goo blog サービス終了のお知らせ 

☆Rainbow Light☆

日々の徒然日記。最近は日本の現状を綴っています。

名刺

2009-09-30 | その他
こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ~。昨日のうそこメーカー。

あまりに面白くてまだ引きずってます。最後に!これだけ載せさせてくれぇ~!

名刺版を見つけちゃいました!



…さわらは下ネタから抜け出せないのか…!?



ゆ、夢の中だけ…!?横の「家」と言う文字が何だか物悲しい…



うん。知ってた。(爆)



本当の名前ぐらい教えるわよ!ってかその前に自分の本名!!
ふじこーが名字で、不二夫が名前なのか、それとも峰が名字で不二子が名前なのか…それが問題だ!!なんつて(笑)




な、なんか強そう…「情」の文字にヤラれるワ…(笑)


あ~面白かったぁ!!
これ、ホント笑えますね!!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


座右の銘

2009-09-29 | その他
こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


いやぁ。


さっき黒斎さんのブログ遊びに行ったらさぁ…

「座右の銘」メーカーの記事だったんですよね。


で!!これが載っていた訳です。



_(*_ _)ノ彡☆ギャハハハ!!バンバン!!


なに!なにこの微妙なハマり具合!!
否定できないわ…この微妙さ…

こりゃ面白そう!!!ってんで…こちらでもやってみました。



あははははは!!いつも言ってることじゃないスか!!!

これ…意外にいけるわぁ~…

で、本名でやってみたら


「直視できない太陽より 君が見つめる月になりたい」(←姓と名の間にスペース入れず)

「愛されるよりも 愛したいマジで」(←姓と名の間にスペースあり)


あはははは!面白い~!!いやぁ。これ座右の銘にしよう!マジで(笑)


ついでに飼っている犬も…

  


おおおおお!すばらしい…!お、お前そんなことを思ってたのかい!?…ソンケー!(笑)




そして極めつけが!!




あははははは!何!?何の勧誘!?お、おそろし~~!(笑)


あ~面白かった!あまりの面白さについつい記事にしちゃった☆

さんきゅ~さんきゅ~!


みなさんも大笑いしてみてくださいネ~!

本日(も)乗っかり記事でお送りしました~!


おまけ

 

↑セクシーボイス!!(笑)しかし安っ!!




↑あはははは!!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆




PS.ミナサマに朗報です!!










おまけ(笑)お笑い担当、出動!











今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


抜粋の巻!再び

2009-09-12 | その他
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


今日は日が変わった途端の、めちゃめちゃ早くの更新です!

いやぁ。昨日書いた「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」の本。
これこれ。↓

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
エックハルト・トール,Eckhart Tolle,あさり みちこ,飯田 史彦
徳間書店

このアイテムの詳細を見る



「ニュー・アース」と内容的には共通しているんですが、さらにピンポイントで、かゆい所に手が届く表現で書かれているなぁ、と感心しきりです。
やっぱり、一般の人の素朴な質問に答えるって形式だからなんでしょうね!

あ~こう書けば分かりやすいのかぁ~とか…
ホント、私の分かりにくい説明より、この本を読んだほうが早い!
勉強になります。

紹介したい箇所が山ほどあるんですが、これから読まれる方もいらっしゃるかもしれませんので、ちょっとだけ!にしときます。

またまた抜粋の巻!(え!?手抜きじゃないデ~ス!)



※※※※※


(思考から時間を切り離すなんて無茶だ、と言う問いに、「時間は幻だとさとることです」「過去も未来も幻」なんですよ、と答えた後からです)




問い:そんなことを言ったって、時間の概念なしに、どうやってこの世界で生活していけるんですか?未来がなければ、目標に向かって努力することがなくなります。過去がなければ、自分があれかも分からないじゃないですか。
過去があるからこそ、いまのわたしが存在するんです。人間にとって時間はすごく貴重なものです。


答え:時間は、ちっとも貴重ではありません。
時間は幻だからです。あなたが貴重だと感じているものは、実は時間ではなく、時間を超えた「ある一点」すなわち「あるひとつの時」です。

それは「いま」です。

「いま」こそが、ほんとうにかけがえのないものです。

時間に、つまり「過去と未来」に焦点を当てるほど、もっとも貴い「いま」を見失ってしまいます。

なぜ「いま」が一番貴いのでしょう?答えは至極簡単。
それが「唯一のもの」だからです。

存在するのは、それだけです。
永遠の「いま」こそが、わたしたちの人生のすべてが繰り広げられ、内包された空間であり、唯一の現実です。

「いま、この瞬間」が人生なのです。

人生は「いま」です。

わたしたちの人生が「いま」でなかった時など、これまでありませんでしたし、未来永劫ありません。

わたしたちを、思考の世界から超えさせてくれるのは、「いま」という時だけです。

「いま」だけが、時間とかたちのない「大いなる存在」につながれる唯一の時です。



問い:過去も未来も、「いま」と同じぐらい現実じゃないんですか?
いえ、ことによっては「いま」なんかより、はるかに本物のように思えることだってあります。
だって、わたしが誰なのかを決めるのは過去だし、現在の行動やものの見方、考え方にも影響を及ぼしています。
さらに、未来のゴール次第で、現在撮るべき行動も決まってくるんですよ。


答え:まだ、わたしの説明したことを掴んでいないようですね。
きっと頭で理解しようとしているからです。

「頭脳」は、この事実を理解できません。

理解できるのは「あなた」だけです。

どうか、よく聞いてください。

いまだかつて「いま」以外のときになにかを経験したり、おこなったり、考えたり、感じたりしたことがあるでしょうか?

これからもそうすることがあると思いますか?

「いま」以外の時になにかが起きたり、存在したりすることは可能でしょうか?
答えは言うまでもありませんね。


過去には、なにひとつ起こっていません。
起こったのは「いま」です。

未来には、なにひとつ起こりません。
すべては「いま」起こるのです。


わたしたちが過去だと思っているものは、頭に保管された、かつての「いま」の記憶の断片にすぎません。

わたしたちは過去を思い出すとき、記憶の断片をよみがえらせています。
それを行うのは「いま」です。

未来と言うのは思考がつくりだした、想像上の「いま」です。

未来がやってくるときには、「いま」として経験されます。

未来について考える時、わたしたちは「いま」行っているのです。

過去も未来も、それのみでは、現実にはなりません。

過去と未来は、ちょうど月にたとえられます。

月そのものは、発光体ではありません。

太陽の光を反射して、はじめてかがやくことができます。

同様に、過去も未来も「光」であり、「パワー」であり、「現実」であり、「永遠」である「いま」のおぼろげな影でしかないのです。


わたしがここで説明していることは、頭で理解できる類のものではありません。

これを把握した瞬間、思考から「在ること」へ、時間の世界から「いま」へと、意識の変化が起こります。

すると、すべてのものが、生命力にあふれ、エネルギーを発し、「大いなる存在」と繫がっているのが、はっきりと見えてくるはずです。


※※※※


偉大な禅僧の臨在は、弟子達が時間にとらわれていると、指を挙げてゆっくりとこうたずねたものでした。

「『いま、この瞬間』に、いったいなにがかけていよう?」

頭で考える事ができない、このダイナミックな質問は、相手の注意をことごとく「いま」にひきつけることを意図したものです。
これに似た禅の言い回しに「いまでなければいつ?」というものがあります。


※※※※


「さとること」は「思考を超えること」


「さとり」とは「すべてがひとつであり、完全である」と言う境地にいることです。

それゆえに、「すべてとつながっていること」なのです。
さらに、平和に包まれています。

目に見える、「かたちある世界」はもちろん、自分の内奥にある、目には見えない「大いなる存在」と、ひとつになっていることです。

「さとり」とは、心の葛藤や、人との摩擦がなくなることだけを、意味するのではありません。
さとりをひらくと、もう自分の思考に、振り回されなくなるのです。



※※※※※


とにかく、この本でも「いまここに在ること」を再三言っています。

様々な問題は全て「いまここ」と敵対している、或いは「いまここ」からどうにかして逃げようとしている「思考(エゴ)」が引き起こしているんですね。

この本に書いてあることは目新しいものではなく、もう何度も聞いたことがあるものばかりでしょうが、それゆえに「思考」で解決しようとしていたり、自分が忘れがちになっていることを改めて教えてくれます。

自分自身が「いまここ」に在り、「大いなる存在」と繫がっていること(同時に自分が大いなる存在であること)を実感することより他に、優先することはないんですね。

「いまここ」に在って、目の前の「あるがまま」の現実を受け入れながら、自由に生きること!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆



The Power of NOW

2009-09-11 | その他

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


突然ですが!

