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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

9th Movement 「ほんものへの積み重ね」

2007-08-02 03:24:55 | SWEET SWEET SUITE
【あたりまえのコトをキチンとやっていく チューニングにマジックはないんだ】
(「湾岸ミッドナイト」より)

【トマトがねえ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
みんなそれぞれに
ほんものなのに
骨を折って
にせものになりたがる】
(相田みつを作:「みんなほんもの」)

【トマトにねえ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなあ
トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねんだなあ

トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思っているのは
人間だけだね
それもね
欲のふかい人間だけだなあ

トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだなあ
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ

トマトもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点に生きているんだよ

トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと

「メロンになれ メロンになれ
カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」と尻をひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているトマトが
いっぱいいるんじゃないかなあ】
(相田みつを作:「トマトとメロン」)



中国の古書『菜根譚(さいこんたん)』によれば、「本当の味というものは、淡々としたものであり、米飯がこれにあたる」という。山海の珍味など三日も食べ続ければ飽きるが、米飯は毎食食べて飽きることがない。
【人間も同じで、着飾って格好を付けている人より、常識的なことをきちっと為すことのできる人物こそ本物である・・・と】。

今日、デフレの世の中で売れているのは、「本物と評価されたもの」だと。
【「技術、物づくりの付け根は、本物志向」でなければならない】
(MAZDAホームページ 「AXELA STORY」より)
フォルクスワーゲンゴルフ、プジョー307、アルファロメオ147など、欧州車では主流のひとつであるCセグメント車に対し、真っ向勝負をかけるカタチで発表された、MAZDA AXELA(アクセラ)。その開発主査である谷岡彰氏は、本物というものは「飽きの来ないもの」だと、上記の『菜根譚』から学んだという。


湾岸ミッドナイトの台詞にも見られるように、当たり前のコト・常識的なコトがキチッとできなければ、人から認められるコトはない・本物ではないのだ。


しかし、私はここで、「当たり前のことがキチッとできる」というのは、「行き過ぎると何かしら問題が出てくるということも加味しなければならない」ということも含みたい。
こと人間に関してのことだが、例えば、小学校に上がったばかりの子供が、「どんな場合も礼儀正しく、言葉遣いも丁寧である。親の言うことには『はい』と大きな声で答え、勉強も親に言われる前にちゃんとする」という、いわゆる「できすぎクン」にまでいたってしまうと、「一種の強迫神経症(=なんらかの観念にとらわれてしまい、それからどうしても逃れられなくなる症状。外出から帰ると何度も繰り返し手を洗ったり、出かけるとき鍵をかけたかどうか気になって戻って確認するなどの症状がある)」になってしまう恐れがある。子供なんかに「いい子になってね」「いい子にしていなきゃだめだ」とされれば「いい子にしていなければ可愛がってもらえない」という図式が出現しかねない。
こうだから、と枠にはめてしまうではなく、その人それぞれが可能な範囲で、そしてその人らしく自由に―。自分が人の中で生きていくにおいても、他人の気持ちに触れるときも、「そのちょうどよさ」があるのだと思う。
そこのあたりは気をつけなくてはならない。相田氏の作品は、それをうまく表現していると思う。

先の谷岡氏は、アクセラを「飽きの来ないクルマ」にするために、開発にあたって、開発スタッフそれぞれ専門家の手にゆだね、提案を求めたところ、開発チームが活気にみなぎった。開発過程で何か問題が発生したら、専門家が自ら取り組んで解決すれば、より以上の達成感を本人が味わうこともできる。専門家が働きやすくするために、自らの覚書を示した。

【開発の全ての責任は主査にある!】

こうして、各開発担当者は心おきなく自分の専門分野で腕を振るうことができたのであった。
【その過程で、もし・・・「間違っていたら―直せばいい」

主査の描く「本物」のイメージだけをスタッフに押し付けるのではなく、その人ができるキチッとやったものを集結させ、カタチにしていく―尊敬すべきリーダーの姿のひとつであると思う。

日頃から大事なコトが時々抜けがちな自分に渇を入れられる言葉たちである。心に刻んでおきたい。

そして、私はトマトのままがいい、トマトのままでいたほうがいいよなあ、トマトのままでいさせてほしいなあと思うのである。

(一部、斉藤茂太著:「続・いい言葉はいい人生を作る」より引用)

