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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

「君への誓い」(原題:THE VOW)

2012-06-07 22:46:53 | シネマレビュー
【イントロダクション】
事故で記憶を失った妻と、彼女の心をもう一度射止めようとする夫・・・
愛し合うカップルにとって最大の試練ともいえる記憶喪失は、これまでも多くの映画に描かれてきたが、この映画はある夫婦の驚くべき実話に基づく真実のラブストーリーである。

全世界で大ヒット!究極の優しさが女性たちの胸を熱くする真実のラブストーリーが、ここに。


【ストーリー】
 シカゴに住むペイジとレオは、最近親しい友人たちの立会いのもと、美術館で自分たち独自の結婚式を挙げたばかり。2人は永遠の愛を誓い合い、ペイジは彫刻家として、レオは録音スタジオの経営者として充実した日々を送っていた。
ある雪の夜、車で外出した2人は追突事故に遭った。レオは大した怪我を負わなかったが、ペイジは東部に外傷を負い、昏睡から目覚めたときにはレオは見知らぬ人となっていた。2人が出会ってからの4年間の記憶をすべて失い、両親の元でロースクールに通っていた頃までのことしか覚えていないのだ。
レオの存在に戸惑う一方で、見舞いに訪れた父ビルと母リタには、何年も絶縁していたことも忘れて親密な笑顔を見せるペイジ。最愛の妻であり、たった一人の家族でもあるペイジの世界から突然閉め出されたレオは、ショックを受けながらも優しく彼女を気遣い、2人で困難を乗り越えようとする。しかし、退院して家に帰ってきたペイジは、赤の他人同然のレオとの生活に違和感を覚え、自分の服や背中のタトゥーにもなじめない。
そんな中、レオ同伴で高級住宅地にある両親の家へ食事に招かれた帰り、ペイジは元婚約者であるジェレミーと偶然再会する。後日ペイジは彼のオフィスを訪ね、5年前の婚約解消の理由を尋ねるが、彼女のほうが心変わりしたということしかわからなかった・・・。
さまざまな試みにもかかわらず、ペイジの記憶は一向に戻らなかった。
 2人の関係は、どうなってゆくのか・・・?

【メインキャスト】
ペイジ:レイチェル・マクアダムス
レオ:チャニング・テイタム
リタ・ソーントン(ペイジの母):ジェシカ・ラング
ビル・ソーントン(ペイジの父):サム・ニール
ジェレミー(ペイジの元婚約者):スコット・スピードマン

【スタッフ・詳細情報】
原作:『君への誓い(The Vow)』キム・カーペンター、クリキット・カーペンター著(いのちのことば社刊)

監督:マイケル・スーシー
音楽:レイチェル・ポートマン、マイケル・ブルック
製作国:アメリカ
上映時間:115分
2012年6月2日劇場公開開始
配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント

【コメント】
 同時期公開されていた、ジョニー・デップ主演のヴァンパイア映画と迷いましたが、こっちを見て大正解!それほどの感動を味わいました。
 これを見た方々はきっと、今までの「記憶喪失」がキーワードになる数々のメディア作品を思い出すんじゃないかなと想像しました。
 主に挙げられるのが、
○「心の旅路」(1942年公開/監督:マーヴィン・ルロイ)
○「メメント」(2000年公開/監督:クリストファー・ノーラン)
○「私の頭の中の消しゴム」(2004年公開/監督:イ・ジェハン)
○「50回目のファーストキス」(2004年公開/監督:ピーター・シーガル)
辺り・・・だそうですが、私は、あらすじだけ聴いたときは、アニメーション作品の『君が望む永遠』や、竹野内豊さん主演の放送中のドラマ『もう一度君に、プロポーズ』、更には交通事故が絡む『冬のソナタ』までもが、頭の中でぐるぐる絡み合い、周りからも「今、似たようなドラマやってんじゃん」と言われつつも、映画館ならではの感動がほしくて観に行きました。
 
 原作とは違う場面も多数あるそうですが、実話に基づいて作られている映画ということがまず驚き。2人の出会いやデート、さまざまな葛藤などのあらゆるシーンが、並みのドラマ以上に心に刻み込むようにやってきます。
 妻が記憶喪失になったという理不尽な出来事に遭遇したにも関わらず、レオがとても献身的な夫であり、物解りが良く、気長に物事を考える男なのがまずすばらしい所。演じるチャニング・テイタムも、あたたかい表情が素敵な、いい役者さんだと思いましたね。生活の総てを彼女が記憶を回復して元の生活をする事を願って、考え付く事を思い切って実行していくその姿が、とにかく切なくてたまりません。「愛を愛し、誰かを愛している状態が好き」というチャニングにとっては、「究極のファンタジー」であり、その意気込みは確かなものだったということができるでしょう。
 レイチェル・マクアダムスは、私と同い年。こちらも親しみのわきやすいやわらかい雰囲気の女優さんですよね。『シャーロック・ホームズ』シリーズに出演なさっていたときにはあまり注意してみていなかったのですが、今作でいっきに注目度が増しました。
 チャニングもそうですが、レイチェルがインタビューにおいて、原作となるカップルに会ったときは、前向きで明るく、本当に素敵なカップルで、それと同時にキリスト教への信仰心がとても強いのだということを知った、と語っています。そこで、事実に基づいた映画を作るにあたり、あまりにも出来過ぎていてリアリティに欠けるということで、敬虔なクリスチャンである原作の夫婦とは少し雰囲気を変え、もう少し信仰心をあまり強くない設定にして、記憶喪失というハードルを簡単には乗り越えられないようにしたのだそう。これが功を奏しているのでしょう。

 しかし、愛とは難しいものです。
 どんなに愛し合っていても、怪我・病気で脳が損傷してしまった場合に、時にその後遺症として記憶を失う事がある―という事は、人間の愛とは、日々の記憶が作るただの想い出の積み重ねでしか無いの?という考え方もできますものね。この分野はどうも苦手なところです(苦笑)。

 そこで、考えて欲しいのが、この映画のもう一つのテーマとして語られるのが、「瞬間」です。
 レオが冒頭で言う「自分を定義するのは、決定的瞬間の積み重ねだ」という言葉―(もう名言の域に達していますね)からもわかるとおり、自分を形作っていくピースの一つ一つなんだと思います。心理学の記憶の箇所をしっかり勉強してそれなりに説明できればいいのですが・・・「エピソード記憶」とはちょっと違うような気がします。
 「今」「ここ」「目の前の自分」、それこそが自分であり、それまで積み重ねてきたものを頼りに自分をアイデンティファイする―
 自分のすべてが「あの時はこうで、そうで、あんな気持ちだった。だから今はこうなんだ」という記憶を頼りに紡ぎだすお話(あるいは物語)のような導き出し方で説明できるものではなく、写真でもある、「決定的瞬間」。
映画において、ペイジは記憶をなくしてしまったけれど、同じ「決定的瞬間」を積み重ねたレオとのことは、レオからの何かしらのアクションで“新たな瞬間”として刻まれ、それが実を結び、あのラストシーンへと繋がったのではないかと考えています。

私自身、「なんでそんなことまで覚えているの?」と言われる位に幼少期のことを覚えているのは、単に記憶力が良いわけではなく、「決定的瞬間」として取り込まれていくのが鮮明で、情報量も多かっただけなのかな?と思っています。けど、結果としてそれが「私」を作っていることに繋がるんだということを発見しただけでも大きな収穫でしたね。
「『今を大切に』」
その意味も、この映画を見ることで少し解ったような気がします。

 神様に、そして愛する人に捧げた誓いが、これほどまでに感動的な物語を生むのだと思わずにはいられない、すばらしい恋愛映画でした。



RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語

2011-06-04 22:55:40 | シネマレビュー
【イントロダクション】

「好きなことやんなさい。それが一番の親孝行だがね」

「いいなあ・・・好きな仕事を全うできるって」

「僕にとってここが、最高の夢の場所なんだ」

“大人が夢見ても、いいんですね。”
懐かしい風景が思い出させた“大切なもの”。

カタンコトンという懐かしい電車の音と、感動があなたの耳に心に残ります。


【ストーリー】
主人公・筒井肇は一流企業(大手家電メーカー)の経営企画室長として働く49歳。取締役への昇進が内定するなど、東京で妻子とともに暮らす彼の人生は一見順風満帆に見えるが、家庭を顧みない肇から、妻も娘も離れていく一方だった。
そんなある日、故郷・島根に独りで住む肇の母が倒れたという一報が入る。さらに追い討ちをかけるように、親しかった会社の同期の親友が自動車事故で亡くなったという知らせが。
久々に帰郷した故郷で肇は思う。上り調子で着たはずのこれまでの人生、ただ目の前の仕事に追われ、がむしゃらに走り続けてきた。家族を気遣う余裕もなく、母親にはまだ親孝行の一つもしてやれていない。
そして肇は決心する。子供の頃の夢だった「一畑電車=バタデンの運転士になる」ことを。


【メインキャスト】
筒井肇:中井貴一
筒井由紀子:高島礼子
筒井倖:本仮屋ユイカ
宮田大吾(肇の同僚の新人運転士):三浦貴大
筒井絹代(肇の母):奈良岡朋子
大沢悟郎(一畑電車社長):橋爪功
石川伸生(一畑電車運輸営業部長):佐野史郎
森山亜紀子(絹代の介護士):宮崎美子
川平吉樹(京陽電器工場長/肇の同期):遠藤憲一
西田了(肇の同級生):中本賢
福島昇(一畑電車運転士/肇の指導係):甲本雅裕
高橋晴男(一畑電車車両課長): 渡辺哲
薮内正行(一畑電車運転士):緒形幹太
田窪俊和(一畑電車指令室):石井正則
長岡豊造(絹代の同級生):笑福亭松之助


【スタッフ・詳細情報】
製作総指揮:阿部秀司
監督:錦織良成
脚本:錦織良成 ブラジリィー・アン・山田 小林弘利
音楽: 吉村龍太
主題歌:「ダンスのように抱き寄せたい」松任谷由実
企画・制作プロダクション:ROBOT
配給:松竹
上映時間:130分


【コメント】
この映画を見たのは、偶々ですが中井貴一さんが出演なさっている「プリンセス・トヨトミ」が公開されだした今日でした。
先に観た両親は共に50代で、世代的にジャストミートな映画だったため、とても感動したそうですが、私は私で思うところがたくさんありました。特に、50代の親の子どもとして&おばあちゃんの孫としての倖の気持ちがとても良くわかるような気がしました。

実話を基にしたストーリーなのかと思っていたのですが、「脚本」「フィクション」ということで、ほんの少しだけ残念に思い「今の日本でこんなことはなかなかないだろう」と感じたのですが、それでも映画の力はすごい。「どんな展開で電車の運転士になるのか」というのが不安半分期待半分。あわただしく息苦しいサラリーマン生活から、のどかなローカル線の運転士への転身は、お話の中とはいえ思わず心の中で応援してしまった自分がいました。さすが、「ALWAYS 三丁目の夕日」をはじめとした映画をプロデュースした阿部秀司さん。鉄道ファンだけあって、作り込みも一級品でした!
映像美としては景色や車内の写し方が素晴らしいです。特にタイトルテロップがでる箇所の、車庫から出る無人の車内に、前の窓から次々と朝の光が差し込んでくるシーン。感動してしまいました。
お気に入りの台詞をイントロダクションに書き記しましたが、発せられる台詞は一つ一つが心地よく、解りやすく心に染み渡ります。細かい設定など見る必要がないので、何も考えたりせずに観ることができます。
役者さんの演技としてよかったのは、中井貴一さんが運転士に転身してからの人生の流れが緩やかになり、ダイヤを数分遅らせることになっても発揮される人情味に共感を持てること。それからおばあちゃんのヘルパー役として出演している宮崎美子さんのあふれんばかりの笑顔です。メインキャラではないのですが、とても光るものがありました。
キャスティングも非常に豪華で、それぞれに素晴らしい演技を披露して下さっています。