今、「ニューアース」を書いたエックハルト・トール氏の前作、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」を読んでいます。

これこれ↓

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
エックハルト・トール,Eckhart Tolle,あさり みちこ,飯田 史彦
徳間書店

このアイテムの詳細を見る



邦題はイマイチなんですが(笑)、原題は「The Power of NOW」と言うそうです。

「ニューアース」と違って、質疑応答式で書かれています。

もう読まれている方、ご存知の方も多いかもしれませんね!

これまだ最初の方しか読んでないんですが、イキナリぐぐっとつかまれたので、ちょっとそれを抜粋したいと思います!

※※※※


問い:「さとる」って一体どういうことなんですか?

答え:30年あまりも道端で物乞いをしている男がいたとします。ある日のこと、通りかかった人に野球帽を差し出すと、お決まりのせりふを口ごもりながら言いました。

「あわれな物乞いにお恵みを」

通行人は答えました

「あなたに差し上げられるものは、私にはありません。ところで、君が腰掛けているその箱はなんですか?」

物乞いは、思わぬ質問に、とまどいました。

「この箱ですか?なんてことのない、ただの古ぼけた箱ですよ。わたしは、ずっと長い間、こいつに腰掛けているんです」

そこで、通行人は、たずねました。

「箱の中を開けてみたことはあるのかい?」

物乞いは笑いました。

「いいえ、開けてみたことなんか、ありませんよ。そんなことをして、なんになるんです?どうせ中身は空っぽですよ」

通行人はうながしました。

「とにかく、一度開けてごらんよ!」

物乞いは、いままで座っていた箱のふたを、面倒くさそうに開けてみました。
すると、びっくり仰天!
なんと、空っぽだと思い込んでいた箱には、黄金がびっしりと詰まっていたのです。
物乞いは大喜び!

わたしは、このお話の中の、通行人のようなものです。
あたなになにかを「与える」わけではありませんが、その代わりに「箱を開けてごらんなさい」とうながしているんです。
ここで言う「箱」とは、「あなたの内面」と言う意味です。

あなたはきっと、「わたしは物乞いなんかじゃないですよ!」と、反論なさることでしょう。

そかし、莫大な財産に恵まれていたとしても、まだ「大いなる存在」の輝きと、心の平安と言う「真の富」を手にしていない人は、物乞いと同じようなものです。

そのような人たちは、自分の外側に、むなしい快楽や満足感を求め、自分の存在価値や愛情を探しているものです。

世界が与えてくれる、どのようなものとも比較にならないほど素晴らしい宝物が、自分の中に眠っていることに、まだ気付いてないからです。

「さとり」と言う言葉を聞くと、わたしたちは「聖人君子のみが達することの出来る超人的な心境」だとか「自分のような凡人には縁のないものだ」と言った先入観を抱いてしまいがちです。

しかも、あなたのエゴ(自我)も、あなたがそう解釈することを望んでいるのです。

しかし、真実は違います。

「大いなる存在とひとつであること」そして「この状態を保つこと」こそが「さとり」なのです。

一見すると矛盾しているようですが「大いなる存在」は、本質的に「あなた自身」であると同時に「あなたよりもはるかに偉大な存在」なのです。

それはあなたという人間の名前や外見を超えた「ほんとうの自分」を見つけ出すことである、ともいえるでしょう。

この一体感を感じることができないと「自分をとりまく世界から、自分は切り離されている」という、幻想が始まります。

そして、自分がぽつんとこ孤立した、ちっぽけなかけらのような存在にすぎないかのような、錯覚に陥ります。

すると不安が頭をもたげるようになり、周囲との不和や心の悩みが日常茶飯事になってしまうのです。

わたしは、ブッダによる、大変簡潔な「さとり」の定義が気に入っています。
それは「さとりとは、苦しみの終わりである」というものです。

この定義ならば、超人的な感じがしないと思いませんか?

ただし、これは定義としては不完全です。

なぜなら、「さとりでないもの」について語っているにすぎないからです。

それでは「苦しみ」が取り除かれた後に、何が残るのでしょうか?

ブッダはこれについて、沈黙しています。

ブッダの沈黙は「さとりの正体は、自分で見つけ出すべきですよ!」というメッセージを、含んでいるのでしょう。

わたしたちが「さとり」のことを「凡人では到達できないゴールなのだ」と思い込んでしまわないように、わざと、定義を未完成なままにしておいたのです。

しかし、ブッダのこうした配慮もむなしく、多くの仏教徒は「さとり」とはブッダのためのものであり、「自分たちには恐れ多いものだ」と感じています。

少なくとも「あの世」に行くまでは、「さとる」ことなど無理だと考えてしまっているものです。



※※※※


まだ最初の方なんですが、これはホントに「The Power of NOW」のままで出してほしかったなぁ…

エックハルト・トール氏が真実を知るに到った(悟った)「きっかけ(体験)」も最初に載っていて興味深かったです。

「いまここ」にあることの大切さが、あますことなく書かれていますし、私たちの殆どが抱くであろう「素朴な疑問」も網羅されています。
で、その問いに対する答えもなるほど~なものばかりです。スゴイな~。

読破するのが楽しみっす!

この本に書いてあることも、「ニュー・アース」に書いてあることも、特別なことではなく私たち全員が自分自身で「実感」できるものなんです。

外側の知識を一通り見聞したのなら、次は「実践」です。
自分で実感すれば、頭で「これは正しい意見なのか?間違っているのか?」と考えることに意味がないことが分かりますから。



ちょっと長くなっちゃいましたが、抜粋の巻!でした~!


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


伝えたいこと 2

2009-08-12 | その他
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


今日は朝から待望の、1/1スケールで立ったお台場のガンダムを見に行っていました!

炎天下の中、汗だくになりながら、ものすごい人混みにも負けず、ガンダムの写真を必死で撮っていた(バカ)二人。

…と、思いきや、周りはそんな人でいっぱい!
限定グッズを買うにも、足の下をくぐるにも、東京ディズニーランド並みの待ち時間。(炎天下で)

さすがにぐったりでした~!


と、今日はガンダムネタの記事を載せようかと思ったけれど、コメントを読んでちょっと思うことがあったので、それを記事にさせていただきます。

ここでもう一度、このブログの「主旨」を明確にさせてください。

「地に足を付けて、現実世界を楽しもう」

この地に足を付けて、と言うのは、「目の前の現実を見よう」と言うことです。

私達は「いま」にしか生きられません。

そして私達の「いま」は、人間としてこの3次元の地球で生きている、と言うことです。

「いま」の現実、「いま」の自分…それを見つめることなく、分かることなど、何一つないんです。

ですが、昨今のスピリチュアルブームにより、今の自分から逃げるため、目の前の現実を見たくないがために、自分に都合のよい「情報」だけをチョイスして、そこに逃げ込む人も、また多いんです。

その一つが「過去世」だったりします。

今の自分が特別でないこと、普通の人間であることに耐えられず、「過去世」で生きたすばらしい人生を、自分のアイデンティティにしてしまう、と言うことがよく起こります。

そこで果たせなかった夢をここでやり直そうとしたり、自分は特別な存在だと思い込んで、人々を導こうとしたり。

人を救おう、人の為に、とやっていることであっても、簡単に自我の餌食になってしまうんです。しかも、「人の為に」と言う大義名分があるぶん、分かりにくかったりします。

ある次元から見れば確かに、「過去世」は誰にでもあるものです。
しかも多種多様、多次元に渡る。
それをを信じるのがダメだ、と言うのではありません。

それは、自分の一部が体験した物語です。
でも、終わった物語。たとえ終わっていなくても、「いま」を生きることによって、傷を癒し、終わらせることができるんです。

それを「いま」に持ってきて、「自分」にしてしまってはいけない。
それらを分かった上で、数多くの物語を懐かしむことは、いいと思うんです。
私も好きです。
(阿部さんは、そう言うことを言ってらっしゃるんだと思います)