8th Movement 「人の魅力」

2007-08-02 03:22:20 | SWEET SWEET SUITE
「【速い車はすぐわかる 持っている雰囲気が違うんや】」
(湾岸ミッドナイト 神谷英次の台詞)

【その人全体からにじみ出る味わいで、その人物がわかる】
(元京都大学総長 平澤興氏の言葉)

「『アイツはなぜモテる?!』という人が結構いる。しかしその人をよくよく見てみると、容姿や性格などの実力以上のプラスαがあるのだ。このプラスαは魅力といいかえてもいい。人によっては味や雰囲気と表現してもいいだろう。
【その人からあふれ出てくる、内面的な魅力がプラスαとなるのだ】」
(きむらゆういち著「あらしのよるに―恋愛論―」より)


才色兼備:女性が、才知が優れその上顔立ちもきれいなこと。

そんな女性と交際して、結婚もして、幸せな家庭を築くことができたら…そんなことを時々思う。けど、そういう女性はやはり、背格好もよく、経済力もあって、優しくて、というモテる男の最大公約数を弾きだすような人物がふさわしいに決まっている(と私は勝手に思っている)。女性は得てしてそういう男性に惹かれるほうが多い。人の好みはわからないが、背が低くて不細工で粗暴な男性が好きという女性はまずいないと思うから。

私は、恋多き男の子だった。その人が持っている素敵なところをいっぱい見て人を好きになっていったと思う。でもそれはあまりにも不釣合い―自他ともに認めるくらいの―で、
「クラスの隅で目立たない子が君を好きなの ねえ 笑わないでね」
(歌:西村知美、作詞:売野雅勇『君は流れ星』より)というフレーズがぴったり来る、モーレツ片想いばかりだった。成就したためしもない。

顔もスタイルもたいしたことないのにモテる人も世間にはたくさんいる。男女問わず多くの人の人望が厚く好かれる人もたくさんいる。そういう人は、何かしらのプラスαを持っているのだという。そして、本人の努力でもって身に着けたプラスαは、もともとの長所をさらに増幅することができるという。

例えば、人にしてもらって心にいつまでも残る行い(親切)というのは、特別なものや大きなもの・過剰なものよりも、さりげないものであることの方が多い。落ち込んでいるときにふっと笑顔をくれたり、親身になって話を聴いてくれたり…ナイスなタイミングで私の心に飛び込んでくるのだ。言い方を変えれば「痒いところに手が届く」といったところだろうか。
サービス業を生業とする人において、そういうコトをさらりとできる達人級の人は、よりよい仕事をするにあたっての努力の積み重ねがなされている人だと思うのだ。


「自分だけのプラスαを身に着ける努力をする」、仕事でも人間関係でも、これがあるのとないのとでは、結果は大いに左右されると思う。そして、そういう努力を重ねた(と思える)人は、目にははっきり見えなくても、何かしらにじみ出るものがある。「オーラのようなモノ」「えもいわれぬ余韻」ともいえるかもしれない。

私もかくありたいと思う。もちろん、仕事だけではなく、一人の人間として、一人の男として―

Intermezzo 「コトバの力」

2007-08-02 03:20:00 | SWEET SWEET SUITE
【あのそばの味
あのパンの味
本当のところはね
だれにも
説明できないんだよ
ことばは
不完全だから】
(相田みつを氏の作品「ことば」)

【説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)】
―一物を説似すれば即ち中らず―
(中国・禅宗の僧 大鑑慧能の言葉)

【言葉は、感情的で、残酷で、ときに無力だ  それでも、わたしたちは信じている、言葉のチカラを】
(朝日新聞「ジャーナリスト宣言」 CMより)


私が、この『組曲を奏でる』のは個人的にとても楽しい。結構シッチャカメッチャカな(死語)文章になっているかもしれないが、私の言葉に対する反応や想いというモノを感じ取っていただければ幸いである。
これをつづるということは、ひとつの言葉から受けた「癒し」であったり「幸福」であったりそういったものを、ずっと残しておきたいという意味もあるし、見てくださった皆さんとともに分かち合いたいという意味ももちろんある。

