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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

やっぱり子供は訊きたがり

2009-11-09 23:43:05 | Stream of Tears 心の手帳
新しい職場に勤めだして、一週間が経過した。
好奇心旺盛な子供たちは、私についていろいろと知りたがり、
「遊んで~」「フリスビーしよう?」「ドッジボールしよう?」とさそわれ、
「せんせー、おんぶしてよぉ」「せんせー手ぇつないで・・」と甘え盛りの子供たちにスキンシップをお願いされ、
「せんせー、いっしょにおやつ食べよう?」「せんせー、次こっちにきてよぉ」と次々声をかけられ
「せんせー、ここわかんない」と国語のプリントを持ってきたり…といった宿題のことも尋ねられたりする。
“あぁ、体が二つ三つほしい!”と思ったり(笑)


そして、「やっぱり来たか」という感じの「身の回りであることの疑問・質問」。

それはある日のおやつの時間に質問されたこと。

「せんせい、鳥って、電線に止まってもなんで感電せんがん?(しないの?の意)」
ポテトチップを頬張りながら、一人の男の子が尋ねてきた。
「いい質問だね~、たしかに不思議だね。センセ、答えてもいいんだけど…じゃあ、みんなにも聞いてみよっか?」
うん、といったその男の子の肩をぽんっと叩き、黒板のあるホール前方に行って訊いてみた。
やはり理由はわからず、「知りたい」という子が大多数。
「わかった!とまってるふりして実は空中で浮いとるんや!」(んなわきゃナイ)
「わかった!でんきタイプやから感電しんのや!」(ポケモンだナ)
「おやつ食べながら聞いてて?」といった私だったが…そうは問屋が卸さなかった。
ホール内はにぎやかなディスコの中か電車が通るガード下といったところか。
ただでさえはしゃぎまわってじっとしていられない子が多い私の学童保育―
そうこうしているうちに、黒板に電線に止まった鳥の絵を書いたら、それに落書きをしだす子供たちで溢れ返ってしまい、それでおやつの時間が過ぎて言ってしまった。
私は一時中断。
しかし、答えを知りたがっている子供が多く居たのも事実。じーっとおやつに手を伸ばしながらも私の話を聞いていた子はいたのだ、たしかに。
「わかった、うるさい中で黒板に書いてお話してもわかりづらいだろうし、落書きされちゃうのはやっぱりいやだから、センセ、プリントにまとめてきます。明日までに。それでいい?それまでに、みんなはおうちにかえって、答えを予想・・・考えてみて下さい」
(予想=よそう、という単語がわからない子・学年もあるのだ!これがクセモノ)

かくして次の日。
私は、幼い頃読んだ「学研まんがひみつシリーズ『トン・チン・カンの科学教室』」や科学関係のインターネットでの資料を基に、プリントを作った。
漢字にはルビを振り、使えそうな挿絵も入れた。

文の内容は次のとおり。

「電気がとおるには、入り口と出口がひつようなんだ。
鳥はとまるとき、1本の電線にりょうあしをのせているだけだよね?
つまり、入り口があっても出口がないから、電気は「いきどまり」になっちゃって、鳥の体には電気がながれないんだ。
それにもう一つ。電気には、いくつものとおり道があると、よりたくさん電気がながれるほうへいこうとする力がある。鳥の体の中をとおるよりも、電線をながれるほうが電気はとおりぬけやすいから、鳥の体の中をとおらず、そのまま、すどおりしていっちゃうんだ。
もし、みんながおもいきりジャンプできて、1本の電線だけにぶら下がっても、体に電気は流れないよ。でもあぶないからぜったいにしないでね。
ただし、鳥が2本の電線にとまったり、とまったまま地面からはえている木の実を食べたりすると、電気が体の中をとおって地面に流れる。つまり出口があるってことになるんだ。だから、感電しちゃうんだよ。
上の絵のように(電力会社の、凧や釣り糸が高圧線に引っかかっている絵を入れて)、体のどこかが地面にふれているままで電線にさわっちゃうと、ものすごい力の電気が体の中をとおって感電してしまう。ぜったいにさわらないでね!」