現実は意識の映し鏡です。

どんな使命があろうが、役割があろうが、目の前のことを集中してやっていると、おのずと、自分の前に道が現れます。

それをまた、一生懸命やっていくだけなんです。
そう言う意味では、みんな「特別」。と言うことは、誰一人「特別ではない」と言うことなんです。

で、その現実世界を支えているのが、いわゆる「精神世界」、意識ですよね。

「いま」の現実世界をしっかりと生きる為に、精神世界の叡智がある。
目覚めることができたら、それを利用して、この現実のゲームをとことんまで楽しむこと、なんです。

現実世界(自分自身)を見つめる→精神世界の叡智を知る(気付く、目覚める)→精神世界の叡智を使いながら、現実世界を生きる(二つのバランスを取る)

…と、言うのが、このブログの主旨なんです。


ですので、このブログで記事についての意見を自由に述べていただくことには、全く異論はありませんし、いや、自分はこう思うんだ、と言う反論もあるでしょうから、それもおおいに書いてくださって構いません。

けれども、自分が「悟った」と述べた上で、このブログの記事の内容とは関係ないなく、「主旨」とは異なる方向性の「メッセージ」を展開するのであれば、話は少し変わってきます。

一つのブログで、二つの方向性の違うメッセージが載ってしまうことになるからです。それは私の本意ではありません。
「悟ったらそうなるんだ、そう思うようになるんだ」と、読者の方を誤解させたり、混乱させることにもなります。

もちろん、このことについては、異論、反論、批判があるとは思います。
それは承知の上です。

けれども、誰に何と言われようとこのブログの「主旨」についてだけは、譲れないものなのです。
私がイチバン、伝えたいことだから。

スピリチュアル、と言う上辺の情報に惑わされて欲しくない、その奥に「真実」があるんだ、ってこと。

ですので、これは私からの「お願い」なんです。
強制ではありません。承諾してもらえない、と言うのであれば、仕方がないと思っています。

私は真実は、とてもシンプルだと思っています。

何か勉強しなければ、理解できないものだとは思いません。
ずっと目の前にあり続け、あまりにシンプルなので見過ごしてしまっている私達が気付くのを、ずっと待っています。

誰でも、気付ける。それに気付いて欲しい。

もちろん、全員に賛同していただけるとは思っていません。
ただ、自分の思うことを、伝えたいことを、書き続けていきたいと思っています。

とても日常的で、とても身近な視点から。
そして当たり前の毎日から。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


アメリカと原爆

2009-08-07 | その他
こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


こないだテレビを見ていたら、アメリカの原爆博物館の番組をやっていました。

いつもちらちらとしか見ていないので(旦那が見ている)
あんまりハッキリとは覚えてないんですが…


その博物館の中に、堂々と広島と長崎に投下された原爆のレプリカ(原寸大)が展示されてありました。

それだけでもかなり驚いたんですが、その他、広島に投下された時に上がった「きのこ雲」を撮った大きなポスターや、その写真がプリントされたTシャツ、キーホルダーが売られているんです。

アメリカ人に取っては、それらは「勝利の象徴」なんですって。

日本人のレポーターが、店員にインタビューして彼が答えた内容が

「原爆は、戦争を早く終わらせる為に投下されたんだ。結果、早く終わっただろう?犠牲者の数だって、あの後続けていたら、あんなもんじゃ済まなかったさ。日本にとってもよかったんだよ」

だって!!!

認識の違いとは恐ろしい…あまりの発言に、ぱか~っと開いた口が塞がりませんでした。

でも、ちょっと前の中国や北朝鮮や韓国の反日教育みたいに、小さい頃からそう言う教育を受けていれば、疑いもしないんだろうなぁ…

謝って欲しいとは思わないけど、亡くなった方々にもちっと配慮した言葉を選んで欲しかったなぁと思った。

でもオバマ大統領が初めて、核を保持している国で唯一、核を使った国として、道義的責任がある、と認めたのは嬉しかったです。

何かが変わる、きっかけになればいいなぁ。

世の中は「風が吹けば桶屋が儲かる」式に動いてますもんネ。


PS.↑つまり、

1.大風で土ぼこりが立つ
2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える
3.盲人は三味線を買う(当時、三味線は盲人が弾いた)
4.三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
5.ネコが減ればネズミが増える
6.ネズミは箱(桶)を囓る
7.箱(桶)の需要が増え箱(桶)屋が儲かる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆



思ったこと

2009-08-04 | その他

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!

いやぁ。

昨日は大変、お騒がせしました。

このブログは、黒斎さん経由でいらした方が多いと思いますので、一言お詫びをば…(訳が分からない人はゴメンナサイ

不快な思いをされた方も多いかと思います。

ホントはコメ欄に直接書きたかったんですが、また事が大きくなっては申し訳ないので…

あと、ぶっちゃけトークも!

ここを訪れる方は少ないですし!!


今日の朝、改めて思ったんですが、あれなんですよね。

私が最初っから質問者さんの「聞きたいこと」をちゃんと理解してなかったなぁ、って。

「あるがまま」の本質が何であるかを知りたいんじゃなくて、ただ「キーワード」としての「あるがまま」のカタチ、概要みたいなものを知りたかったのではないかと。

それを分からずに、あるがままの本質の説明をあれこれ色んな方向から展開しちゃったもんだから、相手が「はぁ?」ってなっちゃったんだろうなぁ。

途中、「こめ」さんのコメントで、なんとなく分かって来てたのに(←今日読み返して気付いた!スマソ…)アタシがややこしくしちゃってた!

反省。


そいでね。

ふじこーさんのコメントを見てハッ!としたのもあったんだ~

私も最後の方は、ちょっと「意地」になってやしなかったか!?
どうしても「理解してもらおう」って思ってなかったか!?って。

反省っす。

あんなすばらしいコメントが出来るなんて、ふじこーさんのファンになっちゃったっす☆ブラボー!

悟りとか覚醒とかより、人間として魅力的ってスバラシイ。

私も基本、ふじこーさんと同じスタンスで…黒斎さんのやっていることに賛同しているし、微力ながら応援したいって思ってるんですネ。

が、そのお節介精神が裏目に出ることも…!(←と言いつつ、自分がコメントを書いたことに関しては、何も思ってないんです。

書きたいことを書いただけですので、あとは受け取り手次第。
ただちょっと場の雰囲気を悪くしちゃったことに関して反省をしております)



いやぁ。勉強になりました。


黒斎さんの記事を読んでいるんだったら、きっとここら辺は「分かっているだろう」みたいに思ったもあったんですよね。

確かに傲慢って受け取られても仕方ないっす。


言葉って難しいですね!

同じ日本人なのになぁ。

通訳不可能性って黒斎さんも言ってたけど、お互い立っているベースが違うと、こんなにも通じないものなのか!?って思いました。

お互い向き合って、手持ちのカードを出して、「カード合わせ」をしているみたいなもんで…同じテーマなのに、お互い出すカードが全く違うんですよね。

ですので、何枚カードを出しても合うことはなく、それが根底にあるから、発展した話もまったくズレちゃうんですよね…



あぁパーマンのおでこタッチのスキルがほすぃ!!

あれがあれば、いっぱつ。なんつて。


このブログ、黒斎さんも読んでいるといいなぁ。お騒がせしてスミマセンでした。



あれなんですよね。

「リアルワールド」を体験した人(黒斎さん)の言葉しか聞かない、って言う条件と、きっと「答え」はこんなんだろう、と言う無意識の選別が重なって、そのストライクゾーンにあてはまらないものは全て「聞くに値しない」状態なんだろうなぁ。

そう言う所に気付きがあったりするんだけれど。
ゴミって切り捨てるのはもったいない…


でも…質問者さんの気持ちも分からなくもない…

ちょと前の自分も、同じように思っただろうなぁ、と。(←小心者なので、彼のようにハッキリキッパリ書けないだろうけど)


伝えるって一方通行のとこもあるので、

このブログを見て、不快になる人やさっぱり意味が分からないって人もたくさんいるんだろうなぁ。

心で毒づきながらも、静かにこのページを閉じてくださっている方たちもいるんですよね~。ありがたや…


今日は記事らしい記事じゃないけれど!一応、ケジメと言うことで…

…!
あ!何だか昨日「こはきゅ」さんからもらったコメントみたいになってましたね!今回。うはは。

ちょっとでもいいから分かって欲しいなぁ、って言う思いも、間違えれば時には暴力になるんですよね。

ホント、エゴって巧妙でやっかい(笑)

今のその状態が自己欺瞞なんだよ、自分だと勘違いしているエゴだよ、と言っても火に油を注ぐだけですもんね。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


幻と現実

2009-07-31 | その他

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。


さてさて。

昨日abcさんからコメントを頂きまして。

レスしてたら案の定めっさ長くなりましたので、記事にさせて頂きマッスル。

abcさんありがとサンキュー!


