気が付けば10月も終わりに近づいた。
秋は短い、とよく言うがそれは本当に大当たりで、ついこの間は「涼しくなってきたね」という言葉が聞かれたかと思えば、最近は「夜肌寒いよね」になった。
「心の手帳」の中でも、「今週の~・・・」を綴るのは久しぶりになる。
それもそのはずで・・・
9月末、私は昨年の11月1日付けで入社した会社を辞めていた。
そこに至るまでには、並々ならぬ精神的苦痛を伴った。8月末以降はまさに「針の筵」。会社に出勤するだけでも心苦しかった。おそらくここに長くいたら、また体を壊してしまうだろう、いる場所もなくなってしまうだろう―そう思った。
さらに、海のものとも山のものともつかない事業が立ち上がったものの、諸事情から座礁に乗り上げたまま、私は毎日毎日「待つ」ということが仕事になった。
本来の業務も、気持ちよく行うことができなくなっていった。
「すべては私のせい」
誰がなんと言おうと私のせいなのだ。
私の予感は見事に的中し、私のいた部署は閉鎖となり、業務は直接の上司と事務長が引き継ぐことになった。
しかし、私がいなくなった途端に、顧客の数こそ少ないものの、その部署の業務は急ピッチで回り始め、引継ぎも、私が前任者から引き継いだときは丸二十日かかったのに対し、「上司だから大まかはわかっている」という条件を差し引いても、わずか半日で完了。
(実は手続き的にまだいろいろ問題があるのはここだけの話)
百歩譲って言うならば「体のいい厄介払いだナ」と思った。
でも、こればかりは仕方がない。
大学を卒業してすぐの頃の私とは違う―
すぐに気持ちを切り替え、もう一度考え直すべく、「私の軌跡を知る人」に相談した。
主治医の先生、私の就職相談に乗ってくれた若年職業安定所の臨床心理士さん、私の就職面接に対し、紹介状をたくさん発行してくれた窓口のスタッフの人、etc・・・
「行くか 止まるか」と。
今まで歩んできた道を・・・「医療・福祉の世界」を。
【行くか止まるか フツーの人間にゃ理解できやしねぇだろうが オレたちには結局この2つしかないんだな
行くと決めた以上 とことん行くだけだ
失いたくない 守り続けたい このまま少しでも長く今のままでいたい
お前もオレたちもどこかでそれを望んでいた
だが そんなモノはもうあのZじゃない
何よりもZ自身が望んでいないコトをオレたちはしようとしたんだ
わかりすぎるほどわかっていたクセにな
ただ頭でそうわかっていても 目の前でZが傷つくのを見るのが怖かった
無意識に守ろうとして 目をそらした
まっすぐに見ていたのはただ一人 「(アキオ)レイナだけだった」
Zは走りたいんだ アキオ これだけスピードに飢えている車はいない
それを限界まで引き出してやることが オレたちの務めなんだ
そしてそれができるドライバーは Zに選ばれた お前だけだ
(アニメーション版 湾岸ミッドナイト ACT.18「今、この場所に・・・」より)】
私が下した決断、それは・・・「行く」「最後まで降りない」というコト。
有休を消化する間に、体を休めつつゆっくりと当面の方向性を決めなくては。しかし、収入がなくなるのは困る。迷っている暇はない。
しかし、いろいろと探したり、面接したりしている間に思った。
「就職」は簡単にできる。けれど、自分が納得できる企業に「就社」するのは容易くないと。
さまざまなところに面接に行き、電話をかけまくり、職場体験もした。
だがその中には、現場担当責任者は「ぜひ来てほしい」というところでも、私が「抱えているモノ」を慎重に捉える採用責任者も多く、残念な結果に終わったところもあった。
しかし、偶然とゆーかなんとゆーか、そういったものは実に恐ろしいもので。
私が大学時代目指していたモノに限りなく近いポジションにある、とある施設に面接をした。試験は作文と面接。採否の決定は一週間後となるはずだった。
しかし、電話がかかってきたのは翌日だった。有休最後の日だった。
迷いはなかった。
私は、嬉しい半分、心の底では気になった。
どうして「私が抱えているものを含めて私を採用してくれたのだろうか」と。
しかし、それは杞憂だったことは、電話をかけてきてくれた看護師長さんの言葉ですぐに気が付くことになる。
「正直に話すことでわかってくれる人」が世の中にはいるのだ、というコトだ。
そして数日後、私はその施設の制服に身を包み、「福祉」の「ふ」の字は変わらないまま、これまでにない未体験ゾーンに踏み入れた。
今まで出会ったどの利用者とも違う、どの空気とも違う―
勤務の最初の1、2日は、とにかく「新鮮さ」が心に飛び込んできて、不安とかそーゆうものはなかった。
しかし、慣れない業務に加え「1からやり直し」という重くのしかかるプレッシャー、度重なる不安の連続で、体が動かない日々や、頭痛や首・肩の痛みを感じる日々が続いた。
「慣れればどうにかなるだろう」という思いが通じなくなっていった。
自分は新卒のスタッフではない、曲がりなりにも経験を積み、それが初任給にも反映されている。
