ファイプロとプロレスと私

スポーツ選手と髪の毛と個人の権利

どうも、今回の記事では髪の毛の話をします。

 

日本のスポーツ界だと、未だに髪の毛は黒色以外を認めないという指導者が多いんですよね。

 

プロ野球の豊田泰光さんや野村克也さんなんかが典型的でした。もちろん、彼らの野球での実績は素晴らしかったのですがね。ただ、個人的には、彼らの髪についての認識は納得いかなかったですね。

プロレスでも、若手の男子レスラーはほとんど黒髪で短髪ばかりですね。まあ、レスラーの場合、長髪だとつかまれるリスクもあるので、まだ未熟な若手が短髪にしているのも理解できなくはないのですが。

 

スポーツ界における髪の毛についての寛容性のなさって、日本の不寛容さや排他性の現れだと思うんですよね。

 

教育の現場でも、髪の色の指定が存在して、それがブラック校則だと言われるようになりつつありますね。

私自身は地毛が黒なので、これまでの人生で特に髪の毛の色で困ることはなかったのですが、高校時代のクラスメイトに、地毛が茶色っぽい人がいたのです。彼は、普段は丸刈りにしていましたが、髪が真っ黒なら良かったと言っていましたね。

彼には自分の意思で髪型を決める権利がなかったわけです。こういう不寛容なところから、服従的な文化が生まれているんじゃないですか。

 

外国の場合はどうでしょうか。

米大リーグのニューヨーク・ヤンキースを率いたジョー・トーリ監督は、髪や髭の規律が厳しいヤンキースよりも、規律の緩いレッドソックス(ヤンキースのライバル球団)の選手たちのほうが試合で勝つためのプレーを理解していた、と著書で述べていました。そしてヤンキースの選手は、大半が問題児だったと。

まあヤンキースの事例だけで判断するわけにもいかないでしょうが、規律が厳しくてもプレーの質が上がるとか素行が良くなるという根拠もないわけです。

 

髪型の指定って、少なくとも合理的な理由は存在しないんじゃないですかね。結局のところ指導者が選手を支配しやすくするというか、自らの指導力の低さを誤魔化すためだけなんじゃないかと思ってしまいますね。で、そのせいで個人の権利が損なわれているのです。

日本社会の閉塞感とか、若い世代の自己評価の低さとか、同調圧力の強さとか、個人の権利が尊重されないことが原因だと思いますね。しかも、上の立場の人間が、他人の権利を侵害する権利だけは「指導」という名目で正当化されているわけですから、事態は非常に深刻です。

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