ファイプロとプロレスと私

新しい戦前は愛国的アスリートから

どうも、今回は新しい戦前について。



先日、you tubeにて筋トレの動画を見ていたら、ある国内のボディビルダーが自らを愛国者であると語ってましてねえ。

あと、五輪帰りの卓球選手が特攻資料館に行くと述べ、それが日本のメディアで賞賛されていたり。

正直、こういうところにも新しい戦前がやってきているのかと感じましたよ。



さて、愛国の何が問題かと言うと、色々あるんですけど。

パッと思いつくのは、

①差別・排外主義と結びつくことが多い

②歴史否定・歴史修正とも密接に関わっている

③そもそも官製の匂いがする



愛国者を自称する人って、差別主義・排外主義的であることが非常に多いんですよね。

自国や自民族の優越が、他国・他民族への蔑視になるというね。

それが奴隷制や植民地支配を正当化する理屈となった歴史があります。

これは去年の記事ですが。

「五郎丸が「日本人キッカーでないと務まらない」で大炎上⇒難解な長文投稿で増したモヤモヤ」(https://www.asagei.com/excerpt/284916)

「五郎丸は9日、松田力也選手のファンに向けたメッセージ動画を引用し、「日本のラグビー界は日本人キッカーでないと務まらない!」とした賞賛を投稿。これが外国人選手への露骨な「差別」ではないかと物議を醸していた」

まさかあの爽やかなイメージの五郎丸が、キッカーを務める選手を実力ではなく出自で判断したとは、かなり衝撃でした。

五郎丸のような知名度がある人物の言動は、特に影響力もあります。



卓球選手の特攻資料館行きのケースは、本人には悪気は無かったのかもしれません。

ただ、あまりに歴史に無知でしたね。

日本はアジア諸国を侵略し、各地を植民地として支配しました。

しかし現代日本では日本の加害性には触れず、被害者性ばかりを強調します。

あまつさえ侵略ではなかったとか、旧植民地からは既に許されているとか。

あの選手もそんな認識だったのかもしれませんね。

それが一部の極右だけでなく、一般市民にまで拡がっているというね。



さて、愛国という表現は官製の匂いがする、というのは三島由紀夫の言葉ですが。

国家が民衆を従わせるときに、愛国が持ち出されますよね。

三島によると、そもそも愛というのは西洋キリスト教的な概念であり日本古来のものではないそうで。

だから愛国というのも日本には馴染まない、とのこと。

まあ私は文学には疎いので本当かどうかはよくわかりません。

そういえば高校時代の古文の授業で、愛でるという言葉は出てきた気がしますが、愛するというのは無かったかも。


愛って、ストーカーみたいなものですからね。

迷惑千万です。

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