映画全体の流れは非常に緩やかで、序盤の窮屈な東京を中心とした世界と、中盤から終盤にかけての島根を舞台にした世界とでは明らかに「空気の流れ方」「雰囲気」が違うんです。その境目にあたるであろう箇所に「線路のポイントが切り替わるシーン」を上手く挟み込んで使用している点に思わず「うまい!」といってしまった私がいました。
そして劇中に流れる音楽は、シーンひとつひとつを実にうまく包み込むような、ハートウォーミングな楽曲が多く、物語をあたたかいものにしてくれます。涙腺が緩むのを感じました。

少しネタバレになってしまいますが、この物語の中で肇には二つの死が訪れます。
将来を嘱望されていたエリートサラリーマンでありながら娘や妻の気持ちもわからずにいる前半の肇に訪れる第一の死。
そして、晴れて運転士になった肇に訪れるもう一つの死。
でも、どちらの死が訪れてもどこかやさしい雰囲気に包まれているんです。


もう一つ、この映画と私が重なる点が非常に多いのも、感動できた理由でしょう。

私も車好きになる前までは、鉄道が好きでした。ブルートレインやL特急が大好きでしたね。
身近な鉄道で思いを馳せるとすれば、高校・大学は、地元鉄道の電車を使って通勤していたこと。そのうち大学生時代は、普段はワンマン運行の中で朝の一番混みあう列車一本だけに車掌さんが乗るんです。しかも私はその車掌さんのアルバイトをしていました。通学とアルバイトを両立できて嬉しかったですね。制服もちゃんと借りましたし、帽子とネームプレートは今でも思い出に持っています。
さらに同鉄道会社が運行するもう一つの列車に乗って、大晦日の日には初詣客を乗せる列車に乗って、車掌さんをやったこともあります。
幼い頃は鉄道会社のオリジナルのもので、床が木でできており、ギシギシ音をたてて走っていましたが、いまではその車輌はなくなり、私が通学で利用していた頃は東京の私鉄から買い上げたものを、塗装を塗り替えて使っていました。なんとなく、バタデンに重なるものを感じていました。
時計の振り子みたいに行ったりきたりしている小さな田舎の電車だし、昔の面影を感じる駅舎や建物も殆どないけれど、今でも現役で走っていることに嬉しさを感じている今日この頃です。

そして、肇の親にして物語の鍵を握る人物の1人である「おばあちゃん」。
私はおばあちゃんっ子なので、倖のようにおばあちゃんを大切にしていきたい、という気持ちがますます深まる中、劇中に登場するおばあちゃんを自分のおばあちゃんに重ね合わせて観ていました。
母方のおばあちゃんも、あんなふうに歳をとっていくのかな…と思いながら。

『どぎゃん親でも、子どもが嬉しそうにしとうのが一番だがね』

というおばあちゃんのセリフを聴いた時、「あぁ、このセリフは(自分の)おばあちゃんが自分に言ってくれているメッセージとおんなじだ」と思ったのです。

仕事は本当はつらいもの。苦しいもの。
本当に好きなこと・自分のやりたい仕事をやらせてもらえることは羨ましいことであり、素晴らしいこと。

「あんた、仕事楽しい?がんばっとる?」

私のおばあちゃんは、時々あそびに来るたびに私にそう声をかけてくれます。
紆余曲折を経て今の仕事についている私ですが、色々あるけれど「自分の職業興味や引き出せる能力と、それをそこそこかなえてくれる・実現させてもらえる職場にめぐり合えて、そこで働いていることは苦しいけれど、人が喜んでる姿があるから『楽しい』」と、胸を張っていえるように、日々を過ごしているように思います。

「人に接したり、奉仕したりする仕事」と「定まった方式や規則にしたがって行動する仕事」「研究的・探求的な仕事」という、かなり相反するエリアに興味尺度や適正、置いていそうな雰囲気がでている私を見て、
「福祉系とか人に接する仕事ばっかりやってて、さんざん打ちのめされて傷ついて、体までぶっ壊した経験が何度もあるんだったら私ならその道をスパンとやめてあきらめるけどな」
という人もいます。
でも、私は今の(ような)仕事を続けていくと思います。先にも述べたように、今の世の中、自分のしたい職業に転職するということは、実に厳しいことだと思うからでもありますが、自分の今までやってきたことと、そこから何を選択し、どうやって発揮するかということにかかっているんだと思うからです。肇のバタデンの会社面接のシーンにそれがよく現れています。

劇中に、『世の中には、失って初めて気付くもんがいっぱいある。無くしてから気付いたんじゃあ遅い』というセリフが出てきます。
何気ない一言ですが、これがこの映画の大部分を支配しているような気がするのは私だけでしょうか。
心を揺さぶられましたね。

映画を見終わった後には、目の前の現実が待っているのは事実ですが、一見の価値はあります。
幸せなひと時と、レールのポイントを切り替える勇気と、人間のあたたかさを胸いっぱい感じることができます。


南極料理人

2011-04-23 21:43:42 | シネマレビュー

【イントロダクション】
「やりたい仕事が、ここでしかできないだけなんだけどなぁ・・・」

「お父さんが単身赴任してからお母さんがずっと元気がないです」
「じゃあお母さんに何かごはん作ってあげるといいよ。おいしいもの食べると元気が出るでしょ?」
「うんっ」

『どんなときも、おいしいものを食べると元気になれる。』
実際に南極で料理人だった原作者の著書を元にした、コメディ&ハートウォーミングドラマ!

【ストーリー】
氷点下54℃、日本までの距離14,000km。標高3810mの所にある、南極・ドームふじ基地。
そこは、ペンギンも、アザラシも、ウィルスさえいない所。
そこで、8人の観測隊員たちがここで生活することになる。
恋人にも会えない 家族とも離ればなれ・・・まさに“究極の単身赴任”。
1997年、海上自衛官だった西村淳は、ひょんなことから(?)南極観測隊員として任命され、南極で一番過酷な環境として知られる“ドームふじ基地“に派遣された。そこで彼は、南極独自の調理方法で、観測隊員を支えるため絢爛豪華な料理をふるまう。そこで繰り広げられる8人の男たちの生活は・・・。

【メインキャスト】
西村淳(調理担当):堺雅人
本さん(雪氷学者):生瀬勝久
タイチョー(気象学者):きたろう
兄やん(雪氷サポート):高良健吾
ドクター(医療担当):豊原功補
主任(車両担当):古舘寛治
盆(通信担当):黒田大輔
平さん(大気学者):小浜正寛
西村の妻・みゆき:西田尚美
西村の娘・友花:小野花梨
KDD清水さん:小出早織(現・早織)
鈴木:宇梶剛士
船長:嶋田久作

【スタッフ・詳細情報】
原作:西村淳『面白南極料理人』『面白南極料理人 笑う食卓』(新潮文庫刊)

監督・脚本沖田修一
音楽:阿部義晴
主題歌:ユニコーン「サラウンド」
上映時間:125分
2009年8月8日劇場公開
DVD発売元:ポニーキャニオン

【コメント】
最近、邦画のDVD鑑賞にハマっている私が、とあるDVDの本編前に流れるPR映像で知った映画です。

そしてこの映画は、3月11日(以下「3・11」)の東日本大震災の地震が起きる直前の日曜日に家族で見ました。

“衣・食・住”
人間にとって、なくてはならないモノ―

彼ら8人にとっての「衣食住」・・・
部屋は狭くとも家はある―
着ている服は、極地用の特別装備―
それに、お酒を飲んだり、麻雀に興じたり、時にはみんなで乱痴気騒ぎをやらかしたり。

でも・・・
遠く日本を離れ、家族や恋人と1年以上別々の暮らし。
電話は繋がる、でも1分\740(!)
水は自分で雪を解かして作らなきゃならない。
「南極料理人」というタイトルを聞いて、昭和基地の南極観測隊の調理人さんなのかなと思っていたら、そこよりもさらに過酷な地の観測隊・・・男8人という生活。
撮影そのものは北海道で行われたそうですが、現地の苦労が偲ばれる描写が多数描かれで、南極ではないといえかなり厳しい様子が伝わってきました。
仕事とはいえ、さまざまな意味で大変なことは確かです。映画の中でさえそのご苦労を感じたのですから、本当の南極観測隊の苦労はそれをはるかに超えるものなんだろうなぁと想いました。

その苦労の中、生きるために・生き延びるために・生き抜くために
そして、何よりの楽しみ―それが「ごはん」。「食事」。
それも、「心のこもった料理」。

料理を作るには、食材がなきゃ話にならないですよね。
この映画を見たあと放送が始まった、少年ジャンプ連載コミック『トリコ』には、「オラたち人間は、自然からいのちをいただいております」というAC JAPANのCMを見聞きするまでもなく、嫌味なくスーッと心に染み入るキメ台詞がありますね。

【この世のすべての食材に感謝を込めて いただきます】

そこに食べられるものがあるかないかという制限がかかる南極という地での調理の仕事。
もちろん滞在期間中の食料は、それなりにたっぷり用意されてはいるでしょう。だから自然災害や飢えにあった人々とはリクツが違うかも知れません。
でも、それらをキッチリ管理する―それだけでも「南極料理人」の仕事は大変です。
食材を無駄なく、効率よく使用するために、たとえばシチューなんかを作ったら、あまったシチューで何か別の料理を。それがあまったらまた別のメニューを・・・と作り変えてゆくんだということを、母がテレビで見て知ったそうです。「工夫しておいしいものを!」というコンセプトは幼い頃から今でも、母の料理のポリシーみたいなものなんです。
これだけでも、母や堺さん扮する西村隊員の苦労と工夫が間接的にですがわかります。

それに付け加えて、毎日誰かのために食事をつくるということがどれだけ大変なことか・・・限られた食材で、どんな風に料理しようかを考え、毎日毎日繰り返される調理という、ある意味メンドウで、でも底無しに奥が深い仕事です。
ちゃんと食材があるだけじゃなく、人に作ってもらって、「どうぞ、召し上がれ」と出してもらって
「○○が食べたい」というリクエストにこたえてもらって
「冷めないうちに食べなよ」って言ってもらえて
「おいしい」「うまっ」と言える・・・そんな料理。

この映画を見て、さらに「3・11」の直後、私は本当に「食べること」ということについて真剣に考えました。何気ない毎日の生活・・・とりわけ毎日の食生活を「当たり前」と思いかけている私が、ビンタでもくらったような感じでした。
そして思いました。『いつでも・どこでも・どなたでも 食の幸せだけは失いたくない、失ってほしくない』、と。

食べることと心―
「心=体」と「精神」の絆が、「頭」の命令との単純な結びつき以上に大切な、私たち人間。
「悲しいことがあっても、とりあえずモノが食べられたら、少しは精神状態もましになる―だから人間、食べるってコトをしなきゃ、ね」
そう教えてくれたのは母や祖母でした。

率直に心あたたまる映画だったと思いました。
内容的にもほのぼのとしていますし、可笑しくて、いろんなところで笑ってしまいますよ。
西村隊員の「『してやったり』といった感じの『逆襲』」をはじめとした、表情や手つきなどのすばらしい演技をはじめ、各キャラクターの個性の強さにぐいぐい引かれていき、本編時間の長さとは裏腹に、「あれ?いつのまに終わったの?」という感じでした。
年月がたつにつれて髪の毛が伸びてきていたりする演出も、雪色一色に思われる南極という地に、さまざまなカラフルなアクセントがついている景色やセットの配色が素敵なのと、それの有無によってガラリと変わる風景も、よい見せ方をしています。


ふっくらおにぎりも
みんなで作ってハフハフいいながら啜りたい豚汁も
カリッカリのエビフライも
ジューシーなステーキも
海上自衛官は金曜日に必ず食べるカレーライスも
全国にたくさんのお店が立ち並び、今じゃインスタントでも食べられるラーメンも
誕生日には欠かせないケーキも
お弁当の中に入っていると嬉しい鶏の唐揚げも
みんな、誰かが食材を手に入れ、誰かが料理しなくちゃ食べられない―

なんでもかんでも今回の震災に結びつけて考えるのはよくないことだとはわかっていますが、お腹を満たしてくれる、おいしいご飯が食べられることに、これからも感謝―
食をめぐって展開される人間模様の暖かさと、食べられる幸せ食事が出てくる幸せをかみ締められると思える映画です。
自信を持ってオススメします!


