【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
お昼を何にしようかと思ったのですが、近くの店で「天ムス」を買ってきました。
「天ムス」。。。。。エビの天ぷらが入ったおにぎりです。塩味の天ぷらに少しマヨネーズがつけてあります。これがおいしくてはまりそうです。
たしか天ムスは名古屋からはじまったと聞いたことがあるのですが。。。。?東京でもだいぶ前にブームになりかけました。
買い物に行ってきました。
今夜はゴーヤチャンプルにサバの塩焼き!
健康的です!!(^-^)
【2004年】
終戦記念日の日にはいろいろな報道がありました。
東京大空襲や原爆の悲惨さを通じての戦争に悲惨さを感じました。
このような悲惨さは二度と起こしてはならないと感じます。これは自国の国民が悲惨な目にあったからというだけではなく、今も悲惨な戦争の被害者が出ているということからの戦争自体を見なければなりません。これは二度と戦争による被害者となってもならないし、加害者となってもならないということです。
オリンピックが平和のシンボルならば、自国の応援をすると同時にそれぞれの国同士が一生懸命な選手をたたえなくてはなりません。日本の体操選手が、無理な演技をしないで無難な技で競技しても金メダルを取れるのが確実なのに、日本選手があえて難しい技を入れた。それに対して他の国の選手団から拍手も起こった。スポーツマンシップの美しさです。中国でのサッカーの問題はありますが、本来国民同士は何の恨みつらみはお互いに持っていないのです。
本来お互いに被害国になったり加害国になったりする必然性は何もないのです。それがなぜ悲惨さを生み出してしまうのか。。。。やはり一部の政治や宗教の指導者による利己主義でしょう。。。そしてその根底には経済という弱肉強食的な競争。。。
ここに巻き込まれると人々に悪魔が忍び込む。
【2005年】
コマーシャルで、サッカーのベッカム夫妻がでてくるものがありますが、かわいい日本女性がベッカム婦人に圧倒されて退いていくのですが、このコマーシャルを見ると日本人のコンプレックスを感じます。
コマーシャル自体には関係ないのですが、このコンプレックスというのは人間の心や行動に大きな役割を果たすのではないかと思う。
完璧な人間というのはいないはずなのだから、何かしらのコンプレックスを持つわけで、普通の人間はこのコンプレックスを心の中で処理をして少しでもう向上していこうとか、自分の良さを見つけようとか、自分らしさを大切にしようと化してよい方向に持っていこうとするものである。コンプレックスと自己顕示欲がバランスを取れた状態にするものだろう。
しかし、このコンプレックスをうまく処理できなくなると、あるいはどうすることもできなくなると、コンプレックスをよい方向に処理できないままに自己顕示欲が激しく現れてしまうのではないかと思う。
普通の顔をしているのに目が少し小さいなどという顔の一部にコンプレックスを持っていたとすると、このコンプレックスをうまく処理できないと、自分をよく思いたいがうえに自分より目の小さい人を見つけては自己満足をしたりひどい場合は笑ったりするのである。このようなコンプレックスはまだ顔の一部でそうは周りに迷惑をかけないが、自分より下の常態にある人間をバカにするようになると、それが社会の風潮となると大変なことになる。
昨日の日記に書いた駅員さんを怒鳴っているおやじのように、そのおやじもいろいろな面で怒鳴られているのか、少なくとも辛い目にあっているのだろうが、それを上手く心の中で処理できないと、金がらみの上下関係で下にある人間を辛い目に合わせてしまう。経済が下降線のときの競争社会というのはこんなものである。
経済のグローバル化に逆行をして内社会ばかりに目が向いてしまうのである。社会的コンプレックスは、白人国家に頭を下げ、そのコンプレックスと自己顕示欲のアンバランスから、下と見ているアジアに目が向かなくなる。
【2006年】
去年の7月、左足を捻挫をしたのですが、またサンダルを履こうとしたらひねってしまいました。今回は小指だけなのでよかったのですが、紫色になって痛かったです。シップ剤をはっていたら少しはよくなったみたいですが、靴を履くと痛みがひどいので困ります。
ビッコを引いてダイニングのテーブルの横を通ったら、掃除機があった。捻挫をした小指をぶつけて涙が見じみました。むかし、サッカーの試合で足の親指の爪がはがれそうな怪我をしたのですが、電車の中でハイヒールでその指を踏まれてしゃがみ込んでしまいました。あの痛みを思い出した。。。。
そういえばよく足の小指や腕の肘をぶつけることがあります。痛いですなぁ。。。。あれは。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
昼飯をと思い店に入った。。。。
「焼き魚定食ください」
「サバにしますか鮭のしますか?」
「ううう。。。。ん、サバ!」
店はがらんとすいているがサバの焼き魚定食はなかなか来ない。どうしたんだろと思いながら店の人にいって隣の銀行に行ってきた。帰ってきてもまだ焼き魚定食がこない。
「・・・・・・・・」
やっと来た。。。。。。
丹念に焼いたサバの干物の姿に感動した。
「オヤジ。。。。いい仕事してるなぁ」
「日本」
もちろん日本人は日本をみている
しかし見ているようでその見方は
ある意味常識の中でみている部分があるのではないか
いろいろな国内の中での情報からの常識
しかし外国人から見れば
「そこが変だよ日本人」的な視点があるのかもしれない
もちろん日本人から見れば「あんたが変だよ」とも
しかし中身の良し悪しは別にして
「違った視点」という面の外国からの指摘は聞くべきものも
朝日新聞に出ていたが
首相がころころ変わるのは「軽い」です
ころころ変わるけど中身は一緒。。。。
これでは「軽く」見られるでしょう
日本が国連常任理事国になかなかなれないのも
アメリカに2票やると同じだと見られればね。。。。
「軽く見られる」わけです
金は出してくれるから・・・・・では
(Pm10:38)
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
自民党の谷垣総裁が国会会期中の解散を目指して不信任案や問責決議案を出すことを考えていると発言したそうです。その提出の根拠は尖閣諸島問題での民主党の対応。。。。
なんだか谷垣総裁に焦りがあるのでしょうか?
