夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月18日という日」

2024年08月18日 08時35分58秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
やっと雨があがりました。蒸し暑くもなってきました。
蝉時雨・・・・久しぶり!
北村薫の「リセット」を読み終わりました。近いうちに読書ページに感想を書きたいと思います。
最近はほとんど銀色夏生の本を読んでいます。他の作家の本は寝る前のリラックスタイムに読んでいます。
駅の近くにトンカツやさんがあるのですが、そこの持ち帰り弁当がうまいです。煮物も自分で作っていて濃いめに味がしみた大根は最高です。値段も手頃ですし良心的にやっているお店で、時々仕事で夜遅くなるとここでビールを飲みながら定食を食べています。夕螺御用達の店です。

【2004年】
残暑厳しいです。
香川県の水害は大変ですね。お見舞い申しあげます。
今年は集中豪雨の多い年でした。
東京は真夏に戻り35度ほどの気温。さすがにこたえます。

【2005年】
駅の自動改札を出たら、大きな怒鳴り声が聞こえた。
「なんだろ?」と思ってみたら、中年のおやじが駅員さんを怒鳴っていた。何が怒りを呼んだのか知らないが、尋常などなり声ではない。今まで生きてきた中で、こんなに怒鳴らなければならないようなことは駅を利用していてなかった。とすると、このおやじはそうはたいしたことでないことで怒鳴っているのかもしれない。
今の世の中、働いている人は大切にされずに金の関係でその上下関係が成り立つ世の中である。「客だから。。。。」これが対人関係になると上下関係が生まれる。
また、いろいろな犯罪が弱者を犠牲にしているが、これも力の上下関係である。
弱い立場に立ったり、弱いところを見せたらそこに付け込んで来る人がいる。。。。。
これが競争社会の究極の現象である。
たしかに能力のある人達や力のある人々がこの社会を動かすのだが、これが弱者や弱い立場にある人々に付け込むようになったら世は末である。

【2006年】
夏の日差しが戻りました。
昨日まではすごい蒸し暑さでした。晴れていると思ったら急に黒い雲が来て大粒の雨。15分ほどでやんだらさっと日差しがでて見る見る間にアスファルトの上の雨が蒸発。湿度の高さに耐えられませんでした。
こんな雨が2,3回ほど降って、その度に洗濯物を干したり取り込んだり。。。。。
気まぐれな人に惑わされたような気持ちでした。

【2007年】
今、「ラスト侍」を見ていました。まさに最後の戦場面。
この映画を見ながら思い出した本があったのでブログに書いて見ました。
こちら
昨夜から東京は涼しくなりました。寝るときもクーラーはいりません。
昼間もここのところ異常な暑さから比べると9度も下がったことになり、室温は28度でしたがそれでも涼しく感じられました。また来週には暑くなりそうですが。。。。
涼しくて過ごしやすいと思う反面夏の終わりに向かって行く寂しさもあります。
千葉県沖の地震は続いています。
なんだか日本列島全体の地殻に変動が出ているのでしょうか?怖いが逃げるというわけにも行かず。ナマズが静まってくれることを祈るしかない。
地震予知はなかなか進みませんが、地震が来る10秒前だったか、それは知らせる設備が出来たようですが、さてこの10秒のうちに何をするか?僕などはおろおろするばかりかもしれない。火を消すとか、逃げるルートを作る意味でドアを開けるとか、イメージトレーニングが必要ですね。でも、我が家にはこのような設備はまだないが。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
13日に「煙草を吸っているだけで?」というのを書いたが

まずは喫煙者の臓器は汚染しているから使うな

と、言ってほしい

煙草を吸っているだけで肺がん検診の

公費負担をやめよ。。。。。。

こういう医療関係の状態で

臓器移植法「改正」は怖い
          (Am7:47)

鉢植えに水をあげました

うん?ハハハハ・・・・

ゴーヤの赤ちゃんが♪

小さな小さなゴーヤの実

生意気にもごつごつした実
          (Am9:25)

今思いついたのですが

「ベビーリーフ」とか「ブロッコーリスプラウト」とか

少し生長したものをサラダにというのがある

ゴーヤの一口大は食えないのかな?