だから、「こんなこともできないの?と思われてしまったらどうしよう」、「頼りないヤツだって思われていたらどうしよう」
そんな思いばかりが頭をよぎっていた。
いつか弟に言われたことがある。
「『好きなように生きるのと、好きな事をして生きるってゆーのは違う』てことはわかってる。けど、『自分にとって楽しい事を、金銭を得るため・自己啓発のために仕事をするのと、本業は本業で、それとは別にボランティアでそれをやるってゆーのは、同じ“楽しい”でも違う』」と。
せっかく就職が決まったと思って喜んだのもつかの間、私は早くも調子を崩しだした。
そして思った。「頑張ればなんとかなる、はもう通じない」「早まったか」「この世界に生きること自体間違いだったのか」と。
ちょうど、のべ一週間が経った今日、私は配属フロアの看護師長さんと面談をした。
師長さんは、気が付いていた。私の異変に。
ずっと見ていてくれた。
現場に唯一いる男性看護士さんもずっと見ていてくれていた。
ちゃんと見ていてくれる人なんだ、と思った。
「わかってもらおうじゃダメだ、わかろうとしなきゃ」とあせあせおろおろしている私を解ろうとしていた。
上手くはいえないけれど・・・
大きく話は変わるが、「象の背中」の映画をDVDで見た次の日、私は、主演の今井美樹さんが歌う「PRIDE(プライド)」という歌を思い出した。
あの映画の中の今井美樹さん演じる妻も、今井美樹さん自身も、「南のひとつ星を見上げて」いたのではないか、と。
私は東の空に輝く「明けの明星」が好きだが、とにかく星座を含め星を見るのが好き。
特に写真などで見て、蒼い光を放つ星が好きだ。おとめ座のスピカがそうだ、という。
コンパスなどがなかった古代の人たちは、星を見て方角を見ていたのではないかといわれている。自分が目指す方向を、太陽だけでなく、星を見上げることで探し、見つめ続け、歩んでいったのだろう。
強い光を輝く星や月なんかは、誰が見ても同じようにそこにあって、光を放ち続け、まるで、自分が今何をしているのかを見つめてくれているように感じられる。
見失いたくない。
取り戻しかけている、「上手く軌道に乗ればちゃんとパフォーマンスを発揮できる自分」を。
今日私は、新たに加わっていたブログテンプレートに切り替えた。
蒼く輝く「星」のテンプレート。
長く輝き続けていたいから。
「光年」という単位を使って計られる星の距離のように、長く長く、そして強く。
秋は短い、とよく言うがそれは本当に大当たりで、ついこの間は「涼しくなってきたね」という言葉が聞かれたかと思えば、最近は「夜肌寒いよね」になった。
「心の手帳」の中でも、「今週の~・・・」を綴るのは久しぶりになる。
それもそのはずで・・・
9月末、私は昨年の11月1日付けで入社した会社を辞めていた。
そこに至るまでには、並々ならぬ精神的苦痛を伴った。8月末以降はまさに「針の筵」。会社に出勤するだけでも心苦しかった。おそらくここに長くいたら、また体を壊してしまうだろう、いる場所もなくなってしまうだろう―そう思った。
さらに、海のものとも山のものともつかない事業が立ち上がったものの、諸事情から座礁に乗り上げたまま、私は毎日毎日「待つ」ということが仕事になった。
本来の業務も、気持ちよく行うことができなくなっていった。
「すべては私のせい」
誰がなんと言おうと私のせいなのだ。
私の予感は見事に的中し、私のいた部署は閉鎖となり、業務は直接の上司と事務長が引き継ぐことになった。
しかし、私がいなくなった途端に、顧客の数こそ少ないものの、その部署の業務は急ピッチで回り始め、引継ぎも、私が前任者から引き継いだときは丸二十日かかったのに対し、「上司だから大まかはわかっている」という条件を差し引いても、わずか半日で完了。
(実は手続き的にまだいろいろ問題があるのはここだけの話)
百歩譲って言うならば「体のいい厄介払いだナ」と思った。
でも、こればかりは仕方がない。
大学を卒業してすぐの頃の私とは違う―
すぐに気持ちを切り替え、もう一度考え直すべく、「私の軌跡を知る人」に相談した。
主治医の先生、私の就職相談に乗ってくれた若年職業安定所の臨床心理士さん、私の就職面接に対し、紹介状をたくさん発行してくれた窓口のスタッフの人、etc・・・
「行くか 止まるか」と。
今まで歩んできた道を・・・「医療・福祉の世界」を。
【行くか止まるか フツーの人間にゃ理解できやしねぇだろうが オレたちには結局この2つしかないんだな
行くと決めた以上 とことん行くだけだ
失いたくない 守り続けたい このまま少しでも長く今のままでいたい
お前もオレたちもどこかでそれを望んでいた
だが そんなモノはもうあのZじゃない
何よりもZ自身が望んでいないコトをオレたちはしようとしたんだ
わかりすぎるほどわかっていたクセにな
ただ頭でそうわかっていても 目の前でZが傷つくのを見るのが怖かった
