『父の肖像』

2008-08-11 13:40:40 | 文学





『父の肖像』 辻井 喬 


辻井喬はご存知のように元セゾングループ会長堤清二のペンネームで、
父親は伝説の事業家であり衆議院議長をも務めた堤康次郎である。

本書は小説の形をとっており細部の創作はあるのだろうが、清二から見た康次郎の史実であり、
康次郎に興味のない読者には甚だ面白くない物語かも知れないが、
康次郎を尊敬する偉大な男の一人として認める私としては、
知っている事がほとんどではあったがナカナカ面白かった。

康次郎は少年期に両親や祖父と死別或いは生別しほとんど孤児同然となった。
その影響か、彼は自分の家族を増やす為と称し次々と女をつくり、どんどん子供を産ませる。
その為、清二は自身の母親が誰であるのか正確には知らず、異母兄弟たちと複雑な家庭環境に育ち、
東大では共産党に入党し、やがて同党からスパイ容疑をかけられ傷心するが、
その後康次郎に請われて康次郎の政治秘書となる。

清二の描く康次郎像は、彼自身も認めるように批判的な目と嫌悪感を含ませているのだが、
そうであっても康次郎の人間的魅力は拭い去れるようなスケールではなく、
誰しも男と生まれたからにはこうで在りたいものだと思わせずにいられない稀有なものであると言える。

しかし同時に康次郎の家族、子供たちや、特に妻たちはたまったものではなく、
実際に康次郎の長男、清二、長女らは激しく反発し、
次々と康次郎から離反し、或いは離反しようとする。

堤康次郎は明治から昭和にかけた恐るべき独裁者であり、
魅力的で偉大な怪物であった。

彼の内面には矛盾と混乱がカオスのように内包されていたが、
康次郎自身は生涯彼の信念を、例え相手が家族であろうと、曲げる事はなかった。

今現代、毀誉褒貶はあるにしろ、康次郎ほどのスケールの人物は日本には皆無であり、
心躍らぬ時代になってしまったことは、、、憂うべきか、喜ぶべきか、、、




★★★★☆







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