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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

34th Movement 「こだわりと意地」~日本とドイツのクルマ作りから見る~

2009-09-14 01:42:42 | SWEET SWEET SUITE
湾岸ミッドナイトのチューナー山本和彦が、自身で製作し、ユウジがドライブするHONDA S2000と、ブラックバードの駆るポルシェ911を比較して語るシーンがある。
彼は、ブラックバードを「地上を走るメッサーシュミット」と喩え、一方のS2000を「地上のゼロ戦」と喩えている。
「本物のメッサーシュミット(第二次世界大戦時のドイツ軍の戦闘機)を撮りたい・・」と語っていたカメラマンの父を持つ山本の言葉を、紹介しながら考察し、曲を綴ることにしよう―

【カメラマンとして世界中を歩いた親父はいろんな国の話をオレにしてくれた
機械少年だったオレの興味はひとつ
ヨーロッパの先進工業国 ドイツの話だけだ
親父はヨーロッパの人間は好きじゃなかった
たとえば アメリカ人は黒人を差別するが 連中は区別する
それが嫌だと・・
だけども一つだけいいトコがある
プライドの高さとエリート意識がそうさせるのかもしれないが
彼らは人マネを極端に嫌がる
当然 モノ造りにもそれは表れる
特にドイツだ
彼らは他を認めても 絶対にそのまま入らない
だからこそ 911みたいなクルマが生まれる
911を911としている 水平対抗エンジンやRRのレイアウト
歴史を見れば 実は それらは911が一番最初だったわけではない
なのに911は 生まれたときからオリジナリティにあふれていた
何かを見て考えるコトはしただろう
模倣はすれど マネはせず・・か】

【60年代に生まれた911は
空冷フラット6EgとRRレイアウトゆえ
時代とともにマイナスが増えた
だがファンは911の存命を望み
ポルシェは技術でそれに応えた・・とよく言われるが
オレは少し違うと思ってる
支持者の声を前面の盾として
技術者の意地を通したかっただけだ
決めたコトにこだわる すぐ捨てない
頑固で 意地でそしてこだわり
だが こだわるとはけしていい言葉ではない
「そこにとどまる」という意味でもあるんだ
それでも押し通す
通し抜く先に手にするモノを確信して】

【たとえばこだわりと意地
二つを見極めるのはむつかしい
911はこだわりを通しぬき 生き残った
イヤらしくもブランド化し この先も安泰だ
同じように ホンダSもこだわりを持って生まれてきた
走りを第一とし この時代にATも2ペダルMTの設定もない
だが 売れなければそのこだわりさえ 意地のように見えてしまう
(中略)
こだわりを通しているのか
ただ意地になっているのか・・ むつかしいな】
(山本和彦)


クルマをはじめ、モノ作りにはその国らしさが大なり小なり現れる
ドイツに質実剛健な走りがあり
イタリアに快楽主義的な走りがある、と私は思っている

日本はどうか―

【欧米人はよく言う
日本は真似る国だと
それは違う
そのまま写してるわけではない
「真似る」から入り
必ず「学ぶ」へゆく
必ず自分の1を起こしている】
(ユージの父親)

まさにこのこの言葉が、今の日本の技術を支えているといっても過言ではない。

その最たる例が、同じく湾岸ミッドナイトの主役マシン、朝倉アキオがドライブするS30 フェアレディZだろう。
プロジェクトXのエピソードにも取り上げられ、ギネスブックに、「単一のスポーツカーとして最も売れた車」として記録されているZは
発表当時の時代「二流車」のレッテルを貼られていた日本の自動車メイカー・ダットサンが作り上げた、語り継がれる名車である。
モータリゼーションの発達した国アメリカで、自国のコルベットよりも、ポルシェやジャガーよりも売れた車―
開発者はそんなことを予想しただろうか。

あのボディラインは、当時の日本車からは想像もつかない、しかし「誰もが美しいと感じる」デザインだった。
エッジが効いていてスパッと切れ味の良い感じがするフロントノーズ
それはまさに日本刀―
「世界と勝負するには日本オリジナルじゃなきゃならない」というデザイナーのこだわりが詰まっている。

【資源に乏しいこの小さな国で世界と渡り合うのに大切なのは知恵とセンスだ
一緒に 世界から尊敬される車を作ってほしい】

(元アメリカ日産社長 フェアレディZの生みの親・ミスターKこと 片山豊)

新しいものを世に出すということは、本当に葛藤や苦労が伴う。
あのZもすったもんだの中から生まれた。
特に残るエピソードは車高―
さまざまなパーツをボディ内に納め、ヒトも乗るためには、設計上100mm車高を上げなくてはならないという事態が発生。
背の高いアメリカ人の頭がつっかえてしまうような車高にして造れないという設計側と、実用性を上げるために不恰好にできないというデザイナー側とで意見は真っ二つ。
しかし、あの低い車高を実現するため、設計側は、米空軍15000人分の身長データから平均を割り出し、「ここはなんとかしてほしい(60mmの車高アップ)あとの部分(40mmの車高ダウン)は何とかするからやってくれ、頼む」と懇願したのだ。
もはや意地だけしかなかったデザイナーは、この車を世に出すための苦労と努力に折れ、一緒に微妙なバランスを調整してあのカタチにこぎつけたのだった。


話を戻そう。

拘る=小さなことに心がとらわれる、執着する
意地=無理にもやり遂げようとする心、強い意志

辞書的な意味になってしまうが、同じ「通す」でも、両者では微妙に違う。あくまでも自分の思うとおりにするというニュアンスが強い「意地」を通すのは、「ごうじょっぱり」と思われ、嫌われるなど、マイナスイメージが強い。
一方、物事に対するこだわりも、度が過ぎるとそこから離れることができなくなる。

ポルシェは、今でこそSUV「カイエン」や、セダン「パナメーラ」を生産しているが、トヨタや日産のような、量産車メイカーとは違う。
フェラーリもまた然り。
レーシングスピリッツともいえる、走りへの情熱を徹底したこだわりで以って、世界トップクラスの走りを目指すスポーツカーのスペシャリストだ。
駆動方式も歴史を通じてさほど変わらず、比較的ベーシックな技術の膨大な積み上げで車作りを行っているメイカーである。
しかし、彼らは彼らの、日本車には日本車の、それぞれの道を信じて技術を磨いてきた。
これからもそうであろう。


こだわっている部分と進むべき部分、そして貫き通す意地このけじめはきっちりつけておくべきなのだ。
そのためには自分の心の軸を中心に「やじろべい」の様に置いておかないといけない。
振り子に喩えるなら糸だ。
振り子は糸が命―
糸が切れれば戻れなくなる
戻れなくなるということは
自分を失うということだ。

この記事を書いている今、HONDAS2000は既に生産を終了一方ポルシェは911ターボを発表した。
そして、フェアレディZは、その曲がりくねったアルファベットのように紆余曲折を経て復活し、今年で誕生40周年を迎え、記念車両とロードスターが発売されるという。
そんな思いもあり、長きにわたって温め続けていたこの言葉を元にひとつの楽章を完成させてみた。
人の大事とするところをそれぞれ認める―
その人の信じる道を少しだけ信じてみる
そーゆう生き方を認める
そうすれば、世界はもっと平和になれるかもしれないのに―と思う私がいる。



【たとえば 白い花がある
若い時はただ 白い花にしか見えない
そして モノがわかってくると
花の下には強い根があると気づく
だが白い花は白い花として素直に見れるのも大事かもしれない
人はそれぞれ 大事とするコトは違う
お前には宝物でも オレにはゴミかもしれない
見方は 一つでなければいけないのか・・・】

(山本和彦)

33th Movement 「自分の1を持つということ」

2009-09-09 22:42:03 | SWEET SWEET SUITE
【0から1と1から2は全然違う
それが平凡で当たり前のコトでも
自分で見つけた1は特別の1なんだ】


コミック「湾岸ミッドナイト」に登場するチューナー「山本和彦」と、腹違いの弟「岸田ユウジ」が登場する箇所は、非常に名言が多く、その中でも、二人の父親と、山本が発した言葉たちは、非常に心に響くものが多い。
単なる単発モノの名台詞というコトバだけでは片付かないものがある。
このさまざまな言葉たちをピックアップして今回の楽章を綴ってみようと思う。

【誰かが何かをやりとげたら 人はその方法を知りたがる
だが知るべきは 「どうしてその方法なのか」 じゃないのか
例えば Eg(エンジン)は似た形に造ると 同じような出力を出せる
もちろん同じではないけれど 図面と造り方 それがわかれば「それなり」にちゃんと形になる