「ベビーゴーヤ」

サラダや少し茹でて胡麻和えとか。。。。。

ゴーヤはたくさん実をつけるからできそうだが?
             (Am9:59)

昼飯を買いに行ってきた

やたらと近所のおばちゃんに会う

そのたびに汗でテカった顔で

「暑いねぇ~、暑いねぇ~」

色白の日傘美人に出会えば

汗もひくのだが。。。。

・・・・・・・・・

しつれい・・・・どもども(笑)
        (Am11:08)

先日クラゲの入った冷やし中華を食べ、クラゲのおいしさを久しぶりに感じました。
きのうスーパーに行ったら塩漬けされたものではなくすぐに食べられるクラゲがあったので買いました。
うん、クラゲだけでは淋しいなぁと思い。。。。おいしそうなイカそうめんもありましたからクラゲと以下そうめんをあえて見ました。
味付けは。。。。。
麺汁・おろし生姜・砂糖少し・酢・ごま油。。。。ラー油をお好みで。
食べる前のタレをかけます。
さっぱりした食感でおいしかったです。イカをのどに引っ掛けないようにくれぐれもご注意ください。クラゲがなかなか噛み切れなく、そこにいかがはいるわけですから少々食いにくさがありました。
あとで気付いたのですが、キュウリの千切りを入れるともっとおいしいと思います。

臓器移植してもらうにはどのくらい金が必要なのかな?
貧しさにあきらめることはないかな?
がんの治療だってすごい金がかかるらしい。。。。
こう考えると医療が発展するのは良いがその医療のサービスを受けるにはかねが必要で、金があるかないかでその高度医療も、そのひとつである臓器移植も受けられるかは決まってくる?
移植しなければ治らない病気のときに家族のことを考えれば移植などできないと考えたりすることはないかな。。。。
臓器の売買は禁止されているが、、、、、、
まったく心配はないのかな?こういう危険性も考えられるからこそ臓器移植法関連や人の死をどこに置くかなど慎重な討議がされているのだろう。
僕は家族に遺言しておく。。。。。
僕の臓器は煙草で汚染されているし、煙草に敵意すら持つ人にあげたくない。まししてや金で売ったりはしないで。。。。。
こういうこと書く事が嫌だなぁ。。。。。。
僕がひねくれているのかと思う。でも何か信じられない世の中になっているから人の善意を他の人がその善意をありがたくいただくという当たり前のことである善意を利用されるような世の中になってきているような気がする。

建前で議論、実行は本音。。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
注文をしていた銀色夏生著「増補新版 黄昏国」(河出書房新社)が届きました。
旧版は1985年(昭和60年)に初版が出版をされています。
今、この河出書房新社から出版された初期の作品が増補新版として発売中で、すでに絵本「サリサリくん」が出ています。
旧版を2008年に読み直した時の僕の感想です。