『相棒』‐劇場版Ⅱ‐警視庁占拠!特命係の一番長い夜

2010-12-26 23:58:18 | シネマレビュー
【イントロダクション】
「今のは警告だ!次は警視総監を撃つ!!」

「杉下さんは、くやしくないんですか?!」
「いえ、あやしいと思います」

「絶対的な正義が、この世にあるなんて…思ってる?」

「真実は必ず…我々が明らかにしてみせます」

―あなたの正義を問う。―
テレビドラマ「相棒」10周年記念にして、杉下右京と神戸尊の「相棒」が始動してから僅か1年少々で、待望の劇場版第二弾が登場だ!

【ストーリー】
日本警察の要所・警視庁本部内で、前代未聞の人質籠城事件が発生した!人質は、田丸警視総監(品川徹)、長谷川副総監(國村隼)をはじめとした、各部の部長ら幹部12名。現場となった会議室は機動隊と特殊捜査班SITによって完全に包囲されるが、犯人の動機は不明。要求もないまま、いたずらに時間が過ぎていくのだった。
いち早く事件に気づいたのは、偶然にも犯人の男と遭遇した神戸尊(及川光博)とその連絡を受けた杉下右京(水谷豊)。右京は会議室内の様子を把握することが肝心と、鑑識の米沢守(六角精児)や元特命係の陣川公平(原田龍二)の協力を得て、誰も予想しなかった奇策に出た。
内村刑事部長(片桐竜次)ら幹部たちが囚われているため、実質的トップの立場になった中園参事官(小野了)が捜査本部の指揮をとることになった。しかし、一向に進展しない事態に、捜査一課の伊丹憲一(川原和久)、三浦信輔(大谷亮介)、芹沢慶二(山中崇史)らは苛立ちを募らせるばかり。と、そこに右京が持ってきた情報によって、籠城犯が元警視庁刑事の八重樫哲也(小澤征悦)だと判明。にもかかわらず捜査の外に追いやられてしまう特命係の2人だったが、籠城前に尊が八重樫から助け出した女性が総務部装備課の朝比奈圭子(小西真奈美)だとつきとめた。
 そんな時、緊迫する会議室内から2発の銃声が響いた!右京の強固な反対にも関わらず、中園らの指示でSITと機動隊員たちが会議室内に強行突入!!事態は何とか終息し、人質たち12名は無事に保護される。だが、籠城してまで八重樫が求めたものが何だったのか、大河内監察官(神保悟志)の事情聴取に対しても、12名は曖昧にしたまま何も証言しない。皆が一様に口を閉ざすことに疑問を持った右京と尊は、角田課長(山西惇)らの協力を得て、独自に幹部たちへの聞き込みをはじめる。
 一方、事件の報告を受けた警察庁幹部の小野田官房室長(岸部一徳)は、金子警察庁長官(宇津井健)とともに、不穏な動きを見せ始めていた・・・。
 徐々に明らかになってくる事実。それは、八重樫や圭子が関わっていた過去の大きな事件に関する、衝撃の真相だった―。
(http://www.aibou-movie.jp/story/index.htmlより転載)

【キャスト・登場人物】
杉下右京(特命係係長・警部): 水谷豊
神戸尊(特命係刑事・警部補):及川光博
伊丹憲一(捜査一課刑事・巡査部長):川原和久
三浦信輔(捜査一課刑事・巡査部長):大谷亮介
芹沢慶二(捜査一課刑事・巡査):山中崇史
角田六郎(組織犯罪対策部組織犯罪対策第5課課長・警視):山西惇
米沢守(鑑識課鑑識課員・巡査部長):六角精児
大木長十郎(組織犯罪対策部組織犯罪対策第5課):志水正義
小松真琴(組織犯罪対策部組織犯罪対策第5課):久保田龍吉
内村完爾(刑事部刑事部長・警視長):片桐竜次
中園照生(刑事部参事官・警視正):小野了
陣川公平(捜査一課・経理担当):原田龍二
大河内春樹(首席監察官・警視):神保悟志
宮部たまき(花の里・女将):益戸育江
朝比奈圭子(総務部装備課・主任):小西真奈美
八重樫哲也(警視庁人質籠城事件犯人、元組織犯罪対策部刑事):小澤征悦
三宅貞夫(警視庁生活安全部長):石倉三郎
磯村栄吾(故人、公安部外事第三捜査員課):葛山信吾
松下伊知郎(警視庁通信部長):名高達男
鈴木光彦(警視庁地域部長):大森博史
原子嘉和(警視庁公安部長):大出俊
寺門宗佑(警視庁警察学校長):佐々木勝彦
井手実篤(警視庁警備部長):井上高志
鶴岡小太郎(警視庁交通部長):佐渡稔 
田中靖(警視庁総務部長):五王四郎 
川上博康(警視庁組織犯罪対策部長):重松収 
丸山英明(警察庁官房室勤務):平岳大
曹良明 (中国マフィア):本宮泰風
飯島政史 (警視庁警備部警備一課課長):小木茂光
磯村幸恵 (磯村栄吾の母親):丘みつ子
李華来=リー・ファーライ(中華街の住人): 江波杏子
田丸寿三郎(警視庁警視総監):品川徹
金子文郎(警察庁長官):宇津井健
長谷川宗男(警視庁副総監兼警務部長):國村隼
小野田公顕(警察庁官房室長・警視監):岸部一徳

【スタッフ他】
監督:和泉聖治
製作総指揮:早河洋
脚本:輿水泰弘、戸田山雅司
音楽:池頼広
2010年/日本作品
上映時間:119分
製作会社:「相棒-劇場版Ⅱ-」パートナーズ
配給:東映

【コメント】
水谷豊さんという役者さんの代表作のひとつとも言えるドラマ「相棒」。
母親が大ファンで、毎週欠かさず見ている刑事ドラマです。
2000年のpre seasonから今まで、10年続いているというロングラン作品ですが、私は断片的にしか見ていなかったので、杉下右京の過去や現在に至るまでの人間性やキレっぷり、相棒の亀山薫や特命係創設の秘密、現在の相棒・神戸尊の配属の理由(わけ)は、殆どすべて、劇場にあったリーフレットやwikipediaの人物紹介コンテンツで知りました。
映画前作となる「絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン」も、スリリングでスピーディ、かつ大どんでん返しの展開が面白かったのですが、それは何をおいても杉下&亀山のコンビが織り成す熱い絆と、各役者さんすべての名演技が光っていたからだと思います。

今回の劇場版は、新しく加わったミッチーこと及川光博さん演じる、神戸尊が相棒となった特命係の二人が「国家に立ち向かう!」という、まさに劇場版にするにふさわしいストーリー基盤を持っています。
「犯人を捕まえるのが警察ではなく、事件そのものを・原因そのものを解体し、解決に導いていく」という、半ば「探偵の要素」を盛り込んでいる、と公開前のスタッフ談話で誰かが語っていたように、単なる刑事ドラマでは終わらない奥深さというか、そこに至った原因に鋭く切り込み、それが現代社会の抱えるさまざまな問題や矛盾、警察をはじめとした組織の腐敗を巧みに描いているのが大きな特徴です。
「スッキリ解決してハイ終わり」というのではなく、そこここに必ずひねりを入れる―今回の劇場版にもそれがふんだんに盛り込まれて、本当に楽しめました。

で、重要なのが「国家に立ち向かう」というのがポイントです。どんな風に立ち向かっていくのか、それはスクリーンで、そして今までのシーズンをチェックする必要がありそうです。
歴代の「相棒」ファンはもちろんのこと、最近になってファンになった方でも思い切り楽しめます。そしてその内容の深さと、ストーリーに織り交ぜられた恐ろしいまでのトリックに、心から感動することでしょう。

演出面や印象ある場面で興味深かったのは、序盤で現れる右京さんの「ムチャ」(笑)、その右京さんに指摘される尊の「ムチャ」、どこまでもデロデロした警察上層部の動きとそれに切り込む右京さん、ヒロインに起用された小西真奈美さんの強いまなざしと演技(拳銃を構えるシーンがありますが、ホントかっこいいんですよ!)、そして、クライマックスです。
もちろん、テレビシリーズでお約束の言い回しやクスッと笑ってしまう部分、キャラクターの特徴を再確認できる演出もふんだんに盛り込まれていますよ。
残念だったのが、初期シーズンではお約束の「亀山のバァカ!」でお約束の捜査一課の面々があまり登場しなかった点、今となってはもう書けてしまいますが、右京さんが「官房長―!!」と叫んでいるシーンが予告映像に入っていたため、わかる人には早々にネタがわかってしまうことです。

しかし、それをわかった上で、犯人をはじめとしたさまざまな人物の視点にたってスクリーンで何度も観たくなる、かめばかむほど味が沁みる「おいしい」映画になっています。

私の中では、完全に「踊る~」シリーズを越えましたね。


今回、男性の役者さんは平成仮面ライダーシリーズに出演されている方が何人かいらっしゃいますが、その第11作『仮面ライダーW』に登場した「フィリップ」が『地球(ほし)の本棚』に入ったら、こう検索するでしょう。

検索を始めよう―キーワードは…
「12人の警視庁幹部」
「テロ組織」
「警視庁公安部」
「4GBのMiniSDメモリ」
「セーリング部」
「ノンキャリア組」
そして、最後のキーワードは―
「『正義』の答え」


「アイアンマン2」 原題:IRON MAN 2

2010-07-26 21:52:21 | シネマレビュー
【前回までのあらすじ】
トニー・スタークは、米国政府と契約を結ぶ大企業「スターク・インダストリーズ」の最高経営者。
天才的頭脳を持ち、セレブなトニーは、ファーストフードと女性に目がなく、自己中でいつもボヤいてばっかりの変わり者。
その彼は、自身の会社で革新的兵器を開発していたが、新型兵器実験の際、テロリストに拉致される。
九死に一生を得るが、自社の製品が悪用されていた衝撃の事実を知り、兵器開発を中止。
自らの手で、ハイテクスーツ「アイアンマン」を造り上げ、悪に戦いを挑む。

空を飛び、力も初期型より飛躍的に増幅し、武器も多数装備した「アイアンマン」は、使用次第では超兵器となりうるものでもあるが、トニーは、正義のシンボルとして改良を重ね続け、ひたすら悪に立ち向かうその姿は、多くの人を魅了した

そして、全てが終わった後、記者会見の席で彼は、「私がアイアンマンだ」と世界中に暴露してしまう―


【作品概要・ストーリー】
“かつてない人間的な型破りヒーローの誕生”と世界中のメディアが絶賛し、世界興収600億円以上を記録した、メガヒットSF大作、アイアンマン。
その続編が、約束どおり2年後に
そして、「お約束」以上にヒートアップして帰ってきた!

