goo blog サービス終了のお知らせ 

Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

36th Movement 「上を見よう、星を見よう」

2009-11-02 00:31:27 | SWEET SWEET SUITE

【「(前略)とりあえず、上を見ておこうかなって」
 「上?」
 「ホラ、横を見ると誰かに嫉妬して 自分も欲しくなるだろう?
  下を見ると、今の自分で助けてあげられる人が居て
  彼らに必要とされてりゃ気持ちはいいけど
  もし、自分より弱い者がいなかったら・・て思う
  その時、自分は何をやるんだろうって
  だから、上を向いている自分を確保しておこうと思ってね」】

【「ねえ、『401』じゃ、AIに失礼なんじゃない?」
 「・・・?」
 「エドモンドが言ってたよね。
  『上を見て進め。横を見たり下を見てたら 嫉妬したり脅えたりするから』って
  上を見る者 その上にある星を見る者―『スターゲイザー』」】

(OVA「機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER」より)

一つ目の会話は、前述OVA内で、ヒロインの「セレーネ・マクグリフ」と、「エドモンド・デュクロ」の会話。元軍人のエドモンドが天下りして深宇宙探査開発機構=DSSDになぜ入ったのかをセレーネが問いた際に彼が答えとして語った言葉。
二つ目の会話は、惑星探査のためのガンダム・型式番号「GSX-401FW」の稼動テストの際、同じくDSSD技術員の「ソル・リューネ・ランジュ」が、セレーネに語りかける言葉である。

世の中、上を見ればきりがなく、下を見てもきりがない、とはよく言われることだ。
過去を見れば、戦後の日本から昭和が終わり平成へと進み、豊かな国になって(という言葉で片付けていいのかわからないが)、常に「より豊かに、より大きく」と高く目標を持ち、望みの器が拡大していった。
だが周りを見れば、戦乱や貧困なども実際にある。飢餓にさらされていたり、治安が劣悪な国もある。
しかし、家族や住んでいる人はどうだろう。テレビで見るだけで、実際に会ったことはないのでわからないが、多少物がない貧困国でも、安全に安心して暮らしているならば、美しい顔をしている人は本当に多い。


かのヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは言った。
【望みをもちましょう。 でも望みは多すぎてはいけません】

最初からあまりに高い望みをもち過ぎるから不満、不安、その他が大きくなってしまう。
融通無碍な生き方を自分のものにするには―。

とある書籍からの引用であるが、
「そうあって欲しい100パーセントの世界から少し引いた60パーセントや80パーセントで生きていこう。『足りない』という焦燥感や不満がなくなり、ゆとりや柔軟性を生まれてくる」
と記されていた。

【「山本さん、280km/hまでだって それ以上は保証できない、無理だって」
「フフフ それがヤツらしいところヨ
600馬力出せるEg(エンジン)なら500までにしておく
300km/hで走れるなら280km/hでやめておく
腹八分目 身の程を知る やりすぎない ・・だから」
「だから・・?」
「ヤツの客は誰一人死んでいない コイツは立派なことだぜ なかなかできるコトじゃねえ」】

(アニメ「湾岸ミッドナイト・ACT.10」より 秋川レイナと北見淳の会話)

誰も乗りこなせないパワーを車に与えるため、「地獄のチューナー」と呼ばれ、客が廃れ廃業になってしまった北見とは対照的に、チューニングカーは一切断っている山本和彦が唯一面倒を見ているレイナのチューンドGT-R。彼女のGT-Rをはじめ、山本の経営するショップのクルマは、カネさえあればなんでもやるショップとは一線を画しており、安全性を重視した誠実な職人肌の仕事。バランスが取れたリスクの少ない走りを追求し、過剰なパワーは意図的に押さえ込んでいく。
しかし、「誰一人死んでいない」という事実があって、工場は大きくなっていったのだ。


ここで私はとある反論が思い浮かんだ。
「60%や80%でOK ていう生き方では、大きな目標は達成できないんじゃないの?」
と。

上記書物から再び引用するが
「高度馴化」という言葉がある。
登山で、「最初から一番高い地点を目指そうものなら高山病にやられ、ひどい場合は生命にも関わる。本格的な登攀を目指す人も、低いところから徐々に高いところへと高度馴化をして体をならしながら頂上を目指していく。人生も高山を登るごとし、だ」
その上で「60%のところで満足していれば、やがて自然にその少し上に登りたくなる。そうなったときに少し高度を上げるのは、無理でも危険でもない」
と述べられているのである。