箱の中から出るには、手放す・・手放すには・・存在を信頼する・・信頼するには・・自分で作りながら、作らされた幻想と気づく事・・ん~ん~全部幻想と気づくまでは目覚めた人は、それなりの体験を積んできているのだろう・・・

そうすると、
ここでこうして、気づきつつある私も幻想なのだろうかね。?

人間は幻想の箱の中に居ると見ている、その「視点」が、その箱に人間を「閉じ込めている」ということはないのかな~

初めに、完全ありきなら、閉じ込められているという状態も完全に繋がる一コマでありもアリ

目覚めていようと、目覚めていまいと、無限に標準を合わせ続けて、皆がそっち方向に意識を向けている状態が本来の姿じゃないのかと我思う。

目覚めた人のその先は、、無いのでしょうか?
有るならば、より先の、体験の話を聞きたいな~




この世は「幻想」とか「夢」とか「ドラマ」とか…よく聞きますよね。

でもね。

もしいまの自分が「あぁ~この現実は儚い夢のようなものなんだなぁ~」って心の底から実感できてなくて…

「そうは言っても、この世はリアルだ!」と思っていれば、そっちを優先させてほしいなぁ、と。

でないと、「知識」だけで理解していると

「所詮、夢だもん」
「どうせ幻だもん」
「どうせ、自分もいないんだろ?何をしたって無駄じゃん」

みたいに、物事を斜に構えて見たり、五分の力でしか生きられないようになる危険があると思うんです。

確かにこの世は「夢」「幻」ではありますが、一方では「リアル」です。

いま私達がここで人間として「生きている」ことは、無駄なことではないんです。
ぜんぶ、必要なこと。

苦しみや悲しみや怒りや絶望を通して、喜びや愛や希望を深く理解しようと体験しているんですよね。

ただ、「ドラマ」や「ゲーム」を楽しんで演じている、プレイしているってことを、どこかで分かっていればいいと。

自我と一体化せず、常に離れているってことですよね。

常に「本当の自分」と調和して、「目の前のこと」に、100パーセントの自分で一生懸命生きていれば、おのずと分かってくると思います。

いまの自分がベストです。

ですので、abcさんが言うように、例え「閉じ込められて」いたとしても、それがベスト。

悪いことではないんです。

目の前のことや自分自身と向き合えば必ずそれに「気付き」ます。
それぞれの「必要な体験」があって、箱の中から出ることができる。

「箱の中で苦しんでいた」体験はその人にとって必要なことであり、とても貴重なんです。

なので、いまの自分を恥じる必要もないし、蔑む必要もないし、焦る必要もないんですよね!

abcさんが言っているように、目覚めていてもいなくっても、常に自分自身の「無限」の自分(神様)にチャンネルを合わせて、受け入れていけばいい。



>目覚めた人のその先は、、無いのでしょうか?

こ、これがちと分からなかったんですが…


え~と、目覚めても普通に人生は続きます。

怒るし、泣くし、悩むし、迷います。分からない事もたくさんあります。

人に嫌われる事もあるし、苦手な人だっています。

ただ、物事が良く見えるようになるので、自分からボールを投げなくなること、自分のやりたいことと、神様の意志が同じになるので、流れに乗れること、

物事をそのまま受け取れること、留まらないこと(執着しないこと)…かなぁ。

意識がクリアになりますよネ。肩肘張らずに自然体で居られるから、すごい楽。

楽しいこと、嬉しいことが増える。謙虚になる。

世界の存在がよりリアルに、より美しく感じる。

…こんな感じ?

答えになってなかったら、また言ってください!


一人ひとりがとても美しい、存在です。

ありのままのアナタが、美しい。

それを認めさえすれば、その美しさが外に出てきます。

本来の輝きを取り戻します。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆



グラン・ローヴァ

2009-07-29 | その他

こんにちは!今日も暑いですね!ご訪問ありがとうございます。


突然ですが!

私はマンガが好きです。(←前にも書いたような気が…)

大学生の時に買ったマンガで、以降16年間捨てられずに、ずっと一緒に「引越し」と言う何度もの難関を乗り越えているマンガがあります。

それが紫堂恭子の「グラン・ローヴァ物語」。

最近、読みたくなって読み返してみたら、いっぱい素敵な言葉があったので、書いてみようかなぁと思います。



この物語は、まだ星が出来てそんなに時を経ていない世界が舞台で、精霊や聖獣や妖魔たちがまだ人間と一緒に住んでいた頃のお話。

ま、いわゆる「ファンタジー」ですね!ロード・オブ・ザ・リングみたいな感じの。

でね。「グラン・ローヴァ」って言うのは「放浪の賢者」って言う意味で…

世界中の「賢者」が集まる「東の学舎(まなびや)」で、人間の叡智の極みを修めた賢者の長に与えられる称号なんです。

まさに賢者の中の賢者!!

で、「サイアム」と言う、ケチなサギ師をしている主役の青年が、旅の途中にひょんなことからこの「グラン・ローヴァ」と出会う訳です。

が!!

ハリーポッターに出てくる「ダンブルドア」みたいな、聡明で穏やかでいかにも
「ザ・賢者!!」な人かと思いきや!

ところがどっこい。自分が「グラン・ローヴァじゃ!」と名乗るおじいちゃんはまるで浮浪者。着の身着のまま、何も持たずに旅をしているんですね。
(ローヴァ(老婆)なのに、おじいちゃん!?って突っ込みはナシで!!)


サイアムも最初は信じられません。
「こいつ、俺と同業者じゃなかろうか…」と疑い、いろいろ質問する訳です。

豊かなのは都会だけで、田舎へ行けば自分のようにサギ師をしないと生きていけない人間が山ほどいる。それを助けるのが賢者の仕事じゃなかろうか!?などなど。

でもそのおじいちゃんは何も答えてくれません。

「釣りなら大家じゃぞ!!」と、のんびり釣りをしているんです。

怒ったサイアムが「東の学舎」で何を学んで来たんだ、と詰め寄ります。

おじいちゃんはのんびり答えます。

「そうじゃなぁ、強いて言うならいつも機嫌よく暮らすことぐらいかのぉ。怒るときは思いっきり怒り!泣くときは思いっきり泣き!笑うときは思いっきり笑う!それが機嫌よく暮らすコツじゃ!」

サイアムは、ガックリ、脱力…

噂の「大賢者様」は、物事に対する全ての「答え」を持っていて、それを教えてもらえるもの、と思っていたんです。

でもおじいちゃんは何も答えてくれないし、何も教えてくれない。
ただのんびりしているだけ。

何にも捉われず、何も縛られず、何も持たず。行きたい場所に行き、やりたいことをやり、目の前のことを楽しんでいる。

で、サイアムはおじいちゃんにくっついて、旅をすることにします。

そうしてなんだかんだあって、二人で旅をするうちに、人間が世界を歪めていることを知ります。。

人間は滅びるべき種族なのか、と悩むサイアムにおじいちゃんはこう言います。

「なまじ賢いから悩むんじゃ。ワシは何も考えとらん!思い悩むより、目の前の自分が出来る事をやるだけじゃ。」

「目の前にたくさんの道があるように見えても、落ち着いて自分が何をしたいのか、を考えれば、たいてい進むべき道は見えてくるものじゃよ。」

「わしらは旅の道連れじゃが、それぞれが自分の旅をしているんじゃ。
助け合うことはできるけど、決して同じ旅ではない。
それは仲間でも、一緒に住む家族でも恋人でも、同じことじゃよ」

「別にどんな馬の骨だって、誰だって生きてていいんじゃないかな?
わしらはよく魚や鳥を食べたけど、魚に恨まれたことはあるかね?
魚は水の中を気持ちよく生きてたと思うけど、わしらが食べるのを許してくれてるんじゃよ。
相手がいい人でも悪い人でも関係なしにね。

木々は木の実をくれたり、枯れ枝は体をあたためてくれるし、魚はあんなにキレイな体を食べさせてくれる。

わしはいつでも忘れたことはないよ。
たった今こうして息をしていられるのも、世界中ぜんぶが、生きることを許してくれているんだってね。」

そしてサイアムは気づきます。

許してくれるからこそ、傷つけてはいけないのだと。
こんな簡単な真実を、人間は忘れずにいられるのだろうか…と。


ってな感じの話です。

人間が世界を生かしも殺しもできる。それを知った後で、どうするのか?みたいな。


ファンタジーって好きです。

作者の人も、ファンタジーは日常の中に隠れてしまっているうまく表せない大切なものを、ファンタジーは光をあてることができる。自分にとってファンタジーは現実の投影だ、と言っています。

16年前に書かれたとは思えないほど、今読んでもホロリとしてしまいます。

この人の書くマンガは、他にも「癒しの葉」と言うのがあるんですが

それも人間の中にある「光」と「闇」は同じものだってこと、闇を排除するんじゃなく、それも自分だってことを認めること、許すこと…を軸に、描かれてます。

いかにも「スピリチュアル!!」っぽくなく、ファンタジーの中に紛れ込ませて、大切なことを書いているところが好きです。

ちょっと長くなってしまいましたが!

