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☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

かみさま

2009-03-05 | その他
今日は昨日と打って変わって暖かい一日でしたね!

久しぶりの陽射しに、ウキウキ洗濯三昧の時間を過ごしました☆

結構早く乾いて、陽射しが強くなったんだなぁ、と

こんな所でも春の気配を感じてしまいました。


さて今日は…「神」について書こうかなぁ。

私はどの宗教にも、どの団体にも属してませんし、

特定の何かを信仰している、と言う訳でもありません。

私がこのブログで「神」と書く場合、特定の名前のあるような神様や

人格神のような存在ではなく、もっと大元の…自然や宇宙そのものの存在、

私達全ての根源である大いなる源の存在を意味しています。

ですので、人間の本質は「神」である。と言う時は、この「根源の存在」

の事を指しているんですね。

私達の「意識」は、根源の存在の「純粋な意識」と同じです。

根源の存在を「大海」とするならば、私達の意識は「一滴の海水」。

でも、一滴でも海水は海水。成分も同じ。

海に戻れば、同じ「大海」に混じります。

そう言う意味で、私達の本質は「神」である、と言うんです。

ですので、「汝自身を知れ」と言うように、自分自身を知ることが、

宇宙(神)を知ることになるんです。

私達に「創造する力」があるのも、不可能を可能にしてしまう力があるのも、

宇宙そのものである存在と、同じだからなんです。

と、言うことで結局、「みんな同じ存在」であり「一つ」と言うことなんですよね。

神=宇宙=愛=調和=光=宇宙の法則=純粋な意識=…挙げていたらキリがな
い!!

でも今は「神」と言うと、特定の神を喚起させますし、宗教色が強くなってしまう

ので、どうしても受け入れ難い人もいると思うんです。

そう言う「イメージ」は控えたいんですが…中々難しいですね。

特に日本は八百万の神と言って、トイレにも神様がいるぐらいですから(笑)

宇宙そのものである根源の存在から、トイレの神様みたいな身近な存在まで

みんな「神様」で一括りですからね~混乱しますよね。




ちなみに私は宗教には入っていませんが…「信仰心」はあるんです。コレが。

何かいいことがあると、思わず手を合わせて「ありがたや~」って言いたくなる(笑)

し、「神に感謝する」って気持ちになります。


宗教については否定はしないんですが…やっぱり「組織」になった段階で

もうそれは「金儲け」のツールになってしまう気がするんです。

(カルト宗教は言わずもがな!)

たとえばキリスト教。

もともとのイエスの教え、と言うか彼の言った言葉は純粋に

「その通りだなぁ」とか「素晴らしいなぁ」って思います。

当時は「目には目を」的な、やられたらやり返すことが普通の価値観の中で

「隣人を愛せ」「汝の敵を愛せ」「右頬を打たれたら左頬を出せ」と、

「愛」による「平和」「調和」を説いていたんですものね。

彼は自分を崇めて欲しくて「神の子」と言った訳ではなく、

「人間の代表」として、私が神の子であるならば、全ての人間が神の子だ、

と言いたかったんだと思うんです。

自分が出来ることは、皆出来る、と言って様々な奇跡を見せ、

人間の持つ無限の可能性を示してくれた。

それは、委ねること。信じること。

自分の内側にいる「父なる神」を信じて(エゴである自分を手放して)

あるがままに受け入れること。

あらゆる制限から解き放たれ、真の意味で自由になること。

(疑いのない状態でいれば、水の上も歩けるよ!って)

けれど…人々はすがってしまった。

「自分で何とかしよう」じゃなく、「神に救ってもらおう」と。

この「委ねる」と言うのは、自分自身の内なる神に委ねる、と言う意味で…

「外側の神」に委ねるってことではないんですよね。

三位一体ですから結局、父と子と精霊は皆同じ。

けれど…表面だけしか理解していないと「(外側の)神にすがる」と言う

意味になってしまう。「依存」です。

今でも、そう言う傾向がそこかしこで見られる訳ですから、

2000年前の世界ならなおさら、そうだったんだろうなぁと思います。


イエスは自分の言葉を弟子に「書くな」と言ったそうです。

「よき知らせは行って伝えよ」と言って、決して残さないよう

弟子に言い含めていたのに、彼らはそれを書いて残してしまった。

それによって、イエスの純粋な教えは、時代と共にどんどんまるで伝言ゲームのように

後の人たちの勝手な解釈で歪められてしまったように思います。

政治に宗教が絡むともう、その時点で民衆を支配するための道具ですよね。

結局、弟子の人達誰一人、イエスの教えを真に理解していた人はいなかったって

ことですよね。

純粋なクリスチャンは、イエス・キリストただ一人だ、と言っていた人もいました。

有名なモーセの十戒も、「~するな」と言う戒めではなく、

「~しない」と言う但し書きのようなものだったそうです。

それが時間と共に戒律になってしまい…

そうやって自分は無力な「迷える子羊」であり、神のお導きがなければ何も出来ない。

そんな自分が「神の教え」さえ守っていれば救われる、と言うような

今の宗教が出来上がってしまった。

宗教が「依存」になってしまっているのは、本当に残念だなぁ、と思います。

「信仰」する心、大自然や宇宙やそういったものを「敬う心」と言うのは

とても尊いことだと思うんです。

あとは、宗教間での争いを生んでしまったことも、残念ですよね…

「集団的エゴ」がいかに恐ろしいか、いかに周りが見えなくなるか、

見せてくれた例でもあります。



私の家はクリスチャンでも何でもなかったのですが、親が行かせてくれた幼稚園が

「聖母幼稚園」と言う教会が目の前にある、キリスト教系の幼稚園でした。

そこで会った神父様やシスターたちは、とても清らかで、優しい人達でしたし、

何と言うか、とても謙虚なんですよね。

教会で平和の為に一心に祈る姿、と言うのはとても美しい。

しかも教会って、何だか荘厳な気持ちになりますしね!不思議と。

そこで学んだことは後の私にとって、とても重要なものとなりました。

両親には感謝です!


しかし…神様、と言ってもぴんとこないかもしれません…

そう言う時は!私達を見守ってくれている存在は必ずいますので、

彼らに「いつも見守ってくれてありがとう」と感謝するといいと思います!

きっと喜んでくれるんじゃないかなぁ゜*。(*´Д`)。*°

自分ひとりで生きているんじゃないぞ、って見守ってくれているぞ、

と言う認識にもなりますしね。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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trust you

2009-02-23 | その他
伊藤由奈 - trust you PV


突然ですが!!こんにちは、イリスです。お久しぶりです。

↑この曲聴くと、ホロリときちゃうんですよね…

そうです。知っている人は知っている。

OOガンダムのエンディングテーマです!!