トニー・スタークが自らアイアンマンであると公表してから半年後。
ニューヨークでは、スタークインダストリー主催の「スタークエキスポ」が行われ、活気に満ちていた。
世界各地で起こる紛争を鎮圧し続け、平和のために貢献しようとするトニーだったが、その勝手なヒーロー行為=一方的な介入を疑問視され、さらにアイアンマン・アーマーを兵器として見なされたことで、合衆国からアーマーの引き渡し・没収を求められてしまう。
かつてアフガニスタンで自ら深手を負い、その傷を代償にして開発したアーマーを誰の手にも渡したくないトニーは、断固として要求を拒否するが、アーマーの動力源にして生命維持装置でもあるアーク・リアクターの副作用(パラジウムを使用することにより血中内の毒素が増える)により、その身体は着実に蝕まれつつあった。
トニーは命あるうちに使命を全うすべく、スターク・インダストリーズ社長の座を秘書のペッパー・ポッツに譲り、新たな秘書としてナタリー・ラッシュマンという女性を迎え入れる。
一方、パワードスーツ受け渡しの要求を拒否したトニーの姿を、テレビのニュースで、憎悪に満ちた目で見つめる男がいた。彼の名は、イワン・ヴァンコ。
アーク・リアクターの設計図を入手して秘密裏に製作し、さらに一撃で金属を真っ二つにする電磁鞭を備えた“ウィップラッシュ”と呼ばれる対アイアンマン用装備を開発して、トニーの前に現れた。
トニーが装着した携帯型の最新パワードスーツによって、ウィップラッシュは撃退され、ヴァンコは捕らえられてしまったが、トニーのライバル会社の社長、ジャスティン・ハマーが、試作アーマーを大量生産するという計画を推進するべく脱獄させたのだった。
また、トニーのよき友人ローディは、トニーから強引にアーマーを奪おうとする軍を抑えていたが、結局は堕落しきったトニーと対立してしまい、「マーク2」を奪取して空軍基地へ持ち出してしまう―。
そして、前作の末に現れた「ニック・フューリー」なる男と、レザースーツに身を包んだ“ブラック・ウィドー”と名乗る謎の美女・・・
彼らの正体は?
特殊機関S.H.I.E.L.D.とは?

アイアンマンの、本当の戦いが、今幕を開ける―!


【出演・キャスト】
トニー・スターク:ロバート・ダウニー・Jr
ペッパー・ポッツ:グヴィネス・パルトロー
ジェームス・ローズ(ローディ):ドン・チードル
ナタリー・ラッシュマン(=ブラック・ウィドー): スカーレット・ヨハンソン
イワン・ヴァンコ(=ウィップラッシュ): ミッキー・ローク
ジャスティン・ハマー: サム・ロックウェル
ニック・フューリー: サミュエル・L・ジャクソン
ハワード・スターク(トニーの父親): ジョン・スラッテリー
フィル・コールソン: クラーク・グレッグ

【監督・詳細】
監督:ジョン・ファヴロー
2010年/アメリカ作品
上映時間:124分
製作会社:マーベル・スタジオ、フェアヴュー・エンターテインメント

【感想・コメント】
6月28日(月)のレイトショーで、前作同様劇場で観ました。
アクションものはやっぱりスクリーンに限りますね!

一作目が、アイアンマンの誕生から発展までを描いているので、とても面白かったので、今回はどうなるのかがとても楽しみでした。
(ここからはかなりネタバレをすることになりますが)
表面上は自己中で凝り性の変わり者、繰り出すセリフはユーモアの嵐!のトニー・・・だけど今回は、スーツを装着し続けることによる病が彼を蝕む、さらには、同じアーク・リアクターが開発されて敵に襲われてしまう!あぁ、どうなっちゃうの?!というハラハラ感があって、よかったですね。
「兵器会社の社長」という立場よりも、「自分自身の存在そのもの」に向き合うトニーの姿が多数描写され、さらに、自分の父のエピソードが絡んでくるなど、もともとの斬新なキャラにいい味のドラマ性が加わり、これはこれで楽しめました。
戦闘シーン(特にウィップラッシュとの)が短くてつまんない、とか、他のサブキャラも含め、味が無いと評する人もいますが、映画クォリティそのものは格段にアップしているので、ひとつのアクションモノとしては、大いに楽しめるでしょう。

見所は、何と言ってもトニーの作業場のハイテクさ、戦闘シーンの迫力感の増大ですね。
そして、アイアンマンvsアイアンマン、さらには、巨大ボスキャラとの戦闘以上に痛快だった空中戦シーンですね。


また、今回トニーの愛車は、AUDI R8のロードスターに替わっています。その爆走するシーンも多く、スーパーカー好きにはたまらない演出です。

面白みが下がるかなぁと想っていた「2」でしたが、予想を超えて楽しむことが出来たので、観て損は無かったと思います。


前作も、映画が終わって、エンドロールが流れた後、この「2」に続く映像が流れたのですが、今回もそうなるだろうと想って待っていると・・・
出ました。やっぱりそうでした。
席は、明るくなるまで立っちゃいけませんヨ、やっぱ。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように、はっきり「3」へと続くというのではなさそうなのですが、
ニューメキシコのクレーターのようなくぼみが出来た地面のド真ん中に、何か「柄」のようなものが刺さっているのです。
そして、それを見つめていたのは、本作に登場する、とある人物―

さぁ、次のMARVEL作品を楽しみに待ちましょうか!

次の作品って?

じゃあ、ここを・・・
http://www.ironman2.jp/avengers/index.html


「空気人形(KUKI NINGYO)」 英題:AIR DOLL

2010-07-11 23:54:50 | シネマレビュー
人間と人形・・・
空気と空虚・・・
生と性・・・

そして、心・・・

「心なんて持たなければ良かった?」
「わからない・・・でも、苦しい」


【ストーリー】
物語の舞台は、東京の川沿いの寂しげで小さな町。普段はファミレスで働き、古びたアパートに暮らす中年男・秀雄は、「ラブ・ドール」と呼ばれる『空気人形』と住んでいた。秀雄は、食事は2人分用意し、夜になると人形と一緒に風呂に入り、ベッドでプラネタリウムを見ながら語りかけ、同じ布団で眠りにつく。
だがそれは、「性欲処理の『代用品』」だったのだ。
雨上がりのある朝、秀雄が出かけると、空気人形はゆっくりと立ち上がり、少しずつ窓際へと向かう。そしてアパートの軒から垂れる雫に指先で触れると、「キ・・・レ・・・イ・・・」と呟いた。
空気人形は、動けるようになり、そして・・・本来持ってはならない「心」を持ってしまったのだった。
メイド服を着て、おぼつかない足取りで町に出た空気人形は、いろいろな人に出会っていく。
そして彼女は、レンタルビデオ店で働く純一に会い、まもなく彼の店でアルバイトをするようになり、純一の心のどこかに、自分と同じような空虚感を感じつつ、日に日に惹かれていく。
少しずつ純一から映画の知識を得て、仕事にも慣れてきたある日、人形はバランスを崩して脚立から落ち、棚から飛び出たクギに手をひっかけてしまう。手首が裂け、人形の身体から勢いよく吹き出す空気に驚いた純一だったが、「見ないで・・・」という人形の言葉を遮るように、お腹の空気穴から何度も息を吹き込んだ。
「もう・・・大丈夫だから・・・」と、息を荒げた純一が空気人形を抱き寄せる。高揚する空気人形。誰もいないビデオ屋の床で、いつまでも抱き合う二人。
愛する人の息で満たされ、彼女は今までにない幸福感に包まれたのだった。
そして彼女はさらに、ある事実を知り、ついに秀雄の元から離れる決意をするのだが・・・。
(http://www.kuuki-ningyo.com/m/e/story.htmlより引用・一部補筆)

【キャスト】
空気人形:ペ・ドゥナ
純一(レンタルビデオ店員):ARATA
秀雄(人形の持ち主):板尾創路
敬一(老人)高橋昌也
真治(秀雄の近所に住む男):丸山智己
萌(秀雄の娘):奈良木未羽
佳子(会社の受付嬢):余貴美子
鮫洲(レンタルビデオ店長):岩松了
美希(過食症の女):星野真里
透(浪人生):柄本佑
轟(派出所の警官):寺島進
千代子(未亡人):富司純子
ファミレスの店長:山中崇
清掃員:ペ・ジョンミョン
バスの乗客:桜井聖
園田(人形師):オダギリジョー

【詳細情報、スタッフ】
原作:業田良家作『ゴーダ哲学堂 空気人形』(小学館刊)
監督・脚本・編集:是枝裕和
製作:川城和実、重延浩、久松猛朗、豊島雅郎
公開:2009年9月26日
製作国:日本
上映時間:116分
年齢制限:R-15指定
配給:アスミック・エース


【感想・コメント】
この映画は、公開が近い日に、フジテレビ系番組「笑っていいとも!」に、監督と主演のペ・ドゥナさんが出演したのをきっかけに知りました。しかし、公開している劇場が少なく、ストーリーも今ひとつピンとこなかったこともあって、見逃してしまったのです。
つい最近、映画好きの友達から「いい映画だったよ」と薦められ、DVDで見ました。

「空気人形」って、ひょっとして実体のない気体でできた人形なのか?と勝手に想像していましたが、それはまったくの間違いで、導入部から最後まで「奇抜さから得られる驚き」と「ふわふわした優しさ」と「行き違いから感じる哀しさ」がいっぱいの時間でした。
全編を通して登場する「裸体や性行為の描写」も含め、いったいどんな展開を見せるのだろうとどきどきしながら見ていました。

1体¥5980円の「のぞみ」と名付けられたラブ・ドールが、心を持ってしまい、自分で着替えをしておしゃれをし、街に繰り出し、風景に心を動かされ、人間とも触れ合い、言葉を覚え、恋までしていく―
設定そのものはちょっとファンタジー過ぎるなと改めて思いもしますが、空気人形が人間に変わっていくシーンがとても上手く描写されていて、感心したのを覚えています。
前述の営みは全て、私たちごく普通の人間もできること・していることでもあるのに、空気人形がやると、ひとつひとつが、どこか新鮮で、愛おしいことのように見えて・・・。
「オギャー」と生まれて成長してたくさんの“初めて”を経験する人間(子ども)がするのとは、根本的に違う愛おしさ、純粋さ、そして心地よさです。

愛おしさの象徴として真っ先に強調すべきは、ペ・ドゥナさんの体と演技の美しさとかわいらしさです。映画のポスターを見る限りでは、韓国人の女優さんだとは思えませんでした。
人形になりきったときの演技はもちろん、日本人の持つかわいらしさ、人形というものが持つかわいらしさ、衣装のかわいらしさも含めて、見事に表現しきっているのは、ペ・ドゥナさん本人・スタッフ共々まさにあっぱれです。
そして、ペ・ドゥナさんが演じることで、「(日本語という、ある種の美しさを持った)言葉を覚えていく」コト、そして「心を持つことから来るさまざまな想い」が、不器用かつピュアに描かれているのもすばらしかったですね。日本人女優では、空気人形の周りにある「キレイな空気感(アトモスフィア)」はもしかすると彼女ほどは出せなかったかもしれない―とも思えました。

空気人形が出会う人たちは、
戻らぬ母親の帰りを待つ小学生・萌とその父親・真治。
ニュースで見る事件を全て自分が犯人だと警察に名乗り出る、元印刷会社経営者夫人・千代子。
毎日毎日、千代子の相手をしている交番のおまわりさん・轟。
フラフラと町に出ては、大量の食糧を買い込む過食症のOL・美紀。
老いを受け入れられず、執拗に若さを求め続ける会社受付嬢・佳子。
迫り来る死の訪れを感じている、元高校国語教師の敬一。
リストラされ家族から見放された中年レンタルビデオ店長・鮫洲。
メイド服姿の空気人形を遠くから見ている常連客の浪人生・透。
・・・
どうですか?心のどこかにぽっかりと穴が開いたような、空虚感が大なり小なりありそうな人たちだと思いませんか?
それらは全て、「人間として、心を持っているが故に背負う、『悲しみ・孤独』」という点で共通しているといえます。
そして、その登場人物からは、人間のきれいな・素敵な部分と、人間であるが故に存在する、(一般的には)下品さ・不快感をもたらす部分が両方出てきます。
それらを一つ一つ真剣に見ていくと、
「人って、心を持っているからこそ『想いを感じる』・・・その時その瞬間は、限りなく一人ひとりなんだな」ということ、
「一人だからこそ、人を求め、愛し・愛されて生きるんだ」ということが浮かんできます。
空気人形は、「空気しか入ってない=空っぽ」と気にしていたけれど、人間だって同じようにあるんですよね、
街の人と同じようにが持つ「空虚感=空っぽ」が―。