私も「グラン・ローヴァ」のおじいちゃんみたいでありたいなぁ、と思った一日でした。(←すぐ忘れる)


今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


地球が静止する日とベンジャミン

2009-07-26 | その他

こんにちは!ご訪問ありがとうございます。

今日は久しぶりにザ・夏!!と言うような真っ青な青空を拝めました。

暑かったぜ~!焼けたぜ~!

夏特有の、あのもくもく入道雲を見ると…ついつい「あの雲の向こうにラピュタがあるんだ!」と叫んでしまうイリスであります!

…うん、分かってる…つ、冷たい視線が突き刺さってるよ、ママン…(ノД`)・゜・。


それはさておき!

今日はDVDを見ました!「地球が静止する日」と「ベンジャミン・バトン」。

いやぁ。

地球が静止する日は…何だか残念だったなぁ~

これからご覧になる方もいらっしゃるかと思うので、詳細は控えますが!

え!?こ、これで終わり!?みたいな、不完全燃焼感が…

でも今までの「宇宙人もの」と異なるところは、宇宙人が(肉体だけ)人間だってことと、(私が知っている限り、になるけれど、いつもは虫類っぽい感じで描かれるような気がする…)

地球侵略が目的じゃなく、地球を救うためにやって来たってこと。

そこがちょっと違ってたかなぁ。

「人間の存在そのものが、地球のがん細胞」って言う、よくある設定で…

これ以上人間をのさばらせておくと、地球が壊滅してしまう。

ので、「地球」と言う貴重な星を救うために人間を滅亡させてしまおう、と言う結論に達してキアヌさんが宇宙人類を代表してやって来る訳です。

で!ここで思ったのは…

どんなに人間が好き勝手をやっていたとしても、「裁きを下す」ことはたとえ神様だってできないんだろうなぁってこと。

もし人類が滅亡することがあるなら、それは神の怒りでも裁きでもなんでもなく…意識的であれ無意識であれ「私たち自身」が自ら選択したこと、なんですよね。

この宇宙の法則では、どんな存在であっても、自分の投げたボールは自分に返って来るようになっています。

これを「カルマ」とも言いますよね。

なので、「好き勝手やっている人間」たちの意識や行動がそのまま、自分達に還って来て…それを続けていると最後には滅亡、と言うことになるんだなぁ、と。

どんな地球で生きたいのか、どんな世界にしたいのか。
気付いている人たちは、それを意識的に「選択」して欲しいですよね。

私達の目の前には常に、選択肢がありますから。

選ぶも選ばないも自由。



で、後から見た「ベンジャミン・バトン」。こっちは面白かった~!

なんと言うか、ものすごい盛り上がる訳でもなく、淡々とベンジャミン・バトンの数奇な運命を辿る映画、なんですが。

私達が生まれて、人を愛して、年老いて、死ぬまでの何でもない人生を、この映画では「逆回し」で描いている訳です。

それだけで…視点を変えただけで何でもない日常が「特別」に感じてしまう、この不思議さ!

って言うか、年老いて生まれて来て、若返って行くってこと自体、不思議なんですが!

この映画では常に「死」が付きまといます。

「死ぬ」とは何だろう?「死」に一番近い位置にいたベンジャミンを通して「生きる」とは何だろうか、と言うことを考えさせられる映画です。

とても丁寧に、そしてたくさんの大切な「言葉」がちりばめられていて、とても見ごたえがありました。

普段、いかにもハリウッド~的な、分かりやすい派手なアクション映画が大好きな旦那も、「地球が~」よりも「ベンジャミン」の方が面白かった、とのたまってました。

人間、自分の人生についてあれこれ言われると、例えそれが本当のことだっとしても、自分自身そうだと思ってたとしても、素直に聞けなかったりする。

「非難されてる!」「否定されてる!」って自己防衛本能が働くとなおさら。

けれども他人の人生や「フィクション」の中に、真実を紛れ込ませて見せれば、素直に感動するのかもしれない。

私達は「知っている」から…探し出すことが出来るんですね。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


阿部さん×向和尚

2009-07-24 | その他
今日もしとしとこんにちは!梅雨明けした途端、雨三昧の今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか!?

蒸し暑!!な中、ご訪問ありがとサンクス!


今日は阿部さん×向さんの禅ワークショップに参加した、ぴのさんが報告メールを送ってくれまして!

って今頃!?って突っ込みはナシで…
ワタクシめがメール全然見てなくって…こんなに遅くなっちった。ゴメンナサイ。

これはシェアした方がいいぞ!と思いましたので、ぴのさんに掲載の許可を頂きました!

どうぞ!

       
 虹の写真も送ってくれました!クリックすると大きな画像で見られます!
 キレイですよね~!


こんにちは!
ぴのです。

あっつい日が続きますね~~。

今日は、楽しみにしていた阿部さん×向禅師のワークショップでした。
とっても楽しかったです!

心に残ったことをひとつふたつお伝えしたいなあと思いまして。。。

阿部さんは、今日もおだやかでやさしさ波動120%でした!
向禅師は・・・とっても面白い人でした。気取らない、エラそうぶらない、
ひょうひょうとしていて 話だけ聞いていたら、落語家と思うかも(笑)

はじまったら いきなり座禅で(笑)
阿部さんが向和尚を紹介したと思ったら「じゃ、さっそく座りましょうか」
という唐突さ^^; 

でも座禅が始まると静寂の中に たまに向和尚の鐘がチーンと響き渡り癒される空間でした。

今日参加して本当に良かったのは、向和尚のすばらしい読経を聞けたことです。
なんというか、おおらかで 上手な歌を聴いているようでした。

お経もこういう風に言えたら気持ちいいんだろうな~~~という感じです。
(ものすごく上手な演歌みたい?? 気持ちいいんですよね)
向和尚の読経コンサートとかあったら行くかも 笑

観世音というのは、いわゆる宇宙意識、サムシンググレートを指す言葉なんだそうです。
(知らなかった^^; 特定の仏様の名前なんだと思ってました)

読経で観世音、と呼びかけると双方のコミュニケーションが起こって、観世音からも返ってくると。

向和尚が、「こだわりのない、素直な心」と言っていました。
2歳とか3歳のこどものような。。。思い込みや抑圧などがなく、
活き活きとして 判断がない状態。。。
思考がないとは、そういうことだと。

誰でも本来の自分があり、思考がそれを見えなくしているだけだと。
思考をブレイクスルーするには禅は効果的なツールだが、
「悟ろうとすること」がすでに思考にはまっていると。

だから 考えずに何かをやる。歩く。動く。それが いまここにあるということ、
やっていることに100%身を投じていることが大切、ということでした。

そうそう、最近、「奇跡のコース (ア コース イン ミラクル)」を読み始めまして、これがとっても自分に合っていたようで 不安になることもなく穏やかにすごせています^^ 

今まで、自分がなんとかしなくては、と常に思っていましたが、自分(自我)よりもはるかに遠くを見渡せていて何が自分によいことがすべてわかっている ほんとうの自分にすべて委ねればよかったんだ、と気がつきました。

というか、そっちが本当の自分で、今自分が自分と思っているものは自我なんだから自我ががんばっても意味ないんじゃん、と(笑)

奇跡のコースでは the Holy Spiritと呼んでいますが、それにすべてを委ねて間違った思考(罪悪感、怒りなど・・・)を癒してもらう(赦す)というのが基本なんですね。
ホ・オポノポノと似てますよね。



なるほどぉ!
観世音が「サムシンググレート」ってこと、全く知りませんでした!

