【あたりまえのコトをキチンとやっていく チューニングにマジックはないんだ】
(「湾岸ミッドナイト」より)
【トマトがねえ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
みんなそれぞれに
ほんものなのに
骨を折って
にせものになりたがる】
(相田みつを作:「みんなほんもの」)
【トマトにねえ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなあ
トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねんだなあ
トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思っているのは
人間だけだね
それもね
欲のふかい人間だけだなあ
トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだなあ
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ
トマトもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点に生きているんだよ
トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと
「メロンになれ メロンになれ
カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」と尻をひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているトマトが
いっぱいいるんじゃないかなあ】
(相田みつを作:「トマトとメロン」)
中国の古書『菜根譚(さいこんたん)』によれば、「本当の味というものは、淡々としたものであり、米飯がこれにあたる」という。山海の珍味など三日も食べ続ければ飽きるが、米飯は毎食食べて飽きることがない。
【人間も同じで、着飾って格好を付けている人より、常識的なことをきちっと為すことのできる人物こそ本物である・・・と】。
今日、デフレの世の中で売れているのは、「本物と評価されたもの」だと。
【「技術、物づくりの付け根は、本物志向」でなければならない】
(MAZDAホームページ 「AXELA STORY」より)
フォルクスワーゲンゴルフ、プジョー307、アルファロメオ147など、欧州車では主流のひとつであるCセグメント車に対し、真っ向勝負をかけるカタチで発表された、MAZDA AXELA(アクセラ)。その開発主査である谷岡彰氏は、本物というものは「飽きの来ないもの」だと、上記の『菜根譚』から学んだという。
湾岸ミッドナイトの台詞にも見られるように、当たり前のコト・常識的なコトがキチッとできなければ、人から認められるコトはない・本物ではないのだ。
しかし、私はここで、「当たり前のことがキチッとできる」というのは、「行き過ぎると何かしら問題が出てくるということも加味しなければならない」ということも含みたい。
こと人間に関してのことだが、例えば、小学校に上がったばかりの子供が、「どんな場合も礼儀正しく、言葉遣いも丁寧である。親の言うことには『はい』と大きな声で答え、勉強も親に言われる前にちゃんとする」という、いわゆる「できすぎクン」にまでいたってしまうと、「一種の強迫神経症(=なんらかの観念にとらわれてしまい、それからどうしても逃れられなくなる症状。外出から帰ると何度も繰り返し手を洗ったり、出かけるとき鍵をかけたかどうか気になって戻って確認するなどの症状がある)」になってしまう恐れがある。子供なんかに「いい子になってね」「いい子にしていなきゃだめだ」とされれば「いい子にしていなければ可愛がってもらえない」という図式が出現しかねない。
こうだから、と枠にはめてしまうではなく、その人それぞれが可能な範囲で、そしてその人らしく自由に―。自分が人の中で生きていくにおいても、他人の気持ちに触れるときも、「そのちょうどよさ」があるのだと思う。
そこのあたりは気をつけなくてはならない。相田氏の作品は、それをうまく表現していると思う。
先の谷岡氏は、アクセラを「飽きの来ないクルマ」にするために、開発にあたって、開発スタッフそれぞれ専門家の手にゆだね、提案を求めたところ、開発チームが活気にみなぎった。開発過程で何か問題が発生したら、専門家が自ら取り組んで解決すれば、より以上の達成感を本人が味わうこともできる。専門家が働きやすくするために、自らの覚書を示した。
【開発の全ての責任は主査にある!】
こうして、各開発担当者は心おきなく自分の専門分野で腕を振るうことができたのであった。
【その過程で、もし・・・「間違っていたら―直せばいい」
主査の描く「本物」のイメージだけをスタッフに押し付けるのではなく、その人ができるキチッとやったものを集結させ、カタチにしていく―尊敬すべきリーダーの姿のひとつであると思う。
日頃から大事なコトが時々抜けがちな自分に渇を入れられる言葉たちである。心に刻んでおきたい。
そして、私はトマトのままがいい、トマトのままでいたほうがいいよなあ、トマトのままでいさせてほしいなあと思うのである。