9月には民主党の代表選もありますし、やはり9月でしたっけ、自民党の総裁選もあるようですが、どちらの党も次の党を引っ張る人間が決まっていないのに選挙に向けた路線というものを国民に見せることができるのでしょうか。もしかして、谷垣総裁は次の総裁選に勝つために解散が必要?
このような解散は支持されないでしょう。
今選挙をやれば保守層の道交としてはその保守票はまた自民党に帰って政権にも戻れる可能性もありますが、でも、国民もまた何も変わっていない自民党に政権を持たせることには不安や不信もあるのではないでしょうか。
もちろん野田内閣がずるずると長引くことも困ったもんですし、維新の会などの新たな超保守的な勢力も考え物です。
生活が第一もそうは多くの議席は取れないでしょう。
しばらくは国民生活の低下が続きますね。しかしあきらめていても仕方ないので、民主党内の内部浄化も含めて小さな変化を見ていきましょう。そこには国民の声が大きくならなければならないし、マスコミがこの声を聞くかどうかにもかかっています。ネットというものが今の時代はありますからこれも大きな変化に役立つでしょう。こうして僕が書く文章はネットがない時代は人の目に触れることができませんでしたが、今は少ない人にでも目をとめてもらえる。こういうものが多く積み重なることが必要ですね。
【2013年】ツイッターつぶやき
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。
ですから生産性が高まれば商品生産に必要な労働力量は減少しますから商品価値は下落をします。ただしここで言う生産性の向上は、今行われているような労働者の賃下げというコストダウンを言うのではなくて、純粋にある商品量に必要な労働時間数を減らして単位労働時間あるいは単位労働者数の生産量を増やすという意味です。
商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。ここで何がおきるかといえば同じ労働者数・同じ労働時間数を使って倍の商品量を生産するわけですから商品価値は半分に低下します。
ですから商品の価値低下は法則的なのです。
しかしこの場合、その企業は年間の商品量を倍にしただけで利益(剰余価値)は同じです。同じ労働力量の総体が商品を10万から20万に増やしただけですから10万の商品量と20万の商品量の価値は同じなので利益も同じなのです。
では、なぜ企業はこのような生産性の向上を競争までして行うのでしょうか?その競争の原動力はなんなのでしょうか?
この企業はある産業に属して競争相手がいます。
ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。
このように市場に商品が出ることにより最も生産性の高い企業がより多くの利益を得ることとなり、特別な利益(剰余価値)を得ることとなります。
これが企業間の生産性の向上の原動力となります。
しかし先の3社で言えばA社もB社も生産性を上げていくでしょう。そしてこの産業内の3社が同じ生産性に近づいた場合どのような現象が起きるでしょうか?3社皆がC社と同じ生産性に近づくと、市場での商品価格は皆同じになり、それはその産業内でまるで一つの企業がその商品を生産するのと同じこととなり、その産業の商品価値は低下した状態で市場に出て市場価格も低下をします。商品は特別な利益(剰余価値)もなくなり、商品はその価値に等しく売られます。すると先に見たある企業の例と同じく、「年間の商品量を倍にしただけで利益(剰余価値)は同じで、同じ労働力量の総体が商品を10万から20万に増やしただけですから10万の商品量と20万の商品量の価値は同じなので利益も同じ」といった現象が産業内に現れるといことです。
市場での商品価格が下がる。
これが経済的な法則なのです。
この産業内では利潤率の低下として産業は停滞をしていきます。
しかしこの停滞が日本のすべての産業に、そして今はグローバル化の時代ですから先進国すべての国で起きた場合、日本あるいは先進国全体が経済の停滞に陥ります。
この時日本は、禁じ手である労働賃金の切り下げを行ってしまいました。すると多くの商品がより安くなったにもかかわらず個人消費は落ちて企業も売るための値下げ競争を行い更に利潤率を下げてしまいました。これがデフレ現象なのでしょう。
停滞した先進国は実体経済から離れた金融市場に軸足を移さざるを得なくなり、この金融市場に支配された資本主義に移行した。株価は通貨安競争も加わり為替の支配と金融市場に支配された。日本はさらなる賃下げによりこの矛盾を乗り越えようとしている。それは先進国内でも特殊な危機を迎えるでしょう。もちろん先進国内の格差は広がっているわけですが、日本は特殊な急激な格差拡大に向かう。それはさらに矛盾を深める形でのデフレ圧力となるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
