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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

「家に帰りたい…」と想い続けたのに―

2012-05-18 23:43:41 | Stream of Tears 心の手帳
「自殺女性の遺族 東電を提訴」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120518/k10015226301000.html

福島県で、震災や原発問題を発端とする自殺者は13名いらっしゃるのだとか。
なんということだろう。
頭が痛い。
代われるものなら代わってあげたい。


一つの会社のなかでのミスや失態―
どこまで波及するか、どこまで被害が広がるか…
私のような小さな職場のしがない団体職員でも
まったく考えたことがないわけではない

子ども一人ひとりの安全と人権
親の安心
個人情報保護

しかし
国家や世界をも揺るがすような大きなことを起こしてしまったら
取り返しのつかないことになってしまったら・・・
当然責任はついて回る

ミスは出てくる、出したくなくても
事故は起こる、起こしたくなくても

ただ
すべての結果には 必ずワケ(理由)がある
壊れるエンジンには壊れるワケがあり
事故った奴には事故るワケがある
たまたまとか 偶然 運が悪くてとか・・そーゆうのはないんだ・・
なるべくしてそうなる理由が いつも必ずある

東京電力は
人々が生きるために、生活をするために
電気を供給し続けてきた会社
そしてもちろん、これからも無くてはならない会社

でも同時に
それを享受してきた人々の幸せを奪ってしまった会社でもあるのだ
悲しいけれど、紛れも無い事実であり
受け止めなければならない


裁判に打って出たから、という問題ではなく
慰謝料というお金で解決できるか否かということでもなく
その人がその人らしく
昨日までの、一週間前の、一ヶ月前の・・・“いつものように”
生きていくことが困難になり
苦しくなり
命を絶ってしまう
そんなことが現に起きてしまっている


手に入らなかったものは元々無かったもの
ないものはねだっても出てこない
いつも今だ

だが
元々ちゃんとあったものを失う苦しみ―
愛する人との悲惨な別れ―
それが如何に辛いことか


けれど私には別な思いもあって。
100万歩譲って(本当に思いっ切り贔屓目に見て)
原子力エリアとは無関係の、直向に働いてきた東京電力の一社員が
「原発事故さえなければ」と自殺してしまったとしたら、しようとしているのなら
私はその人と代わってあげたい

「あなたは、『取り返しのつかないことをしてしまった会社』の一社員でも、一生懸命頑張ってきたんでしょう。東京電力がしてしまったことだから、会社全体の責任ではある。でもあなたは何も悪くない。矛盾するようだけれど、あなたが死ぬ必要は、少なくとも私は無いと思う―。その力を、悲しんでいる人の分まで役に立ててあげて。ふがいない私なんかよりも、未来の子どもたちのために強く生きて」


どちらにしても
「今は日本全体が被災者であり、日本全土が原発問題にさらされている」

それだけは目を背けられない真実の事実

10時間の自由時間~「日本海」号ラストランに思いを馳せて~

2012-03-17 00:16:41 | Stream of Tears 心の手帳

今はクルマ―クルマそのもの―が大好きな私だけれど

幼い頃は列車も大好きだった。

 

新幹線0系や100系しかなかった頃 L特急やジョイフルトレインも好きだったけれど

東京を発車する「あさかぜ」「出雲」「みずほ」「はやぶさ」「さくら」などをはじめ、ブルートレインが大好きだった。

 

弟と二人して使っていた2段ベッドの2階は、まさにブルートレインの寝台車のような雰囲気を出すべく、いろいろな工夫をしていたのを思い出す。

 

この度、大阪‐青森を運行していた寝台特急「日本海」号が、ラストランを迎えたという。

金沢駅も停車駅に入るので、県内の鉄道マニアたちで見に行った方も多いことだろう。

 

そして、今この瞬間も、北国へ、そして浪速の街へと走り続けているのだ―

 

 

大阪‐青森を15時間かけて結ぶ寝台特急―

ブルートレインのように、“夜の間乗客の夢を乗せて走る列車”というのはそうそうあるものではない。

夜遅く・早朝、北陸本線沿いを通って、その雄姿に遭遇したことは何回もあった。

一度でいいから乗ってみたい列車の一つだった。

 

何十年間と走り続けてきた、昭和の風物詩―

数多く利用してきた乗客の想いは計り知れないものがある。

 