うーん、場の雰囲気が伝わってくるようですよね!読経!!行ってみたかったなぁ…感じてみたいワ!

やっぱり黒斎さんも書いてたと思うんですが、「場の空気」を味わいに行くだけでも価値があると思うんです。

文字を「読む」と思考が働きますが、実際対面して「話を聞く」と、それ以外の+αを体で受け取っているんですよね。

顕在意識上では自覚なくても、ちゃんと受け取っているんです。
いざって時、それを思い出すように出来てる。

阿部さんと黒斎さんのコラボトークショーとはまた違った雰囲気だったんだろうなぁ!ちょっと行ってみたかった!!!

阿部さんオンリーの「いまここ塾」も行ったことがないので…
一度は行ってみたい!と思ってマス☆

あ、そうそう!追加!
「座禅の時の姿勢」について、お二人に質問したんですって!


座禅はちゃんと足組んで座りました!
いきなりなのにはちょっとびっくりしましたけど。。。

質問の時間のときには 勇気がなくて手を挙げられなかったので^^;
終わってから向和尚に質問しに行っちゃいました!!

座るとき、だんだんリラックスしてくると、首が前にたれちゃうし猫背になっちゃうしで 姿勢が崩れてくるんですけど、やっぱり姿勢はちゃんとしてないとダメなんでしょうか?という ちょー初歩的なことだったんですけど 笑

向和尚と阿部さん(きゃー♪)は うんうん、と聞いてくれて向和尚がていねいに答えてくれましたよ。
腰の下にボルトがあって、それが地球にぐさっと刺さってて きゅーっと締められてるところを想像してみて、と。

腰がまっすぐ体を支えていればそんなに疲れないはずなんだそうです。
まっすぐになるところを探すのがコツなんだそうです。
わーい、いいこと聞いた♪


↑ね!これいい情報ですよね!最初って腰が痛くなったり、姿勢が保てなくて苦労しますよね…(ノД`)・゜・。


やっぱり、自分で「そうかぁ!」って気付くのがイチバンですよね!!
むふふ。

嬉しいメールでした♪

今日もいいことあるぞぅ!!笑って!リラックスして!自然体で!考えすぎないで!今日も一日過ごしてネ。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


銀河の署名

2009-06-24 | その他
こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


突然ですが!「銀河の署名」って、みなさんはもうご存知ですよね!

私も随分昔、ひょんなことから知るに到り、ワクワクしながら自分の銀河の署名を調べた覚えがあります。(結構占い好きだったり。)

(銀河の署名はコチラコチラで調べることができます!)


それがこれ。


KIN79
「青い磁気の嵐」
Blue Magnetic Storm
「私は引きつける力をもとにして、変容する力をコントロールすることを担う」

- 明言 -
私はエネルギーを引きつけることを触発するために統一する。
私は目的という磁気の音で自己発生の母体を封印する。



うーん。調べたはいいが………意味がさっぱり分からない!

触発するための統一ってなんだ!?磁気の音で自己発生の母体を封印って何!?…

ってことで…意味がよく分からないままになっていました。

が、最近何気に行き当たったページに、結構詳しく意味が解説されてたんですよね!

おお!これは分かりやすい。ってことで!
ずっと意味が分からなかったのが、ちょっとスッキリしたものですから…

私のように悶々としている方もいらっしゃるかもしれないと思い!(いないって)
載せてみようかなぁ、と。

すでに知っている方はゴメンナサイ。
(どう考えても、みなさんの方がよく知ってそう!!)

今更な感もありますが…どうぞっ!

(このサイトから丸々リンクさせて頂いてまっす!Dream spellさん、勝手にスミマセン!ありがとうございます!)


えと、銀河の署名は、色、音程(Over tone)、紋章と、3つに分かれるらしいんですね。
ですので「青い磁気の嵐」だと、「青」「磁気」「嵐」となるそう。

それを一つ一つ紐解くと…(私の銀河の署名を例に挙げています。ちょっと説明が長いので、自分の銀河の署名に関してだけ知りたい!って方は飛ばしてくださいね)

まずは

私の場合は「青」なので…

■青 「青組」がいなければ世界は回らないとまで言われるほど、しっかり足が地についた現実的意識の持ち主です。

また応用力やバランス感覚に恵まれており、しかも頑張り屋であるという、プランや企画を実現させるためには不可欠な人材です。

実社会で活躍し続ける気力と体力、そして職能としての技術や知識を持っています。ただ現実的であるあまり、言葉や行動が当人の意に反して重く受け取られ、苦労性であると見られたりもします。

しかしそれに反発して必要以上にクリエイティブな世界や専門的な学問にこもろうとしても、やがて無理が露呈するはめに。

 自分自身に対してと同様、世間に対しても生真面目なので、自分のためだけでなく周囲のため世界のためにと身を粉にして動き続け、その目的すら忘れて孤独な自分を哀れんだり、他者の無理解に世をはかなむというような傾向すらも。

休息を取る事も重要と言われると、今度は怠惰にどっぷり浸かり、再び動き始めるのがひと苦労という極端なところも自省しましょう。

そもそも周囲にいてくれる人たちが好きだから自分が頑張っているのだと思い出せば、そこから自分がエネルギーと生きがいをもらっているのだと理解でき、今まで気づかなかった周りの人たちの自分への思いやりや優しさが見えてくるのではないでしょうか。

夢物語や大言壮語を吐く人も、彼らにしてみればその方がより現実的であり、現実の方が壮大な幻夢なのだという事もあるでしょう。

しかしそのような世界観すらも受容する力が青組にはあるのです。



なるほどなぁ!超現実的ってとことか、「怠惰にどっぷり浸かり、再び動き始めるのがひと苦労という極端なところも」ってのは、当たってる!ウハァ!



次は13の音程

私の場合は「磁気」なので…

[1:magnetic磁気の音程] 《物事を引き付ける意志の働き》

自覚できない無意識のレベルで意志が働き、自分にとって必要な人や状況を自分の回りに引き寄せて来るのが特徴と言えます。

つまりあなたの身の回りで起こる事は、ほとんどがあなた自身の見えない「意志」の反映なのです。だから、自分がおかれた環境で起こる出来事のすべてを、「これは本当は自分が望んだ事なのだ」と受け入れなければなりません。

時には不愉快な事件が発生し、そこから逃げ出したくなる事もあるでしょう。
そんな時は逃げ出すよりもそのまま受け入れる方が、後でよかったと思うようになるはずです。

なにひとつ自分では動けないような気持ちに陥る事も多いでょうが、流れる水に任せるように生きる事が肝心なのです。



ふむふむ…。「引き付ける」と言うのはそう言う意味だったのね…。


次は「紋章
私の場合は「嵐」なので…


嵐は森や海や自然のすべての条件から発生するもの。嵐が吹き荒れる事によって、木々が倒れたり、土 砂が崩れたりして、地上の生き物は右往左往します。

このように自ら生み出したものによって、逆に影響を受ける事を嵐は象徴します。

 嵐の人は、人間は生きて行く限り怠惰であってはならないし、いつも変化していなければならないという事を人に教える運命にあります。

エネルギッシュで油断のない状態に自分をおきたいという衝動があるため、単調な毎日が続くと頭も心もどんよりと沈み、どんどん消耗していくように感じるでしょう。

気力をかき立てようと、ついとっぴょうしもない事を思いついたり、自分の立場もわきまえずに衝動的に行動してしまう事もあるかもしれません。
周りからトラブルメーカーと呼ばれるようになってしまうと、あなたは自己否定的になり、落ち込みから立ち直るのに時間がかかります。

しかしもともと嵐の人は停滞した環境や無気力に沈んだ人に活気を取りもどすフレッシュ剤です。
トラブルメーカーになるか、リフレッシュ剤になるかはあなたしだい。あなた自身の中に、勇気が芽生える必要があります。

仕事などの対人関係でも、前向きに一緒に働きたいという気持ちさえ正直であれば、少し迷惑、後で大感謝というかたちで、嵐の人のよさをだれもが認めてくれるでしょう。みんなに求められるリフレッシュ剤となってください。



なんと!フ、フレッシュ剤だったのか!まったくフレッシュさの欠片もないワタクシなのに…(((((( ;゜Д゜)))))ガクガクブルブル
(怠惰であってはならないって…怠惰なのに!私が教えて欲しいぐらいデスよ…)


で、最後にさらに詳しい「紋章」の意味。

19.青い嵐/触媒する、自己発生

友好的な、変革者、浄化者、多面的な、心の解放者、ライトボディ、アセンションのための活性化する者、休みなしの、雷の存在、純化する、再統合する、優秀な教師


なるほどなぁ!だから私は嵐が好きだったのか!!(←違うって!)

