こんにちは!ご訪問ありがとうございます!
昨日の記事は支離滅裂で、本当にすみませんでした!
教えてくださいさん、ごめんね!
言葉足らずで、申し訳ありませんでした。
誤解してしまっても仕方のない内容でした。反省!
徒然に書くにも程がありますよね!!
読んでくださっている人がいるのだから、もうちょっと言葉に責任を持たねば…と気持ちを新たにさせていただきます。
えと、もう少し詳しく書くと、とても身近な人と「行動」についての話をしていたんですね。
その人はやっぱり「行動」だ、行動しなきゃ何も意味がないって思っている人で。
で、こう言った精神的な活動と言えば、やっぱりマザー・テレサでしょ!
苦しんでいる人の中に飛び込んでナンボ!みたいな。
その人もNGOに参加して、世界の恵まれない人たちのために活動をしたりしているんですね。
そんな話をしていて、こう自分の中がもやもやしてたんです。
確かに行動しなきゃ意味の無いこともあるし、行動は大切だけれど、何が引っかかるな~何だろうな~~って思ってたんです。
そいで、あ、そうか。
この人は自分はこれだけやっている、言うだけで何もしない普通の人たちとは違うんだって思っているんだなぁって分かったんです。
それがいいとか悪いとかの話ではなくて…
そう言った、素晴らしい活動や行動すらも「エゴの餌食」になるんだなぁ、と。
で、以前自分がボランティアをやった時の事を思い出しまして。
初めの動機はやりたいからっていう、とても純粋なものだったんだけれど、やっているうちに
「自分はこれだけやっている」って気持ちになってくるんですよね。
で、他人にそれをアピールしたくなっちゃう。
「こんなに大変なの、こんなに忙しいのに、こんなこともやってるのよ」って。
あたしってすごいでしょ?と言う自分の「優越感」を満たすための行動に摩り替わっていたりしたんですよね~。(遠い目…)
「寝る暇もないぐらい大変」ってのは、こっちの都合で、ボランティアを受ける方には関係のないことですからね…
ここら辺に押し付けがましさがあるんですよね…
まぁ、みんながみんなそうではないと思います!(←その時の私だけ)
あぁ~エゴ先生は、どこにでも潜む…
で、「普通の人(何もやっていない人)」と「自分(行動している人)」との線引きが行われるんだなぁ、と。
阿部さんや黒斎さんみたいに、全国を回って講演を行っている「行動」と、ふと気付いた時に落ちている道のゴミを拾うと言う「行動」に、差はないと思うんだ。
(あ、これは「私個人の意見」なんですけれどね!)
でも、その人にとっては「道のゴミを拾う」行動は、意味のないことなんだろうなぁ、と。
誰の目からみても「やっている」って分かる、「大きな活動」が、その人にとっての行動なんだろうなぁ、と。
でも、肝心の「自分自身」や身近なことが、すっかりお留守になっていたりして。
(どう在るかが大切、って言うのはこう言うことなんですよね!行動と同じぐらい、大切なことなんです)
活動自体は素晴らしいし、自分にはできないことなので、ものすごく尊敬するんですけれどね!
それが「自分はやっている」にならなければ…
でもまたその人も、その活動を通して、分かっていくことなんだろうなぁ、と思いました。
(人生、ムダはないもんネ。全て「気付く」ためにある!)
人にはそれぞれ「役割」がありますから、みんなが「みんな同じように、精神的で対外的な活動しなきゃ意味ない」ってことはないんです。
体の器官も心臓は心臓の役割が、肺には肺の役割が、血管には血管の役割が…無数にある器官それぞれの働きがあって、「一つの命」を循環しているんですもんね。
心を込めて家族のためにご飯を作ることだって、素晴らしい。
子供を育てているお母様方も素晴らしい。
学校の先生も、働いているお父さんもみんな素晴らしい。
世界に目を向けて、世界の人たちのために活躍する人もいれば、日本で日本の人たちのために地道に頑張る人がいる。
それでいい。どっちが偉くて、どっちがダメってことはない。
「いま」にいて、心を込めればどんなことだって「精神的な活動」になるもんね。
でもまだまだこの世界…そんな「当たり前の事」は重要視されなくて「特別なこと」だけ意味のあることだと思われがち。
生きているのは「日々のこと(日常のこと)」、「いまこの瞬間」だもの。
それはどんな人であっても同じだし、平等なんだ。
「役割」に優劣はない。
「スピリチュアルなこと」と「そうでないこと」なんてないんだ。
そこに「区別」はない。
当たり前のことを当たり前に受け入れることなんだろうなぁ。
「特別なこと」じゃなくて「普通のこと」。
…と思ったのが、「もやもや」の正体でした。
き、今日は昨日よりは、ちょっとうまく書けたかも!!ハァハァ
阿部さんや黒斎さんは、とても自然体ですもんね。
自分がやりたいから、やってる感じで。
講演会ってやっぱり不安や大変さがあると思うけれど、そこに「楽しさ」もちゃんとある。そこがいいなぁって思う。
みんなが「悲壮感」や「義務感」からじゃなく、「楽しみ」ながら、やっていることそれ自体が、「喜び」になるような…そんな様々な活動ができればいいなぁって思いました。
未熟な記事にも関わらず…いつも最後まで読んでくださって、本当にありがとう



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