[日本車はソレがうまそうですけど・・(と富永公)]
日本人そのものがそうなんだろう
その図面や作り方がなぜそうなのか? そこにはあまり関心はない
できあがった1を 2に3にする それが大事なんだ】


【たとえば 誰かが新しいEgでパワーを出す
どうやって?どうゆうふうに?必ず「その方法」を知りたがる
[山本さんは訊かれればすべて教える人なんですよね(と富永)]
すべて教える それが業界全体のレベルアップになると思ったからだ
だが「どうして」その方法になったのか? その意味を訊く奴は少ない】


【たとえば 人の言葉をなぞらえば 同じように話せるだろう
適当になぞり それらしく合わせれば
人生はワリと面倒くさくなく流されてゆく
・・だが なぞるような人の言葉じゃすまないときが 必ずくる
その時 自分の1を持っている奴は強い
まねるコトをむつかしく言うと模倣という
模倣じたいは悪くない
とりあえずまねるコトで 人は考える
問題はそこから先だ
人の1を見て お前はどうするか だ
むつかしくてわからないだろう・・今はそれでいい
でも いつかそれに気づくときが来る
その時 お前はわかるだろう
自分で起こす1の大きさに】

(山本の父親)

【1と2。この違いはかなり大きい。 0を無とすれば1は出現、2は展開の始まりだ。幾何学的に考えれば、1が2になるということは、「点」が「線」になることである。それはつながりの発生といってもいい。一人ぽつねんと黙していた者が、二人になると口を開くように、1が2になることで生まれる「線」は時に、それ自体で何かを語り始める。】
(中日春秋2008年11月20日)


新しい何かを生み出す・新しい何かを考え、発表し実行に移そうとする、などということは並大抵のことではない。しかし、それをなしえた人間は、「How to(どのように)」だけでなく、「Why(どうして)」もちゃんと心の中で構築されており、順序だてて説明できる。
相手をただ説得させるだけでなく、説得力のある説明ができ、それをすることで納得してもらうこともできるだろう。
1を点、2を線とするならば、3は面、4は面を垂直にして立体化となるだろうか。そのプロセスこそが、ヒトを、集団を動かしていく。
自分の1を持つということ・「生み出す」というのは、大きな苦しみでもある。会社の企画やプロジェクトにせよ何にせよ、一番初めにとりかかることこそ、大きなことなのだ。

会社の仕事でもそうだ。まずマニュアルや先輩の仕事やその他を見て1を知る。
「1を聞いて10を知る」という賢い人間をたとえる諺があるが、そーゆうことができる人間はごく僅か・・そのレベルの話はおいといて―
1を知り、とりあえず真似てそれらを深め、2に、3にすることが新人の頃はまず大切だろう。そこから、さまざまなものを元に自分の1を起こす人も居ることだろう。それを探求し、自分の得意な分野を発見して進むことこそが、次への展開の幕開け、となるのではないだろうか。
そういう人間が切磋琢磨し、力を合わせることで、会社をはじめとした集団は動いていく。

しかし、クルマなどのモノ作りは仕方がないとしても、生き方やモノの考えという次元にまで入ると、話は別だ。
その時、「自分の1」を持っている、あるいは持とうと努力する人間は強い。
仲間とうまくやっていくために、ヒトの言葉をなぞらえ、それらしく合わせる―社会(会社)で生き残るためのテクニックかもしれない。
だが、「自分の意見を持つ」という単純なコトバでは片付けられないかもしれないが、人間関係をうまくこなす・やりくりするだけ、世渡りをうまくするだけが人生ではない。

【最も賢い処世術は社会的因習を軽蔑しながら しかも社会的因習と矛盾せぬ生活をすることである】
(芥川龍之介著『侏儒の言葉』より)

古い仕来りや習わし・・・ヒトが起こした1というのは、時に煩わしさをもたらすこともある。かといって、打ち破るのはパワーの要ることなのだ。そこで人間関係に支障も生じるだろう。自分と世間の折り合いをうまくつけることこそ、自分の1を起こすきっかけになるのかもしれない。
ただ言われたことをするだけならやろうとすれば誰でもできる。しかし、ヒトの起こした1を見て、真似るだけで考えないでいると、いずれ限界がやってくる。
「どうしてそのやり方なのですか?」と訊いて、自分で納得し、モノにした上で生きていくと、次第に「もっとこうしたらいいよな」という想いが生まれてくる。
そこから自分の1を起こす。
それを広げられるようにするための人間関係の根底がある程度必要なのは仕方がないとしても― それができる人間は実は強い。



次の楽章はさらに進んで、自分の1を起こす上で出てくるモノについてさらに掘り下げてみようと思う。

32th Movement 「『事はエレガントに運べ!』 効率って…結局何?」

2009-09-02 23:15:13 | SWEET SWEET SUITE

  【たとえば クルマが好きで クルマに関わる仕事がしたい
…で 我々ならソレはクルマ雑誌づくりとなるワケです
「クルマが好き・・・」
エンジニアも 中古車ブローカーも 最初はソコから入る
そして 好きだけでは仕事は回らないとわかってゆく
歩んでる道が少しずつズレてゆくのはとりあえず目をつむり・・・
とにかく 今を乗り切るコトだけを考える
どうすればもっとウマくいくのか・・・
どうすれば早く回るのか
つまり効率です
ムダを抜く 
すべてにおいて 効率が第一とわかってくる
めんどくさいモノや人は避け 一番短い距離でゴールがしたい
何かがズレているのはわかる…
自分がスレ(擦れ)ていくのもわかってる
でも前に進むには進むには
それしか方法が見つからない

(週刊ヤングマガジン連載「湾岸Midngiht C1ランナー」 2009年8月31日発売号)

「好きこそものの上手なれ」という諺がある。好きだからこそ自然と上手になるし、上手になるからまた好きになる…というのが大体の意味だ。

しかし、「会社に勤めて働くということ」「仕事」となるとそうは行かない。
一生モノの資格を一生モノの仕事にできていない今の私だから言える。

働く意味・・・それは「(生活するための)金銭という報酬を得る」「事故を高める」「社会に貢献する」という三本柱であり、そのどれかがうまくいかなくなると、「社会人」としての心のバランスが崩れてしまう。
しかし、会社組織という中で、一人の人間として・マンパワーとして働いているうちは・全体の仕事を円滑に運ぶためには、なされた仕事量と消費された労力量との比、すなわち効率を優先するしかない。
上記の言葉は、現代の会社勤めの人間模様を良くも悪くもうまく説いた言説である。

【世の中はいつも矛盾だらけ・・・だからこそその中で生きていかなきゃ
生き残るのは 正しさではなく 適応できる強さでしょう
風を見る そして風に乗る それでいいじゃない】
(「湾岸Midnight C1ランナー」より)

自分の理想としているモノは、その仕事・その会社・その人間関係の中で、どの程度適うかはともかくとして、大なり小なりズレは生じる。
ちっぽけな考えしか持たない会社組織の中で簡単にポキンと折られてしまう信念なら持たないほうがいい。それよりも、流し流されつつも、心の中にある信念をあたためて生きていった方が何十倍もマシだ―
私は単純にそう思う。

かし、私は「『会社で働くということ』の中で求められること」に限定して言えば、効率そのものだけを求めるのは「間違っている」と思う。誰がセレクトするか、どんな風にセレクトするかを除いて。

【その作業自体に意味のある 
つまり付加価値のある作業とない作業がある
実は作業における5割以上が そんな付加価値のない作業なんだ
効率よく削れば労力は軽減されコストも下がり利益も増す
無駄を食ったEg(エンジン)と取ったEg 見た目も性能も大きな差などない
それどころか効率を優先し 無駄を削ったほうが良い場合が多い
だが無駄を削り効率を求めたモノは 必ず何かが消えていく…】
(コミック「湾岸Midnight」Vol.35))

【要領わるく 非効率なモノは 人でもモノでも 避けられる

・・だが その非効率の中に 本当の探しモノが 必ずある・・】
(湾岸Midnightより)


まず、効率を求めて失われてしまうものは、「学習する機会」というものだ。
現代的な発想をするなら、前述のように効率性の重視=機能美の追求であり、それを保守させることにより、さまざまなモノが得られるだろう。しかしながら、一見遠回りで非効率に見える事象から(それも小さなものから―)実は多くの恩恵がもたらされることが少なくない。