自己発生(どうでもいいけどこの文字打つと「事故発生」になる…何だかイヤ…)の意味はイマイチ分からないけども…

ちなみに「触媒」の意味は…「それ自身は変化をしないが、他の物質の化学反応のなかだちとなって、反応の速度を速めたり遅らせたりする物質」だそうです。



コレってマヤの13の月の暦ですよね?

むちゃくちゃ奥が深そうで、まったくもって触れてもいない領域デス。


うーむ。考えてみれば…知らないことが多すぎる気がする…

以前、偉そうに「知識でぱんぱんになった」って書いたけども、前言撤回させていただかねば…!

ホ・オポノポノも知らなかったし、ラムサもヘミシンクも知らないし…

仏教にもキリスト教もイスラム教も神道もスーフィーもニューエイジもマヤも詳しくないし…

神々の指紋…じゃなかった、神との対話とかバシャールも読んだことない…
全部中途半端なんですよね…

でも…ま、いっか!ウヘヘ。 

♪ま、いっか~ま、いっか~元気があるってすばらし過ぎる~♪(byオロナミンCのCM)

ちなみにウチの旦那は「青い電気の嵐」。
二人とも台風や嵐が来ると俄然、テンションが上がる嵐野郎なのだっ!(って、違うか!)

不思議なんですが、誕生日も違うし性格も全く違うのに、運命数(?)とか数秘術(?)とかのナンバーを割り出すと、旦那と同じ数字だったり結果だったりすることが多いんですよね。

まぁ…ヒネクレた所はそっくりかも…

みんなの銀河の署名は何かなぁ!?暇だったら教えてくださいね~!ノシ



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆


ありがとうございます!

2009-05-26 | その他
みなさん、こんにちは!!

ご心配おかけして、すみませんでした!

たくさんのコメント、ありがとうございました☆



えと、最近旦那の仕事場の移動とか(むっちゃ遠くなった!!)

環境の変化とか、自分の体の変化とか…いろいろな変化が重なって、その調整が追いつかなかった、と言うか…いつもよりちょっと時間がかかった感じで…


そいでもう、眠くて眠くて…

寝ても寝ても寝足りない。

そんなこんなで、ずっと寝てました!!!うへへ。

こう言う時、主婦でヨカッタ!!と思う。

うーん、スッキリ☆ お肌もモッチリ☆〈笑)


これからまたボチボチ、マイペースで書かせて頂きますね!

焦らずまったりペースで☆

毎日更新できないかもですが、これからも宜しくお願いします!



ガラスの仮面で!?

2009-05-18 | その他
みなさん、こんにちは!!今日もご訪問ありがとさんきゅ~!!


いやぁ。ここ数日の荒れ具合が嘘のように、東京は晴天に恵まれております。
気持ちいいっす。暑いっす!!洗濯物が乾くっす~!!(嬉)


突然ですが!!私は漫画が好きです!!

昨日、不意に「あぁ!ガラスの仮面が読みたい!」と言う衝動に駆られまして。

若い頃に途中までは読んでたんですが、あまりの続きっぷりと新刊までの時間の空きっぷりに、挫折したと言う…

何気にネットをうろうろしてたら、電子ブックなるものを発見!!
その名もヤホー…違った、yhooコミック。
24時間今すぐ読める!42巻まで読める!(お金さえ払えば)

ってんで、ついつい。さすがに全巻読破はしなかったですが、気になる巻と最後の方をピックアップして読みました。

と…あれれ?ガラスの仮面って、こんなウンコクサイ漫画だったっけ!?とビックリ。北島マヤと姫川亜弓の対決が見たい!と思っていただけなのにぃ~

北島マヤたん、「紅天女」への道、と言うより「悟りへの道!」

例えば、マヤが始めて舞台上で「人形」を演じる場面。

必死で人形になりきろうとしますが、じっとしていると様々な考えごとが浮かび、集中できません。そこを仲間に「人形の心になってない!」と突かれます。

そんな時、月影先生が彼女達をある場所へ行くよう指示します。
そこはなんと「禅寺」!

禅寺の和尚曰く「風の音に耳をすまし、草葉、大地の匂いに溶け込むがいい。
己は風であり土であり静寂である。
さすれば己が人間と言うことを忘れ、あらゆる煩悩から解き放たれ、やがて無の表情が闇に現れる」

そこでマヤは「無心」になる、心のない人形になりきることを体得するんですね!
ビバ!マヤたん。さすが天才。早くも瞑想のエキスパートに!

そもそも月影先生がマヤに「人形」の役を与えたのも、「周りと調和するため」。
芝居は一人でするんじゃない。
それぞれがそれぞれの役を演じ、全てが調和して「一つ」の芝居が出来上がる。

マヤは「自分さえよければ」「自分さえ上手ければ」と言う思いで芝居をやっていたため、周りから浮き立ち「舞台あらし」と言う異名を付けられ敬遠されていたんですね。

そこで「周りと調和する」ことも体得!順調です。



人形の次は、「ヘレン・ケラー」の役。
目が見えない、耳が聞こえない、口がきけない、と言う三重苦のヘレンが、サリバン先生のおかげで「人形」や「大地」「階段」「水」…などの単語を指で覚えていきますが、それらはただの指遊び。

自分の名前、サリバン先生の名前すら分かっていない。
意味が分かってやっている訳ではなかったんですね。

だけど実際の水に触れて初めて、それらの「言葉」と実際の「水」が繫がります。
あぁこれは水だったんだ!と。
物には全て名前がある、この世には言葉がある、意味があると言うことに気づくんですね。

まさしくそれは、私達が普段目に見えている別々の「形」でしか認識していなかったものが、全て「本質」があり、それが「同じ」である、「一つ」であったんだ、と気付くときと同じ。

亜弓お嬢様はそれをびりびりと体中に電気が走ったような感じ、で表現していましたが、マヤは苦労の末、ゴム風船が「パン!」と弾けて割れるような感じ、で表現することを体得。

実際、耳に粘土を詰めて聞こえなくして、目隠しをして、絶対言葉を発さないように生活をしていたマヤたん。見える、聞こえると言うことが当たり前ではなく素晴らしいこと、そして目が見えなくなって、耳が聞こえなくなって初めて気付くことがあったんでしょうねぇ~。

そんなこんなで恋をしたり罠にはめられたり、(13~)16歳とは思えない壮絶人生をひた走りに走るマヤたん。

最後の方でマヤたんは月影先生に、「紅天女」を演じるにあたって大切な課題を出されます。「火、水、土、風」の演技ですネ。

この演技を通して知らず知らず「地球」の成り立ちを体得していくのです。
なんてたって、「紅天女」は梅ノ木の精、女神だそうですから。
そして41巻目。

どうやって紅天女の演技を掴んだのか、と問う亜弓お嬢様とマヤたんに、月影先生は、掴んでなどいない、と答えます。

月影先生「しいて言えば悟ったって言えばいいのかしら…」

おぉ!月影先生、悟っていらっしゃったのですか!!これは存じませんで…

「初日の舞台の上でだったわ…まるで雷に打たれたようだった…全身を光がつらぬいて…
その時悟ったの。天地一切の万物と私は同じものである、と。
風と私は同じものである。
火と私は同じものである。
水と私は同じものである。
土と私は同じものである。

山と河と森と海と…またそこに生きる一切の生命と、わたしは同じものである。
太陽も月も星々も宇宙を含む一切の万物が、わたしと同じものである。

あれは…奇跡の一瞬だったわ…そして永遠の一瞬。
生命は万物に宿り、永遠を旅する、と…

誕生も死も生命の変化に過ぎず、永遠なるもの。
大いなる意志の元に産み出され全てが生命宇宙の中にあり、等しく生かされている。
個は全体であり、全体はまた個に等しい。
宇宙…即ち我なり…」

でも月影先生。芸能界、と言う華やかな世界には、「真理」は遠かったようで…
それを長く留めておくことはできなかったそう。

ネ。マヤたん、このまま行くと確実に悟れそうでしょ!?