ロイターの記事に「経済学者の鼻を折る法則破りの日本」という記事があった。
日本の法則破りか、他の先進国の法則破りか。その基準となる経済学が間違いであったとしたらどうだろうか。
日本も含めて先進国経済が落ち込むことにその経済理論が間違っていたことを証明している。経済学理論もノーベル賞をはじめとして新しい理論が現れるのでしょうが、その経済学の新しさに救いを求めてそれが正しいとなると、その経済理論から離れると「法則破り」と見えてしまう。しかしこの経済法則というものからその新たに流行る経済理論自体が外れていたらその経済理論が間違っているという事になる。
日本は戦後復興からして法則破り。マルクス経済学の影響が。
日本型資本主義が一つの形として発展するのは戦後から80年代のバブル期時代に現れていると思う。
この時代抜きに「日本の型破り」の起源は求められないでしょう。
この時代の特徴は日本企業は経済成長のために活発な動きをした。その中で必然的に労働者との対立を生んだ。労働者の対企業への動きは、「反合理化」「春闘」「改良闘争」にあった。政治的には日本の再軍備とそれに対する「平和主義」があった。
もちろん労働側の力が小さかったことは否めないが、小さいながらも自民党や企業の妥協を産みながら労働者の生活の安定や社会保障の充実の道を切り開いた。
この労働者の全運動の中にはマルクス主義の理論特に経済理論が中心となった。
バブル崩壊後そして冷戦の終結と国内的には55年体制の終わりがはじまり、労働者側の後退が始まって今に至っている。
しかし今現在も経済や政治労働条件や社会保障にはそのころの遺産が残っているし、経済の動きにはマルクス経済学の残照がある。
安倍政権ですら管制の賃上げをせざるを得なかった。
経済から見た労働者の実態あるいは社会保障の後退そして平和主義の危うさ、これが社会問題となっているが、これらの実態が後退していると見えるのは、先に書いた戦後からバブル期までの日本の「型破り」さを基準にしているからである。
もちろん女性の社会的地位など先進国からずっと遅れた面があることは確かでした。しかしある一定の女性解放は進んでいたのです。
時間のある時にまた、「反合理化」「春闘」「改良闘争」そして「平和主義」という日本独自の資本主義内の動きについて書いてみたいと思います。
【2018年】ツイッターつぶやき
朝飯の支度。。。。。
ウインナーを縦半分の気ってフライパンに中で四角になるように並べて卵を落とし目玉焼きに。これに中脳ソースをかけて食べるのが好きです。
今朝もいつものように作ったのですが、どうもウインナーが1本足りないような?
四角に並べていつもは余って僕の皿に乗せるのが楽しみでしたが、今日はこの余りが出ない・・・・
はじめはなんか変だなぐらいに感じたのですが、家族も「今朝はお父さんのウインナーの数足りないんじゃない?」と。
やはりいつものウインナーが1本減っていたのでしょう。
アベノミクスと日銀の円安誘導により輸入に頼る食品の値段が上がっています。値上げをすれば消費が減る。そこで内容量を減らして実質的な値上げをといったものが多く出ているのでしょう。
ネットでも内容量が減った、小さくなったというものが出てきます。
安倍政権は景気の拡大を言いますが、それなら消費も伸びるはずです。この経済の過熱があるならば物価も上がっていくはずなのですが、日銀も2%目標を捨てました。やはり経済の過熱どころか経済は縮小しているのかもしれません。我が家のウインナーの本数が減った分だけ。
【2019年】ツイッターつぶやき
最近「殺人未遂ではないか」といったような言葉をニュースでもよく聞くような気がす。
例のあおり運転でも、確かに高速道路に車を止めさせることは死傷事故の原因ですし、「ぶっ殺す」も脅し文句としてはひどすぎます。
しかしこれだけで殺人未遂というのは過大な解釈ではないでしょうか?
そして悪い奴という印象を過去のあおり運転を報道している。
下司の勘繰りをすると、悪い奴だから殺人未遂でもいいだろうと。。。。。
しかし例えばスマホ自転車でご老人にけがをさせた場合、それは死傷事故にもつながりますかが、これをすぐに過大に解釈して殺人未遂だとするならば、どんな事故や過失も殺人未遂に解釈できてしまいます。
悪いことは悪いのです。
それは間違いない。
しかし殺人未遂ではないかという社会的制裁はどうなんでしょ?
