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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

「ひみつのどうぶえん」

2010-06-21 00:41:35 | Stream of Tears 心の手帳
話は19日の土曜日に遡る。

19日(土曜日)の出席児童は11人。その中に、絵本やお話が大好きな女の子「ひまわりちゃん」も来ていた。
お誕生日やことあるたびに、おばあちゃんから本をプレゼントしてもらうという。
私が幼い頃読んでいた、角野栄子さん作の童話や、おばけの「アッチ・コッチ・ソッチ」シリーズも何冊も読破している読書家だ。

しょっちゅう「だっこして~」とスキンシップを求めてくる。
「せんせー、後ろ向いて?」と言われて、「んっ」と背中を向けたとたん、ぴょこんと飛び乗ってくる。人数の少ない土曜日や、ほとんどの面々が帰ってお迎え待ちの時間ともなると、私の背中にずっとしがみついている。

かといってただの甘えん坊かといえばそうではない。
間違っていることも正しいことも、自分にとっていいこともわるいことも、きちんと順序だてて大人に話をすることができる、「頭のいい」コであるのと同時に、困っている人を見ると助けてあげたり手伝ってあげたりが進んでできる優しさを持った女の子だ。
そして、態度や言動に表裏が無い。
一緒に帰ってくる友達の影響もあってか、その子と一緒に指導員の仕事を手伝ってくれたり
することもある。

もちろん学童指導員という立場上、「誰かをひいきにする」ということはしてはならないが、基本的には素直な子なので、これからもよい成長をしていけるよう支援していきたいと思う。

そんなひまわりちゃんが、その日の夕方、お母さんのお迎えを待っているとき、

「ねーセンセー、紙を折って本みたいなのにするやつ、どうやってするんやったっけ?」

と言って、B4の自由用紙を持ってきた。
私は、八つ折にして中央に切込みを入れて折り、8ページになる本の形を作ってあげると、ひまわりちゃんは、

「ありがとう。ねー、色鉛筆も貸して?お願い。先生に絵本作ってあげる」

私が勤める児童クラブは、文具の管理がはっきり言って悪く、色鉛筆もクーピーペンシルも、どれひとつとしてマトモなモノがない。
そこで私個人持ちの24色色鉛筆を貸してあげると、ひまわりちゃんはよろこんで鉛筆を走らせた。
書いている近くで私が洗濯物をたたもうとすると、

「絶対見ないでよ~?」

と真剣な表情をして言った。

お母さんがお迎えに来たとき、最後のページの文章をひねりにひねって考え、
「はやくいらっしゃい」というお母さんの声を合図に、私に「はい」と手渡し、

「じゃあね~、絵本、誰にも見せないで先生だけ読んでよ?」

というと、手を振って帰っていった。

えほん「ひみつのどうぶつえん」

絵と文の作者としてちゃんと自分の名前を書き、ウサギとゾウの絵と、動物園の入り口と思しきゲートの絵が書かれてあった。

以下に記すのはその内容である。


あるところに、ゆうという女の子がいました。
その女の子はどうぶつがすきでした。
おとなになったら、ひみつのづぶつえんをつくろうと思っていました。

おとなになりました。
どうぶつの大がくに入学し、しけんをうけてごうかくして、どうぶつえんをつくることにしました。

ひみつのどうぶつえんがかんせいしました。
まだだれもしらないひみつのどうぶつえん。
どうぶつえんには、ぞう、うさぎ、パンダ、オオカミ、ライオン、シカ、チーター、こうもり、ふくろう、ねずみ、
いろいろいます。
よるのひみつのどうぶつえんもあります。
よるのどうぶつえんはたのしいのです。
ゆうはゆめがかなったので大よろこび。

ゆうはひみつのどうぶつえんがとってもきにいりました。
だからみんなにしられてないそうです。
でもわかるひともいるそうです。

でも、ときどきみんながいっぱいくるときがあります。

おしまい。おもしろかった?またよんでね。


小学校2年生にしてこの文章能力と創作能力。
短いながらも、夢をめいっぱい描いた内容。
そして、手作りの絵本に仕立てて私にプレゼントしたいという気持ち―

その子の想いがぎゅーっと詰まったあたたかいものだった。

全体で「さようなら」をした後のほんの30分程度の間に作ったものなので、これをもし、じっくり時間をかけて、会話文も入れて、内容を掘り下げてみたらもっともっと面白くなるんじゃないか、とかも考えたが、
おやつと掃除の後に行っていて最近はあまり(時間的な問題と周りが個々の遊びやおしゃべりに没頭しすぎてうるさくて)できていないお話会を楽しみにしていて、

「先生、今日お話会あるの?」と何度も訊いてきていたのを思い出し、


「この子は本当にお話が好きなんだな」と思ったと同時に、
なにより、
「今日一日仕事をガンバってよかったな」と思えた。

絵本を通じた私と子どもたちとの関係、そしてそこから子どもたちがどう受け止め、どういう種を育てていくのかは、単に「お話の読み聞かせとそれを聴くだけ」ではなかった、ということも大きな発見だった。


またひとつ、夢が生まれた。私の心に―

子どもとおとなの差異~漢字とボキャブラリーと~

2010-06-08 23:35:41 | Stream of Tears 心の手帳
私が朝起きたときには、大体テレビがついていて、フジ系の「めざましテレビ」の終わりに近い時間帯のコーナーをみている。

「マストキジ」のコーナーで、今日取り上げられていたのは、「常用漢字」の話。
今日の新聞記事でご存知の方が多いと思うが、196字追加され、2136字にスケールアップする。
こちら石川県の教育関係者からは、
「子どもたちの負担が増える」
「小学生への影響は少ないのでは」
などの声が上がっているという。