うーん。しかしいつの間に「演劇漫画」がこんなウンコクサイ漫画になっていたのか…!?
いつからこんな認知度の高いメジャーな少女漫画で、「真理」を説くようになったのか…!?


…でもまぁ自称「腐女子」としては、ヤッパリ紫のバラのひと、速水真澄氏とマヤたんの、両思いなのに障害物ありまくりの、あぁ!もどかしいっ!!恋が見どころ。

しっかり萌えさせて頂きましたっ!!
少女マンガの王道をキッチリ押さえているところがさすが大御所。
いやーん、きゅんとするぅ~♪(←キモッ)

その他…

亜弓お嬢様の15歳とは思えない落ち着きっぷりとか、ありえない縦ロールっぷりとか(校則はどうした!?)

速水真澄氏のYシャツの袖が、かわゆくパフスリーブになっているところとか(初期)、
16歳のマヤを、一瞬本気で襲おうとしたことがあるとか(ロリコンです!!)

彼の有能な秘書の「水城さん」が、回を追うごとに「真澄さま…!!」と、飛馬を影から見守る明子ねえちゃん(もしくは家政婦は見た!の市原悦子)と化しているストーカーっぷりとか

マヤたんの手を顎に当てる、いわゆる「ぶりっ子」(←死語)、もしくは佐藤珠緒ポーズを何回やったか、ゼヒ日本野鳥の会の方々にカウントして頂きたいなぁ、とか、
マヤたんと初恋宣言までした後、プッツリ消息を絶ってしまったあの「里美」くんは今!?どうしているのか、とか、
時代を感じさせる初期のファッションの方が、おしゃれに見えるのは何故なのか!?とか…

突っ込みどころは満載ですが、とにかく個人的に通しで読み直したくなる作品NO.1!

ゼヒ完結して欲しいと思います。
漫画界、結構未完で終わっているの、多いですもんね。

あぁでも楽しかった!久々に漫画に没頭した。
最近あんまり読まなくなったもんなぁ。青春を思い出しちゃった。

って言うか、久々に無心になって漫画を読もう!って思ってたのに…
ヤッパリこんなオチになるのね…



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆

  

少林少女!!

2009-03-29 | その他
こんにちは!今日はいい天気ですね!ここ2~3日冬の寒さに逆戻りで

ガクガクブルブルしてたんですが、やっと春っぽい日曜日♪

花粉症は相変わらずなんですが…天気がよくて暖かいってだけでウキウキしちゃいますね!


さて、今日はちょっと一息☆

涙のふるさと(歌詞付き)pv BUMP OF CHICKEN



藤くんの歌で癒やされてください!


そういえば…まったく関係ないんですが…

何週間か前に、旦那が借りてきたDVDを見たんです。

それは「少林少女」(笑)

ジャッキー・チェンのカンフー映画で育った旦那は、カンフー大好き。

そいでもってナイナイ(99)の岡村さん好き。

「少林サッカー」も面白かったので、きっと面白いハズ!!と期待して見てたんですね。

けれど…やっぱりそこは日本映画。動きは本場には適いません。

それで旦那はすっかり飽きてしまって、ぐーすか寝始めてしまいました。

仕方なく、私一人で続きを見ていたんですが…これまた最後が面白い!

おっと!ここからネタバレになるので、見たい方はご注意を!!


中国で修行し、日本に帰ってきた主人公、柴咲コウが日本で少林拳を広めようとします。

けれど誰も興味がなくて…そこで以前師範だった江口洋介が開いている中華料理店で

働く中国少女ミンミンと友達になり…彼女は大学でラクロスをやっているため、

「ラクロスやってくれるなら、少林拳やってもいいよ」と交換条件を出します。

柴咲コウは大学生ではないのだけれど、特別に認めてもらってミンミンの通う大学のクラブに

入部し、ラクロスを始めます。

その大学が…諸悪の根源、柴崎コウのおじいちゃんが開いていた少林道場をぶっ潰した

張本人、仲村トオルが経営していた大学なのでした!

仲村トオルは目的の為なら手段を選ばない、非常な人間。

スターウォーズで言えば、ダークサイド側の「シス」と言った所でしょうか(笑)

早速、柴崎コウに目を付けます。

なぜなら、柴崎コウは実は、ものすごいポテンシャルを内に秘めた少林拳使いだったんですね。

眠れる獅子、と言ったところ。

それを知った仲村トオルはあらゆる卑怯な手段を使って、彼女と戦おうとします。

ですが彼女は「少林拳は人を傷つけるためにあるんじゃない」と戦おうとはしません。

そしてとうとう「やめろ!闇に飲み込まれるぞ!」と言う師範、江口洋介の忠告も聞かず、

人質に取られたミンミンを取り返すべく、アナキン…イヤイヤ、柴咲コウは

仲村トオルのいる本拠地に乗り込みます。

雑魚を蹴散らし、遂に最終決戦!遂に登場、闇の権化仲村トオル!

(あ、その前に岡村さんとのカンフーバトルがあったんですけどね!

旦那サマはその時だけしっかりと目を開けて見てました笑)

最初は柴咲コウが不利なんですが、ドラゴンボールばりの空中戦を繰り広げている

最中、柴咲コウが覚醒します!

おお!?サイヤ人になるのか!?と言うぐらいものすごい「気」を放出しているではありませんか!

そしてものすごい大きな虹色の「気」に包まれたサイヤ人…イヤイヤ、柴咲コウが最後の大技を!!

おほ~!「やっちまいな!」と気分はまるでキル・ビルの、ルーシー姉御。

仲村トオルなんて、こってんぱんにやっつけておしまい!!だったんですが…

なんと!!

柴咲コウは大きく両手を広げ、仲村トオルをぎゅうっと抱きしめるではありませんか!!

なぬ!?度肝を抜かれる私。

柴咲コウの優しい「気」に包まれ、彼女の腕に抱かれた仲村トオルの頭の中には、

様々な記憶が蘇ります。小さかった頃、楽しく少林拳をやっていた頃の記憶。

「見えますか?聞こえますか?この美しい世界を…」と言う柴咲コウの、自分の中から

聞こえてくるような優しい声が響き、寄せては返す波打ち際、夏のあぜ道、風がそよぐ

緑の野原…彼の中に眠る懐かしい風景がゆっくりと巡ります。

そして…仲村トオルの大きく見開かれた目には、一筋の涙が…

彼の心が溶けた瞬間でした。

そのまま、二人はどぉーんと地上に落ちていきますが、柴崎コウの「気」に守られて

二人は無事でした。

そして柴咲コウが仲村トオルの前に立ち、子供のような笑顔でにっこり笑います。

「あんた、素質あるよ!一緒に少林拳やらない?」と言い、手を差し伸べます。

仲村トオルも子供のような素直な顔をして「うん」と答え、その手を取りました。

その後、柴咲コウ達のラクロスの試合の応援席に、同じユニフォームを着て応援する

仲村トオルの姿が……ちゃんちゃん。

旦那サマ曰く「お…面白くない!!!!」

おほほ。やっぱりねぇ。普通は「悪者はやっつけられる」ってのが王道ですもんね。

なんだかモヤっとした不完全燃焼感が残ったようで…

でも私はちと感動。この映画を作った人たち、ブラボー!!でした☆

そりゃ、全体的にすごく面白かったか、と聞かれれば「う…うう~ん」と返答に困りますが(笑)

最後は悪を滅ぼして終わりじゃなく…許しと言う「愛」で包めば悪じゃなくなるって

ことを堂々とエンディングに持ってきたのはすごいなぁ、と。

それが王道のエンディングになればいいなぁ、と勝手に思いました!

いやぁ…しかし…仲村トオルは嫌な役をやらせれば、天下一品ですよね!!




今日も最後まで読んでくださってありがとうございました!感謝


↓ランキングに参加しています!良かったと思われた方はぽちっとご協力お願いします☆