「銀色夏生さん25歳。
この作品は、多くのイラストを挿み、詩をはじめ短い物語が書かれています。銀色夏生さんは多くの作品にイラストを挿入していますし、そのイラストの世界も読者にとっては興味深いものとなっていますし、翌年発売になる「これもすべて同じ一日」では、写真を挿入した詩やエッセイの本が発行されます。このイラストや写真を入れた詩の世界は銀色夏生さんの独特な世界で、特に「写真詩集」というものは銀色夏生さんの作品としては切っても切れないような世界となります。文中のイラストは後の日記エッセイ「つれづれノート」シリーズの作品に欠かせないものですし、写真は一時勉強されていたようでやはり独特な動きのある世界をつくっています。
短い物語は、やはり翌年発行される「サリサリ君」という絵本の世界ともつながりますし、「イサクのジョーク」という小説ともつながっていくと思います。特に「四コママンガ」や子豚シリーズに近いものがあるかもしれません。後に当時中学生だった丘紫真離さんの「黄色い卵は誰のもの」という本の帯に推薦文を書いていますが、どこかあどけなさのあるような絵本のような物語は「黄昏国」の特徴で銀色夏生さんの世界です。
このような意味において「いろいろな部分の予兆」がこの作品に出ているということでしょうか?
「無辺世界」のおはなしは、今、見ても、ふるえるほど感心します。(河出書房新社発行の「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」「月夜にひろった月」-夕螺注)以上の4冊は、私のごく内面の世界をあらわしていて、私の人生の中でも、特別な空間を形づくっています。とても、ありがたい宝です。」
 (「つれづれノート」160ページ)
銀色夏生さんの詩は恋の詩というイメージが強いですし実際恋の詩が多くあります。しかしこの恋の詩の中には恋にあこがれるというような単なる恋の甘さがただようような詩ではなく、日常のさまざまな雑多の中に生きる一人の女性が見えます。その心の世界です。「黄昏国」も恋の詩がありますがひとつの精神世界があり「ごく内面の世界」「特別な空間」がより色濃く出ています。この意味において銀色夏生の世界を知る貴重な作品ではないかと思います。
「黄昏国」は、
「君がそこに そしてどこかで
 それより君が
 いつかたしかにいたってことを
 僕は知っている」
というプロローグの詩からはじまります。
ながいながい時間の流れの中で一瞬の時間を受け取って僕は生きている。片隅で。。。。
でも生きていることはたしかで生きていたこともたしか。。。。
こんな僕がここにいる、どこかにいたんだよねと見つめてくれて励ましてくれるような詩です。
人は孤独に生きている。そんな孤独を見つめてくれる夏生さんの詩です。
そしてエピローグともいえる言葉が
「だれでもいちどは
 しぬんだよ」
「ワッペンをあげるから」
「また会おうね」
というものだと思います。
「ワッペンをあげるから」という言葉のページには「SILVER SUMER BORN」(銀色夏生)と書かれた夏生さんのお顔?のワッペンのイラストがあります。その顔は、驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と。この複雑な顔のワッペンのイラストに「黄昏国」という作品から受け取るものがあるのではないかと思います。夏生さんは「銀色夏生の視点」で、ご自身の気持ちの中にあるものは「悲しみ」であると語っていましたが、それは孤独というものの中にあるのではないでしょうか?
「無辺世界」の中には、「私が神様です」と、なんだか情けないような貧乏神のような神様のイラストがあります。「黄昏国」にもなんとなくちんまりとした神様が描かれていますが。これもまた夏生さんの人生観を表しているのかと思います。
神は人に完全なものを与えなかった。人が互いに容姿を見ることができるような互いに互いの心を見る能力は与えなかった。ここに人の心は孤独と悲しみの中に置かれる。心が互いにすれ違いながら孤独に生きている中に社会は目に見えるものとして存在する。だからこの社会に生きている人はワッペンの顔にある驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と笑ってしまうような中に生きていく。「黄昏国」は、夏生さんらしい透明な孤独と悲しみとして描かれる。
「黄昏国」にも多くの恋の詩があります。
「あの時 君がボクにあたえたと思ってるものを
 あの時 実はボクは 受けとらなかったんだ」
ここに男女間の心のすれ違いがあります。
互いに心を確かめられない悲しみ。。。。。
しかしこれは恋ばかりではなく、日々生活をしている中での人と人との中に常にあるすれ違いでもあります。時には広い宇宙空間に一人漂うような孤独と悲しみにとらわれる。
しかし情けないような神がこんな人を創ったことに孤独や悲しみがあると同時に、その孤独と悲しみの中にいるからこそ喜びもあります。
「鳥の声 聞けば 驚いたようにさがしあい
 花の色 みれば ああ それとばかり教えあう」
「えり分けなれた私の手が 水面を指さし
 ならべ上手なあなたが視線を添える」
孤独の中にある互いの心がふと重なり合う瞬間の喜び。
恋ばかりではなく、人の持つ喜怒哀楽は心という孤独の中に沸き立ちまっす。
「11時のかねが鳴る
 青くるしい丘の上から
 世界中へ それは伝わり
 サイロの少年は 働く手を休める」
一つのものに触れたとき、人は互いに結び付けられ平安な心を持つ。それは孤独と悲しみを一時的であっても癒してくれる。
人は孤独と悲しみの中にいるから人の心を求め合う。すれ違った心のワッペンのような顔をしながらそれを繰り返しているのでしょう。
それを夏生さんは読者に問いかけるのかもしれません。
「僕は 鈴を鳴らす ならす
 僕は 鈴を鳴らす ならす
 その音は それを それとわかる人に
 どうしても聞こえてしまう」
驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と、常に鈴を鳴らし続ける。そしてその鈴の音が聞こえたら夏生さんからワッペンをもらえるのでしょう。すべての人が心のつながりができるとするのは空想かもしれませんが、いつかこの鈴の音を聞いてくださいと鳴らすことができるのは現実です。
夏生さんの世界は、恋の甘ったるい世界でも、人を美しいものと描くような世界ではありません。人のもつさまざまな心の奥底にあるものを見つめます。その中に「生きるって?」を鈴の音のように鳴らし続けます。 」

この旧版と今回の増補新版の違うところを書いておきます。
・まずカバーや表紙のデザインが変わりました。
・ページのところどころの文字やイラストの色が茶系になっています。
中身は以上のように変わりありませんでした。復刻ですね。
しかし、今回の版では、最後の「また会おうね」の後に「黄昏から夜明けまで」と題された小さな詩集のような詩が載せられています。一緒にできることをやっていこう。。。。

