ファイプロとプロレスと私

右翼とフェミニストの相性 その2

どうも、今回は前回の続きです。

 

少し古い本ですが、片倉もとこ「イスラームの日常世界」という新書があります。

 

そこに、ムスリムの女性が着用するヴェールの話が出てくるんですよ。

 

片倉さんが言うには、ヴェールによってムスリム女性は見られる対象から見る対象になれるとのことで。

 

ヴェールは女性を抑圧するものだと非イスラーム圏では認識されているが、実際は真逆だということです。

 

日本でも、ルッキズムって凄まじいじゃないですか。特に女性に対してね。

 

どこの企業か忘れましたけど、女性の就活者の容姿をランク付けしていたことが問題になりましたし。

 

そこで私は思ったんですよ。ヴェールか何かで、日本の女性も顔を隠してはどうかと。

 

そうすれば、容姿で悩む人が減るし、企業も顔を判断材料に出来なくなる。面接対策で化粧する必要もなくなる。最高の信仰だと思わんかね、と。

 

こんな話を、フェミニストの相手にしてみたところ、見事に逆鱗に触れました。

 

 

 

さて、私の主張の何が悪かったのでしょうか。

 

おおよそ、問題だったのは以下の点でした。

 

①イスラーム圏において、ヴェールを着用するのは女性だけ。

性別に関係なく着用義務があるならともかく、女性側だけなのは不公平である。

 

②厳格な信仰がされている地域では、ヴェールを着用しない権利が認められていない。

着用しないことが許されないのは、抑圧だと言われても仕方ない。

 

③ルッキズムについては、容姿を叩く側が悪い。

女性が顔を隠せば良いという主張は、被害者側に自己防衛しろという話と同じではないか。

 

まあ、つまり女性側の自主性があるかどうかですよ。それが当時の私には理解出来ていなかったということです。

 

ヴェールに限りませんけど、公序良俗に反しない限り、各々の好きな服装にしたら良いんじゃないですかね。

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