そして「良き関係の形成の機会」。
ここでいう「良き」とは、仲の良いだけの「馴れ合い」ではない。人間関係に限ってのことでもない。
た、給料アップのコトでも、会社内の立場やランクを上げるコトでも、仲間を蹴落とすコトでもない。
究極は「共生」であり「進化」である。
共に働く仲間を励ましあい、助け合い、共に進化していく。
もちろん、会社内だけでなく、世の中の動きに対する全てだ。

たとえば、クルマ一つ動くのに何が要る?どんな人間が関係する?ということを考えてみよう。
部品を造る人間がいて、それを使ってクルマを組み立てる人間がいて、組み立てるための機械を造る人間がいて、走らせるためにはガソリンがいるからガソリンを精製する人間がいて、タンクローリーで運ぶ人間がいて、そこは道路を通るから道路を舗装し、整備する人間がいて…
そう、世の中のことは全て繋がっている・リンクしている。
そして必要だから、必要とされているから働く―
たとえ不器用であっても 非効率であっても。
なぜなら、そこには「効率」というものはもはや別の世界にすっ飛んでしまっているからだ。


言葉であれ態度であれ動きであれ、懇切丁寧に仕事をはじめ、物事を教えてくれる人は今日日少ないかもしれない。むしろ、懇切丁寧に教えすぎることでその人間の成長を阻害してしまうことも、もしかするとあるのかもしれない。
だが、効率を求めると、得てして人は近道をしたがるものだ。
近道は確かに効率の追求であり、ウマく突き詰めれば世渡り上手にもなれることだろう。
近道ばかりでラクをして生涯を終える人間も多いだろう。
だが、近道ばかりがイイとは限らない。
遠回りをすれば、それだけ多くの景色を眺めることができて勉強になる、と考えたら―?
自分の意思に反する近道は、結局その人との心を痛める原因にもなってしまう。それが元で働ける体・精神状態でなくなってしまう現代人がどれほど多いことだろう。
それらに気づき、見つめ合い、受け入れる体制が少しでも広がることで、「効率」と「効率に相反するモノ」のバランスは保たれてゆくのではないだろうか。


31th Movement 「自なくして他なく 他なくして自なし」

2009-09-02 21:39:36 | SWEET SWEET SUITE
タイトルの言葉は、昭和初期の教育者・哲学者の安倍能成(あべよししげ)の言葉。
社会生活を送る上で、自分の居場所を探っている若者に対して、自分と他者とのかかわり合いを説いたものだ。
しかし―どう生きてもやりにくいのが人の世というもの。
【智に働けば角が立つ 情に棹(さお)させば流される 意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい】
(夏目漱石『草枕』より)
人間関係をうまくやりくりする、良くも悪くも世渡り上手になるには・・。

ある日思ったことがある。歌の歌詞に「信じてる」「愛してる」「抱きしめたい」などよく表れるフレーズ。そんな、数ある歌のフレーズの中に 「世界中を敵に回しても」という歌詞に、私は心に引っ掛かりを覚えた。
○ Janne Da Arc「HELL or HEAVEN~愛しのPsycho Breaker~」
○ 田原俊彦「魂を愛が支配する」
○ 山根康弘「She’s my Lady」
○ aiko「あした」
挙げればまだまだ出てくるだろうが、歌詞検索でヒットしたものを列挙してみた。これらは「世界中を敵に回しても」のあとに、大体において男女の恋愛にまつわることが描かれることが多い。
しかし、捻くれ者の私はこの言葉だけを見たときに、「なんと恐ろしい!」という気持ちが先に来てしまったのだ。歌い手(シンガーソングライターや歌手本人作詞)であれ、作詞家であれ、そーゆう気持ちを大なり小なり思ったから歌詞にしたためたのであろうが、こればっかりは、「本当にそう思ってる?」という気がする、というか、「もし、本当に世界中を敵に回したらどーなるの?」という想いがしてならない。
 自分以外は、生みの親を含めた家族、親戚、友達、学校や会社の先輩・後輩、道を行く見ず知らずの人、違う大陸に住み、自分たちの文化とはまったく別の世界に居る人までさまざまだ。
馬鹿のように単純に考え、それらすべてを敵に回したら―!あぁ、なんて恐ろしい・・・
もちろん、簡単に世界中すべてが敵に回るわけではない。しかし、ちょっとしたことで、一人の人が敵になれば、たちまち噂として広がり、敵は増えてしまう。自分が普段訪れる空間だけに限定したとしても、そこに居る人達すべてが敵となるということほど恐ろしいものはない。
二人の愛は、そんな恐ろしいものをも乗り越えられるものなのだろうか?逆に質問をしたくなる。

たとえば―事実を確かめ合い、常日頃から正確な仕事を心がけている企業でも、社員の、事実とかけ離れたうわさが飛び交うことはよくある話だ。「どこの会社にいっても(人間関係のつらさは)同じ」とはよく口にされる言葉だが、仕事は優秀にできる先輩たちが、なぜそんなことをして回るのか、尾ひれのついた話を真に受けてしまうのか?
それは、酒の席やふとした休憩時間に起こる。酒の肴に新人の話題は使われやすい。
そこを、フツウの話をフツウにしたって面白くないから、小さな脚色やすり替え、誇張をしてしまうからだ。話がウケれば、ウケた部分がまた膨らんでゆく。そーやっていくうちに変な誤解まで広がってしまう。
就職超難関のこの世の中、新卒入社をキメた人、あるいは私のように再就職を決めた人は要注意である。新人の時期、信頼というものは、金で買えるのなら買ってでも得たいものである。しかし、
「新しい人と出会い、自分の周りのいろんなモノが変わり、それまでの自分とズレてゆく感覚― 流れが変わってゆくのは解るけれど、どーすればいいかわからない・・」
そんなことを思った人は多いのではないだろうか。

日本人は、どちらかといえば謙虚な人間を好み、自己を誇示するヒトにはあまり好感をもたない。焦って自己アピールしても通じない。かといって、必要なとき以外コミュニケーションをとらず、だんまり虫になってしまうと今度は「つかみどころがない、どう話しかけていいかわからない」と言われてしまうのだ。
たとえば会社の内において、「何かの問題が発生したとき」=「非日常」のとき― そんな時、私のことをある程度知っているヒトで、自分のキャラクターにそぐわないことをしてしまっても、今までの付き合いの期間が3年間だとしたら、3年分の1日。「あぁ、アイツこんなことしちゃうときもあるんだ・・」ですむかもしれないが、自分のことを何も知らない人(新人時代の会社の先輩、見ず知らずの他人)にとっては、普段の私のことは当然知らないし、その場の私の姿でしか判断しない。そんな中で、非日常のことが起きれば、短い付き合い・・例えば3ヶ月だとしたら、3ヶ月分の1日、初対面ならそれだけ、となる。自分にとって何も知らないヒトが持つ私に関する情報のうちの大方~すべてを、「非日常の私の姿」だけが占有することになってしまう。それでは面白かろうはずがない。
自分の良い姿も悪い姿も、日常的な普段の私の姿もわかってもらうためには、会社においてはホウレンソウ(報告・連絡・相談)を確実にし、他人が嫌がる仕事でも「やります!やらせてください!」といって引き受けるくらいしかないだろう。あとは、わざわざ上司に言うほどの大きなことをおこさず、日常業務をきちんとクリアすれば大丈夫なのだろう。
しかし、「伝えなければ伝わらない」。会社では部下の様子を「意外に見ている」ということがあるかもしれないが、一般の人達はそうではないのが大半だ。「他人(ヒト)って、案外自分のこと見ていないものよ」とよく言われる。だが、ほかのヒトに質問されたり、助けや協力を求められたりしたときに、でしゃばらず、自分の可能な範囲で精一杯協力すれば、小さなコミュニケーションがとれる。自分の日常を知ってもらうためのチャンスだと思ってトライすれば、何かしらの結果が返ってくるだろう。

だが、会社はともかくとして、すでに自分と周りに居る人達で何らかの集団(親しい仲)が出来上がっている場合には注意が必要だ。同じ考え、同じ嗜好の仲間といることは確かに楽しいものだが、それがいつまでも続くと、身内だけの盛り上がりとなり、成長がストップしてしまう。
この台詞を紹介しよう。