2012年ツイッターつぶやき
朝日新聞1面に「日中韓 対立の悪循環」という見出しの記事があった。
この悪循環とはなんでしょうか?
中国や韓国では、この終戦記念日(中国や韓国は違う位置づけ)を挟んで毎年同じ反日行動が広まる。日本でも昔からある中国や韓国への蔑視や差別的なものがなくならない。
政治家も国内を意識すればたがいに「反」を口にするようになる。あるいは意識の中で。
根強い悪循環がずっと続いている。
互いに国家だからその威信や誇りがあり、経済的なエゴの中から対立も生まれるが、これが前面に出されれば出されるほどこの悪循環は深まるだろう。深まっていってもそこから何も解決は生まれないことは知っているはずで、最後は軍事力となる。
ここには東アジアの、それはアジア全体の発展を考える中ではマイナス要因ばかりだろう。アジア地域はより発展する様相を持っているが、自由や民主主義という政治的な発展が遅れている。そこには日本も含まれるだろう。互いに発展するにはどのような形での領土問題の解決が望ましいのかという互いの意見交換がなされない。
このような中で、どうだろうか?六カ国会議を北朝鮮問題に限ることなく、東アジアの安定と発展を協議する発展させた場としたら。。。。その中に北朝鮮問題もあれば領土問題も議論され、解決の方向性を有効の中から導く糸口になるのではないか。

【2013年】ツイッターつぶやき
今夜は冷汁です。
少し濃いめ(出汁も)の味噌汁を作りボールに移して水で粗熱を取ります。
豆腐はクッキングペーパーなどで水分をきっておきます。
アジの干物は焼いて冷ましておきます。
炊き上がったご飯は常温に冷ましておきます。
あとはきゅうりのスライス、オクラのスライス、茗荷のみじん切り、長ネギのみじん切りを用意しておきます。
味噌汁が冷めたら上記の野菜を入れてアジの干物と豆腐はほぐして入れます。
そこにすったしょうがとすりごまを入れてよくかき回して冷蔵庫でよく冷やします。
オクラの名張が出てとろみがつきますので嫌いな方は入れない方がいいと思います。
あくまでも我が家流の味ですから本場の冷汁とは違いがあるかと思いますのであくまでもご参考程度に

小泉政権を引き継いで第一次安倍内閣ができましたが、その後小泉政権時の矛盾が噴出して民主党政権に移行した。この失敗を時々日銀の金融政策の誤りからだと日銀責任論といったものがありましたが、今回の安倍政権が消費増税を行ってアベノミクスが失敗に終わったとしても(消費増税を行えばせっかくの景気改善も消えてしまうといった論理)それを消費増税の責任にしてはいけないと思う。
やはり小泉政権と今の安倍政権は似ていて、景気が上昇したという判断の裏側に勤労国民の生活の不安定さが増大し、それが経済・生活の格差の拡大になっていくという矛盾をはらんでいるわけで、それが景気の上昇と言われる景気そのものの足を引っ張る構造があるというわけです。消費増税を行えばなおさらですが、行わなくてもその矛盾は経済にも現れてくるでしょう。
社会全体のパイが大きくなっているときのある程度の格差の広がりは、勤労国民にも少しは景気回復の恩恵は回りますが、パイが小さくなる中での格差拡大は国民犠牲となる。そうすると大衆消費財の消費は減少します。それはデフレ圧力となるでしょう。円安での悪性の物価高はあり得ますが、本来の経済活動の活発化からのインフレ傾向は起きずにデフレ傾向となる。悪性の物価高がそれを促進する。ですから消費増税がなくても消費から見た経済もそうはうまくいかなくなるでしょう。
そうすると日銀の量的緩和がさらに続く。貨幣量が少ないからデフレ傾向ではないのに。貨幣の回転が悪くなる中でのデフレなのに。

