八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

私の唱え言葉 (8/29日修正)

2011-08-27 11:26:22 | Weblog
約二十か月振りの投稿です。最近、パソコンを新替えし、メモリーが8GBになりました。
まだ慣熟訓練中ですが、パソコン作業が早くなりました。1969年に、初めて使用した電子計算機(中型機)の記憶容量は230KBでした。データーの分類作業は自分でプログラムを組んで、記録容量が1MBの磁気テープ装置 (高さ1.8m、幅・奥行き60cm) 三台を稼働させて実行させたものです。感無量です。


 私は35年ほど前から、気に入った言葉を唱えています。

 毎日、同じ言葉を唱えるということは、その言霊を潜在意識の中に根付かせるという効果があ ると、思うのです。
 更に、このことはまた、中村天風師がいう、いわゆる「観念要素の更改」にも役立っていると 思っています。

 私はこれまで、年齢や社会環境の変化に応じて唱える言葉を変えてきました。

 東日本大震災の後、現在は次の言葉を唱えています。

その1 (早朝、体操の直前に唱える)

 ・136億年前に宇宙が誕生し、
 ・46億年前に地球が誕生し、
 ・5億年前に脊椎動物が誕生し、
 ・7000万年から200万年前に日本列島が形成され、
 ・700万年から600万年前に人類が誕生し、
 ・100万年から7000年前に文明社会が生まれ、
 ・2500年から2000年前にお釈迦様やキリストが誕生した。
 ・310年前に○○○(私が今住んでいる所、古文書による)が誕生した。
 ・私、○○(名前)は、先祖代々からの遺伝子を受け継いで、300兆分の1の確率でこの世に生れ出て来たのであります。
 ・私は環境にも恵まれ、歴史に残る立派な社会的貢献を成し遂げて(注)、今、
  「無事澄然・有事斬然」の心構えで生活させていただいております。

(無事澄然:事がない場合には、静かな湖面のように澄み切っている。こころが澄み切っているから融通無碍に動くことができる。
 有事斬然:いったん事が起きればぐずぐずしないで、一気呵成にやる。
  (安岡正篤師の著書による。中国の六然訓の言葉))
 
 ・ありがとうございます。

  
 注:あえて、このように断言口調で自分に言い聞かせております。
  

その2 (朝食後に静かな時間を設定して唱える)

・私、○○○○(名前)は先祖代々からの遺伝子を受け継いで、300兆分の1の確率で、
 この世に生れ出てきました。環境にも恵まれ、歴史に残る社会的貢献を成し遂げ(上記注)、
 今、「無事澄然・有事斬然」)の心構えで生活しています。

・無生法忍の生活をしています。
 無生法忍: ものは生じないという真理を受容する生活、
 つまり、あらゆるものは因縁の働きによって生じるのであり、因縁の働きがなければ、
 すべての物事は生じないのであります。

 大空の下、大自然に囲まれた生活の中で、適切な因縁を働かせることによって、心は
 何時でも「無事澄然・有事斬然」の働きをさせることができるのであります。
 
 例えば、深い海底に生息している巨大な魚の挙動を想像することによって、心は
何時でも、「無事澄然・有事斬然」の働きをさせることができるのであります。

 あるいはまた、別の因縁を働かせることによって、心は、陰徳を積み「黙養・不戯論」に徹し、「冷静・沈着・謙虚」に働かかせることができるのであります。
(「黙養」とは、しゃべりすぎないように気をつけること。
 「不戯論」とは、余計な議論をしないこと)

 例えば、「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」(中村天風師の言葉)を想像するとか、
 あるいは又、広大な海岸を見渡すことができる岩場の近くに立って、
 「波の絶えず砕ける岩頭の如くあれ。岩は立っている。その周囲に水のうねりは、しずかにやすらう」(「自省録」マルクス・アウトレーリウス著・神谷美恵子訳、岩波文庫P59より)という場面を想像することによって、
 心は、陰徳を積み「黙養・不戯論」に徹し、「冷静・沈着・謙虚」に働かかせることができる のであります。

・「縁尋機妙・多逢聖因」
 大空の下、大宇宙の中にあって、私は先祖代々からの遺伝子を受け継いで300兆分の1の確率で この世に生れ出てきました。
 しかし「私は一人でいるのではありません。神さまが私と一緒におられるのです」(聖書の言葉)。
 
 ですから、私はいつも先祖と神様に感謝しながら、お祈りをしています。
 「神様、どうか私に、陰徳を積み、黙養・不戯論に徹し、無事澄然・有事斬然の心構えで、
 積極的な前向きの力を与えてください」とお祈りをしています。
 
 その上で私は最善を期待して八正道(物事を正しく見る・正見、正しく考える・正思、正しい言葉をつかう・正語、正しい行いをする・正業、正しい生活をする・正命、正しい修行をす  る・正精進、正しく念ずる・正念、正しく心を整える・正定)を歩くように心掛けています。
 
 ですから私の人生街道は、「縁尋機妙・多逢聖因」の営みが為されているのであります。
 
 つまり、良い縁が更に良い縁を尋ねて行く機会に巡り合えるというふうに、実に旨く、営まれているのであります。その中で、いろいろな出会いがあって、その一つ一つが私を成長させてくれているのであります。

・「煩悩障眼雖不見・大悲無倦常照我」ボンノウショウゲンスイフケン・ダイヒムケンジョウショウガ (親鸞聖人の言  葉) 。
 煩悩で覆われた目には見えずと雖も、仏は飽きもせず常に我を照らしてくださる。
 
 つまり、私たちは常に煩悩に覆われているため、物事の真実の姿が見えないのであります。
 しかし、仏様は飽きもせず、常に私たちを見守って下さっているので、私たちが求めれば、いつでも助けて下さるという教えです。
 難問に遭遇したとき、私たちは時間をかけることによって、その難問解決を達成することがありますが、これもいわゆる仏様の力なのだと思うのです。
 つまり、難問が発生した場合、正しい思考と行動で、その解決にあたっておれば、私たちの心の中で潜在意識の力が働いて、あるとき突然、解決の道が開けるのだと思うのです。
これは私たちの心の中には常に、仏様(あるいは神様) がおられるからである、と私は解釈しております。