ああっ!そこの方!引かないで、引かないでぇ~!!(ノД`)・゜・。


いやぁ。ウチの旦那さまがガンダムオタ…いや、ガンダムマニ…いやいや、

ガンダムファンでして。

日曜夕方5時前には、何があろうとテレビの前に、巷のちびっこ顔負けの

ワクテカぶりでちょこん、と座っているんです。

で、その流れで私も見るハメになりまして…

が!!見始めると結構これが面白い。

今回の脚本はリアリティを追求したらしく、実際の地球、石油が枯渇した

後の世界情勢を舞台に描かれているんですね。

ですので大人が見ても見ごたえがある、骨太な仕上がりになってるんです。

もちろん、ガンダムと言うロボット(モビルスーツ)が主役なので

どうしても「戦い」がメインになってしまうんですが「平和の為に戦う」と言う感じで…

それぞれの国がそれぞれの思惑で、戦う。

誰もが平和を望んでいるはずなのに、自分たちを守るために武器を取る、と言う

矛盾が描かれています。

その中で…自分の国や大切な人たちを守るために、命を賭けてみんなが戦いへと

身を投じて行く中、決して戦わない人が出てきます。

話し合いでの解決を模索しようとしているのですが、

こう言うアニメを見ていると、そんなキャラは「へたれ」「腰抜け」「軟弱」

「世間知らずの甘ちゃん」な印象を持ってしまうんですよね…

旦那さまもテレビを見ながら「ああ!あいつ腹立つ!!」と憤っておりました。



でも…そのキャラは、自分の命が狙われていても決して武器を取りませんでした。

そこであ!っと気付いたんです。

この人も命を賭けているんだって。

「決して武器を取らない、人を傷つけない」ことに。

一見、「戦いたくない」と恐怖から逃げているように見えるけれど実はそうじゃない。

武器を取るよりも遥かに、意志の強さと勇気のいることなんだ。

周りに流されて戦ってしまうよりも、どんな非難を浴びようが「戦わない」と言う

確固たる意志を貫く方がずっと難しい。

誰かが勇気を出して一番最初に武器を置かないと、この「憎しみの負の連鎖」

は終わらないんだって。


……いや、アニメの話なんですけど…

実際の、今の世界もそうだなあって…思ってしまいました。

私も、そうでありたい。

何があっても絶対に戦わない、と言える勇気が欲しい。

その代わり、手を差し伸べることのできる勇気が欲しい。

信じることより疑う方が容易いこの世の中で、愛しているよ、信じているよ、って

言い続けることの出来る勇気が欲しいなぁ、と。




♪I love you, I trust you  愛してるよ、信じてるよ

君の孤独を分けて欲しい 光でも闇でも

今は答えが見えなくて 永い夜でも

信じた道を進んで欲しい

その先に光が待つから

どんなに君が道に迷っても

そばにいるよ ♪(抜粋)



私は普通の人間で…本当にできる事は限られているけれど。

ただ、暗闇に迷う人たちの足元を照らす、仄かな明かりであれればいいなぁ、と思う。

道を示すまぶしい光でなくても、誰も気付かなくても。

冷たい雨が降れば、雨宿りの出来る小さな軒先に

かんかん照りになれば、陽射しをしのげる小さな木陰に

歩くのに疲れれば、腰をおろせる小さな切り株になりたい。

寂しいときには、そっと歌を唄うよ。君に届くように。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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あるべきものはあるべき場所に戻る

2009-02-10 | その他
世界的金融不安。

テレビをつけると必ず、この手のニュースが流れる。

どこどそこの会社で何人リストラする、だとか赤字決算だった、とか。

これではみんな不安になるのも当然だなぁと思う。

でも、あるべきものはあるべき場所へと収まって来ているので、

これもそうなんだろう、と思う。

今までが、異常だった。

企業が本来あるべき姿に変わる、チャンスなんだと思う。

会社が大きくなればなるほど、その向こう側にいる「消費者」の顔が

見えなくなって行く。

「利益」のみの追求になって行く。

どうやってよい商品を作るか、ではなく、どうやって儲けるか、に意識が集中

してしまう。

思うに…トントンでいいのではないか、と思う。

商品を売り、得たお金で社員の給料やら原価やら税金やら全部払ったら、何も残らない。

ちょうどトントン。純利益って、何のためにあるんだろう?

ここいらがビジネスに疎いので、よく分からないんだけど…

エネルギー的に見れば、その余剰の利益って「貰いすぎてる」ってことになる。

それは何らかの形で「還元」しないといけないと思うんだけど…



同じ派遣社員でも、切られる人と、切られない人がいる。

切られた人は「不公平だ」「理不尽だ」と思うかもしれない。

しかし、これもチャンスなんだと思う。

今までの生き方を見直しなさいよ、と言うサインなんだと思う。

前にも書いたように、人間調子のいいときは決して自分自身を省みたりしない。

こう言う時に、じっくり自分と向き合うんだと思う。

自分にとって本当に大切なことは何だろう?

本当にやりたい事って何だろう?と。


たぶん…これは私の勝手な推測なんだけど…

もっと農業に目を向けろってことじゃないかなぁ。

日本の自給率は驚くほど低い。

しかし、戦前はそうではなかった。

戦後、アメリカの指導のもと、資源の少ない日本が生き残る方法として

貿易国へと変貌したのだ。

それは良かったのだと思う。そのおかげで今の豊かな日本があり、

私はその豊かさを享受しているので、それを非難することはできない。

しかし、バランスが大切だ。

もし今、食料危機が起こったら、もし今、日本が貿易封鎖されたら。

日本は自分たちの食べるものすら、生み出せなくなってしまっている。

東京に人口が集中しすぎているのも、気になる。

(私も成り行きとは言え、東京に出てきた身なので…えへ)

えと、「秘密のケンミンショー」と言うテレビがあるけど、あれはいいなぁ、と思う。

日本にいるのに、他の県のことなんて全然知らなかったんだなぁって改めて

気付かされる。

おいしい食べ物もたくさんあるし、県民の人柄も分かるし。

パネラーの芸能人たちも、郷土愛に溢れてておもしろい。

宮崎県知事ばりに、もっと芸能人が故郷の宣伝活動すればいいんじゃないかなぁ。

地域のおいしいものを、東京に進出させるんじゃなくて、

讃岐うどんみたくその土地に来て食べてもらうようにする。

土地の雰囲気も、人柄も一緒に、頂く。みたいな感じで。

そうやって地域を活性化できないかなぁ。


私達は、まず日本のものを買うようにする。

ミスドでお米のドーナッツ作ってましたよね。

あれおいしかったぁ!ドーナツは小麦粉だと思ってましたので、目からウロコ。

もっちりとして、新しいおいしさでした。

そんな感じで、日本の企業から日本のものを使った商品を作り、

私達は地元の食材を買う。


だって、日本人は、とてもいいものを作るもの。

世界中を見たって、日本ほど丁寧に、買う人のことを考えてものを作る国って

ないと思う。外国製品は故障が多いもんね。

そう言う精神を、守って生きたいと思う。



今までは「いい学校に入り、いい会社に就職し、たくさん給料を貰う」

もしくは「公務員になる」ことが、「よし」とされて来たけれど、

もうそろそろ、違う方法がたくさんある、人の数だけやり方があるってことに

気付いてもいいかなぁ、とも思う。

日本を変えたいと思うのなら、私達一人ひとりの「意識」を変えなきゃいけない。

それが集まって日本の「集合意識」となるのだから。

日本は、日本の役割がある。もっと自覚しなきゃいけない。

今世界で起こっていることは、決して他人事ではない。

一人一人が世界に責任を持ち、どう在るべきか「目覚めた意識」でこの現実に

体現していって欲しいと思う。


チベット問題、今はちょっと忘れがちになっているけれど、忘れないでくださいね。

問題は解決した訳ではないですから…

パンチェン・ラマ11世がチベットに戻れるよう、暇な時、思い出した時でもよいので

思いを馳せてみてください。2月25日はチベットの元旦だそうですし。

あるべきものがあるべき場所に戻れるように。

中国が正気を取り戻してくれるように。

ついでに日本もね。(笑)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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繫がる?(付け足し)

2009-01-31 | その他

さっきの記事、うまく説明できなかったなぁ…

と言うことで、付け足しです!

ホント、毎回スミマセン…うまく伝えられなくて。


えとですね、例えば天使と交流できる人が、ショックな出来事があって

落ち込んでいる時、天使達を呼んだりして慰めてもらってたりしますよね?

辛いとき、悲しいとき、落ち込んだとき。

昔、私はそれを見て『いいなぁ、慰めてもらえて。私なんか一人だよ!