で。
おやつを食べる「集いの時間」に、読むことにした。
「みんな、せんせいはちゃんとやくそくまもったよ。きのう、『プリントにまとめてきます』って言ったよね?」
おやつに夢中の子達と、「なになに?」とこちらを見ている子が半々。
「これが、きのうのしつもんのこたえです」
というと、「あっ、きのう言ってたアレかぁ」とこちらを向く子がちらりほらり。
「みんな、よーく覚えておいてね?『感電する』ていうのは『電気が体を通り抜けること』なんだよ?」
読もうとした。
だが、ここで大失態!
8グループ分のプリントの複写を忘れていたのだ。学童にあるコピー機は、A4サイズ以外のものがコピーできず、A4二枚にまとめたプリントを、合わせてA3にコピーしてくればよかったのだ。
仕方がないので、代表して三年生の男の子数人に読んでもらったが、これもいい作戦だと思えなかった。
彼らは、決定的に「読む力」が足りなかったのだ。私と声をそろえて読んでも、ところどころつまり気味。全部ひらがなにしたところでむつかしいのは変わらないだろう。
初見の文章を読むという能力が小学校低学年・中学年ではまだまだついていない、ということの表れだった。
しかし、だ。聞いている子はちゃんと聞いていた。8つあるテーブルに、挿絵を見せて回ったところ、覗き込んで見る子の方が大多数だった。
(なぁんだ、やっぱりみんな、大なり小なり興味があったんだナ)
せっかくのおやつの時間を少なくしてはいけない、と思い、「しつもんがあるひとはあとでききに来て下さい」といい、ひとつのテーブルに座ると、おやつを食べ終えた何人かの子が
「せんせー、見せて~」とやってきた。
質問の内容は本当に十人十色で面白く、
「いっぽんの電線なら感電しなくって、隣の電線につかまっちゃったら感電するんや?」
「電線につかまったまま、体のどこか下についたらだめなんや?」
と確認してくる子もいれば
「かたっぽが手で、もうかたっぽが足でもだめなん?」「0.000001秒ふれてもだめなん?」「おもいきりジャンプできんでも、はしごでのぼって、そこからつかんだらとどくよ」などといろんなパターンを語る子もいて、
(あぁ、「小学生らしい」発想だな)と胸中で笑い、
かと思えば
「せんせー、電線を直すおじさんはあぶないね」といってくる子も居る。
そこで付け加え。
「電線を修理するときは、電気を止めて工事をするんだよ。工事するおじさんたちは、ゴムてぶくろやゴム長靴を履くんだ。ゴムは電気を通しにくいからね」
中には、高圧線に凧が引っかかった絵を見て
「そうや!お正月に凧揚げしたとき、電線なかった!運動場いってやったもん」
ということに気づく子も居た。


そして土曜日。
「せんせい、鳥の電線のお話、お母さんにしたよ。そしたら『ふーん、そうなんや~』やって」
と一人の女の子がお話してくれた。
「せんせー、どうしてそんなに色んなこと知ってるの?」
うーん、どうだろう、と答えると
「たくさん勉強したから?」
とさらに訊いてくる女の子。
それからのやり取りはいずれお話しすることにしよう。

おまけに月曜日(すなわち今日)。
おやつの時間は、色んなコトを訊いてくる子が増えた。
「せんせー、地球ってどうやってできたの?」
「せんせー、地震ってどうして起きるの?」
「せんせー、あのプリント、面白かった、っていうか・・・また別のン読みたい!また作ってきて!」

男女問わず、「科学の世界」にはみんな興味津々なようだ・・けど!
オイオーイ
Hibikiセンセ、宿題という名の仕事がいくつか増えそう(?)

「草食男子」が彼女を作らない理由ランキング - gooランキング

2009-11-06 22:50:13 | Stream of Tears 心の手帳
「草食男子」が彼女を作らない理由ランキング - gooランキング


自分は、①、②、⑥、⑧、⑩が当てはまります。
どうなんでしょう、コレ。

「草食系何某」っていう言葉すらもいまいちわかっていないんですが―
いちおー調査によると

草食系男子(そうしょくけいだんし)または草食男子(そうしょくだんし)とは、2008年ごろよりメディアで取り上げられるようになった用語。一般的には「協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛に積極的でないタイプ」の主に20、30代の若い男性を指す。

らしいです。
言葉だけ聞くと、もどかしい感じがしてますますわかんないんですが、恋愛に積極的でないのは該当しますからね。
ただ、自分は草どころか、雑草とか苔に相当するかもしれません。