もうひとつ空気人形が気にしていた「代用品・誰か(何か)の代わり」ということ。
これも心にずしりと来るテーマです。
私たちは、一人でいることもあるし、家族や友達、恋人、さまざまな人と一緒にいることもあるでしょう。
でも、いくら代わりの人・物に想いを重ねても、同じにはなれない・・・
「唯一ただひとつ」「あなた以外に代わりはいない―」
そういう存在を、人はどこかしらに求めて生きている、そこには苦しみもつらさもあれば、幸せもあるんだ、と思えるのです。
性行為という「生命を生み出す営み」そのものも、「誰かの代わりはできない唯一無二の生を生み出す物」ととらえるか、「性欲という人間の欲求を満たす物」ととらえるのかによって、ずいぶん違ってくるんだなぁと感じられる映画でもありました。


登場人物の中でお気に入りは、彼女に素敵な「いのちの詩」を教えてくれたおじいさん・敬一です。
孤独は孤独でも「高齢者の孤独」。
そこから発せられたメッセージは、私自身が「ひとりぼっちで寂しいな」などという次元を遥かに超えてしまいそうな深みのあるもので、
「あぁ、これが解る頃には自分も相当年を取っているんだろうな」と思い、高齢者介護に従事していた頃が懐かしく感じられました。

お話の主軸を端的に纏めてしまえば「ダッチワイフが心を持って動き出し、人間に恋をする」となってしまいそうですが、さまざまな展開を経てラストのシーンを見終わったとき、
「やっぱり切なくて、キレイな映画だったナ」
と思わずにはいられなくなるのです。


少しネタバレになりますが、
「命を終える瞬間」って、どんな感じなんだろう?って考えたことありますか?
自分の死や、配偶者等さまざまな「人の死」などではなく、「『命を終えること』そのもの」を、第三者の目線で、俯瞰的に見ると、どんな感情を持つんだろう?という意味です。
きれい?
うつくしい?
こわい?
きたない?

“心を持っているあなた”は、どう思いますか・・・?

蛇足ながら、前述の「いのちの詩」の英訳版を掲載します。

It seems life is constructed in a way
Just as it’s not enough for flowers to have pistils and stamens
An insect or a breeze must introduce a pistil to a stamen
Life contains its own absence, which only an Other can fulfill
It seems to the world is the summation of Others
And yet, We neither know nor are told that we will fulfill each other
We lead our scattered lives, perfectly unaware of each other…
Or at times, allowed to find the Other’s presence disagreeable
Why is it, that the world is constructed so loosely?
A horse fly, bathed in light, files in close to a blooming flower
I, too, might have been someone’s horse fly
Perhaps you, too, had once been my breeze.

「戦場のピアニスト」 (原題:「The Pianist」)

2009-05-29 23:51:22 | シネマレビュー
ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト「ウワディスワフ・シュピルマン」の体験記が、幼少期、ゲットーを体験したユダヤ系映画監督ポランスキーの下、フランス・ドイツ・イギリス・ポーランドの合作で、スクリーンに描かれる!
第二次世界大戦のヨーロッパの歴史に触れるにはもってこいの感動作、と言ってしまえば簡単だが・・
「戦場のピアニスト・シュピルマン」は、食べるものもピアノもないまま、どうやって生き延びたのか?
一瞬たりとも目を覆ったり、顔を背けたり、気持ちを逸らしたりしてはいけない―
紛れもない「歴史」がそこにある・・

【ストーリー】
1940年、ナチス・ドイツがポーランドへ侵攻した翌年、ユダヤ系ポーランド人で、ピアニストとして活躍していたウワディスラフ・シュピルマンは家族と共にゲットーへ移住する。ゲットー内のカフェでピアニストとしてわずかな生活費を稼ぐも42年にはシュピルマン一家を含む大勢のユダヤ人が収容所行きの列車に乗せられるときがやってきた。だがそのとき、一人の男が、列車に乗り込もうとする彼を引き止めた―
しかし彼にも、生きるも地獄、捕まるも地獄の日々が始まるのだった―

【主人公・原作執筆者のウワディスラフ・シュピルマンについて】
ウワディスラフ・シュピルマンは、1911年、ポーランド南部の町、ソスノヴェッツで生まれた。10代の時に、ワルシャワのショパン音楽院で、かのフランツ=リストの弟子だった、ヨゼフ・スミドヴィッチにピアノを学び、後には、アレキサンドル・ミハウォフスキにも師事する。1931年、ドイツのベルリンに留学し、音楽アカデミーで、レオニード・クロイツァーについて、ピアノの腕を磨く。この間、「ヴァイオリン協奏曲」、ピアノ組曲「機械の一生」をはじめ、数多くのピアノ曲、管弦楽、ポピュラーソングを作曲し、母国での人気を高めていった。
1935年、ワルシャワにあるポーランド国営ラジオ局での仕事を得る。1939年9月、放送局がドイツ空軍の爆撃を受けたとき、彼はショパンの夜想曲を生演奏しているときだった。その後の6年間、強制移住や大量殺戮といった戦争の恐怖を体験した末に、彼はドイツ軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトによって奇跡的に命を救われる(ホーゼンフェルトは、1952年、ソ連の戦犯捕虜収容所で死亡した)。
1946年に、戦争中の体験の回想録を「ある都市の死」というタイトルで出版。ただし、戦争直後のポーランドは、ドイツ人がユダヤ系ポーランド人の命を救った内容の本を出版する状況になかったため、彼は、ホーゼンフェルトをオーストリア人として書かざるを得なかった。だがそれでも、ゲットーでの生活と、第二次世界大戦における犠牲者・加害者の姿を公平な筆致で描いたこの真実の記録は、共産党当局により、発禁措置を受ける。
1945年の放送局再開後、再びラジオの生演奏の仕事を始めた彼は、やがて同局の音楽部主任に任命され、欧米での演奏活動も行うようになった。国際的ヴァイオリン奏者ブロニスワフ・ギンベルとのデュオで、世界中で2500回を越えるコンサートを開催。また、作曲活動も続け、彼の書いた歌の多くは、ポーランドの人気スタンダードナンバーとなっている。1950年代には子供向けの歌を数々作曲し、その功績により、1955年、ポーランド作曲家協会から賞を授与された。その後も若い聴衆向けに作曲活動を続けた。
1961年、ソボト国際音楽祭を創設。1964年、ポーランド作曲家アカデミーの会員に選出される。
1998年、息子アンジェイが、父の回想録の草稿を発見。ドイツで出版されるや、同書はたちまち評判となり、海外でも翻訳が出版されるようになった。日本でも2000年に春秋社より刊行された。
ポーランドの著名音楽家として生涯活躍し、2000年7月6日、88歳で亡くなった。

【詳細情報】
監督:ロマン・ポランスキー
原作:ウワディスワフ・シュピルマン
脚本:ロマン・ポランスキー、ロナルド・ハーウッド
音楽:ヴォイチェフ・キラール
上映時間:150分
受賞:カンヌ映画祭「パルムドール」受賞、アカデミー賞「監督賞」「脚本賞」「主演男優賞」受賞、他

【登場人物・キャスト】
ウワディスワフ・シュピルマン:エイドリアン・ブロディ
ヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉:トーマス・クレッチマン
シュピルマンの父:フランク・フィンレー
シュピルマンの母:モーリン・リップマン
ヘンリク(シュピルマンの弟):エド・ストッパード
ドロタ:エミリア・フォックス
ミルカ(ドロタの夫):ヴァレンタイン・ペルカ
ヤニナ(ゲットーの外で出会った反ナチス地下組織の一員):ルース・プラット
アンジェイ(ヤニナの夫):ロナン・ヴィバート
マヨレク:ダニエル・カルタジローン
イーツァク・ヘラー(ユダヤ人警察)ロイ・スマイルズ

【使用ピアノ曲】
○夜想曲第20番嬰ハ短調「遺作」 - オープニング
○バラード第1番ト短調作品23 - クライマックス 使用ピアノは「Perzina」
○アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調作品22 - エンディング 「華麗なる大ポロネーズ」の部分をオーケストラ伴奏で演奏している。使用ピアノは「スタインウェイ」。
演奏はいずれもヤーヌシュ・オレイニチャク(ピアノ)、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団(指揮:タデウシュ・ストゥルガラ)。

【コメント・感想】
第二次大戦中のユダヤ人の悲劇やホロコーストに関しては、これまでも本当にたくさんの映画が作られてきました。戦時中のドキュメントだけでなく、実在のドラマは、万が一虚偽の事実があったにしても、オーバーに描かれているとしても、「映画」というカタチで残しておかなくてはならない―現代を生きる私たちの中で、映画人であるならばそれはひとつの「責任」なのだ、と監督や俳優さんがこの映画全体を通して訴えかけてくるような、そんな作品です。

恐らく、加害者であるドイツ人達でさえ、大抵の人は集団流れに身を置くしかなかった・・自分の身を守るために、大きな流れに身を任せていただけなのかもしれないです。
「いつ殺されるか分からない」とか「明日、食べるものがない」とかいう状況は、現代日本にいたら考えること自体できないけれど、それがどれだけ幸せなことであり、悲しいことでもあるか、と思います。観終わった後、率直に「平和な時代、平和な国に生まれたこと」を感謝したい気持ちになりました。

演出面は、今までにない厳かで怖いくらいの静寂と美しさがあり、そこに素晴らしさを感じました。命からがら乗り越えた塀の向こうに永遠と続く瓦礫の街並みに、ひとりよろめきながら歩くシュピルマンの後ろ姿。心にあるのは殆どすべてが絶望でしかなかったはずです。
この映画は、途中からぱたりとセリフがなくなります。ラスト30分前からクライマックスへの展開は、ブラボー!の一言です。私は、主人公に気持ちを重ね、ワルシャワの街を逃げ惑い、つらい逃亡生活を胸が痛くなるのを必死で押さえて見ていました。
やはり最高潮は、敵の将校に見つかってしまうシーンです。ピアニストだというシュピルマンに対して「何か弾け」と言う将校。
私は、とにかく上手く弾けますように、どうか気に入ってもらえますようにと祈っていました。
今の今まで勇気ある行動もとらず、人の善意のおかげではありながらひたすら逃げるばかりだったシュピルマン。逃亡生活の中で、ピアノの鍵盤にも楽譜にもロクに触れていない・・・でも、こうなったからにはやるしかない―そう決心したその演奏には、一瞬の曇りもなく、彼は一心にピアノに向かい、美しい旋律が流れているそこは、まるで別世界のようでした。
戦時中という悲惨な状況でも、綺麗な音を綺麗と感じる心が残されているという不思議な空間―
シュピルマンはあの時、ナチから逃げ隠れる生活の中で身も心もボロボロになっていて、髪も髭も伸ばしっぱなし、ボロボロで歩くことすらままならない。
でも本当の意味で「ピアノに命を捧げて」いたのだと思います。
自分のできる最高のことをしたからこそ、将校は彼を救ったのだと思います。

「逃げのびるだけの主人公の生き方」と表現すれば、これには賛否両論はあるかとは思いますが、監督のポランスキー氏もナチス・ドイツのゲットー生活の経験者であり、生き残りであるからこそ描ける作品であるとも思えます。
生き延びてしまったことへの罪悪感。戦わなかったことへの悔恨。戦争への憎しみ・・・。
そういった物を映画化しようとしたときに、真正面からこのピアニストのエピソードに取り組んだ監督の心意気と、キャストの演技にただただ感動する、そんな映画です。