【2014年】ツイッターつぶやき
僕が見ている範囲ですが、ツイッターなどを見ていると社会的な地位のある方々の慰安婦問題に関しての朝日新聞攻撃はいわゆるネトウヨ的範疇を出ないものに見える。国会に呼ぶ、廃刊すべきなどのような謝罪しろ。。。。。論理。慰安婦問題の根本にある議論抜きの批判のための批判。情緒的訴えに終わっている。戦前の日本のイメージづくりもまた情緒的である。
こういったものが安倍政権が目指す政治面での戦後レジームからの脱却を”応援”しているのでしょう。
もちろん安倍総理自身が多くの外遊の中で発言しているものも情緒的公約では?
情緒的なものは国民に「期待」を持たせたり表面的な自信や誇りも持たせるのですが、しかしそれはやはり情緒的範疇を出ない。
情緒的な”応援”が愛国心とすり替わっていく。
情緒的”応援”は言葉だけでどうにもなるものですから大きな強い声を出せばその範疇世界では勝ちであり尊敬をされる。こうして日本像というものが現実から乖離をしていく。
それが政策一般から経済にも及んでいく。

つづく

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
肺癌をはじめその他の癌に罹病する原因や様々な疾患の原因を一度煙草から切り離して研究されるべきです。なぜなら喫煙者も非喫煙者もその原因に日夜さらされているのですから。非喫煙者の方も最近の分煙で煙草の匂いをそうは感じない中健康の自信は増加しているのでしょうか?体調の悪い時煙草を連想?
肺がん=煙草というものが様々な角度から宣伝されて常識化しています。しかし一度この常識から離れることが必要になることはほかのことでもたくさんあるのではないかと思います。
「会社あっての労働者」は常識としてあります。しかしこの常識から一時離れてみると、労働者が働かなければ、あるいは人手不足になれば、会社は存続できないのです。するとここでこれまでの常識を180度変えた「労働者あっての会社」という常識が見えてきます。
「国家あっての国民」という常識も同じですね。「国民あっての国家」が常識なんです。国家あっての自分があるとみると国家に滅私奉公しなくてはいけない。しかし国家は自分が求めるものに変えていくなら、国家は国民が統治するものという常識が当たり前に見えてくるでしょう。
「選挙結果による数の力=民主主義」という常識の中に国民はいますが、民主祝儀が機能しないから数の力が常識化しているのです。決められない政治が問題となったことがありますが、これは数の力が拮抗していたからではなくて、政治家や政治自体に討議して決めるという民主主義が蔑ろになっていたのです
いじょうのように、たぶん、皆さんが常識と思い込んでいることをもう一で別の視点から見直すと違った世界が見えてくるのではないでしょうか。停滞した日本社会。この日本の未来は新しい常識の視点からしか生まれません。でも歴史を逆回転させることは新しい視点ではないです。発展させなければならない

【2018年】ツイッターつぶやき
毎年なら残暑厳しい季節で夏が好きな僕でも少々ばて気味になるのですが、今年は楽です。
7月が暑すぎましたから今30度ぐらいの気温なら涼しく感じます。
また、今年は秋の深まりが早いのでしょうか?
風も涼しいし夜の風は心地よいです。
蝉も鳴かなくなりました。

【2019年】ツイッターつぶやき
梅干を切らせてしまい今日買ってきました。
スーパーにはたくさんの種類が並んでいますが、塩分が高くて酸っぱい梅干しというのはほんのわずかしかありません。今日も探していたら一番上の棚の隅にありました。他の梅干しは塩分が5%とかせいぜい10%のものばかりでした。そのうえ鰹節入りとかハチミツ入りが多かったです。
塩分が20%以上で酸っぱくなければ梅干しではない!うん。。。。。
それでも昔のように塩の結晶が浮き出た梅干しは皆無ですなぁ。。。。。
かじると塩の結晶がじゃりっとする梅干し。
もう、10年以上前だったか、千葉県の道の駅でこのじゃりっとした梅干しを発見。たしかおばあちゃんの古漬けとか言っていたかな?小ぶりの梅干したがうまかったです。せっかく発見した梅干しですからたくさん書こう買おうとしたら妻に怒られてしまい3パックぐらい買ってきました。1カ月ぐらいするとなくなってしまい、結局車を飛ばしてあの道の駅へ。
3回ぐらい行ったかな?するとある日なくなってしまいました。もうおばあちゃんの甕にもなくなったようでした。
それ以来じゃりっとした梅干しには巡り合っていない。
和歌山に旅行に行った時も塩分のきつい梅干しは在りましたが、じゃりっとした梅干しは見当たりませんでした。観光地の土産屋ですから東京のスーパーと変わりないのでしょうね。
ドライブなどで道の駅に行くと味噌と梅干をチェックしますが、昔ながらの味噌はありますが、梅干しはない。。。。
死ぬまでにもう一度じゃりっとした梅干しを食ってみたい。。。。
毎日厳しい残暑が続いています。
梅干をかじって水分補給!!
最近は塩飴やら塩分の入ったジュースとかありますが、やはり塩分補給には梅干しです。昔からあ梅干しの塩は体に良いとお袋が言っていました。クエン酸とか梅の成分が解けた塩分になっているのかも?
秋分まであと一カ月残暑に負けず頑張りましょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
(以下ツイッターから)
敵が攻めてきたらどうするんだと若い人に突きつけたら右翼的な青年を作り出しているようなものです。
左翼にしても中途半端な観念的青年は敵が攻めてきたら戦うとなる。
どちらにしても戦争を肯定することになるでしょう。
敵が攻めてきたら。。。。。
これが真の右翼の挑発です。
左翼は敵が攻めてきたらどうするかを考える前に攻めてこない条件そしてもちろん日本が攻め込まない条件を作り出す過程を大切にする。この過程の中に日本の平和と平和主義が育っていくと考える。それが9条を守ることです。
戦後すぐに日米安保から警察予備隊が結成されて行くが、その後も自衛隊が結成され自民党の軍事的アメリカ追随が大きくなっていた。このなかで社会党を中心に労働組合や市民団体の結束によりどうにか75年もの間日本は戦争をしなかった。
敵が攻めてきたらではなくて戦争をしない国を目指した実践です
社会を深化させるのは、敵が攻めてきたらどうするという観念論ではなくて、攻めてくる国をつくらず、攻めていく国をつくらない実践という唯物論です。
敵が攻めてきたらどうするということを口にする政治家や有識者やマスコミなどの観念論者(扇動家)を否定せねばなりません。