寝台車で眠るという醍醐味を満喫する人

眠らずに夜の景色を眺める人

客室内で思いを巡らせる人

さまざまだろう。

 

 

さて、大阪を出て青森に着いた下り列車が、その日の夜に上り列車に切り替えるまでの時間は10時間だという。

テレビのニュースのコーナーで見たのだが、電気機関車から切り離された客車は、車輌センターに運び込まれる。

そこから、職員の血の滲むような安全運行のための業務が始まる。

 

まずは、客車の給油。暖房に使用する軽油をタンクにめいっぱい入れる。特に冬のシーズンは暖房を多く使うので、途中で油切れになってしまってはお話にならない。

次に、台車周りの雪の払い落とし。なんと、手作業なのだ。コレをきっちりやらないと、点検部分の大事な箇所が見えないという。だからこそ、パーツごとに丁寧に落としていく。

そして、ハンドハンマーで、熟練の整備員たちが、叩いた金属音と目視で、各部の点検をキッチリやっていく。

その頃車内では、何百とあるベッドメーキングと掃除。

車輌外側の、旅の汚れも落とすのだろう。

 

これらを経て、「日本海」は発車のときを迎えるのだ。

 

10時間―

一日の労働拘束時間+2時間という時間―

僅かととるか、長いととるか

尺度はそれぞれ違うけれど

作業時間そのものは10時間に満たないかもしれないけれど

一日上下線ともに一本しか走らない列車に、これだけの時間の中でできることを徹底してやりこむその意気込み

ただ「フーン、そうなんだ」と思えなかった。

その10時間の内容の濃さに。

 

 

一度想像したことがある。

金沢駅から出る始発の大阪行きの列車(サンダーバード)に乗り、そこで目いっぱい大阪市内や近辺を周遊して、最終の金沢駅の列車で帰ってくるとしたら、いったい何ができるだろう、どこへ行こう、と。

 

 

今回の「日本海」号のラストラン

10時間という待機時間の中で、何ができるだろうと考えた。

15時間という運行時間の中で、何ができるだろうと想った。

 

 

♪もしも世界の終わりが来るなら

 あなたは何をして過ごしますか

 食事 買い物 電話 ドライブ

 それとも 逃げますか

 (歌:椎名へきる『この世でいちばん大切なもの』)

 

 

「地球最後の日が来ます、あなたは一日24時間のうちに何をしますか?」

よりももっと短い時間

「あと10時間~15時間であなたは現世から姿を消します、その時間のうちに何をしますか?」

 

 

私だったら・・・まず県外へ出ることはしないだろうな。

最愛のおばあちゃんに会いに北へ車を走らせ、その道の途中で恩師の先生に会い、おばあちゃんの家で二人きりの時間を過ごして加賀エリアに戻り、会いたい人にできる限り会って回り、自分の思いを伝え、どうしても会えない人には電話をかけまくるだろう。

そして、人間としてもっとも基本的な欲求=食欲を満たすために、よく噛み締めて母親の料理を食べるだろう。

 

 

姿を消してゆくモノ達―

ありがとうと感謝されるのは 人だけじゃなくモノだって悪い気はしないだろうけれど

なくなってしまう事実が 覆らないのだとしたら

それほど切ないものはない

 

奥能登の交通手段として長年走り続けてきた国鉄能登線が、第三セクターののと鉄道に取って代わり、穴水駅から向こう側がすべて廃線になると知った時

自分は母とともに思わず泣いた。

 

 

悲しいけれどいつか“終わり”って来る

それでも

限られた時間の中で限られることをする

限界という言葉は、どこか否定的なマイナスの波動を生むような言葉だと感じてしまう。

「終わり・果て」や「範囲」だけを意味するものと思うからだ。

そうではなく、「ありったけ・できるだけ」という意味も含まれることを思えば

『燃える闘魂』アントニオ猪木さんの言葉の意味もよくわかる。

 

【限界なんて言葉はこの世にはない、限界と言うから限界ができるんだ】

 

 

立ち止まってしまえば それでもう終わってしまう

それだけでもう自分ではなくなってしまう

立ち止まりたいけど 立ち止まれない

今夜限りで自分のすべてが止まるとしても

後悔がないようにしようとはしていたい

 

 

あらためて・・・

「10時間だけあなたにあげます。すべてが思いのままには行きませんが、会いたい人は住んでいる場所にいてくれてあなたに都合をつけて会ってくれます。あなたは何をして過ごしますか?」

 

 

 

拙い記事ですみません。


漢字を習う、ということ

2012-01-15 10:41:46 | Stream of Tears 心の手帳

自分の名前を全部漢字で書けるようになったのって
いつのことだろうか?