「芸は身を助ける」というカンタンなことわざでは片付けられない物語だと思います。


「機関車先生」

2009-03-10 14:44:50 | シネマレビュー
《100万回の言葉よりも もっと分かり合える瞬間がある》
《話さなくても、伝えられるものがある》

【ストーリー】
時代は戦後間もない昭和30年代の日本。瀬戸内海に浮かぶ小島、葉名島に向かって一隻の連絡船が進んでいく。船には島を見つめている一人の青年、吉岡誠吾が乗っていた。一方、島で唯一の小学校、水見色小学校では校長の佐古周一郎が吉岡の到着を待ちわびていた。周一郎には、どうしても吉岡に来てもらいたい理由があったのだった。
「臨時教師がやって来る」、そんな噂を耳にしていた子供たちの胸も期待と不安で大きく膨らんでいた。やがて周一郎と共に姿を現したのは大きな体に、優しい眼差しの先生だった。その口からの最初の言葉を、固唾を呑んで待つ子供たちに、吉岡は深々と頭を下げ、おもむろに黒板にむかって文字を書き出した。
「ぼくは話すことができません。でも、みなさんと一緒にしっかり勉強します。どうぞよろしく」。
あまりの事に唖然とする子供たち。しかしすぐに生徒の1人が「口をきかんの?でも先生は大きくて強そうだから、『機関車先生』や!」と教室の後ろにある機関車の写真を指す。途端に残りの生徒たちも大喜びして、一斉に先生に拍手を送る。こうして機関車先生と子供たちとの島での生活がはじまった。先生のオルガンに合わせて「月光仮面」を歌ったり、浜辺にスケッチに出かけたり・・・、先生と子供たちは日を重ねるごとに深く、強い絆を結んでいき、子供たちの楽しい日々は永遠に続くかに思えた。
しかし暗い雲から滝のような豪雨が降ったある日、大波と共に悲しい事件が突如として島を襲う。子供たちのリーダー格だった修平の父親の漁船が悪天候で難破し、不慮の死を遂げてしまったのだ。しめやかに行われた葬儀の最中、「父ちゃんは死んどらん。葬式なんかするな!」と家を飛び出す修平。すっかり穏やかな海に向かって何度も父の名を呼ぶ修平を、先生はそっと抱きしめる。
悲しみも冷めないある日、修平は島民にケンカを売られて無抵抗に殴られる先生の姿を目撃してしまう。憎しみは憎しみしか生まない、それを伝えたい先生の想いとは裏腹に、強いと思っていた先生への信頼をすっかり失ってしまう。同じ頃、新任の先生が決まったという噂が島に流れ、島の精霊流しが終わる頃、機関車先生はいなくなってしまうという・・・。
父を失った修平の心はどう動くのか―?
島の子供たちは、大人たちは、機関車先生は、どんな未来へ進むのか?

【キャスト】
吉岡誠吾(機関車先生):坂口憲二
阿部よね:倍賞美津子
室井よし江:大塚寧々
美作重太郎:伊武雅刀
佐古周一郎(校長先生):堺正章
佐古美重子:佐藤匡美
監督・製作総指揮:廣木隆一
原作:伊集院静『機関車先生』(第7回柴田錬三郎賞受賞)
脚本:加藤正人、及川章太郎
企画:石井誠一郎
音楽:国吉良一
主題歌:林明日香「SANCTUARY ~夢の島へ~」
製作年:2004年/製作国:日本/製作:「機関車先生」製作委員会
サントラ:東芝EMI/協賛:三井生命保険株式会社/:芸術文化振興基金助成事業/文部科学省選定作品/©:2004 「機関車先生」製作委員会
上演時間:2時間3分

【コメント】
この物語の舞台は、敗戦から十数年後の、小さな島が舞台です。私が数年前、一身上の都合で退職した職場を離れ、訪問介護員の資格を取ったときに、講師の先生が「家族で鹿児島の離島に行き、自分は介護士として地元の高齢者介護の仕事に当たっており、子供たちは、離島での学校で『国内留学』をすることで、都会とは違う環境で様々な事を学んで行った」という話を聞きました。しかし、「赴任する先生がなかなか見つからないのが現状で、当時の鹿児島県教育委員会は、教員免許を所持する人に片っ端から電話をかけ、3月末にようやく決まった先生が子供たちを教えていた」といいます。中学時代から「教育の道」に憧れ、大学時代教員免許を取得した私は、教育の世界に飛び込むことが出来ませんでしたが、その話を聞いて、「地元を飛び出して新たな世界に行きたい」と思って離島生活に憧れていた私は、この映画はとても美しいモノとして、そして多くの希望と感動が脳裏に残りました。地方独特のキレイな風景や逆光の画、木造の小さな校舎や教室、照明の当て方など、良いシーンや演出が数多く散りばめられ、そこに流れる音楽も、人々の会話の声や自然の音も、何の抵抗もなくスーッと入ってきたので、「映画美」としては優秀な作品だと思います。

ネタバレになりますが、「機関車先生」は、剣道の試合中の事故で、声を失ってしまったという過去を持っています。その時から口がきけない彼は、それまでの日々、様々なことに耐えて、苦労して育ったのでしょう。話しかけられても、できるのは笑って頷くことだけです。何を言われても言い返すこともできません。誰かに相談するのも一苦労です。しかし、そのような境遇で育ったにも関わらず、彼は、誰からも好かれ生徒にも慕われる素晴らしい先生となりました。
私はおしゃべりが好きです。その日あった楽しいことや嫌なことなどを、夕食の仕度をしている母に話すことが私の日課で、日々の楽しみです。そのような楽しいおしゃべりもできないなど、私には考えただけで耐えられません。反対に、そのような境遇で育ったからこそ、機関車先生は、忍耐強い立派な心の持ち主になれたのかもしれません。

劇中、校長先生は、戦時中に自分の教え子が戦争に行って犠牲になった話を、子どもたちにして聞かせます。その話を通して、生徒たちに、正しいと思ったことをはっきりと口に出せ、自分からは手を上げない本当の強い人になって欲しかったのだと思います。そして、機関車先生はその本当の強い人なのだと伝えようとしたのです。子供たちはそれぞれに、本当の強さを理解していきます。本当の強さは「耐える」ということに大いに関係するのです。機関車先生が本当の強さを持ち合わせているのも、幼少のころの経験から成り立っているのだと思います。生徒たちも、それぞれに耐えなければいけないことに直面していきます。
現在では、高校進学が普通、短期大学もどんどん4年制化し、進学しやすいチャンスが増えていっていますが、この時代はそうではありませんでした。どれだけ勉強をしたいと願っても、ほとんどの人が高校に進学せず働く時代です。多くの子どもが悩み、我慢したのだと思います。また、この島の子どもたちは、父親が漁に出るため家にいることが少なく、寂しい思いをすることも多いのでしょう。彼らは、今を生きる私たちよりずっと時代や生活に耐えて育ったのです。
今を生きる自分は、そういった面で我慢しなければいけないことは少ないです。現在、少年犯罪やいじめ、若者の自殺など様々な問題がよく話題になるのは、何の不自由もなく育ってしまうため、「本当の強さ」を持つ若い人が少なくなっているからなのではないでしょうか。機関車先生は、そんな私たちに向かって、耐えることで人間は成長するのだと教えてくれているのだと思います。私たちは、これからの人生で、まだまだたくさん迷うことがあるでしょう。そのときに、すぐ投げ出すのではなく、耐えてそれを乗り越えることで、本当の強さが手に入る、だから頑張れと声無き言葉で訴えているのです。

演出面に目を向けると、坂口憲二さん演じる機関車先生は非常に難しい役だと思います。セリフがぜんぜんない、つまりは演技だけで心情を表すのです。これは相当の努力が必要だったのではないかと、坂口さんの苦労が思われます。
そして、父を失った修平が「先生、人は死んだらどこへいくんやろう?」という問いに対して、機関車先生が遠くの水平線を指差し、星を指してからその手を胸の方へ―そう、「自分の愛する人が死んでも、心の中では生き続けるんだよ、つながりは消えないんだよ」という思いを伝える心温まるシーンや、ラストシーンの機関車先生と7人の生徒たちとの別れのシーンなど、感動できる場面が多いです。先生と生徒たちが一緒にいられたのはたったの一学期間だけだったが、とても深い絆で結ばれていた証です。みんなの大粒の涙は、機関車先生とそして水見色小学校、七人の生徒との間との深い絆を意味しているに他ならないでしょう。
一つ残念だったのが、校長の娘・美重子が養護学校の教諭で、彼女と知り合いになるのですが、彼女とのやり取りが劇中にあまり登場しないことです。当然、彼女の学校にも行っただろうと思われるのにその描写がないのです。しかし、かの校長先生の娘ですから、機関車先生に、男として、人間としての先生の強さに―それも出会って間もない頃から―気付いていたのではないでしょうか(私は美重子と機関車先生が結ばれてハッピーエンドなのかなと想像していたのですが)。

もう一つ、体に何らかの障がいやハンディキャップや、普段は「普通」に見えるけれど、とあるコトがきっかけで「普通とは違う状態になってしまう」人間がこの世の中には無数にいるんだということにスポットを当ててみましょう。
網元の美作重太郎の耳に「新しい先生が話せない」という話が入った時、重太郎は、すぐに校長先生に文句を言いに行きました。「話ができないから、まともに教えられない」と勝手に決めつけて―。「勝手に決めつける」「世間の大多数の目」というのは確かに恐ろしいものを持っています。
実は私は、官公庁の窓口でのやり取りの際、いわゆる「お役所的なモノの言い方」「つっけんどんな態度」で接してくる人だと、順序だてて上手に話すことが出来ずに、言葉を発することが出来なくなってしまう、ある種のパニックを起こすことがあって、筆談を使うことがあります(最近はその症状は緩和されつつあります)。しかし、普段は何の障がいもなく普通に話せる事を知っている人は、その様子だけを数回見ただけで「あの人ちょっと変」「大丈夫なのか?」という偏見の目で見ます。自分の住む狭い町での出来事ならなおさらです。そして、それを大きく気にしてしまうのが両親をはじめとした「私をよく知っている人」です。「自分が良かれと思って、『私はいいから』と思ってやったこと」でも、自分がやったことによって誰かに迷惑がかかる、変だと思われるからやめてくれ、と言うのです。
しかし、私は自分がそういう状態になってしまう辛さを知り、障がいを持っていても強く生きる人に何人も出会い、そして機関車先生のように、話が出来なくても広い心を持った強い人、人一倍優しく、思いやりのある人を知ったことで、ちょっとやそっとのコトで偏見を持ったりする人、「自分がよくても大多数の人は普通に見ておかしい、変だと思うからという理由だけで単純に決めつける」人間を嫌います。確かに、人間はみな先入観が大なり小なりあって、偏見を持ってしまったり、我慢することができなかったり、ひどいパターンとなると、人一倍心が狭かったり、ちょっとのコトで文句を言ったり(モンスターカスタマー、モンスターペアレンツがいい例でしょう)、極度に自己中心的だったり、きりがないほど改善すべき点があります。かといって、完璧・パーフェクトという人もいませんよね。欠点が全くないということはかえって欠点にもなるかもしれません。
私はどちらかというと、生き方も考え方も、普通の人とは幾分かけ離れたマイノリティなのかもしれません。しかし、劇中に登場する機関車先生も、彼が使う手話も、マイノリティな存在なのに、中身はまるで正反対。馴れ合おうともかけ離れようともしない・・・耐えること、それから相手を理解しようとすることから始まり、自分の辛さを出来るだけ見せず、相手を認め、意志を伝えようとしていく―これは誰にも真似できることではありません。
誰かを批判するのは簡単ですが、誰かを理解するのはものすごくむつかしいことなのです。
極端な話、何もしようとしない相手に対して「いいからやれよ」って言うか「ねぇ、もしかして出来ない理由や事情があるの?」と言うか。その一歩が現代社会における数々の対人関係の問題や、そこから生じるストレスの問題の差を生んでいるのだと思うのです。
究極の理想形なのかもしれませんが、肉体面と精神面の「強さ」とは何だ、いうモノのサンプルを、この映画は見せてくれるような気がします。



「バルトの楽園」(ばるとのがくえん)

2009-01-31 13:03:25 | シネマレビュー
[Recitativo]
O freunde, nicht diese Tone!
Sondern lasst uns angenehmere antimmen,
und fredenvollere.
[レシタティーヴォ・対訳]
おお、友よ!(これらの)このような調べではない(なく)!
さらにこころよく さらに喜びに満ちた調べ(歌)を、
共に歌おうではないか!