一人で耐えなくちゃイケナイんだよ!特別な人っていいよな!』

ってやさぐれてました(笑)

でもそれは「特別な人だから」ではなくて、その人が出来るってことは

みんな出来るってことなんですよね。

自分には来てくれない、とか特別じゃないから無理、とか思わないで!って。

その人たちは自分が「特別」な事を書きたいわけじゃなくて

私達の可能性を書いてくれている。

みんなも出来るんだよって。こうやって交流するんだよって。

こんな事を言っているよ、こんな風に呼んでねって。

一つの見本ですネ。




場合に応じて、浄化が必要な時はミカエル、

癒しが必要な時はラファエル、とか書いてらっしゃいますよね。

それを参考に「自分は一人だ」って悲しくなったとき、天使を呼んでください。

たとえ自分がそれを感じられなくても、絶対に来ていますから

信用してください。まずは信用することですって。

疑いの気持ちはベールのように、彼らを隔てちゃう。

天使だけじゃなく、ガイドや他の存在たちも呼んでね。

すぐ来てくれるから。

体があったかくなったり、いい匂いがしたり、目の端で何かがチカっと光ったり、

心が落ち着いてきたり、ほっとしたり、と何とな~く分かります。



あなたはぜったい、一人ぼっちじゃないし

ぜったい、孤独じゃないし

ぜったい、彼らはいつも側にいるし

ぜったい、いつも見守ってくれているし

ぜったい、呼べば来てくれる。

あなたがいないって思ったら、私達は出て来られない。



…たぶん、そう言うことだと思います。

いやぁ。

まさか天使の話を書く事になるとは…思いませんでした…

天使って言うと、「天使様」ってイメージがあるかと思うのですが、

(確かに振動数の高い次元の存在ですし…)

人間とは別のバージョンの存在を体験しているらしく、

(あ、この場合大天使ね!)

人間のような経験をしていないそうなのです。

他の「魂」も地球のような、究極の「分離」を体験していない者も多くいるとか…

ですので、私達が苦しみながら「危険な(笑)」地球でで生きていることについて

大いに敬意を表しているようですし、

本当に心から、私達の役に立ちたい、サポートしたいと思っているようです。



宇宙は全て繫がっていますから、地球での出来事は、全体に影響を与えます。

素晴らしい体験をすればするほど、他の星々にも貢献できるようですね。


『一人じゃないよっ!!孤独じゃないよっ!!いつでも呼んでよっ!!』

…と言うことらしいですネ☆


受け取り方は本人次第ですから!

「感じる」スキルを上げる為にも、全感覚をオープンにしてハートで感じる

ことを試してみてはいかがでしょうか!?

何かあるかも☆(たぶん…いい加減でゴメンナサイ!)


2回目も最後まで読んでくださってありがとうございました!(笑感謝


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>    

繫がる?

2009-01-31 | その他
今ちょっと思いついたので書きますね!

昔、まだ精神世界に足をつっこんだばかりの頃、とにかく自分のことが知りたくて

たくさんのブログや本を読み漁っていた時のこと。

たまたま行き着いたあるHPに「天使からのメッセージ」と言うものが

ありました。それを何気に読んだんです。

びっくりしました。

その頃はまだ「精神世界」と言うものに懐疑的で、全て鵜呑みに出来ないという

警戒心がありました。

荒唐無稽で、ええ~って言うものもたくさんありましたから。

ですので「天使」とか「高次元の存在」とか、『本当かなぁ~~~』みたいな感じで

イマイチ信じられずにいたんです。

でもそのメッセージを読んで、一変しました。

『こ、これは本物だ…!!』

どうしてかって言うと、勝手に涙がこぼれ落ちて、気がつかないうちに

わんわん大泣きしてたんです。

そのぐらい、純粋で深い「愛」の言葉だったんです。

だってだって…

私は若い頃、小説家になりたかったんです!

文章をたくさん書きました。

(その割にブログの文章は下手ですが…って突っ込みはナシの方向で!)

たくさんの人になり切って、たくさんの言葉を生み出しました。

けれど…これは、人間が作為的に書こうと思っても書けないって思ったんです。

愛の言葉なんて、巷に溢れてますよね。

でもそれは違った。

自分の心の奥にダイレクトに届いて、震え始めたんですから。

読んで字のごとく「魂が(むちゃくちゃ)震える」体験でした。

それから、天使もいるんだなぁ、って思うようになったんですが。


でね。何が言いたいのかって言うとね。



今、たくさんの方が天使やら高次元の存在やら神様と繫がってメッセージを

書いてくれてますよね。

それを以前、私は羨ましく思っていました。

それと同時に「どうして私にはできないんだろう?」と悲しくなったり。

羨望と嫉妬、焦燥と失望、みたいな感情が入り混じって

あぁ私じゃダメなんだ、私は特別じゃないんだ、と思ってたんですね。

その頃はまだ「特別でありたい」エゴがいましたから(笑)

何かしなくちゃ、何をするのか分からないけど、きっとやらなくちゃいけない事が

あるはずだ、何かしなくちゃ!!って焦ってたんですネ。

みなさまも、一度はそう言う風に思ったこと、ありませんか?

(え?ない?私だけ!?…………はぅ)



でもね。

皆さんが書いてくださったメッセージは、「その人」だけのものではなく、

もしそれを読んだのなら、読んだ「あなた」に向けられたものなんです。

それが分かった。

昔は「これは自分に向けてのメッセージじゃない」と思いながら読んでいたので

「いいなぁ」とか「どうして私じゃないんだろ?」と言う思いしか

湧き上がってこなかったのですが。


天使や神様からのメッセージを受け取るのは、人間誰しももともと持っている能力です。

ただ、理屈っぽく言うと

頭の中でいつもうるさい「思考」をとめて、空っぽにする、

振動数を高くする(←低いと低い存在とチャンネルが合っちゃう)、

相手の存在を信じる、自分自身を信じる、メッセージだと信じる、とか

イロイロ条件がありますよね。

そして!「固定概念」を外す!コレがイチバン重要かと。

「きっと声が聞こえるに違いない」とか「いやいやきっと目の前に現れてくれるはずだ」

とか決まりきったイメージがあると、メッセージが受け取れなくなるそうです。

人によって得意分野があるそうで、感じる派、聞こえる派、見える派、などなど。

感じる派の人が「聞こえるはずだ!」と思って耳ばかり澄ましていると、

せっかくのメッセージを見逃しちゃう。

それに「こう言うものだ」と言う固定概念があると、せっかく受け取ってても

「これは違う。メッセージはこう言うもののはずだ!」となってしまうし。

自分を信じられてないと、「これはメッセージだろうか…?自分の思考じゃないだろう

か…」ともなるし。




あれ。また脱線しちゃった…失敬!

よくあるのが、「いつでもいいわよ!」って言う準備万端の人の方が中々繫がれなくて、

何の準備も出来ていない人、精神世界なんか興味ない人とかにイキナリばーんと

繫がれるようになるってパターン。

そう言う人は、最初から「役割」として自分で決めて来てたんだと思うんです。

いいなぁ、と思う方が多いかと思うんですが、(私も最初はそうでした!)

その代わり、「生きる」ことに大変な思い、苦労をしている方が多いです。

課せられた(と言っても自分で決めてるんですが)役割が大きければ大きいほど、苦労する。

どちらか、ですよね。


その方たちが発信するメッセージは、私達全員に向けられている、と言うことであり

その人が体験している摩訶不思議な現象は、私達全員に起こっている、と言うこと

なんですよね。

誰も特別ではないし、誰も存在する価値のない人なんていないってこと。

たまたま目にした文章や言葉は、「あなた」に向けられているってこと。

天使たちはどうにかして気付いてもらおうとして、あの手この手で伝えてきますので

夢の中の内容とか、友達との会話とか、町の看板とか(笑)歌の歌詞とか

何でも使って来ます。

「トイレの落書きにメッセージだとぅ?そんな訳ないだろう!」

と思わずに、受け取ってネ☆



…と、もしかしたら「自分はどうして繫がれないんだ!?」と思っている方が

いらっしゃるかと思って書いてみました。

(え?いない?………うそ~ん!)