そんなコトを最近子どもたちに訊かれる。

「センセーの名前の○の漢字って、いつ習うん?」

「ん〜、多分習わないんじゃないかなぁ。名前に使うのも含めて、全部の漢字を学校で習うんじゃあないんだもの」

「えっ、じゃあどーするん?」

「おうちの人に書いてもらって練習したりしてかけるようになったかなぁ。
“似たような漢字の部分や、習った漢字同士をくっつけたら、その漢字になった”てゆーのもあるよね。書き順や他の読み方、漢字が持つ意味なんかは漢字辞典で調べたりするしかないね」

「そうなん?でもオレ、自分の名前全部漢字で書けるよ」

「おっ、すごいぢゃん。やるね〜」


最近は、そこそこ読めていればOKという流れがあるように感じる。
「日常的に読める&書ける」というスタンスで常用漢字なるものはあるけど―
難しい字や読み方は解っているのに思い出せない漢字は、携帯の変換機能なんかをついつい使ってしまう…。
読める&変換する、という文化(というのはちょっと違う気もしますが)・スタンスが定着しつつあるような…という話題をラジオのコメンテーターさんがしていた。

でも、日記を毎日手書きで書いている私の両親
特に母親は、漢字の読み書き強い。
「葡萄」も「薔薇」も「挨拶」もサラリと書く。


ちなみに、ネットの世界には、クラック文体てのがある。
アルファベットの大文字と小文字をごちゃまぜにしたり、aを@に変えたり、Eを3に変えたり…

ちなみに、その漢字バージョンがコレ。

爆≠火暴
神≠ネ申

私は全くといっていいほど使わないが、
前記の「習った漢字を組み合わせ」れば、別の漢字が完成する―
そうやって新しい漢字を覚えていったかつての思い出が浮かぶ。


さて―
一年生のとある男の子。
つい先日、

「先生、今日カタカナの『タ』と『ロ』と『タ』習ったよ」

あれ?
漢数字から始まって、もうそこそこ漢字を習いだしてるハズなのに、またカタカナ!?
なんかおかしい…
と思っていた私に

その男の子、国語の教科書の最後の方のページをめくって見せて

「ホラ、『タ』と『ロ』と『タ』やろ?」 

私、思わず大笑い。


皆さんは、その子がどの漢字を習ったのか、わかるかな〜?


何はともあれ、日本人たるもの、漢字は常識的な範囲でいいので読み書きできないといけないな―


「真剣勝負」と書いて“マジバト”なのヨ

2012-01-14 23:39:19 | Stream of Tears 心の手帳

芸能界特技王座決定戦
「TEPPEN」

腕相撲
剣道
ピアノ

ピアノの勝負だけは、『アマチュア同士が音楽で優劣をつける』というのが、「プロフェッショナルの音楽コンクール」などと違ってあまり好きではないので、可もなく不可もなく…といった感じだったが。

中でも私が注目したのが
けん玉の真剣勝負。

見ていた方はおいでだろうか。


けん玉は、今児童クラブでは、「まりつき」「独楽回し」と並んで、子どもたちの人気伝承遊びの一つ。
しかも今年度は、ただ遊ぶだけではなく、検定カードを作り、階級システムを取り入れた。
そうすることでみんなは、競い合い、教えあい、早く全部の技をコンプリートしようと励み、
そして、「あの遊びがあるから・クラブで楽しく過ごしたいから」というきっかけ作りにもなっている。

自由時間ともなると、特に男の子たちが

「せんせー、『もしかめ』やるから見て〜」

とやってくる。
また、

「どーやったらできるん?教えて〜!」

とせがまれる。


私もけん玉は、全くできないわけではないし、技名を知っているものはいくつもある…

日本一周
世界一周
飛行機
野球
スカイダイビング


私も子どもたちに教えるべく、日々練習をしている。
けど、「教えるコトによって教えられるコトがある」のは正にこのこと。
だんだん子どもたちの方が上手になりつつある。
また、それに向かっていく子どもたちの気持ちのアツさ。
まりつきなんかは、女の子たちに逆に教えてもらう程だ。

“なぁんだ、やっぱりみんな、得意になると嬉しいんだよ”

そう思う

そして技を極めれば極めていくほど
互いに競い合う

でも、他者との競い合いだけでない、自分の心と体との闘いもある―

あの対決を見て、本当に胸を打たれるものがあった。
あのピリリと張り詰めた緊張感の中、一発でキメる集中力とテクニック。

NON STYLEの石田さん、ハリセンボンの箕輪はるかさん、ペナルティーのワッキーさん…
スゴすぎ!