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「交響曲第9番ニ短調・作品125」は、ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲である。親しみを込めて「第九(だいく)」と呼ばれることも多い。有名な第4楽章は、フリードリッヒ・フォン=シラーの詩『歓喜に寄す』が用いられており、独唱および合唱を伴って演奏される。その主題は『歓喜の歌』としても親しまれており、年末になると日本の各地で演奏されることが多いので、クラシック音楽好きでなくてもある程度の方はご存知であろう。《古典派の以前のあらゆる音楽の集大成ともいえるような総合性を備えたと同時に、来るべきロマン派音楽の時代の道しるべとなった記念碑的な大作》である。
この「第九」が、日本で全曲初演されたのは、プロによる演奏ではなく、1918年6月1日、徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所での、ドイツ兵捕虜による演奏だったのだ―
女性ソロパート並びにコーラスを男性用に書き換えたため、全曲演奏の本当の意味での初演ではないとする説もあるが、「日本で『第九』がはじめて演奏された」という史実は明らかであり、この映画はそのエピソードを元に作られている。

晩期に聴力を失ったドイツ作曲家ベートーヴェンの作ったシンフォニーが、日本や諸外国との戦いで破れたドイツ兵たちによって演奏され響き渡ったその時、この上なき感動と、90年前の知られざる奇跡が目の前に甦る!


【ストーリー】
1914年、第一次世界大戦時、日本は3万人の大軍を送り込み、ドイツの極東根拠地である中国・青島(チンタオ)を制圧した。この戦いに敗れたドイツ兵4700人は捕虜として日本に送還され、12ヶ所ある各地の俘虜収容所に振り分けられた。そのうちの数百名の俘虜兵達は、環境が劣悪な久留米収容所で、2年間壮絶な日々を過ごした。
そして、1917年。12ヶ所あった収容所が6ヶ所に統合され、俘虜兵達は徳島県鳴門市にある、坂東俘虜収容所へと移送された。
「ここでも、厳しい生活が待っているのだろうか・・」と心配を抱く俘虜兵たち。
しかし、彼等を待っていたのは、軍楽隊による音楽を伴った盛大な歓迎―。松江豊寿所長の指導の下、坂東収容所では、地元民と捕虜との融和を図らんとするべく、捕虜たちに寛大な待遇をしたのだった。硬く心を閉ざし、日本兵に憎悪感を抱いていた兵士たちは、松江所長をはじめ、所員や地元民らの暖かさに心を打たれ、次第に心を開くようになっていく。パンを焼くのも、収容所の敷地を出てみんなで海へ泳ぎに行くのも、新聞を出すのも、音楽を奏でることも、ビールを飲むことさえも許された収容所生活の中で、捕虜達は、それぞれに生きる喜びを見出していく。
しかし、松江所長の、捕虜兵の放任的な扱いが日本軍上層部に糾弾され、陸軍省から、坂東収容所の予算削減という通達を受ける。だが、明治維新で敗れ、「朝廷の敵」との汚名を受けた会津藩士の息子であり、同様の苦しみを知る松江所長は、「捕虜たちも祖国のために戦ったのです」と、命を懸けて戦った捕虜たちへの差別を許せなかった。
そして松江所長は、収容所近くの山を買い、捕虜たちに木々の伐採の仕事をさせて、削減経費の補充にあてて危機を逃れる。忙しくなった収容所生活だったが、捕虜たちの中には「松江所長のせいだ」と言う者は1人もいなかった。
1918年11月、ドイツが降伏し休戦条約が締結され、第一次世界大戦が終わった。敗戦国となって落胆・意気消沈するドイツの人たち―そんな中、捕虜たちの心の支えであったハインリッヒ少将が、拳銃自殺を図ってしまう。幸い、少将は命をとりとめ、松江所長は「あなたはドイツ捕虜兵たちの誇りであり、心の支えとして生きていって欲しい」と懇願するのであった。
まもなく、開国を迎え、自由の身となり、祖国へ帰る事を許されたドイツ捕虜兵たちは、収容所の人たちや坂東の地元の人たちへの多くの感謝を込めて、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏する事を企画する―
演奏者は?楽器は?合唱パートは?さまざまな問題を彼等はどうやってクリアしたのか?
生きる喜びを見出し、先の未来を描き始めた兵士たちの心は・・?

【キャスト】
松江豊寿(坂東収容所所長):松平健
高木繁(坂東収容所副所長):國村隼
伊藤光康(坂東収容所職員):阿部寛
クルト・ハインリッヒ(ドイツ軍青島総督):ブルーノ・ガンツ
カルル・バウム(パン作りが得意な捕虜兵):オリバー・ブーツ
ヘルマン・ラーケ(母に手紙を書き続ける若い捕虜兵):コスティア・ウルマン
松江歌子(松江豊寿の妻):高島礼子
馬丁宇松(豊寿の家の馬子):平田満
すゑ(脱走したカルルを助けた村の女):市原悦子
たみ(すゑの娘)中島ひろ子
黒田(坂東小学校校長):大杉漣
志を:大後寿々花
マツ(ヘルマンに恋心を抱く村娘):中山忍
広瀬(坂東町長):徳井優
林豊(郵便配達の少年):タモト清嵐
[陸軍関係者]
多田少将:泉谷しげる
島田中佐:勝野洋
南郷巌(久留米俘虜収容所所長):板東英二

【詳細情報・スタッフ】
監督:出目昌伸
脚本:古田求
音楽:池辺晋一郎
製作:東映、シナノ企画、日本出版販売、TOKYO FM、テレビ朝日、加賀電子、読売新聞、福島民報社
2006年6月17日劇場公開

【感想・コメント】
この映画は、上記の歴史的事実を基軸に、「日本人とドイツ人の間で結ばれた信頼と絆を描いた作品」です。松平健さん演じる坂東俘虜収容所の松江豊寿所長は、敵味方という国の対立を超えて人道的に捕虜たちを扱ったため、捕虜たちは松江所長を始めとする日本人たちへの感謝を込めて、第九の演奏会を開いた、という素晴らしい事実があり、映画はその事実に沿って作られています。

この映画を観ようと思ったのは昨年末で、大晦日にNHKで放送される「第九」の演奏会を楽しみにしていること、なぜ日本がこれほどまでに「第九を愛する」ようになったのか、ということを知りたかったこと、ベートーヴェンの「交響曲第五番『運命』」を演奏してから、さまざまなオーケストラを聴き、「第九」を聴くようになったある日、「第九」を演奏するチャンスがめぐって来て(結局他の方が演奏することになりましたが)この曲がどんな曲なのかを知りたくてポケットスコアを買ったこと、などさまざまなきっかけがあります。
余談ですが、ポケットスコアって本当に面白いんですよ―。私のような「演奏家の端くれ」は、楽譜は読めても「スコアを見ながら音楽を聴く『コアなクラシックファン』」や、「その曲を熱心に解釈・研究しようという方々」と違って、単に見るだけに過ぎませんが、「ここで弦セクションはこんな動きしてたんだ」など、「聴いているだけではわからなかったことが見えてくる」、そんな感じで楽しめるんです。文庫本などほど安くはありませんが、さまざまな視点で、いつでも何回でも読んで(見て)楽しめる、それがポケットスコアの魅力だと思っています。

さて、この映画ですが、邦題で「バルトの楽園」=「ばるとのがくえん」となっているのがまず印象的です。「バルト」はドイツ語で「髭」のコトですが、トレードマークであるお髭を生やした松江所長が、ドイツ捕虜兵たちにとってのある種の「楽園(らくえん)」を創造した、ということがそのまま漢字に当てはめられている一方で、「学園(がくえん)」=「ドイツ兵の将来への学び舎」というニュアンスや、最後に演奏される「第九」が象徴する「音『楽』の『園(その)』」という意味合いが込められているのがものすごく斬新でいいなと思いました。映画の序盤にタイトルテロップが出たときは「らくえん」と読んでいましたが、その良さを感じるのは映画をきっちりと観た人にしかわからないと思います。

世界中の誰もが、争いよりも平和・相互の理解が大切だ、とわかっていても、戦争があり、身内が殺されたら相手の国を憎むでしょう。その葛藤もしっかり描かれているのです。けれども、「敵もまた一人の人間であり、その尊厳を損ねる策など全くナンセンスである、「捕虜たちも祖国のために戦ったのです。」の一言から一貫して揺るがないドイツ人捕虜に対する、会津出身の松江豊寿だったからこその愛情と、それに応えて生き生きと、坂東の地に生きる日本人と交流するドイツ捕虜の生き様には本当に感動しました。こんな素晴らしい、「心からの交流」が日本とドイツの間にあったことに感激してしまいます。そしてこの感動「お互いに相手を尊重し、仲良く暮らしていく喜びの為の努力」を、私たちの世代が受け継いでいかなければいけない、そう真剣に思わされた作品でした。

演出面に目を向けると、松江所長が「過去に背負っているモノ」は、雪深い会津での場面などを含め丁寧に描かれていたのが印象的でした。タイトルのバルト=髭を生やしている理由も、「大和魂」と言いますか、日本人らしい志の高さを感じさせるものになっています。
しかし、ストーリーの流れ全体を見ると、松江所長の行動という「美談」をなんの捻りもなく、「豪速直球ストレート」で映画化してしまっているというイメージ―事実を忠実に、ストレートに描くことを意識したためか、なんとなく違和感を覚えたのが「玉に瑕」。
この映画のクライマックスは「第九」の演奏部分です。このクライマックスに至るまでは、主人公は殆ど松江所長で、「第九」の話が全く登場しません。映画の終わり近く、ドイツ兵たちが「第九を演奏しよう」と決める過程も、映画全体の中でわずかしか描かれていません。実際は演奏会を開くまでに多くの苦労や葛藤があったかもしれませんが、映画では大変な苦労や葛藤の場面はありません。この映画が、「第九を演奏するまでの過程だけを主軸に描いた映画」ではないのがその要因でしょう。
私の劇中の予想は、「第九を演奏するまでに様々な葛藤・困難があり、松江所長が一肌脱ぐことで、皆がそれらの困難を乗り越え、問題を解決し、第九の演奏会を無事に行った」というカンジでした。だからこそ、クライマックスでも松江所長=主人公が活躍する、ひょっとしたら指揮もやっちゃうのかな、と。
ところが事実は、松江所長の人道的な扱いに捕虜たちが感謝し、その感謝の印として、捕虜たちが第九を演奏し、松江所長はその演奏を聴く、というものです。松江氏自身が、第九の演奏に係わったりした・・・ということは全くありません。第九の演奏場面に関して松江所長は「演奏会を聞く」というきわめて地味な行動をとっただけでした。
しかし、こうせざるを得なかったのはこの映画が事実に基づいているためで、事実以外のことを描く訳にはいかないからではないでしょうか。


