『うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる』
宮沢賢治「永訣の朝」に詠まれた、賢治の最愛の妹、とし子の言葉。
とし子は大正11年11月、結核により25歳でこの世を去る。
彼女は最後の日のみぞれが降る朝、喉の渇きを覚え、
外のみぞれをお椀にとって来てくれないか、と、兄に頼む。
賢治は永年妹と使ってきたお揃いの椀を持って庭に飛び出す。
そして、苦しい息の下で妹が兄に言葉をかける。
『うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる』
《今度生まれてくるときは、
こんなに自分の事ばかりで苦しまないように
(もっとお兄さんの事を気にかけてあげられるように)
生まれてきます》
「永訣の朝」
http://uraaozora.jpn.org/pomiya2.html
自分自身の逆境を恨まず、誰の所為にもせず、
他を慮る心情というのは日本人の美点であり欠点でもあります。
ですから、他を恨むでも責めるでもなく、
微笑をもって己の逆境を受け入れ、哀しい死を遂げた「フランダースの犬」のような物語は、
ベルギーやイギリスでも“負け犬の死”という捉え方をされ、ほとんど評価されていません。
奇妙な国際社会の日本(大江健三郎ふうに言えばですが、笑)そのものと言えますね