なんでもない毎日。

それなりに楽しい日々。

奈良旅1-信貴山

2010年04月27日 | 外出
今回の奈良旅、最初の訪問地は信貴山。
近鉄の「信貴山寅年<福招き>きっぷ」を利用しました。
これは
・近鉄電車往復割引乗車券
・バス往復割引乗車券
・記念品(福招き小判)引換券
・おみくじor戒壇めぐり引換券
がセットになったきっぷ。
きっぷを購入する場所によって西コース、東コース、周遊コースの3種類があって、私の場合は東コース。
信貴山下駅から奈良交通のバスに乗るのですが、このバスが本数少なくってですね、バスの時間を調べて、それに間に合う電車の時刻を調べて行かないと、駅前で長時間待ちぼうけするハメになります
さらに、バスの乗車券は“信貴山下駅⇔信貴山”なのですが、“信貴山”の次の“信貴大橋”ってバス停の方がお寺に近いらしいです。
信貴山バス停で下車すると、お寺まで徒歩15分って看板が目に飛び込んできます…


細くて人気の無い道を登っていくと仁王門が現れました。





仁王門より、これから向かう本堂が見えました。





遠っ。

仁王門からしばらく歩くと、いました!





「世界一福寅」





がおー!

朝は動いてなかったけど、昼には首がぐーるぐーる回ってた(笑)





小寅もいました。


まず、体力のあるうちに空鉢護法堂を目指しました。
600メートルの登り…はは
登りはじめてすぐ、普段の運動不足が祟って息が荒くなり、歩くスピードも落ち、何度か小休止を繰り返し。
小雨が降ったり、晴れてみたり、桜が散っていたり。
もう少しで頂上、って所でふと脇に何かを発見。





そうなの、ここは信貴山城址でもあるの!
この石碑を発見してテンションが一気に上がった(笑)

信貴山城
標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、東西550m、南北700mに渡って120以上の郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。
空掘りの切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊か期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡。
信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城が繰り返された地である。
古くは天智朝における高安城中心城域となり、中世には護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にあった。
その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を抑える本格的な山城として整備される。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間篭城、10月10日に落城。
その後廃城となる。
(案内板より)

松永久秀が平蜘蛛と共に爆死した城だっては有名だけど、護良親王の縁の城でもあったとは知らなかったです。

空鉢さんに「オンベイシラマンダヤソワカ」って真言を唱えてお参りを済ませたら、小雨が止みました。





晴れていたらきっともっと絶景、なんでしょうね。

下山して霊宝館で国宝「信貴山縁起絵巻」<延喜加持之巻>を見てきました。
剣の護法童子(剱鎧護法)がホント可愛くて、思わずハガキをお土産に購入。
その後、本堂にて戒壇めぐりと御開帳中の秘仏を拝尊しました。





本堂からの景色も素晴らしかったです。


ハガキの他に自分のお土産で購入したのが





成福院にて絶賛発売中の白虎の張子の寅!
孫寅ちゃんです。
かわいい~
西向きに飾ってね、だそうです。

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