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Symphonyeel!(シンフォニエール!)

ようこそ。閲覧者の皆さんとのメッセージが響き合う場となってほしいナ―という想いで綴ってます

33th Movement 「自分の1を持つということ」

2009-09-09 22:42:03 | SWEET SWEET SUITE
【0から1と1から2は全然違う
それが平凡で当たり前のコトでも
自分で見つけた1は特別の1なんだ】


コミック「湾岸ミッドナイト」に登場するチューナー「山本和彦」と、腹違いの弟「岸田ユウジ」が登場する箇所は、非常に名言が多く、その中でも、二人の父親と、山本が発した言葉たちは、非常に心に響くものが多い。
単なる単発モノの名台詞というコトバだけでは片付かないものがある。
このさまざまな言葉たちをピックアップして今回の楽章を綴ってみようと思う。

【誰かが何かをやりとげたら 人はその方法を知りたがる
だが知るべきは 「どうしてその方法なのか」 じゃないのか
例えば Eg(エンジン)は似た形に造ると 同じような出力を出せる
もちろん同じではないけれど 図面と造り方 それがわかれば「それなり」にちゃんと形になる

[日本車はソレがうまそうですけど・・(と富永公)]
日本人そのものがそうなんだろう
その図面や作り方がなぜそうなのか? そこにはあまり関心はない
できあがった1を 2に3にする それが大事なんだ】


【たとえば 誰かが新しいEgでパワーを出す
どうやって?どうゆうふうに?必ず「その方法」を知りたがる
[山本さんは訊かれればすべて教える人なんですよね(と富永)]
すべて教える それが業界全体のレベルアップになると思ったからだ
だが「どうして」その方法になったのか? その意味を訊く奴は少ない】


【たとえば 人の言葉をなぞらえば 同じように話せるだろう
適当になぞり それらしく合わせれば
人生はワリと面倒くさくなく流されてゆく
・・だが なぞるような人の言葉じゃすまないときが 必ずくる
その時 自分の1を持っている奴は強い
まねるコトをむつかしく言うと模倣という
模倣じたいは悪くない
とりあえずまねるコトで 人は考える
問題はそこから先だ
人の1を見て お前はどうするか だ
むつかしくてわからないだろう・・今はそれでいい
でも いつかそれに気づくときが来る
その時 お前はわかるだろう
自分で起こす1の大きさに】

(山本の父親)

【1と2。この違いはかなり大きい。 0を無とすれば1は出現、2は展開の始まりだ。幾何学的に考えれば、1が2になるということは、「点」が「線」になることである。それはつながりの発生といってもいい。一人ぽつねんと黙していた者が、二人になると口を開くように、1が2になることで生まれる「線」は時に、それ自体で何かを語り始める。】
(中日春秋2008年11月20日)


新しい何かを生み出す・新しい何かを考え、発表し実行に移そうとする、などということは並大抵のことではない。しかし、それをなしえた人間は、「How to(どのように)」だけでなく、「Why(どうして)」もちゃんと心の中で構築されており、順序だてて説明できる。
相手をただ説得させるだけでなく、説得力のある説明ができ、それをすることで納得してもらうこともできるだろう。
1を点、2を線とするならば、3は面、4は面を垂直にして立体化となるだろうか。そのプロセスこそが、ヒトを、集団を動かしていく。
自分の1を持つということ・「生み出す」というのは、大きな苦しみでもある。会社の企画やプロジェクトにせよ何にせよ、一番初めにとりかかることこそ、大きなことなのだ。

会社の仕事でもそうだ。まずマニュアルや先輩の仕事やその他を見て1を知る。
「1を聞いて10を知る」という賢い人間をたとえる諺があるが、そーゆうことができる人間はごく僅か・・そのレベルの話はおいといて―
1を知り、とりあえず真似てそれらを深め、2に、3にすることが新人の頃はまず大切だろう。そこから、さまざまなものを元に自分の1を起こす人も居ることだろう。それを探求し、自分の得意な分野を発見して進むことこそが、次への展開の幕開け、となるのではないだろうか。
そういう人間が切磋琢磨し、力を合わせることで、会社をはじめとした集団は動いていく。

しかし、クルマなどのモノ作りは仕方がないとしても、生き方やモノの考えという次元にまで入ると、話は別だ。
その時、「自分の1」を持っている、あるいは持とうと努力する人間は強い。
仲間とうまくやっていくために、ヒトの言葉をなぞらえ、それらしく合わせる―社会(会社)で生き残るためのテクニックかもしれない。
だが、「自分の意見を持つ」という単純なコトバでは片付けられないかもしれないが、人間関係をうまくこなす・やりくりするだけ、世渡りをうまくするだけが人生ではない。

【最も賢い処世術は社会的因習を軽蔑しながら しかも社会的因習と矛盾せぬ生活をすることである】
(芥川龍之介著『侏儒の言葉』より)

古い仕来りや習わし・・・ヒトが起こした1というのは、時に煩わしさをもたらすこともある。かといって、打ち破るのはパワーの要ることなのだ。そこで人間関係に支障も生じるだろう。自分と世間の折り合いをうまくつけることこそ、自分の1を起こすきっかけになるのかもしれない。
ただ言われたことをするだけならやろうとすれば誰でもできる。しかし、ヒトの起こした1を見て、真似るだけで考えないでいると、いずれ限界がやってくる。
「どうしてそのやり方なのですか?」と訊いて、自分で納得し、モノにした上で生きていくと、次第に「もっとこうしたらいいよな」という想いが生まれてくる。
そこから自分の1を起こす。
それを広げられるようにするための人間関係の根底がある程度必要なのは仕方がないとしても― それができる人間は実は強い。



次の楽章はさらに進んで、自分の1を起こす上で出てくるモノについてさらに掘り下げてみようと思う。


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