【911系はできそこないだ ターボモデルはさらにな
アメリカではポルシェターボをウィドーメーカーと言うんだよ
つまり“未亡人づくり”て意味だ それほど危険な車と認知されているでもあの車はすごく愛されている
それはあの車が“何か”を与えてくれるからだ
いつでもドコでも誰でも乗れる 911はそんな都合のいい車じゃない
4WDがつきATがついても やはり911は面倒くさい車だ】
【リーズナブルで乗りやすくてカッコ良くてそして速い 都合のいい関係はつまりいいトコ取りだ
そんなモノは何も与えてくれない それどころか逆に何かを取られる
人間もそうだろ 都合のいい関係から得られるモノはない
面倒くさい奴からしか 大事なモノは得られない】

人は得てして自分とは世界観や価値観の異なる他者とは関係を持ちたがらない。その最たるものがイジメである。しかし、逆に考えれば、価値観が同じ人間ばかりと付き合っていると、同質化がどんどん進み、多様的な視点で物事を観たり考えたりできなくなる。敢えて異質な他者と関わってみる、というのは実は自分にとって有益なことなのだ。
「クセの強いヤツは嫌われる―」そーゆう考えがなくなることは、もしかすると永遠にこないかもしれない。しかし、自分とは違う意見やものの見方をするヒトとコミュニケーションをとるのは、特にきっかけが難しいが、「そっかー、そーゆうのもあるよね」と思えたその瞬間、自分の心の皮がシャリッと一皮剥ける瞬間でもあるのだ。
それが、自分自身の成長につながるということは、気づきにくいし、わかりにくい。考えが固定化されてしまいつつある人は、自分でやってきたことや自分の哲学は固持するけれど、新しいことを受け入れにくい。それに比べて若い脳を持った子供や、新しい情報を取り入れ、それまでの情報と比べたり分析したりできる考えをもてる大人は、そうやって成長していくことができる。

自分は、同世代の人間と話をするよりも、全然違う世代の人達と話をするのが好きだ。持っている価値観や、その人それぞれの考えや好き嫌いは素直に受け止めるとして、「そーゆう考え方もあるか」と思うことが自分の成長につながることだと信じている。ちょっと気に食わないことがあったからといって、ものすごい剣幕で捲くし立てるような、肝っ玉の小さい・心の狭い男にだけはならないようにしたい―

【人生は敵だらけだとひとはよく言うけどそのほとんどは 自分がつくるムダな敵だろう・・て
自分の都合でうまくやろうと他人にカラむから意味のない ムダな敵ばかり増えていく
オレはトバすからみんなはわかってくれ それじゃあまわりは敵ばかりになっちゃう
まわりを敵と感じたら それは もう自分の都合が出すぎ・・てコト
ムダな敵ばかり増えて 本当の敵がわかんなくなってく】
(「本当の敵てナニ?それってバトルの相手とか・・?」とエリ)
【それもある・・ でも思い通りに走れないときは やっぱ敵って 自分のナカとゆーか・・自分自身にあるよね・・
・・だから 残っていける気がする
(コミック「湾岸Midnight C1ランナー」より)

21st Movement 「海に出る― 人生は航海」(一部補筆)

2009-07-28 08:59:40 | SWEET SWEET SUITE
【ま コレはすごくオレの個人的な考えなんだが・・
たとえばお前は今海の上にいるわけよ
ある者は早く10代から またある者は20代後半あたりか
卒業とか就職とかまあそれぞれのいろんな理由で 人は海に出るのよ そうゆう海だ
大きな船や小さな船 いろんな形で人は海へ出る
30年も前 オレもそうやってゆっくりと海に出た
最初はただ楽しいだけだった 海は広く ドコにでもいける気がした
振り返ればまだ岸は見えているし 仲間もそばにいた
そのうちそれぞれに進む方向は変わり オレもオレの方向に船を向けた
気がつけば離れた岸はもう見えない 広い海の上 仲間の船ももう見えなくなっていた
海の上でオレはいろんな形の行き方を見たよ
大きな船で仲間とともに決められた航路をゆく者
そこから離れ あえて小船を選ぶ者
途中の島に寄り休む者 そのまま動かなくなる者
力つき海に消えた者 波にまかせて漂うことを決めた者
それぞれに海の行き方があり どれが正しいかは誰も言えない】

そしてある日海の中に自分の足が着くことに気がつく
目の前には新しい陸が見えた あとはゆっくり歩いてそこに上がってゆくだけだ
いつかたどり着くと信じていた陸が目の前にある
オレはゆっくりと後ろを振り返った
渡ってきた海が広がってる オレは海を渡りきりあとはもう陸に上がるだけなんだ・・
それに気づき そしてオレは日本に帰ってきた
でも そのまま陸に上がれず立ち止まったまま考えていた
陸に上がらなければダメなのか・・
最後まで海をゆく者じゃダメなのか・・
(「湾岸ミッドナイト」週刊ヤングマガジン 8月20日発売号内。吉井の言葉)


人生は「長い旅路」と取るか「一幕もののお芝居」のどちらかだなぁと思っていた・表現していた私にとって、この言葉は、とても琴線に響くものだった。

「人生は航海にも喩えられる!」その視点に初めて気づかされたのだ。


さて、キャラクター吉井は、RGO大田の若い頃の走り仲間で、アメリカであらゆるチューニングを極めて5年前に帰国。第一線を退き、レストアなどで生計を立てていた。だが、今なお走り続ける「悪魔のZ」の姿に心を動かされ、大田の誘いに応えてRGOへ。物事の本質を知ろうとする荻島を気に入り、大田や高木と共に荻島FDを首都高SPL(スペシャル)に仕上げる(湾岸ミッドナイトマキシマムチューン3DXサイトより引用)。
湾岸ミッドナイトの物語のひとつ、「FDマスター編」において、重要な位置を占めるキャラクターである。
吉井は世に言う「団塊の世代」(のエリアに足を踏み入れる?)年代だ。アメリカに渡ってチューナー業を営んでいた頃、そして、日本に帰ってきて大田の誘いからRGO入りしたこと、そこから思いを馳せて出た言葉―それが、結婚して妻を持った、自分より人生の後輩である萩島に切々と語られる。

若い世代―現在海の上にいる私は、これからどうしていくべきなのか、どういう方向に船を向けていくのかが問われる頃だ。


一方、孔子の「論語」にはこうある。

子曰 吾十有五而志于学 三十而立
四十而不惑 五十而知天命
六十而耳順 七十而従心所欲 不踰矩

読み方は、「子曰く、吾十五にして学に志ざし三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳に従う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」。

現代語訳はこうだ。
「私は十五歳の時に学問に志した。三十歳にして学が成って世渡りができるようになった。
四十歳で事の道理に通じて迷わなくなった。五十になると天命の理を知った。六十歳では他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった。
そして七十歳になると、思いのままにふるまっても道をはずさなくなった」

「吾十有五にして学を志すも至らず、三十になろうとしていて立たんとすれど十分には立たず・・・」までのレベルの私。孔子の思想のさまざまなところでは賛否両論あるけれど、大思想家・孔子も波乱の人生だったという。年齢と人生の積み重ねからくる人間の完成度というのは必ずしも正比例というわけではないが、今生きているこの瞬間に何を思うか、何をしていくかが大事だということはまず大切だろう。
そして、「海」という自然を例えにした吉井は、海を突き進むことそのもの、そこで航海を続けてきた自分の努力、苦労、葛藤、その他色々・・・それを振り返り、自分の人生から、目の前にいる若い男に語ることで自分も掴もうとしている何か…を追求しているようにも見える。もしかすると、吉井も心の中で孔子の言葉を刻んでいたのかもしれない、そんな想像もちょっとしている私がいる。

偶然かもしれないが、このブログに使用させていただいているブログパーツは、ロータリーエンジン40周年記念のものだ。吉井・萩島の登場する今回の湾岸ミッドナイトのストーリーも、ロータリーピュアスポーツ・RX-7が中心だ。
「四十にして惑わず」
上記キャラクター2名の年齢との間に位置するロータリーエンジン。
何か、運命めいたものを感じずにはいられない。

あなたは、自分の年齢に照らし合わせ、この吉井のコトバと、孔子の残した有名な一説から、何を思うだろうか。


プロゴルファー宮里藍選手―
『宮里流31の秘密』(スポーツニッポン編著)によれば、高校3年生の時に初優勝した後、プロへの転向を決めたのは父・優さんの言葉だったという。

【人生は帆掛け舟】

風を受けている時はそのまま進め、というメッセージだろう。
海という時代の流れを帆かけ舟でゆく―動力のない舟だからこそ、進み方や舵の取り方、転覆への対処方などが大きく問われる・・そーゆう厳しさも含まれていると感じられる。