ブログに書かれているように、「会話」しているみたいに明確に繫がれている

方はそれが「得意」ってことで、

「明確に繫がれない」と思っている方はきっと、「感覚」派なんだと思うなぁ。

私も感覚派です☆

見たりするのはまだ「恐れ」のブロックがあるみたい…。



でも、今生きているのは、この「三次元現象世界」である地球ですから!

ここでしか体験できない事を味わいに、わざわざ来たんですから、

あんまり意識を「上」の方へ上げすぎず、地にどっしりと足をつけましょうね!

苦しみや悲しみ、怒りや憎しみ、絶望、妬み、欠乏、分離、制限…

こう言った「痛み」を伴う体験をしながら、本当の「愛」に気付くことが出来る

人間は、本当に素晴らしいと思います!


脱線女王、イリスでしたぁ~!


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>    

ヴィパッサナー瞑想

2009-01-13 | その他
突然ですが!!

「ヴィパッサナー瞑想」ってご存知ですか?

…あ、さいですか、とっくにご存知でしたか…こりゃ失礼致しました!

今更ですが…ワタクシ、これを意識しながら生活しています。

おっと。瞑想と言っても、じっと座っている訳じゃございません。

説明すると長くなるので…コチラをどうぞ!↓(イヤ決して手抜きじゃないですよ!)

ヴィパッサナー瞑想について

ワタクシ、考え事が大好きなんです。

もう、ちょっと暇があるとぼ~~~っと考え事をしていて、気付くと一時間ぐらい

経っていたり。もう楽しくて仕方がないんですよね~。

昔は「悩むこと」が好きで(当時は好きだって言う自覚はなかったんですが)

悩む自分をアイデンティティーにしていた、と言うか。

悩む自分を見て自分を認知していたと言うか…(←スミマセン変な人で)

ですので自動的に「悩み事」が絶え間なく訪れる現実を引き寄せていたんですよね。

今は「悩み」ではなく「思考遊戯」みたいなもので…

何でもないことをあ~でもない、こ~でもない、と考えているんですよね。

でも、これが結構役立つこともあるんです。

以前得た情報を、どうも今ひとつ理解できないなぁ~とイロイロこねくり回して

考えてたら、あ!!と閃いたりする。

そうそう、気付いたり閃いたりするのは「思考を超えたもの」ですので、

自分でコントロールはできないんですが、きっかけを与えたりすることはできます。

そうやって様々な視点からその「情報」を分析したり、本質を捉えようとしたり。

精神世界の情報って、もともとがとても複雑で立体的なものを、

「言葉」と言う平面的に表しているので、どうしても伝わりにくいんですよね。

「全体像」が掴めなかったり、意図が分からなかったり。

そう言う場合は、その情報を多角的に見たり、別の情報源から得たものを

つなぎ合わせて考えてみたりすると、お!っと思うことが良くあります。

例えてみれば、立体的な「円錐」を、一人は「円」と説明し、一人は「三角」と説明し、

一人は「扇形」一人は「点」と説明している。

一つ一つは分かりにくくても、それをつなぎ合わせると立体的な「円錐」が現れる、

と言うような感じで。

…と、左脳人間なのをちょっと言い訳してみたり(エヘ)


そんな思考ぐるぐるのワタクシ、お皿を洗いながらでもぼ~っとしてしまうので、

「今お皿を洗っている、ゆすいでいる」とか、「今掃除機をかけている」とか

「今お風呂を洗っている」とか、今の行動を認識しながらやっているんです。

以前、慣れた行動は無意識にやっているって書きましたよね。

一日を殆ど無意識のうちに過ごしてしまっているって。

それを防ぐためにも、意識的に毎日を過ごす為にも、この癖を付けて置こうと。

長い時間座って瞑想って言うのはなかなか出来ないけれど、これは用事をしながら

できるので、いいんですよね。


<抜粋>
ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。
何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。
それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に“よく観る”のです。


自分を客観的に見ることはとても大切ですし、「今ここ」に意識を集中することも大切です。

自分を受け入れられないのは、どうしても「主観」で見たり「判断」したり、

さまざまな「感情」が起こってくるのは、自分を「客観的」に見られないからです。

それに、殆どの人は「今ここ」にいない。

過去や未来に生きているんです。

老人が過去の栄光を自慢するのは、「今ここ」にいず、過去に生きているからです。

今の自分を恥ずかしいと思っているからです。

この精神世界にあっても、将来の自分を心配していますよね?

自分はちゃんとアセンションできるんだろうか、と思ったり、

家族の心配をしたり、自分は葛藤を手放せるのだろうか、と心配したり。

どんな時も「今」しか存在せず、今の自分がベストです。

その練習にもなるので、もし知らなかったと言う方は

試しにやってみては如何でしょうか!!

何度も何度も同じことの繰り返しになりますが、私達は何をするかではなく

意識がどう在るか、が大切なんです。

思考ぐるぐるの状態ではなく、クリアな状態にする。

荒波で荒れ狂った海ではなく、まるで鏡のような静かな凪の海にするってこと。

今ここにいる事ができると、意識がクリアになり、集中力もアップします。

何より「生きているぞ!」と言う実感が違いますから。ゼヒ!

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


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戦争と平和

2008-12-25 | その他
突然ですが!!

昨日、テレビで何故あの戦争が起こったのか、と言う番組をやっていました。

聖なる夜に戦争番組!?と驚いたのですが、ちょっと興味をそそられました…

でもチラリとしか見られなかったのが、とても残念です…見たかったなぁ…


私はあんまり戦争映画とかは見たりしないんですが、「硫黄島の手紙」だけは

見ました。もう何と言うか…胸が痛くなりました…

今こうやって私達が、不況とは言え、ケーキを食べたりチキンを食べたりしながら

平和を満喫できるのは、ああ言う時代ああったからこそ、なんだなぁって。


日本を守るため、日本にいる大切な人を守るために、ある者は自ら志願し、

ある者は赤紙で徴兵され…そうやって若い命が散っていきました。

今の私達は、彼らの死の上にあるんです。

彼らがそうやって、「戦争」と言う体験をしてくれたおかげで、

私達は平和の時代を生きられるんです。それを忘れないでいたいなぁ、と。

私達人間は、体験しないと学べない生き物です。

戦争も、実際起こって、痛い目にあって、初めて知るんです。

もしもの世界はないのですが…それでももし、当時、何らかの形で戦争回避できて

いたら、と思ったりもしますが、たぶん同じなんだろうと思います。

あの戦争が起こらなかったら、日本はいまだ軍を持っているだろうし、

もしかしたら、新たな戦争を起こしていたかもしれません。

今、この時代に戦争が起こっていたかもしれないんです。



当時の大統領トルーマンは自分の決断力の誇示と、戦後ソ連をけん制する意味を含めて

落とす必要のなかった原爆投下を承認しました。人種差別もあったそうです。

「黄色人種は痛みを感じないから」と言って。たったそれだけの理由です。

それで何十万と言う人が死に、多くの人が苦しみました。今もなお。



今私達にできる事は決して、二度と同じ過ちを起こさないこと。

戦争に対する真実をちゃんと知ることだと思うんです。

唯一、原爆を落とされた日本だから、言えること、行動できることがあります。


これは私の勝手な意見ですが、自衛隊もいらないと思うんです。

もういっそ「レスキュー隊」にしちゃう。

自衛隊は軍隊ではないのにも関わらず、中東の揉め事があるたびに、駆り出されます。

自衛隊が後方支援のみの活動に対して「日本はお金だけ出して、命を出さない」と揶揄される。

ここはもっとキッチリ!!政府が声を大にして言って欲しいと思うんですよ!!