国民を委縮させてしまいますね。
【2020年】ツイッターつぶやき
Aさんは1万円稼ぐのに10時間働かなくてはならない。
Bさんは1万円稼ぐのに1時間働かねばならない。
しかし商品市場でAさんもBさんも同じ1万円の価格のものを買うとすると、1万円という貨幣は1万円でその価値は同じです。
Aさんの生活レベルからすれば1万円の商品はすごく高価なものとあります。ですから1万円の使用価値は高いと見ることができるでしょう。
一方Bさんはその生活レベルからすれば1万円の商品はそうは高くないように見えるでしょう。ですから1万円の使用価値が低いということになります。
格差が生じますね。
でも、AさんもBさんも労働をして得た貨幣ですのでまだいいのですが、不労所得者や企業の経営者として人の労働により上前をはねたような階層の人がBさんのさらに10倍も所得を得たとすると、この階層の人の1万円という貨幣の使用価値はさらに下がるでしょう。
1万円札の使用価値は無に等しい。
この1万円札の使用価値の差が所持ることによって格差が生じる。
この1万円札という貨幣の価値は同じである中で1万円という商品は様々な人と接する。
Aさんのような1万円札の使用価値が高い所得層が圧倒的に多くなれば、その商品の消費は極端に減少しますね。
不況となります。
富裕層は1万円の商品には無頓着に接しますが、現実社会はその1万円の商品の消費が減ります。
最終消費は大衆が消費することになりますから、数百億円あるいは1兆円単位で動く企業や国家のデフレ不況感がすごいことになります。
【2021年】ツイッターつぶやき
毎年年2回ほど目を患う。
ワクチンの副作用として人間が持つ免疫を破壊するというものが見受けられる。
いよいよこの眼病も治らなくなるのかと心配をして目薬を差しています。
今のところ目薬で症状は改善しています。
でも、完治してから目薬をやめたらまた症状が出るのか。。。。。
ワクチンの3回目が言われはじめています。2月に医療従事者から接種がはじまりましたが今年中に3回目を行うそうです。ずっとワクチンを打ち続けるのでしょうか?
ワクチン接種率が50%を超え始めていると思いますが、感染拡大が止まりません。非接種者の感染だといわれていますが、イスラエルやアメリカでは接種した人の感染も広がっているようです。
3回目はやめよう・・・・・
東京の新規感染者も5500人を超えました。
5月末にはピークアウトという楽観論を言う人もいますが、このままなら来週には5000人を超えた数字が出て車も知れません。
全国も2万5千人を超えました。
こうした実態は、去年ならばどこかの国の話でしたが今は日本の現実になりました。
この新規感染者数の数字だけではなくて医療崩壊の現実もどこかほかの国の話が日本で起こっています。
ベッド数はあっても医療従事者が足りない。要人のために残しているのかと下司の勘繰りも出てしまいます。庶民が入院できるベッド数というのは公表されているベッド数より少ないのでしょうね。
テレビでもネットでも自宅療養の実態が見えています。
千葉県で妊婦さんが体調が悪くなっても入院できず自宅で出産したが赤ちゃんはなくなってしまった。
衝撃的なニュースです。コロナ下でもマニュアルどおり。。。。。
感染し悪化をした妊婦を受け入れる病院はないのでしょう。
この衝撃的なニュースは自宅療養者の実態のほんの一部が報道されているにすぎない。
現在は家庭内感染が一番のリスクになっています。たしかに家族の誰かが感染した場所は飲食店かもしれないしどこか別の場所かもしれませんが、すぐに家庭内感染として家族が感染をする。芸能人が感染したときに家庭内でどのような対策をしたかというものあ去年から報道されていましたが、豪邸に住んでいる人と一般人の狭い居住空間は違います。だから隔離が必要なのですが、その場所がない。
どこか外国の医療崩壊の話のようですね。でも日本がその現実の中にある。
【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 検事総長。」が更新されました。
今回は映画のお話なので僕はちんぷんかんぷん。
それでも「モンテ・クリスト伯」の極悪非道のジェラール・ド・ヴィルフォール検事総長がつくるパラパラチャーハンと、「人間失格」というアロマスプレーには興味津々。。。。。
うん、外国の俳優がパラパラチャーハンを作るわけでもないので日本製翻案ドラマその役をした俳優さんがつくるチャーハンなんでしょうね。本格パラパラチャーハンと川上さんのべとべとチャーハン。和製翻案とそのまた和製翻案。
人間失格のアロマスプレーも太宰の和製翻案。。。。
極悪非道の検事総長と「人間失格」のアロマスプレー。。。。
ハードボイルドですなぁ。。。。和製翻案の
【2023年】ツイッターつぶやき
ツイッターを見ていたら、一部報道で、アメリカがウクライナの一部を割譲し、ウクライナにNATO加盟を認めさせることにより停戦を行うということらしい。ウクライナの政府首脳は、最後まで戦うと。
ウクライナを使ったロシアへの武力介入の失敗だろうか?
しかし、多くの犠牲を出した中での停戦がウクライナをNATOに加盟させるというアメリカとNATO諸国の利益の為の終戦となる。ウクライナ国民はこれが自分たちの位置づけだったし、武器や資金の供与はアメリカの利益の為だったことを知るでしょう。ウクライナの穀物はアメリカとその同盟国に奪われる。
戦争は金で動く。ウクライナの中でも戦争で利益を受けている階層があるでしょう。
ウクライナ内のネオナチといわれている兵士や国民はどう判断するのだろうか?