今も続くそれぞれの人生の航海―
何が待ち受けているのか、まったく予想ができない。
それは海という自然なればこそだろう。

Concertino(コンチェルティーノ) 第2番 「ロータリー育ての親が語るRE開発秘話」後編

2009-06-13 00:38:51 | SWEET SWEET SUITE
神様の褒美といえば、ル・マン優勝もそうだね(1991年)。私はあの時家で報告を受けたけど、その時に嬉しいとか何とかって以前にね、最後の年だったでしょう、やっぱり神は見捨てなかったと思いましたよ。それはね、エネルギーショックの時にル・マン挑戦を始めたでしょ。その時、何故ロータリーなのかとか、ロータリーの取り柄は何かとか、そういうレゾン・デートル(存在理由)を問われたわけだ。僕今でこそね、技術的な魅力より独立を守るためですって言ってますけど、これはお客さん無視ですよ。それでも挑戦を続けた。ル・マンが非常に向いてたのは、24時間連続で走るってことです。ロータリーがレシプロに比べ圧倒的に強いのは振動ですよ。ところが振動は市街地を走ったり、F1みたいなレースでは問題にならないんだ。ル・マンは24時間連続してエンジンも補機も何もかも揺さぶられるわけでしょう。で、一昨年ベンツがリタイヤしたのは冷却水のパイプが外れたからだった。済んだ後でね、バンケル研究所に僕の友達が残ってるんだけど、彼からFAXが入ってましたよ。ベンツのエンジニアが言ってた。とうとうロータリーエンジンに振動で負けたって。それが問題だったんですよ。ル・マンは振動の立証が出来て非常に意味があった。勝ったからこそレゾン・デートルが立証出来ましたなんて言えるんだけれど、これも神様の御蔭だと思いますよ。
この優勝で私は、【どんな企画でも損得抜きで難しい技術に取り組むことは、必ず副産物があるって経験をしたと思う】。【これはウチで言えば非常に人が育ったわけ。難問を解決するチャレンジスピリットだとか、協力する姿勢とかね】。レシプロエンジンてのは、道がはっきりしてる。バルブとかカムとかそれぞれ確立した技術があるでしょ。これらの専門家がベストを尽くせば必ずいい結果が出るわけ。ところがね、ロータリーエンジンには道がないわけですよ。どういう材料を使ったらいいのか、設計は何なのか、どこが問題なのか。そうするとね、電気屋も材料屋も機械屋も皆一緒になって考えないと出来ないんです。レールが全然ない所での協力というのは自分の専門を越える必要があった。
【欧米の個人主義ってのは、自分を他人にぶつけていいものを造っていくものでしょ。そうすると自分の持ってるものを他人に教えたくないわけ。ところが日本には一緒になって努力するっていう企業風土がある】。特にマツダは広島で田舎だから行くとこないしね(笑)。そうすると皆ここで一生懸命やるわけだ。材料屋が材料屋を越えて設計を提案したり、機械屋が材料屋と材料の研究をしてみたりね。そういう専門分野を越えた協力があったからこそ出来た。それと部品メーカーの協力が重要だった。私が痛感したのは部品メーカーとの信頼関係。外国ではこれを系列って呼んでるけれど、これが非常に貢献した。松田恒次さんがロータリー研究部を造って最初に私と何をしたかというと、部品メーカーの経営者に来て頂いてお願いしたわけですよ。マツダはこれにかけてます、私達に協力してくださいと。【日本ではメーカーの社長がそうして頭を下げるとね、義を見せざるは勇なきなりじゃないけど、損得度外視して向こうから提案があるわけですよ。試作を持ってきたりして。これはアメリカやヨーロッパにはない】。部品メーカーさんも新しいものにタッチすることで新しいノウハウを掴むことが出来た。お互いに技術の副産物が出来る。だから今だから言えるけど、日本でなければ出来なかったですよ、ロータリーエンジンは。

『終わりに』
私はマツダに47年居て、社長や会長もやったけれども、ロータリーエンジン時代の15年というのが私の人生だという思いが強いですわ。人間限られた人生でそんなに大きなこと出来ないのに、ロータリーエンジンに関しては、バンケルが生みの親で私が育ての親になってるでしょ。これは望んで得られるものじゃないですよ。まぁ代償の苦労は大きかったけれども、満足ですね。(中略)それと実験や設計の色んな人達が、ロータリーエンジンに関してある種の誇りを持ってるというのを非常に評価している。【人がやらなかった、人がギブアップしたものでも自分達はものにできたんだ。力を合わせて努力すれば、ブレークスルー出来るんだ、我々にはその経験があるじゃないかというのはね、教えろったってなかなか教えられないですよ。だから私は今までの人生に凄く満足してますね】。ただね、ロータリーの開発に関しては、本当の苦労は市場に出してからでしたよ。自動車というのは不特定多数の人が運転するでしょ。それだけにね、レシプロエンジンは100年の洗練を受けてものになった技術なわけですよ。ところがロータリーエンジンにはまだ30年かそこらの歴史しかないわけです。様々な問題をいちいち克服してこなくちゃならなかった。そりゃ焦りも多少ありましたけど、市場の洗礼を受けて、やっとロータリーも技術が確立されつつあるんですね。

Concertino(コンチェルティーノ) 第2番 「ロータリー育ての親が語るRE開発秘話」中編

2009-06-12 09:31:26 | SWEET SWEET SUITE

『我々のロータリー開発に 神様が褒美をくれた・・・』

我々はロータリーエンジンをものにして市販を始めたんだけれども、第1次エネルギーショックで大打撃を被るんだね。で、その時思ったのは、マツダはロータリーの用途を間違っていたということ。正直言って、ただ載せればいいと思ってたところに間違いがあった。それはね、誰もこのエンジンはどういう用途に使えって教えてくれなかったからかも知れないな。クルマってのはね、エンジンだけ買ったりボディだけ買ったりしないですよ。エンジンもシャシーもボディも一体のインテグレーションとしての魅力でしょ。ロータリーエンジンにはコンパクトで振動がなくて回転が上げられるという特性がある。だからロータリーエンジンはスポーツカーにこそピッタリだと思ったんだね。その特性を生かしたシャシーなりボディなりのスポーツカーこそがホントの値打ちのあるクルマの筈だと思ってRX-7を開発したわけですよ。<o:p></o:p>

RX-7のメイン市場はアメリカでした。アメリカってのは新しいものに非常に興味を持つ所でね。
【ロータリーも大変お世話になったんですが、石油ショックの時に迷惑をかけた。だからロータリーを生かした魅力的なスポーツカーの
RX-7はアメリカに対するロールバックだったわけです。我々はロータリーを諦めません。今までお世話になりましたってね】。
あれを出したのは
1978年で、今でも覚えてるんだけども、ラスベガスのホテルでディーラーに発表したわけです。ところが1974年以来色んなことがあって、ディーラーが殆ど去って僅かしか残っていないわけですよ。
その【僅かに残ってるディーラーの人が私のとこへ来ましてね、私の手を握って、よく帰って来てくれた、ありがとうとお礼を言ってくれた。アメリカってのは敗者復活を認めるところだな、あれは。何か旨くいかなかった、失敗したといってね、逃げてしまうのではなくて、何くそと立ち上がると拍手をする所ですよ】。それで
RX-7は実に旨くカムバックすることが出来ましたね。

ところが世の中皮肉だと思うのはね、その当時アメリカでポピュラースポーツカーとして非常に売れとったのはポルシェ924だった。この924というのは、経営がおかしくなってアウディの傘下に入ったNSUに、ポルシェが生産を委託していたクルマなんです。昔の我々のライセンサーですよ。ネッカーズブルムの工場で、レシプロエンジンを造ってる。かつてそこではスパイダーやRo80などのロータリーエンジン車を造っていたのに、今はロータリーを諦めて924を造っている。僕は924は非常に名車だったと思う。ただね、重量配分を考慮してトランスアクスルを採用したりエンジンを倒して重心を下げたりしていた。だから非常にコストが高かったんです。けれどロータリーエンジンはそんなことする必要ないんですよ。軽くて短いから。レシプロとロータリーを単体で比べたらロータリーのほうが高いですよ。でもそれは一般的なコストの問題で、それをスポーツカーに持ち込んだ時には、一方は非常に複雑になってるのに、ロータリーはその必要がなかったってことですね。性能は似ていても一方は非常にコストが高かった。ですから私は、RX-7はロータリーのメリットを活かしたスポーツカーだったと思う。で、狙ったわけではないけどもポルシェ924の販売が段々下がって、1980年にとうとうアメリカから消えてなくなりましたよ。その時にNSUの名前も消えて、完全にアウディになったわけだから、僕は非常に宿命的なものを感じましたね。

