。たとえば、病のために五蘊のいずれかが影響を受けたとしても、それは「巨大な精神」の働きから見れば、無視できる程に小さなものである、と思うのです。

 ですから、私たちは思念力を働かせて、病のことを無視することができると考えます。つまり、相対的とはいえ、五蘊の全てが無我であることを体得できるような気がするのです。

 ここで、古代スカンジナビアの古老が語ったと伝えられている有名な言葉を紹介します。

 「わしは神も悪魔も信じない。 自らの肉体と魂の力にのみ、全幅の信頼を置く」(前記『自助論』 P86)というのです。

  この古老のことばは、私に、大きな力を与えてくれます。そこで私は、例えば病などによる大きな不安を感じるような場面に出会った時の事前対策として、毎日一回、次のように唱えることとしています。

 先ず、私は宇宙(太陽と地球等)の働きや、自分の身体各器官の働きに対し、全幅の信頼を置き、次のように感謝の気持ちを表すこととします。このとき、併せて思念力を働かせます。

 「両目があって幸せ。 両耳があって幸せ。鼻があって幸せ。 口があって幸せ。 丹田があって幸せ。 両脚があって幸せ。 両手があって幸せ。 頭脳があって幸せ。 五臓六腑があって幸せ。 この大宇宙の中で、空気を吸いながら、大地の上で生活できる幸せ。」 と暗誦する。

 喩え、病気になったとしても、病にわずらった部分は身体の一部だけです。私たちは太陽の光りを浴び、空気を吸い、身体の各器官の殆どは健康で正常、且つ、活発に働いているのです。しかも、これらは総力を結集して、病を患った部分を回復せさるために活発に働いてくれるのです。

 だから、私たちは宇宙や身体の各器官の働きに対して、感謝しなければならないと思います。

 そこで、私は、いざという時のために常日頃から、次のように「ありがとう、ありがとう、・・・・・・」 と唱えています。

 「ありがとう」は、少なくとも、一日に300回以上、必要に応じて1000回、口に出して唱えます。 この際、両手の指を使いながら、「眼、耳、鼻、口、お腹、両脚、両手、宇宙、空気、大地」(10箇所)に意識を巡らせながら、数を数えます。

数の数え方は、「ありがとう」を 10回数えるごとに左手の指を1本折り、左手がすべて終わったとき、つまり「ありがとう」を100回 数えるごとに右手の指を1本折るというように数えます。

 次に 広い砂浜に立って、朝日に輝く大海原を想像しながら。その大海原に向かって、 「ついてる」を少なくとも、一日に300回以上、必要に応じて1000回、口に出して唱えます。 このときは、手の指を使わず、4,3,3(=10)のリズムで数えます。

 このようにして、「魂」に力を付けた後で、「入息出息念」(にっそくしゅっそくねん)を行います。つまり入る息・出る息に成り切ることとします。そのため全精神を集中して静かに出る息を長く、入る息を短くすることを心がけながら、呼吸をするのです。(特に、出る息(吐く息)を長くすることによって副交感神経が活発化し、気分が安らぎ、病気に対する免疫性が高まる、と医学的にも証明されているそうです)

  また、私たちは寝床の中で、様々な邪念や煩悩に悩まされて、中々寝付かれないことがあります。このようなとき私は次のような対応策を追加することとしています。 10段ずつ方向を変えた階段が、100段ある場面を想像し、その階段を一段から百段まで、数えながら登るのです。何回も何回も数え続けるのです。そうすれば、観念的な疲れを感じて、自然的に眠りに入っていくことができます。

 以上が、相対的にですが、私の「五蘊の全てが無我である」ということの体得手法です。

 2.「空」について

 五蘊(色・受・想・行・識)のすべてが「空」であることを理解できれば、心が乱されることはない、というのです。

 五蘊が「空」であることについて、私は次のように解釈しています。

 仏教の教えによりますと、もともと、五蘊(色・受・想・行・識)の本性は「空」なのです。そこに何かの事象が存在するとすれば、それは全て因縁に基づくものである、ということです。

  例えば、昨日の出来事をそのまま、今日再現することは出来ません。同時に、今日の時点で、明日の出来事を定めることはできません。何故なら、私たちは、全て、現時点での因縁に基づいて生活を営んでいるからです。

 このような認識手法を、五蘊(色・受・想・行・識)の夫々にあてはめれば、これらが、「空」であることを理解することができると思います。

 心の中は、本来「空」であることを理解しておれば、どのような不幸な出来事に出会ったとしても、原則として心を乱すことはないのです。

 私たちの心が乱れる原因は、心の中に過去の体験から得られた記憶が思い出されるからです。心が乱れるということは、一種の拒絶反応であり、関連する過去の様々な記憶が一つに結集した現象であると考えることができます。

しかし本来、心の中は「空」なのであり、因縁の働きによって過去の記憶がよみがえるとうわけです。ですから、このような場合には、気分転換を図って、強制的に別の因縁を作り出せば、心の乱れも納まるのだと思います。

  最後に、次のとおり、私の日常生活におけるモットーを示します。

 ・希望を失わないこと。

 ・脳細胞の働きを意識して思念力を働かせながら、次のように唱えること。

  「心の振る舞いは常に、元気ハツラツとして、明るく、楽しく、朗らかに、強く、正しく、逞しく、 積極的に、勇ましく、冷静沈着・謙虚であること」 です。

  さらにいえば、五蘊(色・受・想・行・識)が「無我」であり、「空」であることを体得すれば、次のようなメリットがあり、私たちは、いつも明るく楽しく正しい生活を営むことができると思います。

 ・ 不安を感じない。

・副交感神経を活発化し、NK細胞を活性化するための好条件を作り出すことができる。 (これは、ガンの予防になると医学的にも証明されているということです)

 ・笑顔を作り易くなる。(身体の免疫性を高めるためには、たとえ作り笑いでもよいから、笑顔を作ることが効果的と言われている)

 ・楽天的になり、ストレスを和らげることができる。

・快活な精神で元気ハツラツと振舞うことができる。

・明るく、楽しく、朗らかに過ごすことができる。

・強く、正しく、逞しく、積極的に勇ましく、前向きな姿勢をとることができる。

・冷静沈着・謙虚な気持ちになれる。

  言うまでもないことですが、日常生活において

最も根本的な心構えとしては、

常に、八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)を念頭に置き、陰徳を積むということを心がけなければならない、と考えています。