(一部、斉藤茂太著:「続・いい言葉はいい人生を作る」より引用)
(「湾岸ミッドナイト」より)
【トマトがねえ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
みんなそれぞれに
ほんものなのに
骨を折って
にせものになりたがる】
(相田みつを作:「みんなほんもの」)
【トマトにねえ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなあ
トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねんだなあ
トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思っているのは
人間だけだね
それもね
欲のふかい人間だけだなあ
トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだなあ
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ
トマトもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点に生きているんだよ
トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと
「メロンになれ メロンになれ
カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」と尻をひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているトマトが
いっぱいいるんじゃないかなあ】
(相田みつを作:「トマトとメロン」)
中国の古書『菜根譚(さいこんたん)』によれば、「本当の味というものは、淡々としたものであり、米飯がこれにあたる」という。山海の珍味など三日も食べ続ければ飽きるが、米飯は毎食食べて飽きることがない。
【人間も同じで、着飾って格好を付けている人より、常識的なことをきちっと為すことのできる人物こそ本物である・・・と】。
今日、デフレの世の中で売れているのは、「本物と評価されたもの」だと。
【「技術、物づくりの付け根は、本物志向」でなければならない】
(MAZDAホームページ 「AXELA STORY」より)
フォルクスワーゲンゴルフ、プジョー307、アルファロメオ147など、欧州車では主流のひとつであるCセグメント車に対し、真っ向勝負をかけるカタチで発表された、MAZDA AXELA(アクセラ)。その開発主査である谷岡彰氏は、本物というものは「飽きの来ないもの」だと、上記の『菜根譚』から学んだという。
湾岸ミッドナイトの台詞にも見られるように、当たり前のコト・常識的なコトがキチッとできなければ、人から認められるコトはない・本物ではないのだ。
しかし、私はここで、「当たり前のことがキチッとできる」というのは、「行き過ぎると何かしら問題が出てくるということも加味しなければならない」ということも含みたい。
こと人間に関してのことだが、例えば、小学校に上がったばかりの子供が、「どんな場合も礼儀正しく、言葉遣いも丁寧である。親の言うことには『はい』と大きな声で答え、勉強も親に言われる前にちゃんとする」という、いわゆる「できすぎクン」にまでいたってしまうと、「一種の強迫神経症(=なんらかの観念にとらわれてしまい、それからどうしても逃れられなくなる症状。外出から帰ると何度も繰り返し手を洗ったり、出かけるとき鍵をかけたかどうか気になって戻って確認するなどの症状がある)」になってしまう恐れがある。子供なんかに「いい子になってね」「いい子にしていなきゃだめだ」とされれば「いい子にしていなければ可愛がってもらえない」という図式が出現しかねない。
こうだから、と枠にはめてしまうではなく、その人それぞれが可能な範囲で、そしてその人らしく自由に―。自分が人の中で生きていくにおいても、他人の気持ちに触れるときも、「そのちょうどよさ」があるのだと思う。
そこのあたりは気をつけなくてはならない。相田氏の作品は、それをうまく表現していると思う。
先の谷岡氏は、アクセラを「飽きの来ないクルマ」にするために、開発にあたって、開発スタッフそれぞれ専門家の手にゆだね、提案を求めたところ、開発チームが活気にみなぎった。開発過程で何か問題が発生したら、専門家が自ら取り組んで解決すれば、より以上の達成感を本人が味わうこともできる。専門家が働きやすくするために、自らの覚書を示した。
【開発の全ての責任は主査にある!】
こうして、各開発担当者は心おきなく自分の専門分野で腕を振るうことができたのであった。
【その過程で、もし・・・「間違っていたら―直せばいい」
主査の描く「本物」のイメージだけをスタッフに押し付けるのではなく、その人ができるキチッとやったものを集結させ、カタチにしていく―尊敬すべきリーダーの姿のひとつであると思う。
日頃から大事なコトが時々抜けがちな自分に渇を入れられる言葉たちである。心に刻んでおきたい。
そして、私はトマトのままがいい、トマトのままでいたほうがいいよなあ、トマトのままでいさせてほしいなあと思うのである。
(一部、斉藤茂太著:「続・いい言葉はいい人生を作る」より引用)