僕は自動車屋として今後問題になるのは水素ガスだと思う。将来、地球環境問題は非常にシリアスになるでしょう。でも電気自動車は、バッテリーを捨てることを考えたら大変ですよ。だから注目すべきは水素です。ベンツも水素エンジンやってるけれども、水素ガスというのはレシプロの場合非常にパワーが出し難いとこがある。それは180度っていう吸入行程の短さですよ。ロータリーエンジンは270度。今ガソリンのロータリーはスポーツカーだけだけども、水素ロータリーは非常に用途が広がると思いますよ、別な意味で。コミューターカーでもセダンでも。するとね、地球環境時代だからといって、運転をエンジョイすることがなくなるわけないでしょ。その時初めてエンジンが問題になってくるわけだ。エネルギー、排気ガスを考えたスポーティなエンジンは何かという時に必ずロータリーがクローズアップされてくると思う。だから僕は水素エンジンのスポーツカーがあってもいいと考えている。まあ今日まで、マツダだけがロータリーエンジンをスポーツカーに載せてずっと育てて来た。それでね、神様が褒美をくれたと思うんですよ。我々がやる時に水素ガスなんか考えもしなかったし、いわんやロータリーエンジンが水素ガスに向くなんて気づかなかった。ところが段々地球環境問題がクローズアップされて、やってみたら、何だこれはロータリーに向いてるじゃないかってのが解ってきたものだからね。神様は水素ガスエンジンという褒美をくれたと思うんだな。


Concertino(コンチェルティーノ) 第2番 「ロータリー育ての親が語るRE開発秘話」前編

2009-06-11 23:02:30 | SWEET SWEET SUITE

まさにロータリーを育て、共に人生を過ごした人物、山本健一氏。『苦労』と書いてしまえば、たった二文字で済んでしまうが、その道程は想像以上に険しいものであった。そうして生まれたロータリーエンジン。プロジェクトXにも3回にわたってREエピソードは取り上げられ、まさに、「モノ作りの国ニッポン」に於ける大発明といっても過言ではない。
しかし、これを書いている昨今、「TOYOTA・プリウス」や「HONDA・インサイト」など、クルマ好きでなくとも名前を聞けばどんな車か大体わかるくらい、「ハイブリッドカー」「エコカー」がはびこる世の中で、ロータリーエンジンを初め、スポーツカーには明るいニュースがない。しかし、注目を浴びていなくとも、ヒットしていなくとも、このロータリーエンジンを語った文章には、日本の工業のあり方やモノ作りの取り組みの視点、そんじょそこらの会社にはない熱いものや、是非参考にしてほしいもの、すばらしいスピリッツが沢山詰まっている。
今回は、1993年1月14日インタビューし、J’s TIPO増刊『ベストヒットMAZDA』に掲載されていた、山本健一氏へのインタビューを「ソリスト」として迎え、一緒に心に響く音楽をお届けできればいいなぁという思いでつづってみた。

1959年の暮れだったかな、NSUがバンケル社とタイアップして、ミュンヘンでバンケル・エンジンの発表をしたんですね。従来からロータリーバルブだとかロータリーエンジンというのは一つの夢ではあったんだな、技術的な。ところが皆ずっと半信半疑だった。しかしどうやら今度のNSUのは、ものになりそうだからチェックする必要があるって思ったのか、世界中から技術提携の申し込みが殺到した。で、その情報が翌年マツダに入った時に、ロータリーエンジンの開発をまずしたいということを決めたのは、当時の松田恒次社長だったんですね。昭和35~36年言うたらね、日本のモータリゼーションがグっと上がろうとしとる時ですよ。トヨタも日産も大衆車を出してきてね、造れば売れる時でしょ。そんな時に、世界の自動車会社がまだやってもいない、技術のはっきりしてもいないものに手を出すには理由があったわけ。
私は当時設計部の次長で、R360とキャロルを済まして、次のファミリアにかかってたんです。燃えてましてね。そこへね、ロータリーエンジンどう思うかって資料が回ってきたわけですよ。社長の方から。ところがね、レシプロエンジンというのは技術が確立してるものでしょう。私も大学の工学部機械科で学んでますから、そんなおもちゃみたいな物がものになるとは思わなかったし、エンジンの設計で失敗ばかりしてたんで、恐さを知ってるわけですよ。こんな物はものにならないと思いますって設計次長として返事をしたわけ。ところが松田恒次さんはすぐにドイツに行ってね、当時は外貨を使うのが大変なときだから、大蔵省や通産省や外務省がなかなか許可しなかったのを、色々手を回して許可もらってサインしたんです。それは結局ね、今でこそお笑い種だけれども、この頃通産省は自動車に対して完全な保護主義を取ってたんですね。将来は自動車を基幹産業に育てなくちゃいけない、その間に外車がどんどん入ってきたり、資本投下してこっちで生産を始めたら困るからということでね。そのために特定産業振興法という法案を通そうとした。自動車会社を3つ位のグループに分けて、それぞれが得意な分野だけを生産すれば、外国メーカーに負けない力がつくだろうというもので、法案が通ればマツダは存亡の危機に晒されるところだったわけです。でね、結局独立を維持するためには大手がやらないことにこそ手をつけなきゃいかんという、デシジョンメーキングを松田恒次さんがやったんですね。
最初に私が設計次長として試作のエンジンをテストしてます。その時は、あれこれ思ったより旨く回るなぁ位しか思いませんでした。けど、その後ね、僕は自動車産業というものを改めて考えてみたんです。するとね、自動車産業というものには革新的な技術がありませんよ、歴史の中で見てみますと。僕はね、オートマチックトランスミッションだけは革新的だと思う。しかしそれ以外はね、バルブの数を増やすとか、上にしたり下にしたりとかだけでしょ。何故自動車産業というものは、優秀な技術者が沢山集まっているにもかかわらず、革新的な技術がそう出ないんだろうかと考えたときにね、こう思ったんです。自動車産業って物凄い裾野(すその)が広いでしょ。部品産業、材料含めてね。物凄い設計投資が行われている。余程の理由がないと、変わり身ができない体質なんですよ。部品から修理技術、自動車学校関連まで、とにかく裾野が広くって、それぞれ技術が理論づけられていますから、今更大量の設計投資がいる新技術なんかを採用できませんよ。例えばね、BMWがロータリーエンジンをやるかやらないかを議論したときの最大の関心事は、今の設計投資がどれだけ使えるかだったんです。ロータリーをやるのに今の設計が殆ど使えないなんてとんでもない。そんなもの何でやるんだてことになったんですよ。でね結局、余程の利益がなければやる意味がない。それでもBMWを含む世界の30以上の自動車会社がロータリーの研究開発に参画したのはね、将来ひょっとしてこれがものになったりして、市場を他メーカーに取られたら困るから。要するに収益のためですよ。トヨタ、日産、VW(フォルクスワーゲン)、ベンツも皆研究だけはやりますってわけです。ところがマツダはそうじゃなかった。

【新しい技術、よそとは違う、しかも大手がやらないものこそ独立を守るために必要だった】んですね。

さっき言った特振法に直面した時、松田恒次さんは危ないと直感したんでしょう。まぁこの法案は結局日の目を見なかったわけですけどね。いずれにしても、こっちは今から設計投資しようとしてるところでしょ、ある種のフリーハンドがあるわけ。だから初めの理由が全然違うわけですよ。この後次々に他メーカーが研究をやめていったのは、儲かる理由を失っていったからなんですが、マツダの場合は
【儲けるとか儲けないではなくて、ものにすること自体がマツダの独立を守るんだってことで出発しただけに、意気込みが違いましたね。だからロータリーがレシプロより優れているからやったんではなくて、独立を守るために必要だったんですよ】。

で、昭和38年5月に私は社長に呼ばれて、ロータリー研究部長をやれって言われたんです。ロータリーエンジンの発明者はドイツ人のフェリックス・バンケルって人で、1989年だかに86歳で亡くなったんだけれども、やっぱり意気込みが違うから僕を非常に信用しました。仲良くなった。彼と色々話しているうちにね、僕は彼の童心というか、ロマンチスト振りに惚れ込みましたよ。