しかしながら、私が受けた想いや感慨は必ずしもすべての人が共感するとは限らない。あるカレンダーに書かれてある戒めの言葉一つとっても力強いメッセージとなることもあれば、鼻で笑いたくなるようなむなしさを覚えたりすることだってある。
しかし、「そのメッセージから何を受け取るか、それをどう自分の中に取り入れ、生かしていくか、それは本人次第だ」と思う。
さながら、唱えるものの念力によって威力が変わる魔法のようなものかもしれない。魔法のような偉大なる力が備わっているととるのもそれぞれ、小さな力しか持っていないと感じるのもそれぞれ・・・。
それでも私は言葉の力を信じている。自分に必要な言葉を自分のやりかたで大事にしていけば、きっと心強いと思う。

6th Movement 「もったいないの中に」

2007-08-02 03:14:57 | SWEET SWEET SUITE
「【もったいないを貫こう】」
轡田隆史監修『ワンパターンを変えなさい!』より

【要領わるく 非効率なモノは 人でもモノでも 避けられる
・・だが その非効率の中に 本当の探しモノが 必ずある・・】
(「湾岸ミッドナイト」より)

【どんな酒かて寝かせれば いい味に変わるかもわからん。】
(サントリー創業者 鳥井信治郎)


「もったいない」というコトバ。
漢字を当てると「勿体ない」「物体ない」となる。日本語で、「おそれおおい」という意味。
お年寄りを相手に仕事をしていた時期、私も、よく「もったいない」と言われることがあった。

この「もったいない」「MOTTAINAI」という言葉をTシャツにして世界に呼びかけた、2004年にノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣、ワンガリ・マータイさん。もったいないという言葉にはエコロジーが叫ばれるこの世紀にあって、大事にするべき事柄が詰まっているという。そして、「もったいない」を世界に通じる環境標準語にしようと呼びかけている。

また、AC「公共広告機構」の1992年度のキャンペーンCMで、北野大さんが「もったいないを捨てたくないですね」と呼びかけるものがあった。「もったいない」は、日本人にとって誇るべきコトバ・姿だと思う。
また、上記の轡田氏の書には、ノーベル化学賞を授与した、島津製作所の田中耕一氏のエピソードを用いて、「もったいない」という姿勢から、「悪循環の出口」を常設することのありかたを説いている。
もったいない気持ちから実験中にでた失敗作をすぐに捨てず、そのまま実験し続けたことによって、世界で初めてレーザー照射によってたんぱく質を気化し、検出することに成功、「ソフトレーザー脱離イオン化法」を完成。さらにその十数年後、「生体高分子の同定および構造解析のための手法」を開発したことで、ノーベル化学賞を授与されたのである。
もったいないが生んだ大発見である。

この「もったいない」という言葉。この言葉を聴いたたいていの人は、「物を捨てずに大事にすること」をイメージすると思う。
しかし、私は、簡単に物を捨てずに置くということの中にある真髄を大切にしたいと思う。
ついつい効率の悪いもの、とりわけ「ヒト」をすぐに省きがちな現代社会。自分にとって、その集団にとって効率が悪い・都合が悪いから退けちゃえ、と―
でも、その中に必ず得るものがある。
「捨てるのはいつでもできる」ウィスキーやワインのように、時間がたつことで深みが増すコトだって世の中にはたくさんあると思うのだ。そのときその場だけを見て、カルい気持ちで避け、捨てるにいたってしまう。これこそ「もったいない」なのだ。
時間など、物理的に取り戻すことが不可能なものでも、その中に、学ぶべきこと、自分が得ようとするもの、大事なモノ・コトが必ずある―と思うようにしたいものである。けして、無駄なんかではないのだと思うように心がけたい。
特に、後記の湾岸ミッドナイトからの引用、そしてサントリー創業者・鳥井氏の言葉は、人事的な面で、社会の中でリーダー的立場にある人たちにぜひ心にとどめておいてほしい姿勢だと思う。

そういう意味で、「もったいない」という言葉の辞書的な意味であるところの「おそれおおい」という言葉が胸深く響く。

再度。

【もったいないを捨てたくないですね】

5th Movement 「未来を見つめて」

2007-08-02 03:12:42 | SWEET SWEET SUITE
「ちょっと前さ、未来想像図って歌あったろ。流行ってた頃よくラジオでかかっててさ、甘ったるい歌詞はいーのか悪いのかわかんねーけど、でもそのタイトルはさ、いいなと思ってたのよ。未来予想図だっけ?つまり未来図ってことだろ。
【自分達の未来の形、こうありたいとかそうでいたいとか、そーゆうの想い描くわけだろ。けっこう違うと思うのよ、そーゆー先への明確なイメージがあるのとないのとじゃ】
【こうなるであろうと仮説を立てて結果失敗するのと、取りあえずやってみて失敗したのは全然ちがう。わかろうとする努力もせず、取りあえずやる。それはトライ&エラーじゃない、ただの無駄だ】。
【未来図が描けない者ほど無駄が続く。そして、無駄ほど人の気持ちを削ぐものはない】
(湾岸ミッドナイトより)

