彼は、ブラックバードを「地上を走るメッサーシュミット」と喩え、一方のS2000を「地上のゼロ戦」と喩えている。
「本物のメッサーシュミット(第二次世界大戦時のドイツ軍の戦闘機)を撮りたい・・」と語っていたカメラマンの父を持つ山本の言葉を、紹介しながら考察し、曲を綴ることにしよう―
【カメラマンとして世界中を歩いた親父はいろんな国の話をオレにしてくれた
機械少年だったオレの興味はひとつ
ヨーロッパの先進工業国 ドイツの話だけだ
親父はヨーロッパの人間は好きじゃなかった
たとえば アメリカ人は黒人を差別するが 連中は区別する
それが嫌だと・・
だけども一つだけいいトコがある
プライドの高さとエリート意識がそうさせるのかもしれないが
彼らは人マネを極端に嫌がる
当然 モノ造りにもそれは表れる
特にドイツだ
彼らは他を認めても 絶対にそのまま入らない
だからこそ 911みたいなクルマが生まれる
911を911としている 水平対抗エンジンやRRのレイアウト
歴史を見れば 実は それらは911が一番最初だったわけではない
なのに911は 生まれたときからオリジナリティにあふれていた
何かを見て考えるコトはしただろう
模倣はすれど マネはせず・・か】
【60年代に生まれた911は
空冷フラット6EgとRRレイアウトゆえ
時代とともにマイナスが増えた
だがファンは911の存命を望み
ポルシェは技術でそれに応えた・・とよく言われるが
オレは少し違うと思ってる
支持者の声を前面の盾として
技術者の意地を通したかっただけだ
決めたコトにこだわる すぐ捨てない
頑固で 意地でそしてこだわり
だが こだわるとはけしていい言葉ではない
「そこにとどまる」という意味でもあるんだ
それでも押し通す
通し抜く先に手にするモノを確信して】
【たとえばこだわりと意地
二つを見極めるのはむつかしい
911はこだわりを通しぬき 生き残った
イヤらしくもブランド化し この先も安泰だ
同じように ホンダSもこだわりを持って生まれてきた
走りを第一とし この時代にATも2ペダルMTの設定もない
だが 売れなければそのこだわりさえ 意地のように見えてしまう
(中略)
こだわりを通しているのか
ただ意地になっているのか・・ むつかしいな】
(山本和彦)
クルマをはじめ、モノ作りにはその国らしさが大なり小なり現れる
ドイツに質実剛健な走りがあり
イタリアに快楽主義的な走りがある、と私は思っている
日本はどうか―
【欧米人はよく言う
日本は真似る国だと
それは違う
そのまま写してるわけではない
「真似る」から入り
必ず「学ぶ」へゆく
必ず自分の1を起こしている】
(ユージの父親)
まさにこのこの言葉が、今の日本の技術を支えているといっても過言ではない。
その最たる例が、同じく湾岸ミッドナイトの主役マシン、朝倉アキオがドライブするS30 フェアレディZだろう。
プロジェクトXのエピソードにも取り上げられ、ギネスブックに、「単一のスポーツカーとして最も売れた車」として記録されているZは
発表当時の時代「二流車」のレッテルを貼られていた日本の自動車メイカー・ダットサンが作り上げた、語り継がれる名車である。
モータリゼーションの発達した国アメリカで、自国のコルベットよりも、ポルシェやジャガーよりも売れた車―
開発者はそんなことを予想しただろうか。
あのボディラインは、当時の日本車からは想像もつかない、しかし「誰もが美しいと感じる」デザインだった。
エッジが効いていてスパッと切れ味の良い感じがするフロントノーズ
それはまさに日本刀―
「世界と勝負するには日本オリジナルじゃなきゃならない」というデザイナーのこだわりが詰まっている。
【資源に乏しいこの小さな国で世界と渡り合うのに大切なのは知恵とセンスだ
一緒に 世界から尊敬される車を作ってほしい】
(元アメリカ日産社長 フェアレディZの生みの親・ミスターKこと 片山豊)
新しいものを世に出すということは、本当に葛藤や苦労が伴う。
あのZもすったもんだの中から生まれた。
特に残るエピソードは車高―
さまざまなパーツをボディ内に納め、ヒトも乗るためには、設計上100mm車高を上げなくてはならないという事態が発生。
背の高いアメリカ人の頭がつっかえてしまうような車高にして造れないという設計側と、実用性を上げるために不恰好にできないというデザイナー側とで意見は真っ二つ。
しかし、あの低い車高を実現するため、設計側は、米空軍15000人分の身長データから平均を割り出し、「ここはなんとかしてほしい(60mmの車高アップ)あとの部分(40mmの車高ダウン)は何とかするからやってくれ、頼む」と懇願したのだ。
もはや意地だけしかなかったデザイナーは、この車を世に出すための苦労と努力に折れ、一緒に微妙なバランスを調整してあのカタチにこぎつけたのだった。
話を戻そう。
拘る=小さなことに心がとらわれる、執着する
意地=無理にもやり遂げようとする心、強い意志
辞書的な意味になってしまうが、同じ「通す」でも、両者では微妙に違う。あくまでも自分の思うとおりにするというニュアンスが強い「意地」を通すのは、「ごうじょっぱり」と思われ、嫌われるなど、マイナスイメージが強い。
一方、物事に対するこだわりも、度が過ぎるとそこから離れることができなくなる。
ポルシェは、今でこそSUV「カイエン」や、セダン「パナメーラ」を生産しているが、トヨタや日産のような、量産車メイカーとは違う。
フェラーリもまた然り。
レーシングスピリッツともいえる、走りへの情熱を徹底したこだわりで以って、世界トップクラスの走りを目指すスポーツカーのスペシャリストだ。
駆動方式も歴史を通じてさほど変わらず、比較的ベーシックな技術の膨大な積み上げで車作りを行っているメイカーである。
しかし、彼らは彼らの、日本車には日本車の、それぞれの道を信じて技術を磨いてきた。
これからもそうであろう。
こだわっている部分と進むべき部分、そして貫き通す意地このけじめはきっちりつけておくべきなのだ。
そのためには自分の心の軸を中心に「やじろべい」の様に置いておかないといけない。
振り子に喩えるなら糸だ。
振り子は糸が命―
糸が切れれば戻れなくなる
戻れなくなるということは
自分を失うということだ。
この記事を書いている今、HONDAS2000は既に生産を終了一方ポルシェは911ターボを発表した。
そして、フェアレディZは、その曲がりくねったアルファベットのように紆余曲折を経て復活し、今年で誕生40周年を迎え、記念車両とロードスターが発売されるという。
そんな思いもあり、長きにわたって温め続けていたこの言葉を元にひとつの楽章を完成させてみた。
人の大事とするところをそれぞれ認める―
その人の信じる道を少しだけ信じてみる
そーゆう生き方を認める
そうすれば、世界はもっと平和になれるかもしれないのに―と思う私がいる。
【たとえば 白い花がある
若い時はただ 白い花にしか見えない
そして モノがわかってくると
花の下には強い根があると気づく
だが白い花は白い花として素直に見れるのも大事かもしれない
人はそれぞれ 大事とするコトは違う
お前には宝物でも オレにはゴミかもしれない
見方は 一つでなければいけないのか・・・】
(山本和彦)