アメリカは中東においても過激派組織を支援して内政を混乱させたが、同時にその後はその過激派組織をテロと位置付けて戦争を行った。ウクライナも同じ道を歩むのか。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
お昼を何にしようかと思ったのですが、近くの店で「天ムス」を買ってきました。
「天ムス」。。。。。エビの天ぷらが入ったおにぎりです。塩味の天ぷらに少しマヨネーズがつけてあります。これがおいしくてはまりそうです。
たしか天ムスは名古屋からはじまったと聞いたことがあるのですが。。。。?東京でもだいぶ前にブームになりかけました。
買い物に行ってきました。
今夜はゴーヤチャンプルにサバの塩焼き!
健康的です!!(^-^)
【2004年】
終戦記念日の日にはいろいろな報道がありました。
東京大空襲や原爆の悲惨さを通じての戦争に悲惨さを感じました。
このような悲惨さは二度と起こしてはならないと感じます。これは自国の国民が悲惨な目にあったからというだけではなく、今も悲惨な戦争の被害者が出ているということからの戦争自体を見なければなりません。これは二度と戦争による被害者となってもならないし、加害者となってもならないということです。
オリンピックが平和のシンボルならば、自国の応援をすると同時にそれぞれの国同士が一生懸命な選手をたたえなくてはなりません。日本の体操選手が、無理な演技をしないで無難な技で競技しても金メダルを取れるのが確実なのに、日本選手があえて難しい技を入れた。それに対して他の国の選手団から拍手も起こった。スポーツマンシップの美しさです。中国でのサッカーの問題はありますが、本来国民同士は何の恨みつらみはお互いに持っていないのです。
本来お互いに被害国になったり加害国になったりする必然性は何もないのです。それがなぜ悲惨さを生み出してしまうのか。。。。やはり一部の政治や宗教の指導者による利己主義でしょう。。。そしてその根底には経済という弱肉強食的な競争。。。
ここに巻き込まれると人々に悪魔が忍び込む。
【2005年】
コマーシャルで、サッカーのベッカム夫妻がでてくるものがありますが、かわいい日本女性がベッカム婦人に圧倒されて退いていくのですが、このコマーシャルを見ると日本人のコンプレックスを感じます。
コマーシャル自体には関係ないのですが、このコンプレックスというのは人間の心や行動に大きな役割を果たすのではないかと思う。
完璧な人間というのはいないはずなのだから、何かしらのコンプレックスを持つわけで、普通の人間はこのコンプレックスを心の中で処理をして少しでもう向上していこうとか、自分の良さを見つけようとか、自分らしさを大切にしようと化してよい方向に持っていこうとするものである。コンプレックスと自己顕示欲がバランスを取れた状態にするものだろう。
しかし、このコンプレックスをうまく処理できなくなると、あるいはどうすることもできなくなると、コンプレックスをよい方向に処理できないままに自己顕示欲が激しく現れてしまうのではないかと思う。
普通の顔をしているのに目が少し小さいなどという顔の一部にコンプレックスを持っていたとすると、このコンプレックスをうまく処理できないと、自分をよく思いたいがうえに自分より目の小さい人を見つけては自己満足をしたりひどい場合は笑ったりするのである。このようなコンプレックスはまだ顔の一部でそうは周りに迷惑をかけないが、自分より下の常態にある人間をバカにするようになると、それが社会の風潮となると大変なことになる。
昨日の日記に書いた駅員さんを怒鳴っているおやじのように、そのおやじもいろいろな面で怒鳴られているのか、少なくとも辛い目にあっているのだろうが、それを上手く心の中で処理できないと、金がらみの上下関係で下にある人間を辛い目に合わせてしまう。経済が下降線のときの競争社会というのはこんなものである。
経済のグローバル化に逆行をして内社会ばかりに目が向いてしまうのである。社会的コンプレックスは、白人国家に頭を下げ、そのコンプレックスと自己顕示欲のアンバランスから、下と見ているアジアに目が向かなくなる。
【2006年】
去年の7月、左足を捻挫をしたのですが、またサンダルを履こうとしたらひねってしまいました。今回は小指だけなのでよかったのですが、紫色になって痛かったです。シップ剤をはっていたら少しはよくなったみたいですが、靴を履くと痛みがひどいので困ります。
ビッコを引いてダイニングのテーブルの横を通ったら、掃除機があった。捻挫をした小指をぶつけて涙が見じみました。むかし、サッカーの試合で足の親指の爪がはがれそうな怪我をしたのですが、電車の中でハイヒールでその指を踏まれてしゃがみ込んでしまいました。あの痛みを思い出した。。。。
そういえばよく足の小指や腕の肘をぶつけることがあります。痛いですなぁ。。。。あれは。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
昼飯をと思い店に入った。。。。
「焼き魚定食ください」
「サバにしますか鮭のしますか?」
「ううう。。。。ん、サバ!」
店はがらんとすいているがサバの焼き魚定食はなかなか来ない。どうしたんだろと思いながら店の人にいって隣の銀行に行ってきた。帰ってきてもまだ焼き魚定食がこない。
「・・・・・・・・」
やっと来た。。。。。。
丹念に焼いたサバの干物の姿に感動した。
「オヤジ。。。。いい仕事してるなぁ」
「日本」
もちろん日本人は日本をみている
しかし見ているようでその見方は
ある意味常識の中でみている部分があるのではないか
いろいろな国内の中での情報からの常識
しかし外国人から見れば
「そこが変だよ日本人」的な視点があるのかもしれない
もちろん日本人から見れば「あんたが変だよ」とも
しかし中身の良し悪しは別にして
「違った視点」という面の外国からの指摘は聞くべきものも
朝日新聞に出ていたが
首相がころころ変わるのは「軽い」です
ころころ変わるけど中身は一緒。。。。
これでは「軽く」見られるでしょう
日本が国連常任理事国になかなかなれないのも
アメリカに2票やると同じだと見られればね。。。。
「軽く見られる」わけです
金は出してくれるから・・・・・では
(Pm10:38)
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
自民党の谷垣総裁が国会会期中の解散を目指して不信任案や問責決議案を出すことを考えていると発言したそうです。その提出の根拠は尖閣諸島問題での民主党の対応。。。。
なんだか谷垣総裁に焦りがあるのでしょうか?
