気持ち悪いと言いながらちょぼちょぼ読んでいる
高校生の時にはわからなかったことがいろいろわかって
面白い
私の高校時代は60年安保闘争の時代で
高校の社会科学研究会みたいなサークルにいた人たちは
社会問題に関心が深く
安保闘争のデモにはいかないようにというような話が朝礼であった
すぐそばの大学で
かなり激しい学生運動が盛んにおこなわれていたし
実際私の高校の生徒もデモを「見学」になんか行ったりしていて
社会的なものの考え方という場が脳味噌になかった私はきょとんとしていたものだ
で
樺さんなどが亡くなったりして かなりショックだったりはした
で
もう少し後 絵の研究所の友達が佐世保の原潜に抗議のために
長﨑に行ったのにはびっくりした
私の頭はそういうことを考えることができなかった
中学の時理科の先生がこれからの科学の発展のために
選ばれて東海の原子力発電所の建設のために
研究のために転勤していったときも
これが 65年後 こういう事態になるとは思いもよらなかった
ドストエフスキーはヨーロッパに社会主義の嵐が吹き荒れる時代で
貧しい人々にかかわる医療に携わっていたお父さんが
自分の領地の農奴に殺された
そういう育ちだったのね
で若いときはペトラシャフスキーの空想的社会主義の学習会に参加していて
逮捕されて銃殺刑になるところ危機一髪恩赦でシベリアに流刑になり
帰ってきてからは当時の暴力革命思想にはアンチの立場だった
このころの貴族階級も含めて西欧からなだれ込んできた
社会主義思想 唯物論などへの雪崩を打つような傾向にどういう考え方だったかというのは
よくわかる小説だ
日本人の私は連合赤軍の事件など思い出す
悪霊はそういう革命組織の内ゲバ事件が種の本だから
なんか連想する
連合赤軍の事件の記録も読むと気持ち悪い。
ロシアではその後社会主義革命は成し遂げられるものなあ
それって
思っているような労働者階級の勝利なんてものでもなかったのだろうなあ
そうだったかもしれないなあ
それはさておいて
人は
自分の拠って立つ思想 これは難しいけれど
さまざまなものの影響を受けながら考えていくのだろうけれど
究極のところ 人間は頑固に自分自身であろうとするから
それははた目には えらく粘着的に見える
ドストエフスキーのツルゲーネフへの姿勢
ポーランドへの姿勢 気持ち悪いものがある
こういうのが今の世でも
早川先生のしつこさにもあるし
信じられないほど嘘をまくし立てる 某アンチ早川の青年にもある
こういうの
人間の宿命かもしれない
などと読んでいる
バルバラのミュルジュール(ら・ボエームも話の元の作者)に対しても似たところがある