あれを子どもたちが見ていたら何を感じるかなぁと思いながら見ていた。

真剣勝負―

切れば血の出る本物の剣で戦うかのような本気度―

よく男の子たちが、テレビアニメのキャラクターになりきって
“たたかいごっこ”なるものをやっている。
それはそれで、幼少期の遊びの一つだし、どんな美辞麗句を持ってきても、「ただの叩き合い殴り合い蹴り合い」は肯定できない代わりに否定するコトもできない―

本当に
本気で勝負する
マジメにバトルする、“マジバト”

彼らはこれから、色んなカタチで会得していくのだろうな。


そう思ってテレビを消した私がいた。


12月のこの時期、音楽は~被災者の方にお会いしたあの日を振り返って~

2011-12-23 11:44:50 | Stream of Tears 心の手帳

去年の12月は、大学の後輩たちと、街の中心部でクリスマスソングを演奏したっけ。
もう一年が経つ。

早かった。
本当に早かった。

毎年この時期になると決まって聴くのは
坂本隆一氏の「戦場のメリークリスマス」

でも、今年はかの3・11があまりにも大きすぎて
戦争で荒れている国も
貧困や災害で苦しんでいる諸外国も
たくさんある中
人々の心は言葉では表現しきれないさまざまな思いで渦を巻いた

先日行われた学童保育の全国研究集会で、被災地の学童の状況を「特別報告」という形でご報告下さった宮城県の方に、一日目の日程終了後お会いすることができた。
私は世間的に『被災者』と言われるその方に思い切って申し上げた。

「被災地の方がそんなに苦しい思いをしているのに、自分が小さなことでクヨクヨ悩むなんて情けない、って思うと、自分のことで精一杯になっている自分が不甲斐なくて尚更憂鬱な気持ちになってくるんです。被災地ボランティアにも行きたくてもなかなかいけないし、気持ちの上では募金とかしたいと思っても、『ちゃんと使われているのか心配』っていう想いから、まだ1円もしていないんです」

すると、その宮城県学童保育研究支援プロジェクトの方は言った。

「確かに、あなたの言うこともわかるわ。私が申し上げたとおり小中学校より学童の支援の手は遅れていて、本当にしんどい状況なんですよ。でも今はね、日本全部が被災者なの。私たちがたまたま大きな被害が出たところに住んでいただけ。だから、明日からそんなこと思わないで、自分のできる仕事・できることからこつこつやっていってください。そんな気持ちを持った先生に見てもらえる子どもたちはきっと…」

そこまで来た時点で、相変わらずスグ泣く私は限界だった。

名刺を交換させていただき、全国研交流会の会場までその方とお世話役の全国学童保育連絡協議会の方(なんと学童専門の月刊誌の編集者の方!)をお送りした。
遠くからいらしたのにタクシーでお金を使うより石川を楽しむために使ってください、と。
来年埼玉で行われる47回全国研究集会でお会いできることを楽しみにして。

今日は天皇誕生日。
平成時代がいつまで続くか解らないけれど
変わってゆく世の中で、変わらずに毎年訪れるモノもまたたくさんある現世で
演奏家の端くれであり、音楽をこよなく愛する者として
思いをかみ締めて この一年で出会った人に思いを馳せて
今日から大晦日まではこの2曲を聴こう、聴き続けよう―

「A Song For Japan」
http://www.youtube.com/watch?v=HIQ63_WoKwg

「We Are The World」
http://www.youtube.com/watch?v=dvmnb2TH2bo&feature=related


マグカップを叩き割った

2011-11-10 00:22:11 | Stream of Tears 心の手帳

身の回りのものを
買い替えると
何だか気持ちまでが入れ替わるような気がする

洋服のように
毎日代わる代わる必ず着て
時々はおしゃれのために買って…てのもあるし

そうやって満足を得る
欲を満たす

そういうものだけにとどまらず
文具も
靴も
カバンも
時計も
メガネも
果ては車や家までも

人間は物欲のある動物だから
新しいのが必要だから買う、とかだけじゃなく
最近だとケータイしかりパソコンしかり
手にした以上
もっと次を知ってみたい
それなしの生活は考えられない、という人もいる
そういう連鎖を生む商品ほど魅力も大きい
知らなければソレに越したことはないのだけど