「欝」などの難しい漢字も含まれており、全て手書きできる必要は無いとしているものの、「『知っているなら書けるほうがいい』という風潮が広がる可能性もある。余計な努力も求められるのでは」と案じる意見―
さらには、パソコンや携帯電話の普及で画数が多い漢字も頻繁に使われる現状に言及、より多くの漢字に親しむ必要性にも一定の理解を示す意見も。

小学校の6年間に学ぶ漢字は1006字。だから「常用漢字が追加されることは、現段階では児童に影響は無い」と言うお偉いさんもいるが、指導要領上では、中学校三年で「常用漢字の大体を読む」としているので、中学生には影響が出るかもしれない。

中学生は、パソコンは平気で使いこなす子がいるだろうし、携帯電話を保持する子もいる(私は歓迎できないが)。キカイに入力すれば漢字の読み書きがわかってしまう「変換文化」を背景に難しい漢字も多く盛り込まれたが、学校現場では読み書きの「漢字力」が二極化しているとの指摘もある、との記事も。
漢字が「読み・書き」から「読み・打ち」の時代になった今だからこそ、使用頻度の多い漢字が多く盛り込まれたことは納得できる。
しかし、先に述べた1006字の常用漢字を、大人になっても読み書きできない人が多数いることを鑑みれば(かんがみれば)、習得すべき漢字の明確化は大事だろう。
しかし、「『何を以って』習得とする」のか、そこのあたりまで明確化していない・できていないところが残念なのである。

こういう状態で、現代日本の国語教育は大丈夫なのだろうか?と思ってしまう自分がいる。
だからこそ、小学校高学年においての英語授業導入は正直言って反対なのである。

自分の国の言葉もろくに使いこなせない日本人になってほしくは無い―


代表的な新常用漢字の中に『語彙』の『彙』があり、その部分が目に留まり、「自分もナンダカンダいいながら、漢字がわからないときにはついつい携帯電話の変換機能に頼ってしまうことがあるなぁ」と反省しながらコーヒーを飲んでいた。

そしてCM。


小学一年生の授業風景。
今日はそれぞれの「夢」を発表する授業らしい。
いろんな夢が発表される中、「キャッチボール」と答える少年。
そんな少年をみて不思議に思う先生やクラスメートたち。けれども少年は本気のようだ。
学校が終わると、一目散に駈けだす少年。坂道や階段を駆け抜けてたどり着いたのは病院。
お母さんに見守られながら、生まれたばかりの弟が眠っていて、少年はベッドに駆け寄り、ランドセルの中からボールを取り出し弟の隣にそっと置く。
そんな少年の顔は、すっかりお兄さんの表情になっているのだった・・・というもの。

第一生命の企業CMである。

このCMは確かに心温まるドラマを持っているよいものだと思う。
しかし、直前の「語彙」の部分が頭に残っていた私は何か一瞬引っかかるものを感じた。

教壇に立つ先生は、確か「みんなのゆめ」と黒板に書いてあって、「大きくなったら何をやりたいですか?」と質問をしていた。
「大きくなったら何になりたいですか?」とは訊いていない。

「キャッチボール」
と答える男の子に対して、
「野球選手かな?」と聞きかえす先生。
それでも「キャッチボール」と答える少年…

ここに引っかかるものを感じたのである。

生命保険の企業CMは、確かに大人向けだ。
だが、このやりとりは、今の教育現場の有様と、子どもの語彙の無さを同時に露呈してしまっているようで、なんだか切なさとやりきれなさを感じたのである。

子どもの視点で考えれば、例を挙げると
「僕に弟が生まれたので、『(僕も)弟も大きくなったら』一緒にキャッチボールをしたいです」
など、筋道・順序だててモノが言える様に育てていくのが親をはじめとした大人の務めだろう。
安直に「野球選手かな?」と訊き返した先生にも、それに対してただ「キャッチボール」と答えるだけの少年にももどかしい感情を抱いた。

しかし、このCMは、核心に迫るところが急展開を迎えており、大人たちがみたら「なるほど、そういうことだったのね」という感情の広がりを意図して描かれたストーリーなのである。
ストーリーを構築したのは大人。
でも、メッセージはちゃんと伝わる。


同じようなものに、ACジャパンのテレビ広告「『鯨の絵』編」がある。

詳細はこちらへ

http://www.youtube.com/watch?v=SNv4hBbu8K4


「子どもの考えていることは、表に現れている物だけじゃない」という事・・・。
子どもは、表すのが下手。コミュニケーション能力だって発達段階があるし、得手不得手もある。
見たまま聞いたままだけで判断するんではなく、子どもの考えている事を想像して判断しろ、っていうことなのだ。

「こんな展開になるなんて!」という驚きと共に、伝えたいメッセージを言葉ではないモノでじわりじわりと伝えられるように作ったCMなのだ。

重ねて言うが、作ったのは大人。メッセージを向けた対象も大人だ。
これらCMに登場する人物一人ひとりの気持ちや、現実の世の中で起こっていること、全てにアンテナを向けて、俯瞰的に、広い視点で見ることが大切なのであろう。

そして、「子どもの思っていることを、汲み取れる大人も世の中にはいる、そういう大人が
増えて欲しい」というメッセージも見逃すことはできない。


大人だからこそ感じること、感じ取ることができる気持ち―
大人になってしまって忘れてしまった気持ち―
どちらも大切にしていかなくてはならない、と感じた朝のひと時だった。


拙い文章ですみません。