【なんとかなるさ なんともならない  なんとかしよう なんとでもなるよ】
(とある小学校の教室より)


この二つの言葉の関連性はちょっと薄いかもしれないが、ヒトがあることに向かって進んでいくときの想い・大切にしたい事柄として取り上げた。
私も、Dreams Come Trueの「未来予想図」「未来予想図2」の歌は好きである。
人は、あることを信じて行動すると、そうでない時よりもはるかにそのことを達成する確率が高まる、という。
そしてもっと言えば、その場しのぎの行動や、「なんとかなるって」という「不徹底な」、「厳密でない」ものの考え方が通じない世界が世の中にはたくさんあるというコトもいえるのではないだろうか。

もちろん、空虚な「妄想」だけではいけないと思うが、「コレじゃいけない、なんとかしなくちゃ」と積極的に考えること。そして、未来を描き、それを実現しようと努力すること、邁進していくこと、これはなかなか難しいことであるが、とても大切なことであると思う。


「ずっと心に描く 未来予想図は ほら おもったとおりにかなえられてく」

4th Movement 「時の流れ、そして時間」

2007-08-02 03:09:32 | SWEET SWEET SUITE
どんなスゴイ高性能車と絶賛されても ほんの10年もすればどうってコトないレベルになる 
技術は次々と最新鋭を過去に葬り いつまでも舞台の真ン中にはいられない
【時の流れは残酷で そして正直だ】
(湾岸ミッドナイトより)


「【人生って・・・面白いでしょう?】まだまだ辛いことはたくさんあるけど、そう言って、いつか笑えるようになるから・・・頑張りなさい。 ま、前途ある若者に向けて、言葉のひとつでもあげようか?
【人はね、誰も傷つけずに生きていくなんて、できないのよ。】
【けど、結果を急いじゃだめ。時間しか解決してくれないことがあるんだから。】」
「涼宮さんだけを置いて流れていったのも時間。傷ついた人、傷つけた人を癒してくれるのも時間。
【時間が一番残酷で・・・優しい。】わかる?これは、経験したものにしかわからない言葉だから・・・
人って、紆余曲折いろいろあるのよね。」
(PCゲーム「君が望む永遠」より)


時=過去、現在、未来と絶えず移り変わってゆくもの。
時間=時刻と時刻との間。あるいは、時の経過を数える単位。
時と時間は似ているようで違う。
新約聖書の「伝道者の書 第三章」には次のように説かれている。

【天の下には、何事にも定まった時期があり、全ての営みには時がある】

私は敬虔なクリスチャンではないので、この教えの中になにがあるのか、本当の理解は難しい。人間の力ではどうすることもできない時の中、私はそっと思う。たった一つの行動の中に、どれほどの意味があるのか―。

では、それを繋ぎ、流れ、過ぎ去っていく時間はどうか。
言葉の出所の背景は省略させていただくことにして、この二つの言葉は、説明抜きにこの上なく大事にしたい言葉である。まったく違うところから、似たような内容の言葉が登場してきたことでとても興味深く思った。

残酷で、優しくて、正直なモノ―。

私たち自身の営みが時そのものであるならば、その流れは、それはわたしたち『人間』の命そのものであるということだろうと思う。

人を好きになったり、人と別れを経験するたびに、もう誰も傷つけたくない、傷つきたくもない、私はいつも思う。
時間がたつうちに、人の心はどんどん変わっていってしまう。思いもどんどん移ろいでいく・・・。
けど同時に、知らずのうちに、時の持つ優しい力に心を支えられていたのは確かだ。深く傷ついたことは何度もあったけど、時の力が心を癒してくれる、そんなことは何度かあった。
「Time is money=時は金なり」をはじめ、昔から時間にまつわる諺・格言は数多くあれど、これほど心に響いた名言はない。