無意識に守ろうとして 目をそらした
まっすぐに見ていたのはただ一人 「(アキオ)レイナだけだった」
Zは走りたいんだ アキオ これだけスピードに飢えている車はいない
それを限界まで引き出してやることが オレたちの務めなんだ
そしてそれができるドライバーは Zに選ばれた お前だけだ
(アニメーション版 湾岸ミッドナイト ACT.18「今、この場所に・・・」より)】
私が下した決断、それは・・・「行く」「最後まで降りない」というコト。
有休を消化する間に、体を休めつつゆっくりと当面の方向性を決めなくては。しかし、収入がなくなるのは困る。迷っている暇はない。
しかし、いろいろと探したり、面接したりしている間に思った。
「就職」は簡単にできる。けれど、自分が納得できる企業に「就社」するのは容易くないと。
さまざまなところに面接に行き、電話をかけまくり、職場体験もした。
だがその中には、現場担当責任者は「ぜひ来てほしい」というところでも、私が「抱えているモノ」を慎重に捉える採用責任者も多く、残念な結果に終わったところもあった。
しかし、偶然とゆーかなんとゆーか、そういったものは実に恐ろしいもので。
私が大学時代目指していたモノに限りなく近いポジションにある、とある施設に面接をした。試験は作文と面接。採否の決定は一週間後となるはずだった。
しかし、電話がかかってきたのは翌日だった。有休最後の日だった。
迷いはなかった。
私は、嬉しい半分、心の底では気になった。
どうして「私が抱えているものを含めて私を採用してくれたのだろうか」と。
しかし、それは杞憂だったことは、電話をかけてきてくれた看護師長さんの言葉ですぐに気が付くことになる。
「正直に話すことでわかってくれる人」が世の中にはいるのだ、というコトだ。
そして数日後、私はその施設の制服に身を包み、「福祉」の「ふ」の字は変わらないまま、これまでにない未体験ゾーンに踏み入れた。
今まで出会ったどの利用者とも違う、どの空気とも違う―
勤務の最初の1、2日は、とにかく「新鮮さ」が心に飛び込んできて、不安とかそーゆうものはなかった。
しかし、慣れない業務に加え「1からやり直し」という重くのしかかるプレッシャー、度重なる不安の連続で、体が動かない日々や、頭痛や首・肩の痛みを感じる日々が続いた。
「慣れればどうにかなるだろう」という思いが通じなくなっていった。
自分は新卒のスタッフではない、曲がりなりにも経験を積み、それが初任給にも反映されている。
だから、「こんなこともできないの?と思われてしまったらどうしよう」、「頼りないヤツだって思われていたらどうしよう」
そんな思いばかりが頭をよぎっていた。
いつか弟に言われたことがある。
「『好きなように生きるのと、好きな事をして生きるってゆーのは違う』てことはわかってる。けど、『自分にとって楽しい事を、金銭を得るため・自己啓発のために仕事をするのと、本業は本業で、それとは別にボランティアでそれをやるってゆーのは、同じ“楽しい”でも違う』」と。
せっかく就職が決まったと思って喜んだのもつかの間、私は早くも調子を崩しだした。
そして思った。「頑張ればなんとかなる、はもう通じない」「早まったか」「この世界に生きること自体間違いだったのか」と。
ちょうど、のべ一週間が経った今日、私は配属フロアの看護師長さんと面談をした。
師長さんは、気が付いていた。私の異変に。
ずっと見ていてくれた。
現場に唯一いる男性看護士さんもずっと見ていてくれていた。
ちゃんと見ていてくれる人なんだ、と思った。
「わかってもらおうじゃダメだ、わかろうとしなきゃ」とあせあせおろおろしている私を解ろうとしていた。
上手くはいえないけれど・・・
大きく話は変わるが、「象の背中」の映画をDVDで見た次の日、私は、主演の今井美樹さんが歌う「PRIDE(プライド)」という歌を思い出した。
あの映画の中の今井美樹さん演じる妻も、今井美樹さん自身も、「南のひとつ星を見上げて」いたのではないか、と。
私は東の空に輝く「明けの明星」が好きだが、とにかく星座を含め星を見るのが好き。
特に写真などで見て、蒼い光を放つ星が好きだ。おとめ座のスピカがそうだ、という。
コンパスなどがなかった古代の人たちは、星を見て方角を見ていたのではないかといわれている。自分が目指す方向を、太陽だけでなく、星を見上げることで探し、見つめ続け、歩んでいったのだろう。
強い光を輝く星や月なんかは、誰が見ても同じようにそこにあって、光を放ち続け、まるで、自分が今何をしているのかを見つめてくれているように感じられる。
見失いたくない。
取り戻しかけている、「上手く軌道に乗ればちゃんとパフォーマンスを発揮できる自分」を。
今日私は、新たに加わっていたブログテンプレートに切り替えた。
蒼く輝く「星」のテンプレート。
長く輝き続けていたいから。
「光年」という単位を使って計られる星の距離のように、長く長く、そして強く。