「第九」がとあるきっかけで大好きになった自分は、この映画を見てますます好きになってしまいました。演奏時間の関係で演奏はカット版で、ヘルヴェルト・ヴォン=カラヤン指揮/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏をカブせているだけなので、リアリティに欠けます。
しかし、澄み切った青空の下で、捕虜兵たちの施設とはいえ、オーケストラが現れたら、地元の人たちをはじめ、多くの人たちが驚いたでしょう。ドイツ国民にとってのベートーヴェンの曲は「祖国」そのものだろうと思います。板東の住民の温かい心に対して、また、松江所長への敬愛の念をこめて、ドイツ人が捧げる曲は「第九以外にはなかった」という志がたまらなくいいじゃありませんか!
なけなしの楽器、男性のみの合唱パート―それでも第九の全曲を演奏して感謝を表す―
音楽は人の心を振るわせるだけでなく、「世界に波風を立てるもの」なのだと思いました。
途中で戦争の映像が入っていて、それが曲調リズムに合わせて効果的に使用されているのも魅力です。


マザー・テレサ、オスカー・シンドラー、アンリー・デュナンなど、戦争など悲劇的な歴史の中にも、必ずどこかに、「愛を忘れない、愛を実践する」人がいる―
「何があっても助ける、守り抜く」強い信念を持った人がいる―
愛には愛で応える心を持った人がいる―

気持ちの良い感動を味わえる秀作です。

「SS」(エスエス)

2009-01-02 23:19:05 | シネマレビュー
世界各地において 年間16戦の過酷なレースが行われるラリーの最高峰
World Rally Championship―
WRCでは 開催地ごとに約30に及ぶ 速度無制限のタイムアタックコースが敷設される
暴れるマシンを押さえつけ ドライバーたちが 体力、知力の限りを尽くして走破する
その舞台を Special Stage 「SS」という―

【ストーリー】
倒産寸前の西山モータースで働く「ダイブツ」こと大佛(おさらぎ)は、社長からボーナスの代わりに幻の車三菱スタリオン4WDを現物支給で入手する。かつてラリードライバーだった彼も、今では妻と2人の子供とともに地味な生活を送っていた。だがある晩、スタリオンに乗った彼は、走り屋たちが速さを競う箱根レインボーラインで最速記録を更新し、拭いきれない未練のような感情が脳裏によみがえるのだった。
正体不明のそのマシンを、峠の走り屋たちは、1983年公開の映画「キャノンボール2」に登場したスタリオンにジャッキー・チェンが乗っていた事から、「ジャッキー」と呼ぶようになり、それはダイブツの元相棒で自動車評論家の栗原の耳にも届くこととなるのだが・・・

【キャスト・詳細情報】
原作:東本昌平(小学館ビッグコミックスペリオール連載漫画「SS」より)
脚本:十川誠志
監督:小林義則
主題歌:「I Promise You」(歌・DEEN)

ダイブツ(搭乗車両=スタリオン4WDラリー):哀川翔
栗原(搭乗車両=ポルシェケイマンS~フォードフォーカスRS WRカー):遠藤憲一
ギラ子(搭乗車両=GDB-F型 スバルインプレッサWRX STI tuned by ings):MEGUMI
カブキ(搭乗車両=ランサーエボリューションⅨ tuned by ings):TEAH
アンキモ:幸将司
タモツ:山田亮平
ハニー:立花彩野
ブンブク(搭乗車両=BNR32 スカイラインGT-R):榊英雄
久美子(ダイブツの妻):酒井法子
ナホ(ダイブツの長女):加治木ゆりあ
ユウスケ(ダイブツの長男):林孝明
山崎:中倉健太郎
西山社長:ミッキー・カーチス
志村(搭乗車種=ポルシェ997ベース ポルシェ911):桑野信義
蘭子(搭乗車種=ポルシェボクスター):メイサツキ


【『楽しいクルマ談義』という名の解説】
レースやカーバトルの世界は、悲しいかな「夢」や「ファンタスティックさ」があまりない。だから、リアルに描こうとすればするほどネタにもなりにくくなる。たとえば、「スカイラインGT‐Rといったハイパワーマシンなどと、AE86型トレノ(以下:ハチロク)が張り合って、ハチロクが勝つというドラマがなければ盛り上がらない」、というコメントを某誌で見た。ブレーキにきついサーキットや公道で多くの距離を走りこんだ結果、タイヤやエンジンが熱ダレを起こしてウデのあるドライバーでもハチロクに一歩及ばないという某漫画にあったシーンが有名(その逆に、クルマのスペック上の有利さからハチロクが負けて当然、というパターンもあるが)。
しかし、この映画、そして原作漫画に登場する「スタリオン4WDラリー」は、話が別次元だ。ちなみに車名の由来は「スター(星)」と「アリオン(ギリシャ神話ヘラクレスの愛馬の名)」を組み合わせた造語である。その辺りから紹介しよう。

ラリーの歴史を紐解くと、1980年台初頭の世界ラリー選手権には「グループB」というカテゴリーが存在した。1tを切る軽い車体に400~500psの過激とまでいえるビッグパワーエンジンを搭載し、オールステージに強い4WDという駆動方式を採用した、まさに「モンスター」と呼べるマシンたちが、ラリーの舞台を暴れまわっていたのである。アウディクワトロ、プジョー205ターボ16エヴォリューション、ランチアデルタS4、フォードRS200・・・車を知るものがその名を聞けば「走る凶器」とさえ喩えられる。
凶器たる所以は、数々のワークスドライバーの大事故。中には観客を巻き込む事故もあった。その決定打は、グループBカテゴリーが頂点を極めようとしていた1986年の第5戦、ツール・ド・コルスでの悲劇だ。当時日の出の勢いだったドライバー、ヘンリ・トイボネンが、何のブレーキ痕も残さず崖下に転落し、29歳という若さで死亡。そして「ハイパワー化によるスピードアップがレースを極度にリスキーなものにしてしまった」と判断した主催者「FIA=国際自動車連盟」は、グループBの廃止を決定したのである。

その一方で、ギャランEX2000ターボでWRCを戦っていた三菱は、グループBで勝利するために、当時のフラッグシップスポーツカーであったスタリオンをベースに、200台の生産義務のあるグループBのレギュレーション(競技規定)に則って、「スタリオン4WDラリー」という怪物マシンを開発していたのだ。PS2ゲーム「グランツーリスモ4」にも登場しており、その姿を見ていただければお分かりいただけるだろうが、ベース車のリトラクタブルヘッドライトを廃し、丸型ヘッドランプに変更、オーバーハングを限界まで切り詰めている。FRの駆動方式に変わって、今のマシンでは当たり前と思われるビスカスカップリング式フルタイム4WDを採用。そして、360psの最大出力を誇る、G63B´エンジンを搭載。車両重量配分を考慮し、リアウィング内部にオイルクーラーを内蔵するというユニークなアイディアまで盛り込まれていたのだ。
1984年秋にデビューを果たすはずだったが、開発が難航し、グループBの公認取得に間に合わなかった。公認取得なしでも出走可能なラリーに試験的に出走し、クラス優勝も果たして期待が高まったが、1985年、三菱はWRCの参戦を断念してしまう。結局スタリオン4WDラリーは、WRCを一度も走らないまま終わった、悲劇のグループBマシンとなってしまった。

現在の三菱のフラッグシップはランエボこと「ランサーエボリューション」だ。1984年からこの記事を執筆している現在まで、25年が経過しており、クルマは飛躍的な進歩を遂げた。飛躍的な進歩の一つにあげられるのが、制御機構。特に、パワーを上手く路面に伝える、車を無駄に滑らせない、さまざまなミスをもフォローしてくれる電子制御―それは現行ランエボⅩにも採用され、パワーこそ280psちょいであっても、その走りの性能は一級品かつ圧倒的だ。
しかし、対するスタリオン4WDは、電子制御機構を一切持っていない。武器となるのはその軽さだ。ランサーエヴォリューションⅩの車両重量がGSRで1540kgあり、500kg以上の差があれば、まさに「話にならない」くらいの差が出ても当然のコト。だが、古い時代の「走る凶器」であり、とにかく扱いにくく、ピーキーなマシンであるといえるだろう。しかし、このマシンは原作でも映画の中でも、セダンベースのハイパワー4WDターボマシンを簡単にヒネってしまう。これは、「古いマシンで最新マシンに勝つ」という図式でもハチロクとは違う。そーゆう要素を秘めているのだ。作中に登場する現代マシンが、チューンドでダイブツのスタリオンと同じくらいにパワーが上がっているとしても、レーシングマシンをきちんと扱うことの出来るダイブツのような人間が駆れば、スタリオン4WDが勝っても何の不思議もない・・・

【コメント】
もともと、クルマ系の漫画はよく読む方でした。大学時代に出会ったクラスメイトに、「ラリーが好きなら『SS』読んでみなよ、人間ドラマとかすっごくいいからさ」と言われて読んでみたことがありますが読破していませんでした。しかし、人間模様が描かれているシーンが多いな、というのは感じました。
それが映画化されるというニュースをテレビで見た際、キャストの面々が豪華だったのに加え、スタリオン4WDラリーが出るというだけでもすごく嬉しかったのに、原作を少しかじっているだけの私の目・心に、映画版はどんな風に映るんだろうと期待して、映画館での上映を見逃した代わりにDVDで観ました。
キャッチコピーが「夢はあきらめない!―今、伝説が走り出す―」となっていて、中年男性がクルマという物を通して考えること、感じることが熱く描かれていることや、中年オヤジが、一見チャラチャラした若者に一発ストレートをぶちかますような、キレのある言動に好感が持てました。
セリフ演技はユニークで面白いと思いましたね。MEGUMIさん演じるギラ子や、酒井法子さん演じるダイブツの妻などもそうですが、不器用で寡黙なまでに渋いダイブツを演じた哀川翔さんがとにかくカッコよくて、それぞれに印象に残る演技を披露してくれます。

ネタバレになりますが「負け組ってなあに?」という長男ユウスケのセリフは、私の心に少し傷跡を残しましたね。
私は現在独身で、「守るモノ」は両親や離れて暮らす母方の祖父母や弟―くらいのものです。そして自分の仕事や大切にしているものくらいです。ダイブツは結婚こそしてはいるものの、「あと一歩が踏み出せなかった」男=「(男で言うところの)負け組」という位置づけ・レッテル付けがされています。私も、いうなれば「負け組」でしょう。
「負ける人のおかげで勝てるんだなぁ」という相田みつをさんの作品がありますが、世の中はそんなに甘くはありません。
劇中の、ダイブツのセリフの一つに
「夢ってヤツはたちが悪い 追いかけようとすると逃げていく
 だが 追いかけないと 『こっちにこい』と誘いをかける
 そこに 燻りが生まれる」
というのがあります。
しかし、それを心から見守る妻と、父の過去を知った子供たちがダイブツを支え、応援するという家族愛が描かれているのが一番印象に残ります。その会話のやりとりは本当に温かみのあるもので、感動しました。

【夢見ているのが恋人たち 目覚めているのが夫婦だ】という名言をとある書籍で見たことがありますが、まさにその通りで、ダイブツの家族は、夢だけでなく、その先までをも真っ直ぐに見詰めていたからこそ、あの温かさが生まれたのだと思います。
私も、そーゆう「必要とし、必要とされる」人間になれればいいなあ…と。

演出面に目を向けると、走行シーンがCG不使用、派手なドリフトも多用していないので、「DRIFTシリーズ」や実写版「頭文字D」のような、アクション満載の走行シーンが見所で、超迫力満点!とは言い難いのですが、車を操る・走らせるのが好きな人にとっては、むしろアレくらいがちょうどいいのではないかといえるカッコよさに仕上がっています。
車の走りと共に、人間模様が多数描かれているという原作のよさが、実写を通して見る者の心に訴えかけてくる、爽快感のある映画に仕上がっています。
車好きでなくとも、女性の方にもぜひお勧めしたい映画です。

今回のシネマレビューは「SWEET SWEET SUITE」のように、名言で締めくくりたいと思います。

【一人で見る夢は夢でしかない しかし 誰かと見る夢は現実だ】(オノ・ヨーコ)