『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』

2008-01-10 18:24:15 | 文学






『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』



先日もちょっと書いたが、私はこの大江という人間に悪意を持っており(沖縄ノートの事などもあって)、
当然読み出しは憎悪に満ちた目であり、
しかも彼の本は初体験でニュートラルな書評などが出来るとは思っていないので,
その積もりでお読みいただきたい。


約200ページ余りの作品で、
この著者のスタイルなのか時間軸が交錯し主語述語の関係、また、台詞と思考の境界などが曖昧で混濁、、
、、もちろん熟読すれば理解できるのだが、、した韜晦的ともいえる文体で、
事実と虚実を、しかもその実名を挙げながら!、巧みに練り込み読者を幻惑する為、
その書き様に慣れるまで約100ページを要し読み進めるのが極めて苦痛であった。



加えて、東大仏文学卒とかノーベル賞受賞の自尊と、
日本を代表する成功した左翼知識人としてのエリート臭が文面に染み込み、
文中にも、この丸眼鏡男の過去の作品を読んでいるのが当然であるという自負と傲慢さが散見される。



が、しかし、第三章辺りから、五章から成るのだが、文体に慣れてきたのか物語が跳躍し始めたのか、
俄然興味深く読み込むことが出来るようになった。



ストーリーそのものは魅力的とは思えないもので、非常に個人的であり、
成功させようとしている作中劇もつまらない。

が、文学的には意欲的かつ革新的で、読点句読点を自在に操り実験的であり、
このような文章の構成があるのか、、と唸らされ、
隠喩直喩も、残念ながら、さすがと思わせる表現力であった。




重ねて言うが私は大江健三郎という“人間”がきらいだ。

言動に一貫性が無く、偏執的で自説に固執的であり、
傲慢で虚実の混濁した誣言家であると思う。

であるが故になのか、であるにも拘わらずか、
一方で“小説家”としてのこの老人は、、、素晴らしい。

あたかも、なんでもない素材を絶品に仕上げる腕の良い料理人みたいなものなのだろう。



小説家というのは嘘を書く仕事なのだ。


大江健三郎は間違いなく“小説家”である。







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