9月には民主党の代表選もありますし、やはり9月でしたっけ、自民党の総裁選もあるようですが、どちらの党も次の党を引っ張る人間が決まっていないのに選挙に向けた路線というものを国民に見せることができるのでしょうか。もしかして、谷垣総裁は次の総裁選に勝つために解散が必要?
このような解散は支持されないでしょう。
今選挙をやれば保守層の道交としてはその保守票はまた自民党に帰って政権にも戻れる可能性もありますが、でも、国民もまた何も変わっていない自民党に政権を持たせることには不安や不信もあるのではないでしょうか。
もちろん野田内閣がずるずると長引くことも困ったもんですし、維新の会などの新たな超保守的な勢力も考え物です。
生活が第一もそうは多くの議席は取れないでしょう。
しばらくは国民生活の低下が続きますね。しかしあきらめていても仕方ないので、民主党内の内部浄化も含めて小さな変化を見ていきましょう。そこには国民の声が大きくならなければならないし、マスコミがこの声を聞くかどうかにもかかっています。ネットというものが今の時代はありますからこれも大きな変化に役立つでしょう。こうして僕が書く文章はネットがない時代は人の目に触れることができませんでしたが、今は少ない人にでも目をとめてもらえる。こういうものが多く積み重なることが必要ですね。
【2013年】ツイッターつぶやき
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。
ですから生産性が高まれば商品生産に必要な労働力量は減少しますから商品価値は下落をします。ただしここで言う生産性の向上は、今行われているような労働者の賃下げというコストダウンを言うのではなくて、純粋にある商品量に必要な労働時間数を減らして単位労働時間あるいは単位労働者数の生産量を増やすという意味です。
商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。ここで何がおきるかといえば同じ労働者数・同じ労働時間数を使って倍の商品量を生産するわけですから商品価値は半分に低下します。
ですから商品の価値低下は法則的なのです。
しかしこの場合、その企業は年間の商品量を倍にしただけで利益(剰余価値)は同じです。同じ労働力量の総体が商品を10万から20万に増やしただけですから10万の商品量と20万の商品量の価値は同じなので利益も同じなのです。
では、なぜ企業はこのような生産性の向上を競争までして行うのでしょうか?その競争の原動力はなんなのでしょうか?
この企業はある産業に属して競争相手がいます。
ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。
このように市場に商品が出ることにより最も生産性の高い企業がより多くの利益を得ることとなり、特別な利益(剰余価値)を得ることとなります。
これが企業間の生産性の向上の原動力となります。
しかし先の3社で言えばA社もB社も生産性を上げていくでしょう。そしてこの産業内の3社が同じ生産性に近づいた場合どのような現象が起きるでしょうか?3社皆がC社と同じ生産性に近づくと、市場での商品価格は皆同じになり、それはその産業内でまるで一つの企業がその商品を生産するのと同じこととなり、その産業の商品価値は低下した状態で市場に出て市場価格も低下をします。商品は特別な利益(剰余価値)もなくなり、商品はその価値に等しく売られます。すると先に見たある企業の例と同じく、「年間の商品量を倍にしただけで利益(剰余価値)は同じで、同じ労働力量の総体が商品を10万から20万に増やしただけですから10万の商品量と20万の商品量の価値は同じなので利益も同じ」といった現象が産業内に現れるといことです。
市場での商品価格が下がる。
これが経済的な法則なのです。
この産業内では利潤率の低下として産業は停滞をしていきます。
しかしこの停滞が日本のすべての産業に、そして今はグローバル化の時代ですから先進国すべての国で起きた場合、日本あるいは先進国全体が経済の停滞に陥ります。
この時日本は、禁じ手である労働賃金の切り下げを行ってしまいました。すると多くの商品がより安くなったにもかかわらず個人消費は落ちて企業も売るための値下げ競争を行い更に利潤率を下げてしまいました。これがデフレ現象なのでしょう。
停滞した先進国は実体経済から離れた金融市場に軸足を移さざるを得なくなり、この金融市場に支配された資本主義に移行した。株価は通貨安競争も加わり為替の支配と金融市場に支配された。日本はさらなる賃下げによりこの矛盾を乗り越えようとしている。それは先進国内でも特殊な危機を迎えるでしょう。もちろん先進国内の格差は広がっているわけですが、日本は特殊な急激な格差拡大に向かう。それはさらに矛盾を深める形でのデフレ圧力となるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