あれほどイイと思ったのに
一つ上を知ったら
もうそこでは満足できない


最近、私は何かと物欲が増えてきている

持っていない新しいモノもそう
持っているけど他のも欲しい、というモノもそう
身の回りのモノを替えることで
新しい何かが手に入るんじゃないか―て

断捨離がなかなかできない私だけど、思い切って捨てることも
少しずつ始めている

膝が擦れて古くなった、仕事着として履いていたズボンも

買った当時は高かったけど、中も外も傷んできたトレッキングシューズも

みんな捨てた


そんな時だった。
出勤して
『今日が埋め立てゴミの日だ』と気がついた

私はいつも使っているマグカップを手にして外に出た。


それは、高校三年の時
似顔絵が得意なクラスメートが
クラス全員の似顔絵を描いてコップにプリントした
いわば記念品みたいなモノ

だけど
私の顔は
極端に小さく描かれていた
大好きだった担任の先生の近くにあって嬉しかったけど

無理もないか、と思った
 
毎年出している学校文集で、クラス紹介をするのだけど
私はその原稿を依頼され
頑張って書いたのだが
出版された文集を見てみると
中身はきれいに変わっていた

それどころか
私の書いた文章では『高校時代は夢の生産工場だ』という
某ラジオドラマのセリフを引用したのだが
その言葉を用いて

“1、2年生のみなさんに言いたいことがあります。
高校時代は夢工場だ。というのが精一杯であるのが現状ではなかろうか”
と締めくくっていた。

三年生の時のクラスは、みんな受験に躍起になっていたし。
それにもとからいじめられやすいタイプだったので


その高校に入学し
無事に卒業できたことは誇りに思う

中学生の頃は、
“高校に入れば今とは全く違う世界が開けている”と思い描いてた。

もちろん新しい環境への不安もあったが、
それ以上に、何もかもが新しくなり
今思い煩っていることもすべてが過去のコトになる―
その思いが強かった

でも―
全然ダメだった
結局みんな自分のことで精一杯

私は二年生からずっと
授業以外は相談室に籠もりきり

それに
自分が否定してきた周りの人間たちの方が
より正しく
スイスイと世の中を泳いでいく姿が歯がゆかった

ピュアに生きるって何だろう?
フェアな生き方って何だろう?

そう思っていた。


月日は流れ、
ある時、職場でそのマグカップを使い出して
何ヶ月かしたとき、縁が少し欠けてしまった。

それくらいいいだろう、と思って使い続けていたけれど

何も割らなくても・ペン立てとかにすればいい、と思ったけど

生きている人が描かれているけど


私は叩き割った

他の人が覚えていないことまで事細かに覚えるくらいバカに記憶力がいい私

逆にいやな記憶を消し去りたかったのかもしれない


後悔はあまりない学生時代だった
 
ツラく苦しい社会人生活の10年だった

だけどこれから先は誰にもわからない

行くか降りるか―

答えはまだ見つからないけれど

答えなんてすぐに見つけなくてもいいと思うのだけれど


結局、コップを叩き割ったって
何も変わらないということがわかって

情けない半分
がっかり半分


グリーンリボン

2011-11-01 00:10:00 | Stream of Tears 心の手帳

1997年.
私が大学に入学した年に施行された「臓器の移植に関する法律」。
紆余曲折を経て現在に至っている。

臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することが可能になったり

臓器提供意思が不明な場合も、家族の承諾があれば臓器提供できるようになったり

15歳未満の脳死下での臓器提供も可能となったり

本当に移植に関する考えは変わっていくものだとしみじみ感じている。


私自身法学士の端くれとして、この法律の行方を見てきたし、今も時々見ている。
教職課程の先生のゼミナールでは、人間を取り巻くものやそれにまつわる法律なら何でも研究課題になったから、グループでみんなの考えを出し合い、ゼミ合宿でもディスカッションをたくさんやった。

