八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

凡夫が読む『般若心経』ー2

2009-01-03 03:47:11 | Weblog

 皆様、あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。

 本年は、コメントを期待しながら、先ず「般若心経」について投稿します。

「色即是空・空即是色」について

 先ず「般若心経」の中心思想である「色即是空・空即是色」について、私は三通りの解釈をしています。

 一つは、

「色すなわち物体や事象の本性は空であり、空が即ち物体や事象の本性である」という解釈です。

どういうことかといいますと、私たちが関わる物体や事象は、すべて因縁に基づいてのみ対象となります。従って、因縁が変われば物体や事象(以下「物事」という)の現れ方も変わります。

例えば、一つの物体を例に挙げれば、物体は特有の分子構造を持つという微細な見方から、存在物として無限の広がりを持つ宇宙的な見方(思想的、芸術的、生物的、物理的など)に至るまで、無限の相があると思うのです。その無限の相の中から因縁の働きによって一つの相が現実化される、ということができます。

「妙有真空」ということばで象徴されるように、この無限の相は「空」にも等しいと考えることができますから、すべての物体の本性は「空」であるということになります。このように無限の相を持つということは、すべての「物事」についても同様であると思います。

故に、「色即是空・空即是色」とは、私たちからみて、「色すなわち物体や事象の本性は空であり、空が即ち物体や事象の本性である」ということである、と解釈しています。

 二つ目の解釈はのとおりです。

 私たちの日常生活の場は、最小限、絶対的に必要や構成要素として、①私たち自身 ②物体や事象 ③時間 ④場所 ⑤因縁の作用力があると思います。

ここで特に強調しておきたいことは、私たち自身の「六識」についてです。私たちは外界の情報を、先ず最初に、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)から六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)の働きによって、受け入れます。私は、この六識を「意識領域」と命名して考えることにします。

 私たちは、先に挙げた五つの構成要素から成る「場」の中で日常生活を営んでいます。しかも生活は常に、因縁に支配されながら、いろいろな「物体や事象」と関わり、「時間」や「場所」の移り変わりの中で営まれているのです。

 そこで、外界の「物体や事象」の情報は、先ず、その状況に応じて私たちの「意識領域」の中に入り、頭脳内に記録され、行動や思考に転化される、という流れがあると考えます。

 そこで、「時間」と「場所」が変われば、「意識領域」の中では「物体や事象」の情報が入れ替わります。 つまり、人々の「意識領域」の中では過去に経験したことは、すべて「空」になるというわけです。

  私たちが外界の情報を受け入れる流れを例えていえば、走る電車の窓から眺められる外の景色が次々に移り変わるように、私たちの生活は様々な「物体や事象」の情報を「意識領域」の中に次から次へと受け入れながら営まれている、と考えることができます。世の中の「物体や事象」(色)から見れば、常に「空」である「意識領域」の中へ、その情報が一時的に取り込まれるということです。

 ここで、私たちの「意識領域」を蔵にたとえれば、蔵は常に「空」であり、私たちが外界の「物体や事象」に出会う毎に、蔵に物事の情報(色)が取り込まれる、というふうに考えます。つまり、「空」が「色」になるということです。この「色」は、「時間」とか「場所」が変われば、「空」となり、直ぐに別の「色」が取り込まれます。この時、「意識領域」という蔵に取り込まれる「色」は、勿論、私たちが体験する因縁に基づいた一つの相として現実化されたものです。このことから、蔵の中、つまり私たちの「意識領域」のなかは因縁によって「空」が「色」になり、「因縁」、「時間」、「場所」等が変われば、「色」が「空」になり、新たな因縁によって「空」の中には新たな「色」が入るということです。

 (簡単にいえば、私たちが場所を移動すれば、先に視界に入っていた物体は消えてなくなり、新たな物体が視界に入ります。その状況は、私たちの「意識領域」の中で「色」が「空」になり、「空」が「色」になるということです)。

 故に「色即是空・空即是色」である、というのが私の解釈です。

 三つ目の解釈としては、前二者の解釈を総合的に捉えます。

つまり、すべての物事の全相は無量・無限であるから「空」にも等しい。私たちは因縁によって、その全相を含む「空」の中から特定の一つの相のみを取り出して「意識領域」の中で現実化している。これら一連の営みを直観的に捉えて、すべての物事は「空」でもあり「色」でもある。故に「色即是空・空即是色」である、と私は解釈します。

 私は、「色」と「空」との関係について、このように解釈することにより、「般若心経」の全てが理解できる、と考えています。

 なお、「般若心経」に限らず、他の仏典の中でも説かれていることですが、「色」について説かれていることは、五蘊(色・受・想・行・識)の全てについても同様であるということです。

但し、仏教の教えにもあるように、何事も真実をことばで表現することはできません。ですから私の解釈は私自身への方便であり、私は他の教説についても自分で納得できる方便を付け加え、直観力を働かせながら、仏教を学び続けていきたいと考えています。

 次回から、私は何回かに分けて「般若心経」の経文を示しながら、全文について私の解釈を投稿したいと思います。