彼は、 【何故あんなに振動を起こすレシプロエンジンに拘るんだろう、初めから回転するエンジンができないものかと思っていたわけです。ですから彼は損得でロータリーエンジンを始めたんでもなんでもない。小さいときの夢を実現したいと思って一生懸命やって来ただけなんです】。

私は純粋な彼に感動して、何とかロータリーをものにしなきゃいかんと思いましたけど、次第に自分自身ロータリーに惚れ込んでいきましたよ。ところがバンケルには取り巻きが色々出てきて、結局NSUが彼からロータリーを取り上げた。儲けようと思ってね。元々オートバイの会社だったNSUが、戦後ベンツやVWの居る中に出て行くためにはやっぱり新しいものが必要だったんでしょう。ただね、私はNSUの技術者達とも付き合ったけど、彼らは純粋な気持ちで研究をしていましたよ。ところがドイツってのは株主が非常に強くて、監査委員会つくって、如何にロータリーの特許を獲得するかに奔走してたんですね。そして技術者達の尻を叩くんです。だからバンケルさんもNSUの技術者も不幸だったと思いますよ。

 


30th Movement 「『ボディワークの天才』の心が震えた言葉(調べ)」 ②

2009-03-16 23:39:46 | SWEET SWEET SUITE
雨に煙るで眠っていたS30型フェアレディZに、「地獄のチューナー」北見淳の手によって、当時国内では入手不可能だったL2.8型エンジンが搭載され、とてつもないパワーを与えられた、湾岸ミッドナイトの主役マシン・『悪魔のZ』。そのボディを手がけたのが高木だった。前楽章に記述したとおり、600馬力のパワーと時速300kmのスピードに耐えられる補強を施したのだから、当時としてはおそらくレーシングカーかそれ以上の強度としなやかさを兼ね備えていたであろう。
だが、Zは北見をも受け入れず、サーキットの帰りに東名高速道路でクラッシュを起こしてしまう。その後、アキオと同姓同名の「朝倉昌夫」の命を奪い、続く3人のオーナーを事故に見舞わせたマシンとなってしまった。
その後、朝倉アキオの手に渡った悪魔のZは、湾岸でのバトル中大クラッシュを起こして炎上し、Zが死に絶えたかに見えたが、アキオは「もう一度お前と走り出したい」と願い、北見の手によって高木のガレージに運びこまれていた。
北見は高木に言った。
「一ヶ月以内に仕上げろ 今度は時速330kmに耐えられるボディだ」「何よりもカタく 何よりもしなやかなボディに仕上げてくれ この悪魔はお前にしか直せない」と。
Zの所へ行ったアキオは、「まっすぐ走れなくてもいいから元の姿に戻す」といい、高木のショップに通い修理を始めた。「純正パーツをそろえていっても もとの姿にはならないぜ」と言う高木だが、Zの復活を信じるアキオは、

【あのとき僕はこのZを助けてやれなかった・・
オレだけはお前をみすてない オレだけは最後までついてゆく そう言ったのに・・
Zは走り続けようとした
僕は一生かかっても もう一度Zを走らす】

と力強い言葉と目で高木に訴える。
アキオと出会った頃の高木は、車に対する情熱は薄れ、見積もり上乗せに注力していた商売人に徹することで地位を築いていた。長いブランクが高木から自信を失わせており、「どうして・・そんな目をしている・・?」「どうしてそんなにZを信じられる目をしている・・」と不思議がっていた高木は、アキオの言葉と修理を続ける姿に心を揺さぶられ、ツナギを身にまとい、アキオと一緒に作業を進めていく。作業の節々でボディ補強のノウハウをアキオに伝授し、作業を通して人生そのものの哲学までをも語る。そして語ることでますますアキオに心を許し、自分の気持ちを、心を、高ぶらせていったのだろう。他人をほとんど信用せず、金儲けに走っていた高木は、アキオと出会うことで、変わっていった。
いや、「かつての自分を取り戻した」と言ったほうがいいかもしれない。
高木の胸中のこのセリフは、自分より年下だろうが、経験の浅い若造だろうが、魅力を湛えた者の存在は、人の気持ちを大きく昂ぶらせる何かがあることを証明しているかのようだ。

【・・アキオ ・・アキオ  選ばれし者よ 与えてくれ オレに勇気を
最高の そして最速の悪魔に選ばれし者よ オレは今でもやれる・・と 勇気を与えてくれ】


しかし、期限の一ヶ月まであと少しとなったある日、高木はプレッシャーと過労で倒れ、入院してしまった。雨が降る日、入院先に北見が現れ、「たまたまお前の工場に電話したら入院したっていうからさ 今日はゆっくり寝て 明日からまた頼むぜ」という。しかし高木は「オレには出来ませんよ オレはもうダメなんだ ムリだよ・・ 直せないい・・」と泣き出してしまう(このシーンもかなり泣ける!)。
天才チューナーと称された北見は現在では小さな自転車屋のオッチャンであり、北見の後輩である高木は立派なボディショップの社長サン。しかし、北見はそんなことは一切気にせず、若かった当時のままのスタイルで高木に接し、高木も北見の前では泣き虫小僧に戻ってしまう。これは、裏を返せば二人の信頼関係の厚さを表している。
泣き言を言い、涙を流して泣く高木に北見がこう切り出す。

【相変わらずすぐ泣くヤツだなおメェは
覚えてるか Green Autoの2台目のポルシェターボ 280km/hで事故ったぐしゃぐしゃの
お前んトコの親方でさえ『アレは無理』といった・・ でもおメェは
『やらせてください!直らないボディなんてありませんヨ!』
泣きみその小僧と思ってたら生意気にいっちょまえの口ききやがってヨ
あれは本当にいい仕事だった―】

(アニメーション版湾岸ミッドナイト ACT.9 「甦る悪魔」より)《「昔からポルシェって車は板金屋泣かせだったよな スポットもやたらと多いしめんどくせえ車だ それがあそこまでイっちまった 誰もやりたがらねーよな・・」「本当にいい仕事だった あれはもう新車だ おまけにあのケツの重いRRがウソのようにまっすぐ走る あんなポルシェはどこにもねえ」←コミック版よりセリフを補足》

「自信を失いかけている人間にかける言葉」の一つに、過去の行いそのものや、成功例や功績を語ることで、そのときの喜び、感動を思い出させ、心に潤いを戻してやる―というこの行為は、部下の言う事を傾聴できない傾向の強い上司が多い会社組織なども含め、しっかり出来る人間が少ないと思う。

ダイヤモンド社のビジネス情報サイト内「若手社員を辞めさせず成長させる適度なかまい方マニュアル」の記事内にこのような興味深い文章がある(http://diamond.jp/series/masugi/10008/)。
熟達化理論を研究する松尾睦・小樽商科大学教授の研究によれば、営業担当者が、業績に繋がる優れた知識やスキルを獲得するためには10年以上かかっていることが示されたそうです。営業という仕事に限らず、スポーツやアートの領域でも「熟達化の10年ルール」は定説になっています。ただし注意が必要なのは、「10年経てば自動的に熟達する」わけではなく、「熟達するには最低10年かかる」ということです。さらに、10年という期間において「よく考えられた練習を積むことが大切になります」と松尾教授は指摘しています。
「よく考えられた練習というのは、課題が適度に難しく、明確である。すなわちストレッチされていること。また、実行した結果についてフィードバックがあること、何度も繰り返すことができ、誤りを修正する機会があるような練習の仕方です。つまり、ストレッチ&フィードバックが熟達化の条件となります」(松尾教授)やりっぱなし、やらせっぱなしでは、いつまでたっても実力はつかない、というのは普通に理解できますね。若手社員がひとつの業務を終えた後は、その仕事をあなたの経験に照らし合わせて評価し、先輩としての意見を伝えましょう。フィードバックするときには、