日本は二度と、戦争をしない、と。でも人は喜んで助けますよって。

アメリカは、原爆を投下して、日本人の命を何十万と奪ってもなお、

いまだ戦火を広げようとするのかなぁ…。


これもまた、私の勝手な意見なのですが、日本が自衛隊を持たず、防衛手段を持たなくなったら、

中国や北朝鮮から攻め込まれたらどうするんだ、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

それでも、日本は戦わない。

絶対戦わない、と言う姿勢を全世界にアピールするんです。

平和的に解決する姿勢を、断固貫く。理想主義だと思われるかもしれません。

でもやってみないと分からない。

私個人は、絶対、もうあんな戦争で人が死ぬなんて嫌なんです。

どんな大義名分があろうが。殺して、殺されることには変わりないんです。

知っていますか?戦争で失われた命がどうなるか。命って千切れるんですよ。

私達の「意識体」はシルバーコードで体と繫がっています。

それが繫がっているうちは、「幽体離脱」をしても帰ってくることができます。

死期が近づくと、そのコードが細く細くなり、自然に切れるんです。

それが寿命です。でもそうではない人々のコードは、太いまま引き剥がされるんです。

イキナリ命を奪われた人の、怒りと絶望のエネルギーは凄まじいものです。

死んだ後もそのエネルギーは残り、本人もしばらくは元に戻ることができないんです。

傷を癒すための長い長い期間を、別の空間で過ごす事になるんです。

それでも、トラウマ的傷は魂の深いところに残る事になります。



「戦争」って何のために戦うんだろう?何を守るんだろう?

日本と言う国?命?命を守るために、命を捨てる?

日本人と土地を守るために、人が死に、土地を焼くんだろうか?

それで残るものは何なんだろう?

日本人の血と誇りああれば、そこが日本だと思うんです。

国の名前が何であるか、そんなのはどうでもいい。

私達日本人は、世界のストッパー的役割があると思うんです。

アメリカのように力で抑えつけるのではなく、平和的活動によって。

日本人は大きな力を持っています!!

みんなが自覚して、平和に思いを集中すれば、絶対世界平和への道が拓けます!

それを願ってやみません…



ああ~聖なるクリスマスなのにキナ臭い話をしてしまいました…失敬…

でもホントに日本人は独特の国民性を持っています。

抵抗せずに、受け入れる柔軟性と言いましょうか…和を重んじる、と言いましょうか。

空気を読む、と言いましょうか。

他国の人を見るとそれがよく分かりますよね。自己主張が激しい人が多いですし。

確かにもっとハッキリしろよ!と言いたくなる時もありますが…(外交問題とか特に)

でも今は、自分自身の事にかまける時期ですもんね。

悩んでいる人や、苦しんでいる人は、世界平和なんてそっちのけでいいですから、

自分自身と向き合ってくださいね。

それがみんなの為になっていますから。

メリークリスマス!今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

東京の片隅から、ささやかながらみんなが幸せであるように、祈っています


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     ←メリークリスマス



FREE HUGS

2008-12-23 | その他
突然ですが!皆さんもとっくにご存知だと思うのですが、「Free Hugs」!
聞いたことはあったんだけれども、動画は見た事なくて…
昨日たまたま見つけたんです。そして何気に見たんです。

うお~!! 何これ!感動するじゃないですか!

見てるだけでもう号泣です。あぁ~人間って素晴らしいな~と思ってしまいました。
と言う訳で、おすそ分け。まだ見た事ない方は、これで涙を流してスッキリしちゃってください!
ハグしてるのを見てるだけで、幸せ~な気分になれるのね…

皆さんも今日は家族でHugしてみてください☆

Wikiに載ってたFreeHugsについて。興味ある方は読んでみてください!


Free Hugs Campaign - Official Page (music by Sick Puppies.net )


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テスト

2008-12-19 | その他
web拍手設置してみましたぁ~ ドンドンドン、パフパフパフ~

ちゃんと動くかどうか分からないので、テストです。

訪れた方はお手数ですが、↓のweb拍手ボタンをぽちっと押してみてください!

あ!出来れば、何か一言メッセージも

一言でもヨイので感想なぞを書いて頂ければウレシイです~

ご協力よろしくお願いします!       

あ、今日の記事は下にありますので、そっちも読んでくださいね


         
    

 ←いつもご協力感謝☆

願いを叶える3

2008-12-09 | その他
皆さん、こんばんは

もう12月9日…早いものですね~こないだ正月が終わったとこだと思ったら(←オイオイ

町はクリスマス一色で、なんだかウキウキしちゃいますよね!クリスチャンじゃないけど。



今日は願いを叶える、の続きを書きたいと思います。

願いを叶えるコツは、顕在意識、無意識の両方で自分を100%信じること。

「~になりたい」(=今~ではない)と言う不足の意識ではなく、「もう~である」

と言う満足の意識でいること。

「自分を愛する方法」の例として、「私は私を愛しています」「私は私を信じています」と

言うといいですよ~と書いたのは、この「願いを叶える方法」を利用しているんですね。

アファメーション、とも言いますが、肯定的文章で願いを叶えたいことを言葉に出す、と言う手法です。

心の中だけで言うのもいいですが、声にだすともっとパワフルになります。

「音」にはパワーがありますから、相乗効果なんですね。

「言霊」とも言いますね。これはどんどん使ってください。

「私は幸せです」とか「私は満ち足りています」とか「私は自分の外見を受け入れます」

とか「私は健康です」とか「私の肉体は完璧です」とか…色々言葉を変えて言ってみてください。



さて…「プロジェクトX」と言う番組は皆さんもご存知かと思うのですが、ご覧になったことはあるでしょうか?

私もタイトルは知っているものの、全部見ている訳ではありませんが、一つ印象に残っている

ものがありますので、それを例にあげてお話したいと思います。

その人は「プラズマテレビ」を開発した富士通の方だったと思うのですが(うろ覚えでスミマセン…)