そして、この作品もいい。
【アノネ
時は金なり
なんていうけどね
時はいのちだよ
『いま』という
この時は
自分の一生の中の
一しゅんだから ね】
(相田みつを作品集「いのちいっぱい」より 『時』)

3rd Movement 「飽くなき挑戦」

2007-08-02 03:06:44 | SWEET SWEET SUITE
【『挑戦なき戦いに勝利はないよ』、と。2位か3位を取るつもりで走ってると、必ず、敗れ去るよと。だから挑戦すべきだ、と】

世界3大耐久レースのうちの1つで、もっとも歴史が古く、わが国でも有名な「ルマン24時間耐久レース」。

フランス・パリの南西にある街、ルマンの「サルテサーキット」を舞台に、世界中のトップメーカーが鎬を削る、華麗にて過酷なる、究極のモータースポーツである。ポルシェも、フェラーリも、アウディも、メルセデスも、このレースで勝利を収めることで、世界の一流メーカーとして認められたのだ。
そのレースに、オイルショックによる「ガスガズラー(ガソリン食い)」の汚名を着せられたロータリーエンジンの名誉挽回と、生まれながらにしてスポーツユニットとしてのロータリーの技術を飛翔させるべく挑んだのが、MAZDAのルマンチーム。最初は完走もままならない状態だったが、出場を重ねるごとにマシンの完成度は増して行き、ルマン常連チームとなっていった。

1990年の惨敗を最後に、レギュレーション(競技規定)の変更でロータリーエンジンを搭載したマシンは出場できないことになってしまったが、1991年のルマンに出場できることが後から決定したのである。
こうして挑んだ1991年のMAZDAのルマン。1991年6月21日16時のスタートから13時間がたった午前5時に、MAZDAのマシンが総合2位にたった。それをみたチーム監督の大橋孝至氏は、一周あたりの走行ペースをあげて総合1位のメルセデスベンツチームに対し、プレッシャーをかける作戦に出た。当然メルセデスはMAZDAを振り切ろうとさらにペースをあげる。チーム内からは「無謀だ」という声が上がった。
しかし、午後になって、メルセデスは、無理なペースで飛ばしたため、オーバーヒートを起こし、ピットに入ってしまうのだ。大橋氏の作戦は的中した。その後トップを独走し、かの日本車初の総合優勝を成し遂げたのである。
その時、大橋氏が当時を振り返り、かの「プロジェクトX」内で語った言葉がコレである。

またその時、ロータリー技術者の1人である松浦国夫氏が発した言葉。

【我々が作ったロータリーエンジンは 絶対に 壊れない】

技術者魂が言葉になって出た瞬間であったと思う。

かつて、西ドイツのフェリックス・バンケル社と技術提携し、ロータリーを世に送り出した、MAZDAのロータリー技術者達47名。赤穂浪士になぞらえて、さながら大石蔵之助のごとくその先頭に立った山本健一氏の言葉が、広島・三次にあるMAZDA社内テストコース内に碑となって残されている。

【飽くなき挑戦】

とにかく寝ても覚めてもロータリーのことを考えて生きてきた氏が、「挑戦すること、あきらめないこと」を、自身の生き様と、自ら世に出したエンジンの有様でもって、決して誇示するわけでなく、静かに熱く人々に伝えたのだ。


できることはどんどん可能性を信じて挑戦していくコト―なかなか難しいことだけれど大切なことである。

2nd Movement 「終わりなき究極」

2007-08-02 03:04:36 | SWEET SWEET SUITE
【「究極」とは唯一のものであろうが、そこへ向かう道はひとつだけではない。
あらゆる可能性に挑みながら、私たちは自らの信念のもと、ただひたすら、熱く、走り続けていくのみである】

私はスポーツカーを中心にクルマが大好き。
そんな中、手に入れることは経済上無理ではあるが、大好きなクルマのひとつであり、日本を代表するにふさわしいハイパフォーマンスマシンである、「スカイラインGT-R」。その最終モデル、BNR34 SKYLINE GT-Rカタログに記された一文がコレである。

究極=物事を押しつめていった到達点。はて、きわみ。

物事を極めるのは他人と同じようなカタチでなくてもいいと思う。
「自ら信念を決め、自ら向かう道を設定し、さまざまなアプローチで以って、それぞれ目指す『究極』に向かうこと」。
それを学生時代よりも強く意識するようになり、久しぶりにカタログを見たときにこのフレーズに触れた。
今まで磨き続けてきたものを徹底的に熟成させることが大事なのは、どこの世界においても同じだけれど、そこからどうするのか、どう動いていくのか、が大切だと思う。