賛否両論がいまだに絶えないのは百も承知で、私はこの「究極のボランティア」をする準備をしている。

臓器提供意思表示カードの存在を知ると、すぐに意思を表示した
運転免許証の一回目の書き換え時、免許証の備考欄に貼付できるシールを発見したときは、「一番脳死になりやすいシチュエーションは車の運転中だろうから」と、できたての免許証にすぐに貼り付けたし
最近は、やっと父の署名をもらって臓器提供意思表示のオンライン登録を済ませた。

蛇足ながら、それだけでは飽き足らず(?)
失明寸前の怪我をしたことからアイバンク登録もし
白血病患者のつらく悲しいエピソードをいくつも見てきたこともあって骨髄バンクにも登録した。


何も「ハーイ、人のためになるいいコトしてますよー」という誇示ではない。

人間として
生きるものとして
いずれは死ぬ運命のものとして
考えるべきことを考え
取れる方法があり
それに則ってできることをしたまでだ

いつかは終わりを迎える自分の命
後悔のない人生なんてのが無理でも
いつも“その先の何か”を考えて生きているほうがよっぽどいい

自分の人生が全うできた、と最期に思えなくても
自分の人生が納得いくものでなかったとしても
自分よりももっと潔く・正しく・前向きに・明るく・誇り高く生きる人がこの世にたくさんいるのなら
移植希望登録をしている約13000人の中の誰かのために自分が生き続けることの方が何倍もいい

自分が最期を迎えたとき、誰かの命を救えるのならば救いたい

その点に尽きる。

つい先日、父方の叔父が59歳の若さで突然死した。
奇しくも父方の祖父と同じ年齢。
死んだのは旅行中、場所は中国・上海。
手続きの面倒さも加わって、少ない親戚は大騒ぎだった。
と同時に、父方の親族で最年長は私の父だけになってしまった。

先ほど、「一番脳死になりやすいシチュエーションは車の運転中」と書いたが
私は車を運転するとき、フツウに運転しても、(公道を100km/h以上で平気で走るとかなどの)暴走行為をしても“自分だけは死なない”と思ったことはない
まったくその逆
シフトをいれ、サイドブレーキを下ろした瞬間「今日こそ死んでしまうんじゃないか」と思う(ようにしている)。
借りに自分が死ななくても、他の誰かを死なせてしまうかもしれないし
何しろ1t以上もの物体が走っているのだから。


「『今日死ぬかもしれない』そう思わないヤツがみんな死んでいる
クルマはただ楽しいだけのモンじゃねえ
100馬力のファミリーカーも 800馬力の怪物マシーンも 公道を走る以上すべて凶器だ
本当にわかっているヤツは死なない たとえどんな走り方をしてもナ」
(「湾岸ミッドナイト」より)

話は飛躍しすぎているかもしれないが、
自分の死生観というものは常に頭の中に持っておいたほうがいい―
私はそう思っている。

叔父の死にしても、あまりにも突然の出来事だったし、
自分が仮に死に直面しようとするとしても、「脳死で死ぬ」とは限らない。


親族臓器優先提供においては、
① 移植対象の親族がいない場合は他者への移植が行われる
② 優先提供の親族の名前を記載して指定した場合は、その人を含めた親族全体への優先提供意思として扱われる
③ 「○○さんだけにしか提供したくない」など、提供先を限定する意思表示があった場合は、親族を含め臓器提供が行われない
④ 親族提供を目的とした自殺を防ぐため、自殺した人間からの親族への優先提供は行われない
という留意事項もある。

④は特に気になる話題だった。
親族の誰かが脳死になったからといってすぐに自殺しようとは思ってもいない(悲しみから生きることをあきらめてしまうかもしれないという想像はできるが)。
また、自分の周りの家族は、医療やその他のテレビの話題などから時々死について考えることが多くあり、ほぼ全員が
「無理して延命治療とか臓器移植とか要らないからね」ときっぱり言う。
しかし、不謹慎であまりにもばかげている話だが、生きていることが辛い時、
「だれか、すぐに私を脳死状態にしてください・すぐに私の臓器を取り出して下さい」と何度思ったことだろう。

「自分のことをもっともっと愛してあげてほしい」と一部の人には言われるものの
自分を生み育ててくれた家族にも感謝はしているけれど
この世から去るとき、最後は独りであり、誰かが残るのだ。
その誰かが、自分よりもいい人生を歩めるのなら―