ロイターの記事に「経済学者の鼻を折る法則破りの日本」という記事があった。
日本の法則破りか、他の先進国の法則破りか。その基準となる経済学が間違いであったとしたらどうだろうか。
日本も含めて先進国経済が落ち込むことにその経済理論が間違っていたことを証明している。経済学理論もノーベル賞をはじめとして新しい理論が現れるのでしょうが、その経済学の新しさに救いを求めてそれが正しいとなると、その経済理論から離れると「法則破り」と見えてしまう。しかしこの経済法則というものからその新たに流行る経済理論自体が外れていたらその経済理論が間違っているという事になる。
日本は戦後復興からして法則破り。マルクス経済学の影響が。
日本型資本主義が一つの形として発展するのは戦後から80年代のバブル期時代に現れていると思う。
この時代抜きに「日本の型破り」の起源は求められないでしょう。
この時代の特徴は日本企業は経済成長のために活発な動きをした。その中で必然的に労働者との対立を生んだ。労働者の対企業への動きは、「反合理化」「春闘」「改良闘争」にあった。政治的には日本の再軍備とそれに対する「平和主義」があった。
もちろん労働側の力が小さかったことは否めないが、小さいながらも自民党や企業の妥協を産みながら労働者の生活の安定や社会保障の充実の道を切り開いた。
この労働者の全運動の中にはマルクス主義の理論特に経済理論が中心となった。
バブル崩壊後そして冷戦の終結と国内的には55年体制の終わりがはじまり、労働者側の後退が始まって今に至っている。
しかし今現在も経済や政治労働条件や社会保障にはそのころの遺産が残っているし、経済の動きにはマルクス経済学の残照がある。
安倍政権ですら管制の賃上げをせざるを得なかった。
経済から見た労働者の実態あるいは社会保障の後退そして平和主義の危うさ、これが社会問題となっているが、これらの実態が後退していると見えるのは、先に書いた戦後からバブル期までの日本の「型破り」さを基準にしているからである。
もちろん女性の社会的地位など先進国からずっと遅れた面があることは確かでした。しかしある一定の女性解放は進んでいたのです。
時間のある時にまた、「反合理化」「春闘」「改良闘争」そして「平和主義」という日本独自の資本主義内の動きについて書いてみたいと思います。
【2018年】ツイッターつぶやき
朝飯の支度。。。。。
ウインナーを縦半分の気ってフライパンに中で四角になるように並べて卵を落とし目玉焼きに。これに中脳ソースをかけて食べるのが好きです。
今朝もいつものように作ったのですが、どうもウインナーが1本足りないような?
四角に並べていつもは余って僕の皿に乗せるのが楽しみでしたが、今日はこの余りが出ない・・・・
はじめはなんか変だなぐらいに感じたのですが、家族も「今朝はお父さんのウインナーの数足りないんじゃない?」と。
やはりいつものウインナーが1本減っていたのでしょう。
アベノミクスと日銀の円安誘導により輸入に頼る食品の値段が上がっています。値上げをすれば消費が減る。そこで内容量を減らして実質的な値上げをといったものが多く出ているのでしょう。
ネットでも内容量が減った、小さくなったというものが出てきます。
安倍政権は景気の拡大を言いますが、それなら消費も伸びるはずです。この経済の過熱があるならば物価も上がっていくはずなのですが、日銀も2%目標を捨てました。やはり経済の過熱どころか経済は縮小しているのかもしれません。我が家のウインナーの本数が減った分だけ。
【2019年】ツイッターつぶやき
最近「殺人未遂ではないか」といったような言葉をニュースでもよく聞くような気がす。
例のあおり運転でも、確かに高速道路に車を止めさせることは死傷事故の原因ですし、「ぶっ殺す」も脅し文句としてはひどすぎます。
しかしこれだけで殺人未遂というのは過大な解釈ではないでしょうか?
そして悪い奴という印象を過去のあおり運転を報道している。
下司の勘繰りをすると、悪い奴だから殺人未遂でもいいだろうと。。。。。
しかし例えばスマホ自転車でご老人にけがをさせた場合、それは死傷事故にもつながりますかが、これをすぐに過大に解釈して殺人未遂だとするならば、どんな事故や過失も殺人未遂に解釈できてしまいます。
悪いことは悪いのです。
それは間違いない。
しかし殺人未遂ではないかという社会的制裁はどうなんでしょ?
