Domのデジカメ見聞録

写真を中心にしたフォトログをつくります
“Domとは、スイス国内最高峰(4545m)の山名です”

手賀沼藤姫伝説を辿るウォーキング

2020-03-14 16:43:28 | 街歩き

市の広報で募集のあった行事の殆んどが、新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。
昨日(3月14日)に実施予定だった「手賀沼藤姫伝説を辿るウォーキング」もキャンセルされましたが、
リーダーさんのご好意で、わが脳テレウォーキングサークルのために特別に実行されました。

手賀沼自然ふれあい緑道沿いに6体の「藤姫伝説碑」が点在しています。
一つ一つ、リーダーさんの解説を聞きながら、楽しいウォーキングでした。


まだ開花していない桜の下の緑道を進む

 
【藤姫伝説(其の壱)】むかし、手賀沼のほとりに我孫子五郎の館があり、ここに藤姫というそれはそれは
美しい姫がいました。沼の反対側に戸張弾正の館があり、その息子の一人に若狭之介というりりしい
若者がいて、両方の親が将来は一緒にしようと決めた仲でした。だれもがうらやむそんな二人を藤姫の
まま母だけがよろこばずに強くきらっていました。


【藤姫伝説(其の弐)】二人の仲のよいことをきらっていた藤姫のまま母は若狭之介が藤姫に会いに
やってくる道に待ち伏せをしてとうとう殺してしまいました。その亡きがらを沼に捨てさせて、
藤姫に「若狭之介の亡がらを沼で見たものがいるそうだよ」と耳うちすると、「せめて亡きがら
なりとこの手でお墓に入れてさしあげたい」と一も二もなく探しに行くことにしました。

 
【藤姫伝説(其の参)】よくないことが起きそうだと、心配する姫のお付き人たちの止めるのを振り切って、
ただ一人若狭之介の亡きがらが浮いていたとまま母が教えたあたりに、舟をこぎだしたところ、
恐ろしいまま母は、ひそかに舟の底に穴をあけさしておいたため姫の舟は沼の一番深いところで
沈みはじめました。助けを求める姫にまま母は、「おろかな姫よ、死ぬがいい」と笑いました。

 
【藤姫伝説(其の四)】うたがうことを知らなかった姫もこれですべてわかり、「おぼえているがいい」と
叫んで沼に舟とともに消えていきました。心にけがれのない姫だけに、だまされて殺されたことにその
うらみも大きく、姫の体は沼の底に着くと、みるまに三丈余りもある大蛇の姿に変化し、水柱とともに
水面に浮かびあがると、まだ岸にいたまま母を一飲みで殺してしまいました。

 
【藤姫伝説(其の伍)】その後、姫のうらみから生まれた大蛇が、沼に近づく者すべてを沼に引き込んで
しまうことに漁師たちが困っていると、旅の山伏が通りかかって、「大蛇ののろいをときましょう」と
いって祈ったところ、大蛇が沼から現れお経を投げつけるとのたうちながら沼に逃げ込んでいきました。
山伏は藤姫ののろいを封ずるために柱を一本沼に向け投げこみました。

 
【藤姫伝説(其の六)】不思議なことに、水しぶきを上げた柱が一瞬のうちに大きなウナギに変わって
しまいました。大ウナギはひとはねすると沼の底深くもぐって、それから大蛇はもちろん藤姫の
おん念は一切現れなくなり、漁師たちは安心して魚をとることができるようになりました。
それからは「手賀沼の大ウナギは守り神なので捕らえたり追ったりしてはなんねいぞ」と言い伝えてきました。


【手賀沼の主】むかし、藤姫という美しい姫がだまし討ちにあい、その怨念から大蛇が生まれ
沼に近づく人をおそっていました。ある日、旅の山伏が祈祷を行って大蛇ののろいを鎮め、
祈祷に使った柱を沼に投げ込むと、柱はみ水しぶきを上げて大きなウナギに変わりました。
その後、藤姫の怨念は一切現れず、この大ウナギは沼の主として語り継がれてきました。


大ウナギ


見頃を過ぎた感じの河津桜


このモニュメントは、この地中に埋設されている手賀沼へ排水する導水管の実物大を表すために
制作されたもので、直径3m20cmあります。


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