1)若手社員の人格についてではなく、行動を評価すること。
2)挑戦して失敗したことを責めない。

この2つが肝心なポイントです。

北見が実践したのはその1つ目のポイントだ。福祉の世界に生きる私は、社会人になって「後輩」という人間に出会ったことはあっても、直接育てることはしていない。せいぜい若い学生の現場実習を一日受け持ったことがあるくらいだ。そういう機会に恵まれたとき、あるいはこれからそうなった場合に心がけていることがある。それは、「アメと鞭」の「鞭」は最初から手に持たないことだ。忠告、叱責、その他もろもろ―そーゆうコトは、直接でも人づてでも言わない。その代わりに褒めるときは匙加減を大事にして、人のいないところで心を込めていう、ということだ。できるかできないかという単純な物差しで人を判断することをしないように、個々人への愛情を持つのが大事だ、ということだ。「いいから黙ってやりなさい」的なモノの言い方では通じない。そう思っている。
「門前の小僧習わぬ経を読む」という諺があり、そういう世界(職場)も中にはあるのだろう。しかし、私は先輩の背中を見て(観察して)、技を盗んで自分で成長するのが全てではないと思っている。植物も動物もそうであるように、自分で育つ責任もあれば育てる責任もあるのだ。
福祉を含めた医療の世界は、現場に入れば患者さん・利用者さんありきだ。その人たちの安全を守る、その人の立場になるのが大前提。しかし、それを成す人間の心が折れてしまっては満足な医療行為など出来るはずがない。自己責任もあると思うが、仕事を為そうとする者の行為や今後の成長をサポートするのは、その人間のパワー・やる気を刺激するコト、心をくすぐるコトであり、それはまぎれもなく上司の仕事である。それはどこの世界でも同じ。それがしっかり出来ている上司がいるならば、若者が入社早々に辞めていくハズがない。

話を物語の方に戻そう。北見はその後、こう語りかける。

【ほら ゆっくりとイメージしろ ミッドナイトブルーの悪魔のボディだ
今1速でゆっくりと動き出した
9000まで回して2速 車速はあがる
3速 4速―
タイヤは確実に路面を捉えているか 轍に進路を乱されてはいないか
そして5速 250 260―   さぁ 空気の壁が大きく立ちはだかってきた―
270 280―L2.8改ツインターボ オレが新しく組んだ悪魔の心臓はまだ加速をやめない
もっとだ エンジンはもっと回ろうとしている  あとはお前しだいだ
信じろ お前こそが天才だ―】

(湾岸ミッドナイト ACT.9 「甦る悪魔」より)

この場面は、私の上記の文をそのまま読んだり、コミックを見たりするよりも、アニメのシーンでじっくりとご覧いただきたい。北見は、叱咤の言葉でありながら、今まさに高木が着手している仕事が上手くいった暁にはこんな素晴らしい結果が待っている、と暗示をかけることで、高木に最後の勇気をふりしぼる力を与えたのだ。そうして仕上がったボディ―高木の仕事は、北見の手によって新たなエンジンが載せられ、悪魔のZ復活という大きな成果となって表れる。

【よくやった 高木・・】
(アニメーション版湾岸ミッドナイト ACT.10 「ドッグファイト」より)

その時もホロリと涙を流す高木。「北見に褒められることは、高木にとって何よりの賞賛なのだ」と言える。 「ボディ補強は魔法じゃない」と高木は言うが、他の人間には絶対出来ない仕事をしている・できる男だ。その高木の心の動きやそこから溢れた言葉についてはまた別の楽章で綴ってみることにしよう。

29th Movement 「『ボディワークの天才』の心が震えた言葉(調べ)」 ①

2009-01-18 11:35:10 | SWEET SWEET SUITE
今回は、私が愛してやまないコミック(アニメ)、「湾岸ミッドナイト」の登場人物の一人、「高木優一」をクローズアップして、その高木が出会った・発した言葉に私の思いを馳せてみることにしよう。
大きく流れているのは「仕事人を育てる心意気」「職人魂」「心が熱くなる、『その気にさせる』メッセージ性」だ。

ここで、その高木優一について解説しよう(湾岸ミッドナイトIndexより一部引用)。作中では「BODY SHOP SUNDAY」という自動車板金修理のショップを経営するオーナーだ。「ボディワークの天才」「鉄とアルミの天才」と呼ばれる男だが、幼い頃はプラモデルも買えない貧しい家で育った苦労人(やっと買ってもらったプラモデルも、「タミヤ」のような一流どころではなく、三流メーカーの「ショボイの」だったらしい)。スキンヘッドのヤクザな風貌になったのは独立後のことで、以前はおかっぱ頭で汗水垂らしながら働いていた。
「15でこの世界に入って 3年間はただの使いぱしりだった」とアニメーション内の胸中で語っているように、中学を出るとすぐに板金屋に就職し、一日も休まず、半ベソをかきながら仕事を覚えていったのだ。
その就職先で高木は一人の先輩に会う。15歳という若さでその世界に入った高木を指導した先輩で、「職人の仲の職人」と言える人物だ。

【「何度言えばわかるんだおメーはッ
鉄もアルミも生きてんだヨ 人間の皮膚とおンなじで呼吸してんだ バカヤロォ」】
【「もっと話せ もっと対話しろ へこんだ鉄は何をしてほしがってる!? ゆがんだアルミはどうしたら喜ぶ!?
叩いてのばしてあぶって 鉄の気持ちになれ アルミの気持ちになれ」】


思い切り殴られ、厳しい口調で言われたこの職人魂こもった言葉が、高木の技術を支えているといってもいい。それが後述する数々の仕事に表れることとなる。
「ガキの頃から人に好かれたコトとかないのヨ 女はもちろん 男にも全然な」というものの、主人公・朝倉アキオを始め、さまざまな人物から絶大な信頼を得ている。車が好きで、好きすぎて、免許は取らなかった、という純な男だ。その純粋さは、直したての車に、オーナーの恋人と思しき女性が、車に乗り込む際、カバンの金属部分でボディに傷が付いただけでも涙するような姿にも―
そんな優しき手と心を持った修行時代の高木。その直後、高木の先輩は、

「つまんねェコトで泣くんじゃねーよ バ――カ 客の勝手なんだヨ どう使おうが」
【あのオーナーにはわかんなくても 車はきっと喜んでる】

と高木を慰めている。 就職や転職など、まったく別の世界に身を投じ、右も左もわからない人間は、発芽していない種のようなもの。その人間にとって、仕事上学ばなくてはならないこと、身につけなければならない事を、どのようにして会得するかによって、その方向性、成長・開花する姿は大きく左右される。厳しさでもって教えられたことと、そこから得られる「認められること」ということがあるのとないとの差は、先に進もうとする心と、仕事への「心の込め方」の差を生む。若き頃の高木は、純粋な性格でありながら、怒られても殴られてもめげない「なにくそ根性」が根底にあったのだろう。殴られ、叱られた後もボディに向き合い、ハンマーを握っていた。
私を含め、現代の若者にそれがある人は数少ないと周りの先人たちはいう。
しかし、自他共に「いい仕事」が出来た、といえた後の「短い褒め言葉」が得られたときは、晴れ渡る空のような爽快感に包まれる。
その場しのぎの褒めコトバではなく、真の褒めコトバ―
私も含め、「短くても『褒められて』勇気がわく」タイプの人間は、厳しい事を言われても、そーゆう人間がいてくれると嬉しい。仕事をはじめ、物事に向かう姿勢が変わる。背筋が伸びる。そういう人間に恵まれる人間は数少ないが、それを得た人間は、はじめは精神的に脆くても、次第に自信が付く。

【褒め言葉をもらえれば、それだけで二か月間幸せに生きられる】
(作家 マーク・トゥエイン 代表作『トム・ソーヤーの冒険』)

【ほめて、ほめて、ほめて・・・ 天にも昇るような気持ちにさせて人を元気にする】
(ダイエーCEO 林文子)

湾岸ミッドナイト作中の高木の店で、BMWの修理見積もりが出されるシーンがあって、ふと思い出した言葉だが、BMW東京の社長からダイエーのCEOに就任した林文子氏は、褒め方についてこう語っているという。
「どんな部下にも、必ず、光るところがある。そこを褒めて大きく育てる。そうこうしているうちに、やがて全体が光る存在になっていく」と。
具体的にどのようにして褒めていったかは割愛するが、そうした関係が生まれると、人間関係は長く、熱いものへと生まれ変わる。多少嫌なことがあっても、自分は頑張れる、自分が今生きている世界から降りない・離れないぞ、という強い意志が生まれる。

高木の先輩は、職人気質だったこともあり、後人を育てるのが上手だった=高木にとって大切な、「お互いに恵まれた人間」だったのだろう。そうして身に着けていった技術は、地獄のチューナー・北見淳と作り上げた「悪魔のZ」のボディで、一つのヤマを迎えたといってもいい。高木曰く、「静かに息をしているような生きている鉄とアルミ」で、Zのボディを、600馬力のパワーと時速300kmに耐えられるように補強したのだ。そうして、北見と高木の間にも、常に心を通い合わせ信頼しきれる関係が築かれていくことになるのだ。 それについては次の楽章へと続けることにしよう。