先日、携帯WEBのバナーからジャンプして手に入れた、グリーンリボンバッジが届いた。

乳がんに理解を深めるピンクリボン運動
児童虐待防止に理解を深めるオレンジリボン運動など
リボンを使ったキャンペーンは多い。
その中でも、もっと身近に臓器移植のことについて考えてほしいという思いで、私はこのバッジをできるだけ身につけていようと思う。

「そのバッジなあに?」
という言葉から、何気なく臓器移植医療に関する話題が広がれば―
デザインした関根麻里さんも同じコトを思っているに違いないだろうから。

「最期の願いをかなえる手伝い」の手伝いができればそれでいい―
今できることはそれだけだから。


ゼロオロジーの理論で鑑定をしてもらって思う・・・

2011-10-13 23:02:34 | Stream of Tears 心の手帳

ゼロオロジー・・・

詳しくは私もよくわからないけれど、風水とは違って、

「0学の開祖・御射山宇彦の運命学をもとに、シュタイナー理論を組み込むことで、「今」という瞬間をいかに生きるか?をとく鑑定学」

なんだそうです。

 鑑定には運命数という数字を用いるんだそうです。

ちなみに、私の数字は23で、ゼロオロジーの元になる6星でいうと、「火星」。偶数念生まれなので「火星+」となります。

 

「強い信念を持った根性と忍耐の人たち」であり、根性と忍耐に秀でたタフなタイプ。

 論理性もあるので、自分の決めた目標は着実に成し遂げることができる。

 柔軟性を身につけることで、さらに飛躍が期待できる。

 らしいです。

 

 

そんな中、地元の生放送ラジオ番組の中で私も鑑定してもらったのですが、

○自分がやってきたことに対しては誇り高くあることができるタイプ。

○恋愛に関しては「飽きっぽい」のが欠点。相手の立場に立って、優しく包んであげるのがいい。

○年上の人を好きになる傾向が強い、とのことだけれど、年下の子でもいいのではないか。

「これからでも十分大人になれる」、「優しさを大人にする」

○同じ趣味や同じ職業などの人がいい

とのことでした。

 

土星人との相性はイマイチ・・・らしいです。

 

番組内で「モテ期」(『モテキ!』という映画がありましたね)について語られていたのですが、自分は生まれてこの方交際歴ゼロ。

モテ期なんて本当に来るのかしら?という感じでいました。

もちろん、今も。

 

この鑑定結果を、まんま真に受けるわけではありませんが、恋愛云々の前に、まずは自分がしっかりしないとまるでダメなんだというコトがようく解りました。

ただでさえ、モテナイ男の最大公約数を満たしている人間の代表格なので、なおさら気をつけなくてはいけません。

完全な女嫌いというワケではないのですが、「どうせ女性は自分のことなんて好きになるわけが無い。」と思い込むことが多くて。


女性と気さくに話せたり、女性が喜ぶコツを知っている男性の方がとてもうらやましいのです。


コミニュケーションが上手く取れないのはマイナス要素になってしまいますが、女性と上手くコミニュケーションを取れるようにするにはどうすればいいか。

「女性という存在を特別視せずに、もっと自然体な感じで接して」といわれたことがありますが、それがどういうことなのかも解らないのです。

 

いつも自分の素が出せる、ピュアなままで・ありのままでいられたら…

人間心に同じなんて無いから、最後の最後は心許せなくてもいいけれど、

変に気を使わずに

「大丈夫?」って声を掛けあえられるだけで心が安らぐ仲。

 

恋愛を問わず、そういう人が誰かしらそばにいるだけで、前に進む力が左右されるよなアって思うんです。

 

俯瞰的に私自身を見てみると

どこか周りに一定の距離を置いて付き合いをしているような私が

何か変われるきっかけが欲しくて

どういうわけか、何をどうしたいのか見えていないまま

ヤケになってもがいているのが見える―

 

「今日を無事に終えられて良かった」

「明日もあるから、そろそろ休まなくちゃ」

そういった気持ちの裏に、どこか淋しさや切なさが見え隠れ

 

自分がつまらない人間だという理由ばかり探している

 