他の人はいろいろなコメントをなさっているようで―
「彼女ができない男の言い訳」
という方もいらっしゃいますが

それはそれ、こっちはこっちで…


一人で居たほうが「私らしくいられる」という理由もあるでしょうか。
ガラにもなく恋人なんて「作らない方が」(という言い方は失礼かもしれませんが)
むしろ一人でいるほうがお前らしいよ、という人も多いかもしれない、と思う今日この頃です。

36th Movement 「上を見よう、星を見よう」

2009-11-02 00:31:27 | SWEET SWEET SUITE

【「(前略)とりあえず、上を見ておこうかなって」
 「上?」
 「ホラ、横を見ると誰かに嫉妬して 自分も欲しくなるだろう?
  下を見ると、今の自分で助けてあげられる人が居て
  彼らに必要とされてりゃ気持ちはいいけど
  もし、自分より弱い者がいなかったら・・て思う
  その時、自分は何をやるんだろうって
  だから、上を向いている自分を確保しておこうと思ってね」】

【「ねえ、『401』じゃ、AIに失礼なんじゃない?」
 「・・・?」
 「エドモンドが言ってたよね。
  『上を見て進め。横を見たり下を見てたら 嫉妬したり脅えたりするから』って
  上を見る者 その上にある星を見る者―『スターゲイザー』」】

(OVA「機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER」より)

一つ目の会話は、前述OVA内で、ヒロインの「セレーネ・マクグリフ」と、「エドモンド・デュクロ」の会話。元軍人のエドモンドが天下りして深宇宙探査開発機構=DSSDになぜ入ったのかをセレーネが問いた際に彼が答えとして語った言葉。
二つ目の会話は、惑星探査のためのガンダム・型式番号「GSX-401FW」の稼動テストの際、同じくDSSD技術員の「ソル・リューネ・ランジュ」が、セレーネに語りかける言葉である。

世の中、上を見ればきりがなく、下を見てもきりがない、とはよく言われることだ。
過去を見れば、戦後の日本から昭和が終わり平成へと進み、豊かな国になって(という言葉で片付けていいのかわからないが)、常に「より豊かに、より大きく」と高く目標を持ち、望みの器が拡大していった。
だが周りを見れば、戦乱や貧困なども実際にある。飢餓にさらされていたり、治安が劣悪な国もある。
しかし、家族や住んでいる人はどうだろう。テレビで見るだけで、実際に会ったことはないのでわからないが、多少物がない貧困国でも、安全に安心して暮らしているならば、美しい顔をしている人は本当に多い。


かのヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは言った。
【望みをもちましょう。 でも望みは多すぎてはいけません】

最初からあまりに高い望みをもち過ぎるから不満、不安、その他が大きくなってしまう。
融通無碍な生き方を自分のものにするには―。

とある書籍からの引用であるが、
「そうあって欲しい100パーセントの世界から少し引いた60パーセントや80パーセントで生きていこう。『足りない』という焦燥感や不満がなくなり、ゆとりや柔軟性を生まれてくる」
と記されていた。

【「山本さん、280km/hまでだって それ以上は保証できない、無理だって」
「フフフ それがヤツらしいところヨ
600馬力出せるEg(エンジン)なら500までにしておく
300km/hで走れるなら280km/hでやめておく
腹八分目 身の程を知る やりすぎない ・・だから」
「だから・・?」
「ヤツの客は誰一人死んでいない コイツは立派なことだぜ なかなかできるコトじゃねえ」】

(アニメ「湾岸ミッドナイト・ACT.10」より 秋川レイナと北見淳の会話)

誰も乗りこなせないパワーを車に与えるため、「地獄のチューナー」と呼ばれ、客が廃れ廃業になってしまった北見とは対照的に、チューニングカーは一切断っている山本和彦が唯一面倒を見ているレイナのチューンドGT-R。彼女のGT-Rをはじめ、山本の経営するショップのクルマは、カネさえあればなんでもやるショップとは一線を画しており、安全性を重視した誠実な職人肌の仕事。バランスが取れたリスクの少ない走りを追求し、過剰なパワーは意図的に押さえ込んでいく。
しかし、「誰一人死んでいない」という事実があって、工場は大きくなっていったのだ。