彼は自分がプラズマテレビを作る、と言う強い信念で研究を始めました。

しかし、実験の失敗、自分の病気、資金の打ち切り…

次々と彼の信念を試すかのように、困難が立ちふさがります。協力してくれた仲間も

「もう無理だ、成功する訳がない」と、一人、また一人と彼の元から去って行きます。

会社の方針で、プラズマ研究を打ち切る、と通達されたらもう「終わりだ」と思うのが普通ですよね。

でも彼は決して諦めませんでした。実験の失敗も、成功するためのステップと捉え、どんな困難に直面しても

研究をやめることはせず、自分の成功を疑うことをしなかったのです。

そしてついに、プラズマテレビを作ることに成功しました。

一番最初に表示された文字が「愛」だったそうです。何だかぐっときますよね。

これが100%自分を信じる、と言うことなんです。何かを成功させた人に共通するのがこれで、

だいたいの人が「失敗するなんて、少しも思わなかった」と言っています。

明確な「ビジョン」を持っていたんですね。



私達の殆どが、何かを始める時、やりたかった仕事を任された時など、未知の世界へ跳び出す時、

必ず「頑張ろう」と思う反面、「失敗したらどうしよう」「うまくいくのだろうか」と不安を抱きます。

その他、もっと大きなこと、例えば独立とか起業となると、「やりたい」と思っていても

「絶対無理だ」「成功するわけがない」と、諦めてしまう場合もありますよね。

それもエゴである「思考(マインド)」、「脳」の働きです。

「脳」は、今まで得た知識と自分が経験して来た事実しか知りません。

例えば、20cmの幅の川を飛び越えろ、と言われたら、誰もが恐れも抱かずに「ひょい」と

飛んでみせるはずです。

「脳」が自分の経験から「これくらいなら簡単に飛べる」ことを知っているからです。

しかし、それが「飛べるか飛べないかぐらいの微妙なの幅の川」だったとしたら、どうなるか。

今まで飛んだ経験のない距離です。そうすると急に「飛べるかも」と思う反面「出来ない」

「無理だ」「失敗する」と言う思いが芽生えてきます。

私達の「思考(マインド)」、「脳」は「未知なるもの」に対しては、あまりに無力です。

経験がない訳ですから、失敗することを恐れて、ネガティブな発想がでる訳なんですね。

ですので、そう言う時は「イメージ」「ヴィジョン」を使う。

以前も書いたように、「脳」には「想像」(実際には起こっていないこと)と

「現実」(実際に起こったこと)の区別がつきません。

その微妙な幅の川を見事に飛び、着地している自分を想像するのです。

着地の感触、飛んだぞ、と言う喜び、興奮、嬉しさ、と言う感情をリアルに味わいます。

(前回書いた、「感情を伴う」と言うのがこれです)

そうすると「脳」はあまりにリアルに「想像」すると、実際に起こったことだと思い込みます。

脳はその「想像」を「経験したこと」として分類する訳ですね。

何度も何度も、その「成功したヴィジョン」を繰り返し、頭の中で再生します。

そうすると、いざその川を飛ぼうとする時、「無理だ」「失敗する」と言う「恐れ」が出なくなります。

「脳」の中では「もう飛べた」ことになっているからですね。

これが明確な「ヴィジョン」を使った願いを叶える方法です。



この「自分を100%信用する」と言うのは、もう一つ、「自分を無理だ、と限定している思い込み、

枠をはずす」と言う方法もあります。

私達は生まれて来た時は「無限の可能性」と言うものを持っていました。

もちろん、今も持っています。「可能性そのもの」の存在なんです。

しようと思えば、何でもできる。何にだってなれる。

(もちろん、魂の性質…得意分野や個性と言うものがありますが)

しかし、生きていく内に社会の常識や、親の刷り込みから「無理だ」「出来ない」と言う概念を

植えつけられてしまい、自分自身を「こんなもんだ」と限定してしまっているんです。

自分自身を100%信用する、と言うことは、今まで書いてきた「フィルターの汚れを落とす」こと、

自分自身を愛すること…「愛」そのものである魂、本当の自分自身に戻ること、なんです。

本当の私達は可能性の塊です。できない事は何一つとしてありません。

「無理だ」「出来るわけない」と言う「思考(マインド)」を外し、「大丈夫、何だってできる」と言う

意識を持つことです。



本当の自分で生きる、と言うことは今まで固く、固く閉じられていた「無意識」

の領域の蓋を開ける、と言うことでもあります。

感知できなかった「無意識」の領域を開放し、一つの意識になること。

そうすれば、常に自分を100%愛し、100%信用している状態ですから、願いがどんどん叶っていくんです。

しかし、最初に書いたように「条件」なるものも存在します。

それは今回の人生に、或いはその時の自分に本当に必要なのかどうか、です。

例えば、「今回の人生は貧乏を体験しよう」と決めて来ていたとしたら、どんなに

「お金持ちになりたい」と願っても叶わない事もありますし、未来の自分がその時の自分にとって

学びを妨げると判断したら(あんまりに利己的な願いだったり、誰かに迷惑がかかるような願い

だったり。)叶わない事もあります。


まずは「今あるものに目を向ける」こと、そしてそれに「感謝」すること、なんですね。

「今ある」と言うその満足感が、願いを叶えるコツなんです。

今ある当たり前のもの、当たり前の事に改めて目を向けて、感謝してみてはいかがでしょうか。

いつも側にいて当たり前の家族とか。

私達はあるときは気付かなくて、失くしてから初めて、その大切さに気付くんですよね。

後悔する前に、失くす前に、今ある事に感謝したいですね!


今日も最後まで読んでくださって有難うございました!


 ←いつもご協力感謝☆

質問に対して

2008-12-08 | その他
いつもブログを読んでくださっている、と言うYさんと言う方から一通のメールを頂きました。

今回は、このご質問に対して、書きたいと思います。

イリスさん、こんにちは。丁寧なお答えはとてもわかりやすく、理解が得意でない私もすんなりと受け入れる事ができました。

そこで教えて頂きたい事があるのですが、私は夫と中1長女、小4長男の4人暮らしです。
夫とは昔からケンカが絶えず、仲がよくありません。ですが子供達に良い影響がないかなと思い、
最近できるだけ言い合いにならないように努めています。

夫は何かあると私を非難し馬鹿にするような言い方をします。子供達も夫の味方をし、一緒になって私を責めます。
んーこれって何に気づけばいいのでしょうか。私も同じ事をしてる?
それとも自分自身に対してしてるって事なのでしょうか?正直言いまして感情的になりますし、
淋しいです。ブログに掲載なさっても構いませんので、解説(?)して頂けないでしょうか。よろしくお願いします



私はまだまだ自分の勉強の最中で、未熟な身です。誰かにアドバイスができるほど、出来た人間ではありません。

それに詳しい経緯も分かりませんし、家族単位で様々なケースあありますから、安易に「こうだ」と

答えることはできないんです。「言葉に責任が持てない」から。

ですが、このように思われている方もたくさんいらっしゃるかもしれません。

Yさんの場合は旦那さんですが、職場の上司であったり、同僚であったり、友達であったり、お姑さんであったり。

ですので、私が今できることは「一般論」での表現です。ただのヒントです。

これはご本人の問題ですから、自分で気付き、自分で答えを見つけ、

自分で責任を持って選択するべきものなんです。

この問題に対しての「一個人」の「一つの意見」としてお聞き頂けるのであれば、

出来る限りのことを書かせていただこうかなぁ、と思います。

それをどのように受け止めるかは、皆様とYさんにお任せする事にします。




私達が生きている現実は、とてもリアルです。それが実は自分が作り出した「幻想」だと言われても、

あまりにパワフルで、日常的な様々な感情に押し流されてしまって、とても幻想とは思えませんよね。

精神世界では「愛」だ「光」だ「幸せ」だ、と言う表現がたくさん出てきますが、今苦しんでいる人にとっては、

「そんなの理想論だ」と思うでしょうし、「今の現実を見たくないから、逃げているだけだ」と逆に

そう言う人たちを「現実逃避」の人間だと思うのも頷けます。

そんな圧倒的な現実の中で、自分自身の中を見つめる、原因を見極める、と言うのはとても大変な作業です。

「見つめたくない、自分は悪くないんだ」とエゴも邪魔をしますし、「こんな事やっていても無駄だ」

「結局何も変えられないんだ」と諦めさせようともします。

それでもやはり、原因は自分の中にあります。それはどんな場合でも例外はありません。

全ての現象には必ず「理由」、「原因」があります。それが宇宙の法則だからです。

ですので、Yさんの場合、旦那さんが「私を非難し馬鹿にするような言い方をします」と言うことでしたので

Yさんが旦那さんに対して非難する気持ち、馬鹿にするような気持ちがないか、自分の中を確認してください。

Yさんと同じように、旦那さんにも「エゴ」があります。その「エゴ」が、Yさんから何か「攻撃されている」と敏感に感知して

これ以上攻撃されないよう「防御体制」を取っているんです。

それがYさんに対して「非難し、馬鹿にする」態度となって現れている。

そうやって相手を攻撃しながら、自分を守っているんです。

(ですので、旦那さんも自分の存在に確信が持てない、自信がない、だから非難されたくない、馬鹿にされたくない、

他人に認めてもらいたい、と言うエゴの働きがあるんですね。彼も不安や恐れを抱いている、

と言うことなんです。Yさんと同じで。そう思うと、少し気持ちに余裕が出てくるのではないでしょうか。)



Yさんが旦那さんと「同じ事をしている」訳ではなくても、Yさんの中に「非難する気持ち」「馬鹿にする気持ち」があると、

どうしても言葉や行動の端々からそれが現れてしまいます。

Yさんは旦那さんの事をどう思っているのか、一度考えてみてください。

心から旦那さんを愛している、と言えるのか、もしそうでなければどうして愛してないのか。

旦那さんに対して不満に思っていることはないか、もしあるのならそれは何か?