拍子木

2011-10-02 23:48:06 | Stream of Tears 心の手帳

すこし昔―

紙芝居屋さんなるものがあった時代―

“紙芝居のおじさん”が居た時代―


そう、自転車に乗り、紙芝居と駄菓子を積んで街頭を回り、拍子木を打って子どもたちを集め…

その時代よろしく、私が師として敬う「のまりん」こと野間先生も、拍子木を打って紙芝居を始めることにこだわっている。

打楽器で言うところのクラベスとは違う、日本の拍子木は、なんと形容してよいか…
同じ「キンキンッ」という木を打ち合わせる音でも
奥ゆかしくも心地よい―

今朝、私が

「図書館に行って紙芝居のネタ仕入れてくる」

と言ったのを機に

母が

「紙芝居屋さんを初めて見たときは『都会だなあ』って思った」

と言った

それを聞いていた私の父

日曜大工ならどんと来い
要領はあまりいいとは言えないけどマメなヒト

「拍子木、作ってやろうか?確か、物置に余りの木材があったから」


で―
完成したのがコレ。


めちゃくちゃイイ音します。
「斜め打ちはすンなヨ。真っ直ぐ打たないと、木に傷が付いてよくないからナ」
とのこと。

いいモノを作ってもらいました。
父さんありがとう―m(_ _)m


トーキーで追われた活弁師などがやっていたかつての紙芝居屋。
私は、お芝居が得意でもなんでもない、ただのしがない指導員ですが―

“拍子木を打って紙芝居を始める人間”には、ようやくなれました。


あなたの一番に―

2011-09-28 23:14:26 | Stream of Tears 心の手帳

あなたの一番になりたい


わがままですか
まあ、わがままでしょうね

勝手でしょうか
そりゃぁ、勝手でしょうね

一人で空想して、期待して、そうなったらいいって思うわけでしょ

何かに想いをよせれば寄せるほど
こうなって欲しいという気持ちは強くなる
こうなったらいいのにという気持ちも強くなる

でも、気になって仕方が無いんだもの

誰のことを見ているんだろう?
今、何を考えているんだろう?
今、心はどこにあるんだろう?
心から大切に想っている人はいるの?


ときどき、そんな風に思う
口に出して言いたくなる
でも 恥ずかしいから言わない
絶対に


ことクルマに関しては、そんな気持ちを抱いた事がある
生まれて初めて、自分お金でマイカーを購入しようというとき、何台かのクルマに会った

「選んでくれたら、きっとあなたを素敵な世界へつれていってあげるよ」

そう語りかけてきてくれた車もあった
強烈な個性を放つ、畏怖感と毒気たっぷりのマシンもあった

でも、買わなかった
いや、買えなかった

お金さえ払えば手に入る“商品”ではあるけれど


『湾岸ミッドナイト』の作者、楠みちはる氏も言う
氏は、ポルシェ911とBNR32 SKYLINE GT-Rを所有しているが、主役マシンであるS30型フェアレディZに対して

「僕はあの19歳の時、S30Zを買いませんでした。手を伸ばせば届いたけど手にしませんでした。それでよかったと思います。24歳で連載が始まってお金が入ってくるようになった時、S30Zは底値で20万も出せばイイものがありました。でも買いませんでした。きっとこれからも買わないでしょう。
人生ってタイミングってあると思うんですヨ。僕はあの19歳の時に欲しかったんです。そして買わなかったんです。『湾岸ミッドナイト』でZという車にこだわって描くのはあの時の気持ちにこだわっていきたいからです。今でも一番好きな車です。一番好きなモノって、やっぱり手に入らないと思うんですヨ。一番好きなコとはやっぱり結婚できないと思うんです。またそれでイイと思います」


現行マシンの中で一番好きな車は?と訊かれて、車輌本体の価格や維持にかかる費用、必要なラゲッジスペースを含めた生活スタイル関係なしに答えるなら、この4台をあげる。

NISSAN GT-R、FAIRLADY Z、MAZDA ROADSTER、RX-8

なかなか絞りきれない
それぞれの良さがあるから

価格の差は多少あれど、どれか一つを選ばずとも商品だから、まるでグランツーリスモのように全部手にすることだってできる

でも、できないし、しない


中古車や旧車ならともかく、クルマと言う無機的な存在のものには
愛着を持つことはあっても
「あなたの一番になりたい」はないだろう


相手が人だったら・・・

気持ちを持った、血の通った人間だから

自分も男だから

少しだけどきどきしながらそう思う


今、その瞬間のあなたの一番になりたい