成る程、高度馴化をしながら次第にレベルアップを図ることが
「上を見て進め」ということなのかもしれない。
やや高等なテクニックかもしれないが、これからの私にとっては半ば使命。

ただ、私は、坂本九さんの歌う「上を向いて歩こう」の歌が一時期嫌いだった。
「涙がこぼれないように♪」
阪神淡路大震災のときも、瀬戸内寂聴さんが「笑いましょう笑いましょう」って言って回っていたのを思い出す。
それって「取り繕い」じゃないか!と思ったのである。
悲しいことがあったのに、泣かずにいられるか、笑ってなんかいられるか!と反論した。
取り繕うよりも、泣くときは思い切り泣いて、次の一歩にすればいいじゃないか!


今だから、正直に書き連ねよう。

平成20年10月から、私は3回職場を変わっている。それまで勤めていた、ヘルパーステーションの管理下にある、福祉有償運送の運行管理部は、客が少なくなり、事業はそのままに部署は閉鎖され、新たに大借金をして別事業に動き出したのを見た私は、「先がないかもしれない」と判断して自主退社。
次の重心身障害者施設も、仕事がなかなかスムーズにできず、看護師長に「解雇文書」を出され、形の上で自主退社。
3月から勤めだしたデイケアも、通院継続が発覚した後、理事長兼施設長に、「心身ともに健康でなければここの仕事は務まらない。これ以上黄身の面倒を見ることはできない」と言われ、自主退社だが事実上の解雇。
6月から勤めだした葬祭業も、些細なミスが続き、仕事が思うように体になじまず、試用期間終了とともに退職を余儀なくされた。
この一年間、まさに私は「試用期間だけで」生きてきた。


腕を組んで「少ない正社員の枠、経験豊富なデキるやつを採るからな―」という「雇ってやるんだからな」的な会社に「採用が決まりました」といわれるのではなく、
給料が安くても「ぜひ、来て下さい」と言ってくれる会社の方がいいだろう。
大きな組織の中で、やり方の統一感がなく人間関係なども含めもみくちゃにされるよりも、ちいさな会社でのびのびやったほうが自分にとっていいだろう―
ハローワークの数名の職員の方は、申し訳ないくらいに私の求職活動にとことん相談に乗ってくれた。


「お金があれば 世の中の悩みの8割はなくなるって 
お金があれば家も服も買えるし 嫌な仕事なんかしなくていいじゃん
確かにお金で買えないモノとかあるよね
生きがいとか夢とか友情・・・ なんかそういうの
でもそれって 8割の悩みがなくなった上でさらにあればいい
どこか霞みたいなもんでしょ」
(コミック「湾岸ミッドナイト」 Vol.25より」)

夢や理想は確かに追いかけることはとても大事だ。
長渕剛さんの歌『親知らず』 には
「銭はよォ 銭はよォ そりゃ欲しいけどよォ
なんぼ積んでも なんぼ積んでも 譲れねぇものがある」
という歌詞もある。
けれども、その一方で日々の生活費を稼がなくては。
二律背反の関係にある理想と現実を、なんとか、同時・並行的に継続することが、夢をかなえる手段なのだろう。


そして私は、新たな職に就いた。
小学校の教員免許を保持しない私だが、一番自然に、肩肘張らずにやりたかった仕事。
「学童保育の指導員」である。
夢をかなえよう、夢を持っていってほしい、というメッセージをお互いに持ち、共有できる仕事。
成功、失敗はどうあれ、新たな素材が用意されたのだ、と思った。
私も、教員免許という種は持っている。
だから、与えてくれた幸運でもなんでもなく、そのまま受け入れたい。
今なら「上を向いて歩こう」の本当の意味もわかる気がする。

高度馴化―

上を向いている自分を確保しておこう―
ずっと向き続けるんじゃない、部分確保でいいんだ―




最新の画像もっと見る