国民を委縮させてしまいますね。
【2020年】ツイッターつぶやき
Aさんは1万円稼ぐのに10時間働かなくてはならない。
Bさんは1万円稼ぐのに1時間働かねばならない。
しかし商品市場でAさんもBさんも同じ1万円の価格のものを買うとすると、1万円という貨幣は1万円でその価値は同じです。
Aさんの生活レベルからすれば1万円の商品はすごく高価なものとあります。ですから1万円の使用価値は高いと見ることができるでしょう。
一方Bさんはその生活レベルからすれば1万円の商品はそうは高くないように見えるでしょう。ですから1万円の使用価値が低いということになります。
格差が生じますね。
でも、AさんもBさんも労働をして得た貨幣ですのでまだいいのですが、不労所得者や企業の経営者として人の労働により上前をはねたような階層の人がBさんのさらに10倍も所得を得たとすると、この階層の人の1万円という貨幣の使用価値はさらに下がるでしょう。
1万円札の使用価値は無に等しい。
この1万円札の使用価値の差が所持ることによって格差が生じる。
この1万円札という貨幣の価値は同じである中で1万円という商品は様々な人と接する。
Aさんのような1万円札の使用価値が高い所得層が圧倒的に多くなれば、その商品の消費は極端に減少しますね。
不況となります。
富裕層は1万円の商品には無頓着に接しますが、現実社会はその1万円の商品の消費が減ります。
最終消費は大衆が消費することになりますから、数百億円あるいは1兆円単位で動く企業や国家のデフレ不況感がすごいことになります。
【2021年】ツイッターつぶやき
毎年年2回ほど目を患う。
ワクチンの副作用として人間が持つ免疫を破壊するというものが見受けられる。
いよいよこの眼病も治らなくなるのかと心配をして目薬を差しています。
今のところ目薬で症状は改善しています。
でも、完治してから目薬をやめたらまた症状が出るのか。。。。。
ワクチンの3回目が言われはじめています。2月に医療従事者から接種がはじまりましたが今年中に3回目を行うそうです。ずっとワクチンを打ち続けるのでしょうか?
ワクチン接種率が50%を超え始めていると思いますが、感染拡大が止まりません。非接種者の感染だといわれていますが、イスラエルやアメリカでは接種した人の感染も広がっているようです。
3回目はやめよう・・・・・
東京の新規感染者も5500人を超えました。
5月末にはピークアウトという楽観論を言う人もいますが、このままなら来週には5000人を超えた数字が出て車も知れません。
全国も2万5千人を超えました。
こうした実態は、去年ならばどこかの国の話でしたが今は日本の現実になりました。
この新規感染者数の数字だけではなくて医療崩壊の現実もどこかほかの国の話が日本で起こっています。
ベッド数はあっても医療従事者が足りない。要人のために残しているのかと下司の勘繰りも出てしまいます。庶民が入院できるベッド数というのは公表されているベッド数より少ないのでしょうね。
テレビでもネットでも自宅療養の実態が見えています。
千葉県で妊婦さんが体調が悪くなっても入院できず自宅で出産したが赤ちゃんはなくなってしまった。
衝撃的なニュースです。コロナ下でもマニュアルどおり。。。。。
感染し悪化をした妊婦を受け入れる病院はないのでしょう。
この衝撃的なニュースは自宅療養者の実態のほんの一部が報道されているにすぎない。
現在は家庭内感染が一番のリスクになっています。たしかに家族の誰かが感染した場所は飲食店かもしれないしどこか別の場所かもしれませんが、すぐに家庭内感染として家族が感染をする。芸能人が感染したときに家庭内でどのような対策をしたかというものあ去年から報道されていましたが、豪邸に住んでいる人と一般人の狭い居住空間は違います。だから隔離が必要なのですが、その場所がない。
どこか外国の医療崩壊の話のようですね。でも日本がその現実の中にある。
【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 検事総長。」が更新されました。
今回は映画のお話なので僕はちんぷんかんぷん。
それでも「モンテ・クリスト伯」の極悪非道のジェラール・ド・ヴィルフォール検事総長がつくるパラパラチャーハンと、「人間失格」というアロマスプレーには興味津々。。。。。
うん、外国の俳優がパラパラチャーハンを作るわけでもないので日本製翻案ドラマその役をした俳優さんがつくるチャーハンなんでしょうね。本格パラパラチャーハンと川上さんのべとべとチャーハン。和製翻案とそのまた和製翻案。
人間失格のアロマスプレーも太宰の和製翻案。。。。
極悪非道の検事総長と「人間失格」のアロマスプレー。。。。
ハードボイルドですなぁ。。。。和製翻案の
【2023年】ツイッターつぶやき
ツイッターを見ていたら、一部報道で、アメリカがウクライナの一部を割譲し、ウクライナにNATO加盟を認めさせることにより停戦を行うということらしい。ウクライナの政府首脳は、最後まで戦うと。
ウクライナを使ったロシアへの武力介入の失敗だろうか?
しかし、多くの犠牲を出した中での停戦がウクライナをNATOに加盟させるというアメリカとNATO諸国の利益の為の終戦となる。ウクライナ国民はこれが自分たちの位置づけだったし、武器や資金の供与はアメリカの利益の為だったことを知るでしょう。ウクライナの穀物はアメリカとその同盟国に奪われる。
戦争は金で動く。ウクライナの中でも戦争で利益を受けている階層があるでしょう。
ウクライナ内のネオナチといわれている兵士や国民はどう判断するのだろうか?
アメリカは中東においても過激派組織を支援して内政を混乱させたが、同時にその後はその過激派組織をテロと位置付けて戦争を行った。ウクライナも同じ道を歩むのか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます