goo blog サービス終了のお知らせ 

Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

19th Movement 「天使と悪魔のブレー」 ①

2007-08-12 12:04:21 | SWEET SWEET SUITE
Bourree=(仏)ブレー(ブーレー)。
舞曲の一種。17世紀のフランスの舞曲で、おそらくオヴェルニュ地方から出たものと思われる。通常、速い2拍子で、1拍の上拍を持つ。

Bourree1
「悪魔ってつまり追放された天使ってコトでもあるわけだしな 神に反逆して天から堕ちた天使=悪魔 外国ではよくその考えをする  考えてみればチューニングもどこか反逆の証・・似てるじゃないか
『明けの明星』ってあるだろ つまり金星(ヴィーナス)のことなんだが・・実はそれはルチフェル(悪魔)という呼び名もあるんだよ
ルチフェルは追放された最高位の天使であり孤高の天使・・そして永遠の反逆の天使だ」

「明けの明星は別名ルチフェル 神に反逆した堕天使だ 【ルチフェルは堕天使の頭領(ドン)だけど孤高の堕天使なんだ
だから 東の空にひとりで輝く
簡単に言えば天は教会 教会は社会だ 天使は信者であり信者は市民
逆らったものは追放される」
(「反逆者は追放か・・」とSPEED FACTORY RGOの代表・大田和夫)

「そうなる じゃあ反逆ってなんだろうと思ったわけよ 結局自分の意見を言った者なのか 自分の意思を示した者は反逆者か・・と】」
「若い頃よく違反キップを切られたよな マフラーひとつ換えただけでも捕まった(☆1)
【なんでダメだといつも思ったのよ 車の性能を追求するコトはすべて悪なのか
日本の車社会にはチューニングの精神は永遠に生まれない オレはそう思った ・・だけどそれは違うと今になってわかったよ
切られても切られても走っていた あの反逆の心 あれこそがチューニングの基本精神だと】」
(コミック「湾岸ミッドナイト」より アキオの悪魔のZを見た後RGOを訪れた、宣教師の父を持つ吉井のコトバ)
☆1:この時代は1970年代前半にあたり、車の改造に関してあまり寛容ではなかった時代だった


明けの明星(または宵の明星)は、金星の別名である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で検索してみるとこのようなことが書かれていた。

『公転軌道が地球より内側の金星は、天球上では太陽の近くに位置することが多く、最大離角は約47度・最も見かけ上の明るさが明るくなるときの離角は約40度である。普通はそれでも太陽の強い光に紛れて金星を肉眼で確認することは簡単ではないが、夜明けや夕暮れ時など、太陽が地平線の下に隠れて空が暗くなっている間に、金星が地平線上に現れていることがある。その最大光度は、1等星の約170倍にもなり、まだ明るさの残る空にあってもひときわ明るく輝いて見える。その夕方の西天に見えるものを「宵の明星」、明け方の東天に見えるものを「明けの明星」という。(ここの所は理科の授業で習ったはずなので思い出してほしい)
その神秘的な明るい輝きは、古代より人々の心に強い印象を残していたようで、それぞれの民族における神話の中で象徴的な存在の名が与えられていることが多い。また地域によっては早くから、金星と同一の星であることも認識されていた。
ヨーロッパでは、明けの明星の何にも勝る輝きを美と愛の女神アプロディテにたとえ、そのローマ名ウェヌス(ヴィーナス)が明けの明星すなわち金星を指す名となった。
キリスト教においては、ラテン語で「光をもたらす者」ひいては明けの明星(金星)を意味する言葉「ルシフェル」(Lucifer=ルシファー・ルチフェル)は、他を圧倒する光と気高さから、唯一神に仕える最も高位の天使(そして後に地獄の闇に堕とされる堕天使の総帥)の名として与えられた』

また、堕天使(だてんし)とは、もともとは天使の身でありながら、『高慢』(☆1)、『嫉妬』(☆2)、自由意志などの理由で、主である神に反逆した結果、天界を追放された者のことを指す。
ちなみに、堕天使は悪魔と同一視されることが多いが、厳密に言えば意味は違ってくる。 堕天使は前述したように天使の身でありながら、神に反逆し天界を追放された存在という直接的な意味。一方の悪魔は神に反逆したモノ、人を悪の道へ導く者・地獄に存在する者、という、神へのアンチテーゼ自体を示したような意味を持つらしい。

☆1:強大な権威と力をもつルチフェルに「自分は神をも凌ぐ力を持っているのではないか」という驕りが出てしまったがため、味方となる天使を集め神に対して反旗を翻した。が、敗北しルチフェルとその仲間は堕天されてしまう、というもの

☆2:神は森羅万象すべての物を創造したとされるが、その中には人間もあった。
人間は天使の姿を模して作られたとされていて、神は人間に天使以上の愛情を注いだ。当然の如く、それに反発したのは神から最も信頼を得ているとされる大天使ルシファーだった。天使は炎から生み出され人間は土塊から創造される。人間は天使ほどの権威も無ければ力も無いのだ。ルシファーは明らかに自分達より下位な存在であるのに神から寵愛を受けている人間に怒りを覚えた。そして神により強い愛情を抱いていた彼はその怒りを嫉妬心に変えた。
また、彼の嫉妬心は神への怒りにも変わった。そのため、同志である他の天使と共に神に挑んだが、結局は敗北し堕天されてしまう。その後、地上へ堕ちたルシファーは寵愛の対象となっていた人間に挑戦するようになった、というもの。


さて、前置きが長くなったが、反逆とは「主君や仲間に背くこと」である。「独自の考えを固く持っていて、世間一般の風習に従おうとしない人・わざと一般にそむいた態度をとる人間」をさして〔反逆児〕という言葉もある。
わたしは、「悪意で以って人を困らせるためにわざと人と違ったことをすること」は好まない。だが、自他共に言われるコトなのだが、往々にして人と違ったこと…「時間が少し余っているから他の人がやっていなかった、出来なかったところを仕上げよう」とか「型通りやらなくちゃいけないのは確かだけど、その過程においては『もっとこうすればいい』という我流を少し入れてみよう」とか、こと福祉の世界で生きていたときは「同じ『やる』なら本腰いれて、習ったとおり丁寧にやろう」とか、そういう想いが強い。〔反逆児〕だ。
また「こうありたい、そうありたいという最良・最高の状態」「こうあるべきだという、『すべき思考』」も強い、ある種の『理想主義者』だと思う。もちろん、全ての事に・全ての場合において、ではないけれど、こと就労の場面においてはその思いが強い。「やりゃぁいい」「すればいい」「まぁいっか」というのはどちらかといえば好まないタイプの人間なのだ。
でもそれは「出る杭は打たれる」ということわざどおり、反逆者として叩かれる・バッシングを受けることが多い。

それに対し、「生身の人間とのお付き合い・相手があることにおける『気持ちのかけひき』」や「人生を大きく左右すること」など、別な部分においては、いつもマイナスの状態を心に描いてしまう。ちょっとしたことで根拠もないのに悲観的な結論を出したり、何かよくないことが起こったときに自分に責任がないようなときでも自分のせいにしてしまったり、自分の失敗を過大に考えてしまったり、たった一つのよくないコトにこだわってそればかりくよくよ考えて現実を見る目が暗くなってしまったり…そういう気持ちがよく現れる。そして、人を、世の中の流れをどんどん避けていき、結果「反逆する」というコトになる。
上記の二重の意味での「反逆」―こういう私のような考えを持つ人間は得てして「認められない」「この世では生きていきにくい」人間だととられがちだろう。

文中に登場するRGOの大田和夫は過去にこう語っている。
【チューンドカーはレースカーじゃない。モータースポーツなんかじゃないのヨ。
絶対に認められない・・―いや 認められることさえ拒否する非合法な公道上の行為なんだ】
(湾岸ミッドナイト コミックスvol.10より)

大田は、チューニングショップ運営のサーキットでの走行会などを「理解しつつも完全に受け入れることは出来ない」のだ。チューンドカーとその乗り手は「公道上でこそ真価を発揮しなければ意味がない・非合法なのは承知の上で、命をのせられるマシンに車を仕上げ、命を掛けて走ることこそ、特別な世界が見えてくるのだ」と考えているのだ。
単純にパワーをあげるだけでなく、広い意味で「純正状態と味を変える」「自分に合う姿に調律する」という車のチューニングは、「よりよいものを追求しようと、粛々と挑む」姿勢に似ている。それが、所属する集団・社会において「反逆行為」「悪魔となってしまう」ことであっても、その中から天使のいる世界で通用する小さな大切なものがある、きっと見つかる、と信じてやる行為なのだ。
天使のいる世界でそれなりに流れにあわせつつも、自分の秘めたる想いをどこかで信じ、貫き通し、悪魔になる。
だから、悪魔と天使は、本当に広い意味で、どこの世界においても紙一重なのかも知れない。
潤滑円満な流れだけを重視しがちな現代社会においても、悪魔が居たから・悪魔の行いがあったからといって単純に追放せず、その中に、隠れた真価を見つけることこそが大切なのである。
キップを切られても切られても=バッシングにあってもあっても、追い求める。私はその堕天使の姿の「孤高」というコトバ、意味が好きだ。シネマレビューのとあるところにも書いたが、「『孤高』=周囲から一人かけ離れて高尚な理想を持つ事」ってゆーコトバがあるように、流儀とかそういったものが俗っぽくなくて、それを理想として、大切にして生きる・・・認められることは簡単ではないが、地道に努力し、実力を磨いていればきっと気づいてもらえるはずだ、と信じたい。
そういう人材はいつかどこかで…認められる、最高の潜在能力を発揮する、そういう世の中になって欲しいと願う。


【光ったナイフは草原の中に捨てられても、いつか人が見だすものだ】
(真宗大学学長 清沢満之〔きよさわまんし〕)

18th Movement 「うわさを信じちゃいけないよ♪」

2007-08-07 02:24:29 | SWEET SWEET SUITE
【なんとなく聞いた噂で決めちゃあ 結局自分をせまくするだろ】
(コミック「湾岸ミッドナイト」より大田和夫)

ヤングマガジン2007年5月現在連載中の「湾岸ミッドナイト」のストーリー内。今回のストーリーは、廃刊になってしまったカー雑誌「GTカーズ」の元雑誌編集者である「萩島」という男が中心。FD3SRX-7のオーナーでありながら、そのひとモデル前のFC3Sのことは、オーナーの取材から話を広げて記事を書き、自分では乗らなかった。その理由は「FCはFDより下」と乗る前から決めて(決め付けて)いたからだった・・・。その萩島に、300ps程度のライトチューンFCを一週間貸し出す際に、RGOファクトリーの大田和夫が萩島に向けて言う言葉である。
噂=「世間に言いふらされている確かではない話」または「その場にいない人間の話をすること、その話」
辞書的な意味だが、この解釈が全てを物語っていると思う。噂はあくまでも噂。確かではない、というのが一番のポイントなのだ。

【噂とはいい加減なものだ。たいてい噂のほうがよくできている】
(映画「ワイアット・アープ」より)

所詮、噂を含めた「情報」というのは、人の口から発せられたモノが多いわけで―ITが発達した現在ではクリック一発で出てくるものもあるけれど―人が口で伝えて、あるいは書いていかなければ広がらない。しかしながら、その途中で、色々な人の「『フィルター』のようなモノ」を通過していくわけで、針小棒大(=小さなことを大きな事の様に言うこと)になったりもする。
真実を知りたければ自分で確かめるしかない。他に方法は無いのか、と言われると、「YES」「NO」で答えられるモノではないのだが・・・。
例えば、今勤めている仕事を辞めて職業を選ぶ、もっと言えば「職場を選ぶ」となったときに、「あそこの企業は〇〇だからいいよ」「ここの企業は××だからだめだよ」というのはあくまでも噂。かといって、そこの職場にいた人間から話・体験談を聞いても、残念ながらすべて、100%そうだ、といえない、信じられない。自分で直接触れていないのだから。大企業だったところでさえ、不正・不祥事等が発覚して地に落ちてしまうことだってあるのだから。
少し話がそれるが、こと「仕事を辞めてきた」ことに起因する「前職場の噂」―。「働いている間は休む暇もないくらい忙しいし、すっごくひどいことばかりやらされているのに、給与はあまりにも適っていないし、福利厚生もしっかりしていないから将来の展望が描けなくて辞めてきたんだ」というのと
「【職業自体は合っていると思うが、・・・組織が合わないんだ】(高村薫 『レディ・ジョーカー』より)
というのとでは行って帰ってくるほど違う。家庭、学校、職場、地域・・・さまざまなところで「組織が合わない」という気持ちは大なり小なり誰もが感じていることだろう。でも、何の組織にも属さずに生きることは不可能なのだ。かといって、「あらゆる組織を我慢しなくてはならない」ということはない。自分の責任で「噂に流されることなく」自分に合う組織を探すか、自分で作ってしまうか、だろう。
ただ、事実を目の当たりにした自分が、他者に正確に「真実を」伝えられると勘違いしてもいけない。自分にも「自分だけのフィルター」というモノがしっかりとあるわけで、それがまた誰かに伝われば、また別のモノに変わっていってしまう。悲しいかな、噂というのはそういうものだ。
「人の噂も75日」とはよく言ったもので、「人は噂好きだけれども、それはしばらくの間のことで、長続きはなしない」といえる。
良い話・悪い話に関係なく、「噂」というものに頑なに縛られすぎるのはよくないことだともいえる。
かといって、自分のことだけを有利に運ばせるために噂を操ったり、伝達されたことを180度くるりと返して人に伝えたりする、コレは最もやってはいけないことだ。
上記の大田和夫の言葉は、人の話に左右され、自分を小さくしてしまうよりも、先ずは触れてみること、そして、そこから自分に「生き方の道筋」を作っていけ、ということを端的に説いている。

【ものの事実は手でつかむこと。】
(TOYOTA自動車名誉会長・豊田章一郎)

「うわさを信じちゃいけないよ♪ 私の心はうぶなのさ
いつでも楽しい夢を見て 生きているのが好きなのさ」
(故・阿久悠/作詞 山本リンダ/歌 「どうにもとまらない」より)

17th Movement 「時には自分の幸せを」

2007-08-07 02:21:14 | SWEET SWEET SUITE
【そんなに他の人のコトばかり考えなくていいの。人には、自分が幸せになることだけを考えればいい時期があると思うわ】
(映画『天使の卵』より・五堂春妃先生の言葉)

村山由佳原作・『天使の卵』内で、主人公歩太と、入院している歩太の父の新しい主治医となり、病院で会うたびに歩太と交わしていく会話の中で、歩太という人間について知りたがったり、興味津々に話を聴いてくれたりする春妃。
ある時「絵を描いている」と歩太が話した際、とても懐かしそうな目をした春妃に対し、その目に励まされるようにして、歩太は長いあいだ胸につかえていた悩み―もっと絵を勉強したい、親子二人暮しの上に父親が入院していて大変、そんな中一生懸命働いて、専門の予備校行きを許してくれた母のこと、ときどき発作的に全てを投げ出して遠くへ行きたくなる、など―を彼女に向かって洗いざらいぶちまける。
春妃は歩太にとって、今まで誰にもそんなことをしたことがない歩太が、自然に話したくなる気持ちを起こさせる女性だったのだ。話し終えた後、春妃はこういうのだ。

『あなたの年で、そこまで考える必要はないのよ。【そんなことを考えなくてもいい時代が、人の一生にはちゃんと用意されているの】。あなたは【ひととは違った環境の家庭で育ったせいで、その年にしてとても大人びてしまったけれど……そしてそれが、あなたをとても魅力的にもしているのだけれど、それでも、あなたになくして欲しくないものがあるの。いい意味での若気の至りっていうか……そうね、つまり、手に入れると決めたら絶対あきらめない、強さや激しさみたいなもの。―ねえ、歩太くん。もっとがむしゃらに、自分勝手になりなさい。あんまり若いうちから、そんなに冷静でものわかりのいい人間になるのはおやめなさい】。(中略)人間って、あなたが考えているよりずっと強くてしぶといものよ。少なくとも私は、そう信じていたいわ』

気力も体力も充実している若い頃に、色々な物事に試行錯誤で取り組んで、何かを掴むということはある意味若者の特権であり、大切なことなのかもしれない。それもただやるのではなく、「一生懸命にやること」。世間の人がなんと言おうと、だ。
そして、それが自分を見つめ、自分を探り、自分を大きくしていくのではないか、と思う。そうすることで解ってくることがある。そこまでの道のりややり遂げたあとの充実感、失敗から学ぶこと、次への目標や課題、そのほか色々。
手に入れると決めたら絶対あきらめない強さや激しさみたいなもの―
どこかであきらめをつけなければいけない瞬間・時期も来るのだろうし、人間の中で、社会の中で「真摯に」「上手に」生きていくことも大切だが、自分の中にある大切なものを思い切り燃え上がらせる時期というのはちゃんとあるのだ、と胸深く思わせてくれる名言である。
それが、自分より先に人生を走り出した先輩であったり、心から信頼できる人などの言葉だったら、なおさら「よし、がんばってみよう」という実感がわく。歩太もそうだが、私も同様のことを感じたことがある。自分のかけがえのない大切な人に支えられながら―
なんとなく、『天使の卵』のこのシーンは、大学時代の頃の自分や、今も私を支えている大切な人と過ごす時間に重なって見えるようで、とても印象深いのだ。
そして、「自分に一生懸命」になるということは決して「無鉄砲に」「傍若無人に」なるということではないということも忘れてはいけない。
以下の名言・名句も参考にして欲しい。

【世の人は我になにともゆはばいへ我がなすことは我のみぞ知る】
(坂本龍馬)

【人間は、何か一生懸命やり通さなくちゃいけないのさ】
(劇作家・別役実 『象』より)

【若いときの堕落は、いかようにしても浮かび上がることができる】
(田山花袋『妻』より)

【人は先ず何よりも自分自身であらねばならぬ。人のなすべきことは、自己実現であり自己拡大である】
(評論家・林達夫)

【自分を気づかうことだ。自分には自分しかいないのだから】
(喜劇俳優・グーチョ=マルクス)

16th Movement 「生きるコトへの向き合い方」

2007-08-07 02:19:14 | SWEET SWEET SUITE
「ユウジ お前に会えて本当に良かったよ オレもまたお前に教えられた
子供のいない親はいても 親のいない人はいない
【基本的に人は等しく親の死を受け止めなくてはならないようだ 自分の直系 ダイレクトな人の死は やはり こたえる
人は死ぬ だけどつながりは消えはしない
呼べば応える それはいつでも

お前の人生は 加速を始めたばかりだ】
(湾岸ミッドナイトより 山本和彦)

私の両親は健在だが、私は老人福祉の世界に身をおいていた頃から―いや、その前からずっと、「人の死」というものをたびたび考えて生きている。
基本的に人は年齢を重ね、寿命というカタチで命を終えていくのが普通だろう。だが、天から降ってきた災いか、あるいは他の理由かで、ある日突然命を落とす人もいる。
それまでに、その命をどう生きてきたか、ということが大事なのだということを、いつも考えさせられる。
私はこの楽章を綴るに当たって、地元である能登で起きた、能登半島沖地震の震災復興ボランティアに参加したことと、勤めていた有料老人ホームを退社したことや、そのほかさまざまなことを頭に思い浮かべながら、今までであった、「自分よりもかなり先に人生を走り続けてきた人」「大正・昭和・平成を股に掛けて生きてきた人」の表情、ぬくもり、言葉、その他さまざまに得られたものを思い出している。

【人はみな素晴らしい。 たった一度会っただけなのに二度と忘れられない人は大勢いる】(シンディ・ローパー)

その中でも、ボランティアや、私が長寿を迎えようとするにあたって限りなく理想に近いサンプルとなった大勢の高齢者などは、苦労も喜びも何もかもひっくるめて『よく生きた』人なのだ。
だからこそ、忘れられない。えもいわれぬ余韻がある。いつまでも心に残る。「かっこいい」。

【オレはなれるのかな カッコよく・・
あと10年― 10年たって年を取ったオレが今のオレを見た時・・
オレはカッコよく生きていたって思えるカナ・・
周りとの関係やかかわり合いの中でオレは オレに正直に そして真っ直ぐに生きていたと・・
そう言えるように・・】
(湾岸ミッドナイトより 友也のセリフ KC29・p37、38)

ここに、私が心に残った、人生や生きることにまつわる名言を少し集めてみた。
コレを読んでくださった方の中で、この中から「よく生きることへのヒント」が見つかれば幸いである。

【1日10回感動すること。それが長生きの秘訣です】
(婦人運動家・加藤シズエ)

【最も長生きした人は、最も多くの歳月を生きた人ではなく、最もよく人生を体験した人だ】
(ジャン・ジャック・ルソー)

【人生は作るものだ。必然の姿などというものはない】
(坂口安吾)

【生まれながらにして、死ぬときの対応の仕方を模索していくのが人生のような気がする】
(タレント、映画監督・ビートたけし[北野武])

【人生は悟るのが目的ではないです。生きるのです。人間は動物ですから】
(小説家・岡本かの子)

【たつた一人しかない自分を、たつた一度しかない一生を】
(山本有三 「路傍の石」より)

【夕映えが美しいように、老人の場所から見た世界は美しいのです】
(伊藤整 「変容」より)

【生死などはなんでもない。つまらない事柄なのだ。ただ生きていく態度が重要なのだ】
(稲垣足穂)

15th Movement 「自分で決める―」

2007-08-07 02:16:10 | SWEET SWEET SUITE
「だって当然だろ 【正しいコトと自分がソレをセレクトするかはまた別だろ】 な
お前だってそーじゃないの いい人だからつきあうってナイだろ?
オレはそれなりの報酬を得て今のオレが知る正しいコトを言う だけど【それをどう選択するかは受け手 個々の自由なわけだ そしてその選択もオレだけのモノだ それが正しいとかそーゆうのは関係ない】(中略)【あれこれと知ってからまた、正しいこととか本当のことって、案外つまんないなって】。少なくともオレは正しいことを求めてなんかいないんだって」(中略)
【「間違いであっても 正しくはなくても ソレを選択するコトもありだろ―」】

「ダメだよ泣いたって 【自分で転んだんだから自分で立たなきゃ パパは手ェなんか貸さないヨ】」
「ケイ お前がもっと大きくなって学校とか行くようになったら 先生や友達はいろんなコト教えてくれるヨ
【いいコトもあるし悪いコトもある そしてお前は それを自分でわかっていかなきゃならない
いつもお前が決めるんだ そしたら転んでも自分で立ちあがれる
いろんな人がいろんなコトを教えてくれる
いいコトが正しいとは限らない 悪いコトがすべてダメなわけじゃナイ
お前がキメるんだ―すべて】」

「たとえば目の前に2つの分かれ道がある
誰が見ても右に行くほうが正しい リスクも少なくはやく行ける それなのに・・チューナて人種はわざわざ左を選んでしまう時があるのヨ
損とか得とかそーゆうのじゃなくて 心の中の針が触れたほうにどうしても行きたいのヨ
本当にまっすぐレイナはわかろーとしているでしょ だから彼らの心も振れるのヨ
【正しいと言われる千の言葉より 自分の 心の針の振れを信じてゆく】」
(湾岸ミッドナイトより)

一つ目の言葉は、「FC3Sと自動車評論家・城島洸一を中心とした物語」で、自動車評論の記事を書き綴る城島に対し、レイナが「嘘つきなんですね」と背後からいうシーンで登場する。
二つ目の言葉は、「相沢洸一の息子、圭一郎(愛称:ケイ)」の物語内で、ケイが、すでに事故死している父の言葉―公園で転んだときの言葉―を思い出すシーンで登場する。
そして三つ目の言葉は、「時代に逆行するチューナー」という企画をチューニング雑誌の企画に持ち込み、かつての恋人・FLATレーシングを経営する黒木隆之に再会し、物語に絡んでいく女性・ミカがレイナに語る言葉である。

ケイの父親の、子供に対する躾の有り方についても一本取られた!という気持ちにさせられたが、それよりも、世の中のコトは(人殺しはいけないとかの自然法的・道徳的なことや、誰が計算しても同じ答えが出る算数の計算などは別として)、全て表と裏が存在する。またどこまでが良くてどこまでがダメなのか、線引きが難しい。
つまり言えるのは、世の中のあらゆる出来事は、相対的な問題なんだ、ということなのだ。
人の生き方もそう。「絶対これがあっている」ということなどは、存在しないのだ。 そして、自分で何をどうしていくかということを決めて、それを心にある信念としてあたため、行動していくことが大切なのである。
これは、湾岸ミッドナイトの中でも非常に注目されている名言の一つである。

【人生は作るものだ 必然の姿などというものは無い】
(坂口安吾)

【他人の意見で 自分を変えることは、しない】
(メジャーリーガー・イチロー)

【ものごとの実は それをじっとみつめる人の心の中にある】
(イギリスの哲学者・ヒューム)

14th Movement 「次の流れ」

2007-08-02 20:23:00 | SWEET SWEET SUITE
【たとえば人生には ある日突然に加速がつくように変わる日がある
階段をいっきに上がるように視野が広がり 見えなかったコトが見えるときだ
・・だがその時に動けない人がたくさんいる
停滞した流れの時に自分を作っていなかったからだ
人の動きを見て動く 受け身の考え方、リアクションの生き方をする人にそれは多い
次の流れにそなえ いつも爪を研いでおく
悪い流れ 乗れない流れのその裏に必ず新しい流れがある
それを意識し それを考え そして信じて爪を研いでいるか だ】
(湾岸ミッドナイトより)

「地上の戦闘機『ゼロ(零式)』を作る」と、HONDA S2000をターボ化してチューンアップし、仕上がったそのマシンで走り出したユージ。それを送り出したYMSPEEDの山本和彦が、ショップを訪れたレイナに語りかけるシーンである。

物事でも、人の生き方でも何でもそうだが、何気ない生活の中でふとした何かをきっかけにある日突然、「変わる」時があるのだ。言い換えれば、「何かに気づく」時と言った方がいいかもしれない。
大きな変化、劇的な変化ではないにせよ、霞の中から景色が浮かんでくるように、「見えなかったことが見える」瞬間である。「なんかノレないな~、行き詰ったな~」と思うときは人間誰しもあるだろう。そうすると人は、立ち止まって考える。「なにもしない」ではなく「なにも考えない」では次の流れは見えてこない。
そんなときこそ、自分の現在(いま)と将来(さき)を少なからずとも想いながら、受動的ではなく能動的に動くこと、それが大切なのである。

【つまり、いつでも動けるようにスタンバイをしている・・と】(秋川レイナ)
【大事ですよね でもなかなかできない 流れが悪いときはそれを抜けることばかりを考え、次の流れ、先(将来)へ向いた考えはしにくい】(冨永公)

そして、次の流れ、行く先の真理をつかもうと試行錯誤する「自分」を見失ってはいけない、という、とても心に響くコトバである。

長い意味での「生き方を大切にする・見つめる」というモノにも繋がってくるだろう。


【ともかく 具体的に動いてごらん
具体的に動けば
具体的な答えが出るから】
(相田みつを)

【行き詰りは 展開の一歩である】
(小説家・吉川英治)

13th Movement 「自分の手の中に」

2007-08-02 20:20:08 | SWEET SWEET SUITE
【お前は自分が持っていないモノばかり数えている だから自分がイヤになる
だから自分が手にしているモノがわからない
自分が今手にしているモノ お前の宝石はいつもそこだろう】

【持っていないモノを数えない わかるか その意味が・・
あの時 ああすればとか・・あそこでこうならとか・・つまり手に入らなかったモノだ・・
手に入らなかったモノはもともとなかったモノなんだ
ないモノはねだっても出てこない いつも「今」だ】
【間違いを悔やむのはいい 失敗は恐れなくていい
・・だがソレを数えるな いつも自分の手の中を見ろ】
(湾岸ミッドナイト ヤングマガジン2006年41号他より)

ヤマモトSPEEDのオーナーであり、秋川レイナとその愛車R32GT-Rを見守るチューナー・山本和彦。その山本と父親を共にする異母の弟ユウジ。彼が父との思い出を回想するシーンで現れる言葉たちである。
こと、過去の失敗をあれこれ悔やみがちな自分―そういう考え方をする人は他にもいることだろう。

【時に 人は求め過ぎ 目の前の幸せに無表情】
【時に 人は生き急ぎ 目の前の現実に無愛想】
(作詞:清心 『愛鍵』より―この「組曲」に「歌の歌詞は加えない」という自分なりの決心があったのだが、清心さんの歌詞を紹介できるということで特別に記載させていただいた)
手の内にないものを求めがちな人間は、特にこのようになって自分を見失いがちになるのだ。

失敗や間違いを数えてばかりいたり、振り返ってばかりいたのでは、今でさえも見えなくなってしまう。
少し、一呼吸おいて、自分の手の中の宝石を握り締めて離さないように、自分が大切にしているものが何かということを冷静に考え、今を生きていくことが大切なことなのである。

「転んでもただでは起きぬ」ということわざがある。失敗(しっぱい)したとしても、その失敗を利用して何か得になるものを
見つけようとするということ、が大体の意味だ。
私が勤務していた老人ホームの入居者がこう言ったことがある。

【七転び八起き、転んでも立ち上がる。で、転んだついでに自分の持っているものと、ついでに何か拾って立ち上がって進むの。絶対に離しちゃダメ】

転ぶとき、ヒトは反射神経から地面に手を付こうとする。そのとき、手は広がっているはずだ。モノを握っていたら、それをも落としてしまうだろう。でもそれを一つ残さず拾い集め、ついでに何か見つけて自分の手の中に収める―
それが、強く生きるためのコツなのか・・・もしれない。


【あなたがいま夢中になっているものを大切にしなさい。
それは、あなたが真に求めているものだから】
(エマーソン)

【私たちはしばしば、できないものを見つけることによって、できることを発見する】
(サミュエル・スマイルズ)

【持っていないもののことを気にしていると 持っているものを無駄にしてしまいます】
(ケン・ケイエス・ジュニア】

12th Movement 「がんばって」

2007-08-02 03:34:09 | SWEET SWEET SUITE
【がんばってるね】

この楽章を書くにおいて、エピソードがある。
以前勤務していた老人ホームの入居者の一人の男性で、私を見かけるといつも右手を上げて「おっ、はりきっとるね~?」「がんばってるね~」と声をかけてくれる人がいるのだ。
人をほめるとか感謝の意から人を激励するということは、こと男は難しく、大げさに考えてしまいがちである。「気のきいたイイことをいってやろう」と意気込んでしまったり…もする。

ただ一言、実感のこもった暖かい言葉。
それがこの言葉だろう。

他にも、
【いつも明るいね】
【元気でいいわね】
【感謝してるよ・助かってるよ】
などもいい、ときいた。

まるで挨拶のように私の心にスーッとくるこの一言は、逆にいろいろな意味で出すのが難しい。

ここで気をつけなくてはならないのが、よく口にされがちな「がんばれよ」「がんばってね」という褒め言葉―は、言われて勇気がわく人・気合が入る人(あるいは場合)もいるだろうが、ある種の反発も生まれてしまうのだという。

「がんばれよ!」→「お前ががんばれよ」「お前こそがんばれよ」
という図式が成立しかねない。

「がんばってる人に『がんばってね』、といいたくない」―と私がいつも心に思うことなのだが、この短い言葉は、「さりげなく」「さらりと」人を褒める、相手を認める第一歩、いえ、「大一歩」だろう。

11th Movement 「極限のときにこそ」

2007-08-02 03:29:48 | SWEET SWEET SUITE
【「極限のときこそ余裕を持て」】

「われわれはプロですからね。そんな…どこかに余裕がないと。だって、いっぱいいっぱいのことやってたら、評価なんてできるわけないですよ。
ある意味その…評価ってほかの事考えてるわけでしょ」
(日産テストドライバー 加藤博義)


加藤博義氏は、かの名車「スカイラインGT-R」の開発をも手がけ、世界最難関の過酷なサーキット(「公開試験場」と行ったほうがいいかもしれない)・ドイツ ニュルブルクリンクサーキットを走りこみ、「神の声」を持つと言われる、日本のトップに君臨するテストドライバーである。
その氏が、平成18年5月11日放送 NHK番組「プロフェッショナル」内で語った言葉がこれである。

「そんな無茶な」と私なら思ってしまう。「できるならいつでも、いかなる場合でも余裕を持ちたい」と思う。特に、非常事態でいつも慌てふためいているような私にとって、身に着けなければいけないことであろう。

加藤氏の仕事は、超高速領域でテストコースを走り抜ける、文字通りの「極限」の世界…。それは、ハンドルの操作を数ミリ誤れば即大事故につながる世界だ。すなわち、『「余裕」を保ち続けることは、文字通りの生命線でもある』。

加藤氏は若かりし頃、上記の「ニュル」で、屈辱的な日々を過ごした。国内で十分走りこみ、意気揚々と乗り込んできたニュルを一周走って「とんでもないところだ、ここは!」と言ったという。走ることで精一杯、評価する余裕など到底持てない日々。
しかし、その中でもがき苦しみながら、加藤は極限ぎりぎりで余裕を残すコツをつかんだという。余裕がなければ評価などできない、すなわち「仕事ができない」ということになる。
加藤氏においては車を運転することだけでなく、仕事すべてにおいて「余裕を持つ」ことをする。どうしようどうしよう、という事態であるからこそ、冗談を飛ばし、笑ってみせる。

【修羅場で笑えなきゃ、プロじゃない】

加藤氏は負けず嫌いな性格だと紹介されていた。また極めてネガティブ思考の強い人間だ、ともいう。その自分を支えるために、余裕を作ってきた。でもそれが顔に出てしまったら本当に追い込まれてしまう。この「余裕を持つこと」への気持ち、それがとても尊敬できる点であると思う。

慌て者の私にも、同様のことが言える。

極限の状態になってこそ、余裕を持つということ。

この「男の美学」を私も参考にして仕事に当たりたいと思う。

10th Movement 「原因と行動」

2007-08-02 03:26:46 | SWEET SWEET SUITE
【原因を積み重ねたまえ、それがいざというときの結果を左右する。
その時、その場の状況だけを見れば全く無意味な行動でも確実に自分の心のベクトルを決定付ける原因となっているんだ。最も悪いのは無自覚に流れに乗ることだよ。これは原因を何も積んでいないのに等しい】
(ドリームキャスト専用ソフト『火焔聖母』より)


原因=物事のおこり、もと、を意味する。

上記の言葉は、「火焔聖母」の物語の序章において、主人公の高校生探偵見習いが、探偵のイロハを教わった探偵社所長から言われる言葉である。

「原因」といわれても実感がわかない主人公に対し、所長は、競馬を例に挙げて、「(競馬においては)儲かる『原因』をつんでいれば、勝つ馬をどんな風に予想したとしても儲かることになる」といい、そこから、探偵の仕事についてのあり方について説いていく。

「人が罪を犯す原因は何だろう?ある事件が解決を見たように見えても、当事者たちの心の問題は解決したのかね?―確かに、犯人が捕まれば事件は解決する。だが、その原因がなくならない限り、いずれ新たな別の犯人が現れる。事件が終わっても当事者の間に不安が残っているのは何故かね?それは、事件という結果を導く『原因』が取り払われてないからだよ」という。

「犯人を捜すのが探偵ではなくて、その原因を解体していくのが探偵の姿勢だよ」という考えなのである。

この所長のセリフや想いを私なりに解釈し、考えてみると「原因を積み重ねる」ということは、自分で考えたことを行動に移し、その「結果」なり「思い」なりを自分の心にフィードバック(=物事や作業の結果を分析して全体に反映させること)していくことだろう、と思う。
あえて、「『経験』を積み重ねたまえ」といわなかったのは、自分で考え、自分の足で行動し、事件解決の―そして自分の心のベクトルを決定付ける―原因を生み出すことが大事なのだということを伝えたかったのであろう。
「もっともよくないのは無自覚に流れに乗ること」という言葉からもわかるとおり、自分で考えて行動すること、その結果がよかろうと悪かろうと、それを心にとどめ、行動に生かす、そして、自分の心を強くしていくこと、が大切なのである。

実は、コレと同じようなことを、大学時代、将棋を指しながら教授と話をしたことがある。法律の学部に籍を置きながら、教育・福祉の世界にいざなってくれたアリガタイお方である。教授から言われた言葉が、前の職場を辞める時に心強い「原因」となったこともここで付け加えておく。