世の中には「もっとも深いところ・最後まで到達すること」というのが究極という世界もあり、そこにたどり着けばよし、というのもアリだろう。
しかし同時に、究極とは「積み重ねの連続」である。ひとつのコンセプトを基に、より高いレベルを目指して自己を磨き、熟成を重ねていくコト―私はそう思っている。
自分の今までの積み重ねを大切にして、その時点で自分の持つ力の全てを投入すること、それを「ひとつの『究極』」と呼ぶのなら、人間の究極に終わりはない。
そのカタログから引用するなら「終わりなき究極」なのだ。
そしてそこには目標とするヒトが居なくてもいい。
それは自分で生み出すものだと思うから。

この「終わりなき究極」というワンフレーズは、GT-Rがどうしようもなく好きだった先輩に、送別会の時に色紙にしたためて贈った言葉だ。お互いに、よりいい物を求めて、よき人材に・よき人間になるために、頑張っていきましょう、という想いを込めた。私の目標の一人であったその先輩は、今でもその職場で頑張っている。
その先輩に負けないように、私は、これからも、私だけの道を、「究極」目指して走り続けていければいいな、と思う今日この頃である。

1st Movement 「そこまでいってこそ」

2007-08-02 03:01:57 | SWEET SWEET SUITE
酒に溺れ人生を狂わせ それでも酒を飲む その世界は絶対にわからない
チューニングもそう 中毒(ジャンキー)になってこそ いや 中毒にならなければわからない世界がある
誰も中毒になるコトなんか望んじゃいない だけど 
【そこまでいかなければ見えない世界があり そこまでいってこそ わかる世界がある】

記念すべきSWEET SUITEの第一楽章は、私のマイブームである、湾岸ミッドナイトからの登場人物のセリフの中で、心に響いたものの中から取り上げた。
このセリフは、コミックス7巻にて、ブラックバードの911をチューンした、地獄のチューナー北見淳のコトバ。ブラックバードに「もう一度チューニングショップをやる気は…?」と聞かれ「全然ない」と答える北見。島がそれを言葉にしたのは、北見が一流の技術を持っているからこそ。でも、名誉やカネのためではなく、「本当にわかるヤツの車しか手を入れたくない」という北見の思いを表した言葉である。
この文章において「いく」とは「物事を突き詰める」「究極まで追い詰める」という意味であろうかとおもうのだが、これを私は、「物事、人生の選択とその結果に至るまでの道のり」という面も含まれてると考える。もっと言えば、さまざまなことを、あるいはひとつの事象に対して辛い経験をとことんまで経験したからこそわかる世界がある、という意味でとっている。
転職・退職を繰り返すヒトは多くいる、けれど、本当にどこにも行き場所がなくなって居ても立ってもいられなくなるくらいに苦しいから辞める、という感じのヒトを、今まで私はみたことがない。厳しい言い方をするならば(ネット上の文章ではニュアンスが伝わりにくいケド)「ぁ~ん、つらいしィ~辞める~」というようなカルい気持ちで退職していくようにしか見えない。
もちろん、ヒトにはそれぞれ許容範囲ってヤツがあるのだろうけれど…。
私も仕事を辞め、再就職経験のある人間だけれど、「永久就職するのがエラい」って時代は終わった、体がぼろぼろになってどうしても心的に耐えられないなら辞めるしかない、そう思って決断した。
社会人にして初めての「どん底経験」である。
社会人をやっている以上、「ドコに行ってもなにかかんかでつらいことがあるのは一緒」そう思う。けど、その事実が、そのつらさが、前の職場にずっと居たままじゃわからなかった、前の職場より今の職場のほうがまだカルい、頑張っていけるところがあるんだということを知った、それは「物事・人生の選択とその結果に至るまでの道のり」がモノをいうのだと思う。
辛いことがあっても、「あの時は確かに辛かった、けどその辛さがあったから今がある―」と少しでも考えられるようになるのだ。
こういう意味で、このコトバは、私の好きな言葉の一つであり、湾岸ミッドナイトを代表する名セリフであろうと思うのだ。