ここで私はとある反論が思い浮かんだ。
「60%や80%でOK ていう生き方では、大きな目標は達成できないんじゃないの?」
と。

上記書物から再び引用するが
「高度馴化」という言葉がある。
登山で、「最初から一番高い地点を目指そうものなら高山病にやられ、ひどい場合は生命にも関わる。本格的な登攀を目指す人も、低いところから徐々に高いところへと高度馴化をして体をならしながら頂上を目指していく。人生も高山を登るごとし、だ」
その上で「60%のところで満足していれば、やがて自然にその少し上に登りたくなる。そうなったときに少し高度を上げるのは、無理でも危険でもない」
と述べられているのである。

成る程、高度馴化をしながら次第にレベルアップを図ることが
「上を見て進め」ということなのかもしれない。
やや高等なテクニックかもしれないが、これからの私にとっては半ば使命。

ただ、私は、坂本九さんの歌う「上を向いて歩こう」の歌が一時期嫌いだった。
「涙がこぼれないように♪」
阪神淡路大震災のときも、瀬戸内寂聴さんが「笑いましょう笑いましょう」って言って回っていたのを思い出す。
それって「取り繕い」じゃないか!と思ったのである。
悲しいことがあったのに、泣かずにいられるか、笑ってなんかいられるか!と反論した。
取り繕うよりも、泣くときは思い切り泣いて、次の一歩にすればいいじゃないか!


今だから、正直に書き連ねよう。

平成20年10月から、私は3回職場を変わっている。それまで勤めていた、ヘルパーステーションの管理下にある、福祉有償運送の運行管理部は、客が少なくなり、事業はそのままに部署は閉鎖され、新たに大借金をして別事業に動き出したのを見た私は、「先がないかもしれない」と判断して自主退社。
次の重心身障害者施設も、仕事がなかなかスムーズにできず、看護師長に「解雇文書」を出され、形の上で自主退社。
3月から勤めだしたデイケアも、通院継続が発覚した後、理事長兼施設長に、「心身ともに健康でなければここの仕事は務まらない。これ以上黄身の面倒を見ることはできない」と言われ、自主退社だが事実上の解雇。
6月から勤めだした葬祭業も、些細なミスが続き、仕事が思うように体になじまず、試用期間終了とともに退職を余儀なくされた。
この一年間、まさに私は「試用期間だけで」生きてきた。


腕を組んで「少ない正社員の枠、経験豊富なデキるやつを採るからな―」という「雇ってやるんだからな」的な会社に「採用が決まりました」といわれるのではなく、
給料が安くても「ぜひ、来て下さい」と言ってくれる会社の方がいいだろう。
大きな組織の中で、やり方の統一感がなく人間関係なども含めもみくちゃにされるよりも、ちいさな会社でのびのびやったほうが自分にとっていいだろう―
ハローワークの数名の職員の方は、申し訳ないくらいに私の求職活動にとことん相談に乗ってくれた。


「お金があれば 世の中の悩みの8割はなくなるって 
お金があれば家も服も買えるし 嫌な仕事なんかしなくていいじゃん
確かにお金で買えないモノとかあるよね
生きがいとか夢とか友情・・・ なんかそういうの
でもそれって 8割の悩みがなくなった上でさらにあればいい
どこか霞みたいなもんでしょ」
(コミック「湾岸ミッドナイト」 Vol.25より」)

夢や理想は確かに追いかけることはとても大事だ。
長渕剛さんの歌『親知らず』 には
「銭はよォ 銭はよォ そりゃ欲しいけどよォ
なんぼ積んでも なんぼ積んでも 譲れねぇものがある」
という歌詞もある。
けれども、その一方で日々の生活費を稼がなくては。
二律背反の関係にある理想と現実を、なんとか、同時・並行的に継続することが、夢をかなえる手段なのだろう。


そして私は、新たな職に就いた。
小学校の教員免許を保持しない私だが、一番自然に、肩肘張らずにやりたかった仕事。
「学童保育の指導員」である。
夢をかなえよう、夢を持っていってほしい、というメッセージをお互いに持ち、共有できる仕事。
成功、失敗はどうあれ、新たな素材が用意されたのだ、と思った。
私も、教員免許という種は持っている。
だから、与えてくれた幸運でもなんでもなく、そのまま受け入れたい。
今なら「上を向いて歩こう」の本当の意味もわかる気がする。

高度馴化―

上を向いている自分を確保しておこう―
ずっと向き続けるんじゃない、部分確保でいいんだ―