ファイプロとプロレスと私

雄略天皇の栄光

どうも、今回は雄略天皇について。



この5月で元号が変わって5年経ったそうですね。

私は普段、面倒なので西暦しか使いませんが。

まあ、せっかくなので歴代の天皇について調べてきましたよ。

今回は第21代天皇、雄略天皇についてです。

倭王武として、中国(宋)でも知られた天皇。

やや残虐な内容が含まれますので、苦手な人は要注意。



雄略天皇の即位までを簡単にまとめると、

①先代の第20代安康天皇が大草香皇子を殺害し、その妻を自らの皇后にする

②大草香皇子と皇后の子である眉輪王が、酒に酔っぱらい寝ている安康天皇を殺害

③安康天皇の弟(後の雄略天皇)が眉輪王を殺害



もちろん出典は日本書紀。日本書紀は天皇家自身が編纂した本です。

さらに雄略天皇は即位後、他の兄弟や部下も容赦無く殺害しています。

当時の人々からは「大悪の天皇」と呼ばれたそうです。

兄である安康の敵討ちだけでは飽き足らなかったようですね。



天皇家の歴史は血みどろの歴史です。親兄弟での殺し合いは珍しくありません。

雄略天皇だけが特に残虐だったわけではなく、他にも悪名を轟かせた天皇もいます(武烈とか)。

古代や中世の感覚でも「大悪」です。

これが日本の象徴となっている一族の歴史ということですよ。

暴君の歴史と言っても良いかな。



まあ天皇家の良いところは、こういう歴史をきちんと記録していることですかね。

さて、天皇家を万世一系と言って持ち上げている輩は、歴代の天皇は代々人徳のある方ばかりだとか言ってましたが。

どこが?

現代の皇族に対して僅かでも敬意があるなら、一刻も早く天皇制を廃止し、このような一族の歴史から解放してあげるべきだと思いますよ。


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