どの部分に対して不満があるのか?自分は旦那さんに何を求めているんだろう、どうして欲しいんだろう、と。

その浮き上がってきた部分が、Yさんの中にあると言うことなんです。

ですので、Yさんはまず「自分の中を隅々まで探る」ことをして欲しいんです。

それは「内観」とも「自己探求」とも表現されるものですが、自分の意識の「フィルターの汚れ」が

何なのか、何がこの結果を招いているのか、一度じっくり自分と向き合ってみてください。

私達は他人のあら捜しは得意ですが、自分のこととなると主観が入ってしまい、中々じっくりと向かい合う事ができません。

ですので、この世に「他人」がいるんです。

自分自身を見つめられない私たちの為に、「ほら、これが君の中にあるものだよ」と

わざわざ表に出して分かりやすく見せてくれているんです。

そうでなければ一生、気付かないケースの方が多いと思います。



今の旦那さんと結婚したのは、それが恋愛結婚であれ、お見合い結婚であれ、「その時の自分」が

「引き寄せた人」ですし、結婚しようと自分が「選択した人」でもあるんです。

そう言う意味で、自分に責任がある。

(もし旦那さんと結婚して「失敗した」と思っていたとしたら、自分の選択が間違いだった、

自分の選択に責任を持っていないことになり、同時に現在の自分を否定していることになるんです。

「今の自分の人生は間違いだ、失敗だ」と。

大切なのは、今の人生がどんなものであれ「ありのままに受け入れる」こと。

拒否したり、抵抗しても問題は解決できません。

そして、私達はついつい失敗したくない思いから、どれが無難な道なのか、最良の道なのか迷います。

ですがどんな道を選んだとしても、間違いなんてないんです。

多少遠回りすることになっても、その時の自分に必要な学びがあります。)


意味のない出会いもないですし、意味のない結婚もありません。

今のこの問題がそのまま、Yさんの「学び」なんです。

自分の目の前にある問題は、必ず乗り越えられるものです。

決して今の自分に解決できない問題は起こりません。それも宇宙の法則の一つです。

ですので、今何か問題が起こっていると言うことは、絶対に解決できる、と言うことなんです。

今どんなに「ムリだ」と思うものであっても。



非難されるのはとても辛いものですし、家族皆から、と言うのは孤立した感じがして、本当に寂しいですよね…

「愛」の所で書いたように、家族に心から愛されたいと思うのなら、

自分から先に心から愛さなければなりません。エゴの愛ではなく。

しかし、自分を愛せないままの状態で、頑張って人を愛したとしても、その内自分の「愛エネルギー」が枯渇してしまいます。

「やっぱり私だって人間だ、愛されたい!」と思ってしまいます。

見返りのない愛を与えることが、自分だけが損をしている気になってくるんです。

ですので、人を愛すると言う事は、自分を愛していなければできない、と言う事なんです。

自分が相手に対して、ああして欲しい、こうして欲しい、と要求ばかりしてないか振り返ってみてください。

相手を変える事は、決してできません。

ですが、自分の意識をすぐに変えることも難しい。

自分を第三者的に常に観察しながら、自分の中にある「フィルターの汚れ」を見つけては受け入れ、

手放しつつ、自分自身を許して、愛する。

これを続けながら、旦那さんに対して、お仕事いつもお疲れさま、と労いの言葉をかけたり、

いつもありがとう、と感謝の気持ちを伝えてみてください。

(本当に、男の人が社会で働くのは大変ですもんね。)

何かしてくれたら、「当たり前」だと思わずに「ありがとう!」と少し大げさでもいいので感謝する。

仕事から帰って来たら、「おかえりなさい!」と笑顔で玄関でお迎えする。

疲れてるでしょ?と肩を揉んであげたり、とか。

日ごろから感謝の気持ちをどんどん伝えてください。他愛ないことですが、「笑顔でいること」も

大切です。案外、無意識なときって顔がむっつりしてしまっている場合が多いんですよね。

気付いた時に口角を上げる程度でもいいから笑ってみると、結構明るい気分になれたりします。

あとは、シリアスになり過ぎないこと。問題を重く考えすぎないこと、ですね。

大丈夫!絶対何とかなる!と口に出して言ってくださいね。

(自分や周りにもよい影響を与える「プラスエネルギー」を上手に取り込んで行ってください。)

そして今はエゴに支配されていて分からないかもしれませんが、本当の自分は「愛」の存在なんだ、そして

常に愛されているんだ、愛される価値のある人間なんだ、と言うことを忘れないでください。

(これは本当にそうです。断言します。)

どんなケースでもやはり、「自己探求」、自分の中を見つめる事が必要なんですね。

お役に立ったかどうかは分かりませんが、言葉に責任が持てる範囲の出来る限りの事は書かせていただきました。

どう受け取ったのか、どうするかは、Yさんにお任せします!

絶対にこうしなければならないことなんて、一つもないですから。

でもこの期間は、本当にとても辛く、苦しいものです。

エゴと本当の自分の間を行ったりきたりし、「ムリだ」「もう嫌だ」「本当の自分に戻りたい」

「これが現実だ」「愛されたい」「真実があるはずだ」と頭の中がごちゃごちゃと混乱し、疲れ果てます。

誰も助けてはくれませんし、自分との戦いになります。

ですので、シリアスになり過ぎないで気分転換しながら、なるべくリラックスできる環境を心がけてくださいね。


私からは、以上です。何かのヒントになれば幸いです。ありがとうございました!




 ←貼るの忘れてました!!(はわわ)




願いを叶える2

2008-12-07 | その他
みなさん、こんにちは!

今日もよい天気で気持ちのいい日曜でしたね~



さて、今日も昨日に続き「願いを叶える」について書きたいと思います。

昨日触れた「無意識」の領域。それは私達の「顕在意識」即ち「脳の働き」ではどうにもできない部分です。

今まで私達がすっかり「忘れた」と思っている記憶や、感情など、全てこの領域にあります。

例えば、怒りなどの感情が起こった時、私達はついついそれを抑圧してしまいます。

なぜなら「怒りをストレートに表現するのは子供っぽい。大人とは、感情をコントロールできるものだ」

と言う思い込みもあるし、人間関係を円滑にする意味でも、「怒りを感じている自分」をごまかして

どこかに押しやろうとします。そしてその内忘れてしまうので、その感情が消えてしまったんだと勘違いします。

しかし、解消されなかった感情は、「無意識の領域」でずっと残り続けているんです。

「怒り」の感情が解消されないまま、自分が気が付かない所でずっと「怒り」の炎を燃やし続けていることになるんです。

言ってみれば、解消されない限り、ずっと「怒り続けている」のと同じことなんです。

そして事あるごと、なにか「怒り」を感じる出来事があると、その解消されないまま残った「怒りの炎」

が敏感に察知し、再び勢い良く燃え出します。

最初はそんなに怒っていなかったのに、もしくはそんなに怒るような大した事でもないのに、

自分の「怒り」の激情に押し流されて、手がつけられなくなったことはありませんか?

