『ひとり日和』を読んで

2007-02-15 12:23:18 | 文学
ここのところ余り読みたい小説もなく、初期の芥川賞受賞作などを時々眺めていたが、
どうもやはり時代感覚がいまいち合わずなかなか頁が進まない。

と、4,5日前、新聞に、
最新(136回)の芥川受賞作、『ひとり日和』(青山七恵)を全文掲載した「文藝春秋」を発売した。
と書いてある。

どれどれと780円ほど払ってこれを読んでみた。

冒頭、舞台設定の説明があり、必要な事だとは思うものの少々煩わしいが、
すぐに物語りに引き込まれる。


話はいきなり変わって申し訳ないが、
随分昔、私はある人の接待で「吉兆」という料理屋のお昼ごはんをご馳走になった事がある。
お品書きを見て随分高額であったのを憶えているが、
このお昼ご飯の献立というのは誠に質素凡庸なもので、
白身のお刺身が5切れほど、季節の野菜を煮たもの、味噌汁、ご飯、あと何かの白和えのような物も出たかもしれない。
出されたものを眺めて、私は密かに
『このような素朴な食い物で、よくもこんな高い代金を取るものだ』
と幾らか反発を覚えた。

ところが食ってみると、、これは私が家庭で味わっているいわゆるおふくろの味とは全く別物で、
野菜を煮たものにしろ、ただの白いご飯にしろ、
細部の香り、味、歯ごたえ、食べ始め、食中、食べた直後の鼻腔を通して戻る香りに至るまで、
和食の髄とはこういう事なのかと深く感じ入ってしまった。


青山七恵の『ひとり日和』はちょうどこの「吉兆のお昼ご飯」である。


話の素材は何処にでもある凡庸なものだ。

しかし青山はその文章の隅々、毛細血管に至るまでみずみずしい命を与え、
しかし過剰になることなく、丁寧に、丹念に描いていく。

私は小説に関しては外国のものを好まず、日本の作家のものを愛する。

それは英文を翻訳した小説は、いわゆるストーリーを楽しむ分に於いては構わないけれども、
細部の表現は翻訳家の才による所が大きく、
日本人である私が、これを本当の意味で堪能する事は不可能ではないかと思っているからであるかも知れない。

例えばこの『ひとり日和』を英語に翻訳して、
この小説の真の素晴らしさを理解できる欧米人がどれほどいるだろうか?


ん、、少し褒めすぎかも知れない、、、しかし、、久しぶりに良い気持ちになれた。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
青山七恵さんとは (秘密のあっこちゃん)
2007-02-15 19:35:06
どんな女性だろうかと気になります。若いのにこんなに淡々と感情を抑えて自然体で書けるなんて。すごいですね。かなりの才能の持ち主だと思いました。続けて第42回文芸賞なるものを受賞した「窓の灯り」も読みました。「ひとり日和」と同じように外(自分の家から)の世界に向けた視線がおもしろくてぐんぐん引き込まれました。
返信する
そうですね、 (P@RAGAZZO)
2007-02-16 10:56:22
青山七恵はまだ24歳なんですよね。
彼女は、18歳で『悲しみよこんにちは』を書いたフランソワーズ・サガンに影響を受けた。と語っていますから、
早世というものに幾らかこだわりがあるのでしょうね。
しかしあっこちゃん、よく本を読んでおられる。感心します。
返信する