【2021年】ツイッターつぶやき
酸素ステーション、やっと少しは重い腰が上がったのかもしれません。
もちろん入院ができない人の一時的な酸素吸入の場所です。
この酸素ステーションでベッド待ちをするわけですが、自宅療養よりはましかもしれません。
近くに医療従事者もいるわけですし。
しかしこの酸素を作る機械自体が足りなくなるのではないかと言われています。
テレビで自宅療養者の実態が映し出されていましたが、両親がほとんど身動きできないほどの肺炎を起こし、子供たちが一緒に暮らしている。東京ではこのような家庭で妻がなくなったというニュースもありました。
酸素ステーションも間に合わせのものです。もう少し医療が受けられるような本格的な臨時病棟が必要でしょう。
同時に検査体制の拡大が必要です。陽性者を多く見つけねば市中感染もさらに広がる一方です。

【2022年】ツイッターつぶやき
お盆休みも終わりました。
大都市圏は仕事の関係や繁華街での遊びで人が集まりますが、お盆休みのような一斉に休暇で人の移動がある場合は地方に都市部の人たちが分散して集まります。
今日、全国の新規感染者数が25万人を超えて過去最高になったそうです。
1週間から10日の間に人が動いたのですからそろそろ感染の広がりが出てもおかしくありません。もちろん今後1,2週間のうちに地方の方でクラスターが発生しないなら良いのですが、本来はピークアウトが起きても不思議でない時期ですから今後どうなるか。
尾身さんが全数把握はしないと言いだし急いでいますが、社会的な規制をしない、風やインフルエンザと同じだと言いだしているし、感染状況は闇の中に。感染状況が闇の中にとなれば死亡者数も把握できなくなるでしょう。
国民は効果のないワクチン漬けにさらされる。

【2023年】ツイッターつぶやき
トランプ前大統領がドル安により「米国は地獄に陥るだろう」と語ったそうです。
だいぶ前からアメリカの高速道路の整備が悪いという報道がありましたが、このようなことが様々な面で出ているようです。アメリカ経済も含めてインフラや国民生活を見れば途上国のような状態だと。
アメリカ経済は激しいインフレに陥っていますから本来ならばドルは下落するはずです。しかしそれでもドルは基軸通貨ですから買いが入りドルの価値は下がりません。ある意味、基軸通貨だからと言うのは為替ではイカサマのようなものです。しかし中国への制裁により中国もアメリカ国債を売りながら元による貿易取引を増加させています。ロシアも制裁を受けてドルによる貿易はできない。しかしロシア経済はそうは落ち込んでいない。ルーブルや元を使っているのでしょう。途上国内でも自国通貨による貿易も行われはじめています。
このままドル離れがはじまれば、というよりも価値低下を起こしているドルを避けるようになれば、ドルやに動くこともあり得ますし、それはメリカ経済に大きなダメージとなるでしょう。

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