そう言う時は必ず、「ちょっと怒り過ぎたな」と後味の悪い思いがするものです。

私達はそうやって、感情をごまかして無意識の領域にどんどん放り込んでいる訳なんです。

それがずっと続いていくと、「心」に変調を来たすようになり、最後には「体」にも「病気」として現れてきます。

私達は人間ですから、怒ったり悲しんだり、人を羨んだり、妬んだりいわゆる「良くない」感情を抱くのも当然です。

聖人君子ではないんですから。確かに自分が成長していくに従って、そう言う感情を抱く事が少なくなり、

より自由にはなれますが、それでもやっぱり怒りを抱く時は抱きます。

大切なのは、「今その感情が自分にはある」とそれをちゃんと認めること。

私達はいつも「よい人」であろうとしますから、つい「こんな感情を抱くなんていけないことだ」と

それを打ち消したり、拒否したり、ごまかしたりしてしまいます。

そして自分は「出来た人間なんだ」と思い込む。

それが一番、恐いことなんです。そうせずに、ちゃんとその感情と向き合ってください。

と言っても…頭や心の中で「あいつ、ムカツク~!なんでいつもああなんだろ!?」

と怒りをぶちまけて終わり、と言うのでは、その場で相手に怒りをぶちまけるのとそう変わりません。

なるべく一人になれる場所で、その感情を味わう。(なぜなら私達の抱く意識や感情は、

周りにも伝わります。怒りの感情を抱くことは無自覚な「公害」になってるんですね~)

怒りや妬みなどの感情は「マイナスエネルギー」なので、それを発散させてそのままにしておくと、

宇宙の法則からその波長にまた、「怒り」「妬み」が引き寄せられてきます。

最後には必ず「プラスエネルギー」で相殺することなんです。

それが自分に対してと相手に対しての「許し」であったりその感情に気付かせてくれたという「感謝」であったり。

そうやって抱いた感情は引きずらないことが大切です。

その日、その日で解消してしまう。そうすると、自分の感知できない無意識の領域に

「感情のゴミ」が溜まっていくのを防ぐことができます。

これは「怒り」を例として挙げましたが、どの感情でも同じです。



え~またまた脱線してしまいました!!

無意識は無意識でも…願いを叶える、無意識の領域の話でしたよね!

いやぁ~毎度毎度…おほほほほ

ではキリがいいので、今日はこの辺で…

今日も読んでくれてありがとでした


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願いを叶える

2008-12-06 | その他
↑行ってきました!東京の片隅から出発して藤沢市まで!往復約60㎞走行制覇しましたぁ~(証拠写真)

うう…死ぬかと思った…日ごろ運動しないアタクシにとって…もう何と言うか…試練?
太ももが…太ももが…上がりません!!行きはヨイヨイ~♪帰りは…ってな感じで…

最後の方は、おじいちゃんのママチャリにも抜かれてしまう始末…

まぁ子供の三輪車だけには抜かれまいと死守しましたケドね!(←意地になってる時点でもうダメダメ…




さて、今回は願いを叶える方法について。

願いをかなえる。これは精神世界に興味がない人でも、ここだけ切り取った本がたくさん

出ているので、知っているかもしれないでですね!

願いを叶える…いい響きです…

以前も書きましたが、私達は誰しも「魔法のランプ」を持っています。

それも「願いは3つだけ」なんてケチくさいことは言いません。

多少、条件はありますが、無限に願いをかなえてくれます。

言ってみれば、今自分がいる場所が、願いが叶った結果なんですよね!ふふふ。

今の自分、或いは今の自分の環境に不満がある方は「なぬ!」と思ったかもしれませんね。

しか~し!!もれなく、今の不満の環境は、自分が「願った」もの、そしてその願いが「叶えられた」ものなのです。

自分が願わない人生を生きることはできません。これは宇宙の法則からも不可能なこと。

私達には唯一の「自由」の権利がありますので、自分の「許可」「同意」なしに、

他人が勝手に人生を操ることは決してできないんです。

同時に、私達も勝手に他人の人生を操る事もできません。

神様さえ不可侵の「個人の尊厳、個人の自由」があるんですね。



さて、もう一度いいますよ~!今現在の自分は、自分の「願いが叶った結果」なんです。

さあ、ご説明しましょう。

私達の本当の自分は「魂(意識体)」ですよね。感じたり考えたりする意識そのもの。

そしてその意識を通して外に(宇宙に)発したものは、全て自分に返ってくる法則があります。

それが願いを叶える法則です。

例えば「お金持ちになりたい!」と常に思っていたとします。

「お金持ちになりたい!」と言う意識が、常に宇宙に発せられている訳ですね。

さあ、どうなるか。お金持ちになれるのか!?


結果は…「お金持ちになりたいと願っている、お金持ちではない自分」がどんどん現実化されます。

なぜなら、「お金持ちになりたい」と言う意識は、訳すと「お金持ちではない」と言うことになりますから、

もちろん宇宙はその願いを聞き届けてくれます。

実際、今お金持ちではないから、お金持ちになりたいんですもんね。

ですので「お金持ちになりたい」と願っていながら、決してお金持ちにはなれない現実がやってくる訳なんです。

ね?ある意味願いが叶ってますよね。

ですのでこの場合は、「お金持ちになりたい自分」ではなく、「もうすでにお金持ちの自分」

(満足している意識)を宇宙に発しなければならないんです。

毎日、私達は「不足」している部分にばかりに注目して、常に「足りない」と

言う不満の意識をもっています。

それがどんどん宇宙に届き、どんどん現実化されてるんです。恐ろしいですよね!

でもこれにも、ちょっとした「落とし穴」があります。

意識、と一言で言っても、私達には2つの意識の「層」があります。

皆さんもうご存知だと思いますが、「顕在意識」と「無意識」です。

私達が普段「意識」と呼んで感知できているのは「顕在意識」です。

「オーケー、分かった。じゃあこれからお金持ちの自分を思い描くようにするよ!」と

お金持ちの自分を常に意識したとしても…私達には「無意識」と言う壁が立ちはだかっています。

よく耳にする表現だと思いますが「顕在意識は氷山の一角に例えれば、海面から出ている

ほんの少しの一部分で、殆ど海面下に沈んでいる部分、それが無意識の領域だ」と。

ですので「顕在意識」で「自分はお金持ちだ」と思いこむようにしても、私達が全く感知できない

「無意識」の部分で「やっぱりお金がない…もっと欲しい」と思っていれば

無意識の領域の方が断然大きいので、そちらが優先されて宇宙に届いてしまう訳なんです。

何かを買う時や、何か支払わなければならなくなった時、「あ~お金がない」と無意識に思いませんか?

ですのでこのコツは、「意識、無意識の領域全てで」「お金持ちだ」と思うことが必要なんです。

平たく言えば「心から」もしくは「感情を伴う」と言うことです。自分を100%信じること。

どこかで「そんなのムリだ」と言う気持ちがあれば、願いは叶わないんですね。



ですので、生きることは何を為すか、ではなく「意識の在り方」、「どう在るか」なんです。

日ごろから不足、不満ばかりの意識でいるのか、今あるものに目を向けて満足、感謝の意識でいるのか。

どちらで生きるのも私達の自由です。



ちょっと長くなってしまいましたので、続きは次回にしますね!

今日も最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました

あぁ…全身筋肉痛が予想される日曜ですが…(ガクガク、ブルブル

ミナサマにとっては、よい一日でありますように!


 ←筋肉痛が治りますように…(え!?ムリ?)